青年、裏側で行われていた事を知る。弐
デイルたちを見送った後、ラティナは着替えを済ませていた。
デイルのことは心配だが、今この場での自分の立場には、フリソスに大きく責任があることもラティナは理解していた。ヴァスィリオでの礼儀作法は、遠い記憶の彼方であり、かなり曖昧だった。それでもタブーとされていることなど、覚えていることもあった。
薄い布を重ねたようなヴァスィリオの服は、見た目では非常にシンプルな造りであるようでいて、それと知らぬものにはわかりにくい造りとなっていた。
強く締め付けないようでいて、要所要所はしっかと結ぶ。表に出ている帯の結び方にも意味があり、『一の魔王』の妹姫として扱われているラティナは、貴人のみに許された形で仕上げられていた。
泣いた瞼を冷やして、髪を整える。
最後に侍女は、フリソスがラティナの為に用意をしていた、繊細なつくりのベールを彼女の髪に留めた。
魔人族にとって、『角』は大切な存在だ。
それを『折られた姿』というものは、酷く生々しい傷痕の印象に似ている。気の弱い者なら直視することすら難しく、具合を悪くする場合もある。
罪人として折られる以外にも、怪我や事故で角を失う場合もある。そういった者が周囲の目を慮って被るのが、このような頭飾りだった。
装飾として用いられているものは、金銀の鎖に七色の色石。王であるフリソスに準じたものになっている。これだけで現在のラティナが、フリソスの深い寵愛のもとにあることが誰にでもわかるようになっていた。
部屋を出ると、別の侍女が控えていた。
彼女が一礼して先導して進み出すのにも、ラティナは問い掛けることすらなく続く。幼い頃は、確かにこんな風にあまり多くを語ることもない人びとに、仕えられていた記憶があった。
「わふっ」
ラティナがそこで足を止めたのは、聞き慣れた声を聞いたからだった。
視界の多くはベールに隠されている為、少し顔を上げる。
見慣れた灰色の毛皮は、予想したものだけのものではなかった。
「ヴィント」
「わんっ」
ヴィントは、だらんと自分と同じ色の毛皮の上で、四肢を伸ばしていた。背に我が仔をのせたハーゲルは、既に鎧は外していた。そして足音もたてずにラティナの傍らに立った。
そのハーゲルの隣で。
「久しぶり、ラティナ」
これだけの別離の後とは思えない軽い口調で、『緑の神』の神官服に身を包んだシルビアが笑っていた。
「シルビア……? 何で……?」
「何でって……強いて言うなら、ラティナを捜しに、かな」
驚いた顔のラティナに、含みのあるような独特な笑顔を向けてシルビアは言った。
「そこのわんこが、ラティナが此処にいるって教えてくれたからさ」
「わん」
「来ちゃった」
非常に軽い口調であった。
ラティナと共にシルビアと二匹の天翔狼が一同の前に姿を現すと、流石に成体の幻獣の姿に、ローゼとその護衛の立ち位置にいるヘルミネは驚いた様子になった。
ハーゲルの背からおり、とっとことマイペースに進んだヴィントは、フリソスに一度だけぐりっと頭を擦りつけ、再びラティナの元に戻った。
「ヴィント……?」
『虎猫亭』では見たことのなかった光景に、デイルが首を捻ると、ハーゲルも表情には出さないようにしながらも、微妙にパフパフと尾を揺らしている。
デイルの視線に気付くと、気まずそうに言った。
「うむ……遠き地でも感じてはいたが……この地の王は、御子とよく似た気配の持ち主よな」
「にてる。だから、まあ、しかたない」
うんうんと、頷いたヴィントも同意見であるらしい。
デイルも、ラティナとフリソスの二人の相似に驚かされていたが、それは、天翔狼という幻獣の観点からもそうであるらしい。
ヴィントが、テオの「あっち」という曖昧な情報のみで、クロイツからヴァスィリオまで迷うことなく辿り着いたのも、ヴァスィリオに『ラティナと似た誰か』がいた為であった。
基本的にラティナの言うことしか聞かない、マイペースなヴィントだが、フリソスの前では「しかたないなぁ」という顔になる。
ラティナとは別人だが、似ているのでこれで我慢してやろうという、上から目線の対応をするのである。
鎖国状態である為、ヴァスィリオには、『郵便』組合の支店がない。魔人族にも『央』属性の魔法使いはいるので、魔人族間での連絡手段は有している。だが、ラーバンド国やそこの個人に向けての連絡手段というものはない。
そこでヴィントの能力が役立った。
ヴィントの『鼻』の探知能力は、父狼であるハーゲルの上をいくものである。
クロイツとヴァスィリオ間を行き来して、通信手段を担うのも、もっと遠くに目的の人物を捜しに行くのも可能としていたのであった。
デイルたちが『二の魔王』と交戦している最中、ハーゲルの元にヴィントはひょっこり姿を見せていたのだった。
ヴィントはフリソスに頼まれて「しかたないなぁ」という反応で、お使いに向かったのであった。
急に現れた我が仔に、「ラティナ、まじーぞくのくに、いるよ」という端的な情報のみを告げられたハーゲルは、非常に反応に困った。
「つたえたから、ラティナとこ、かえる」と、あっさりと立ち去ろうとするヴィントを慌てて捕まえたものの、ヴィントの説明だけではハーゲルには理解ができなかった。
「デイルつれてくれば、いいとおもう」
「……そうか」
「せつめーむずかし。みればわかるし」
それでぱたぱたと飛びさってしまった我が仔を見送った後、ハーゲルがデイルに詳しい話を省いたのは、この混沌さを、どのように説明するべきかわからなかったという点が大きい。
何故、我が仔がその情報を知ったのかも、何故、今それを伝えに来たのかも、ハーゲルは答えを持っていなかったのである。
見ればわかるというし、とりあえずそうしてみるか。--という心境になってしまったのだった。どうせ次に向かうのは、その国でもあるし、とも思った。
ハーゲルは、やはり根っこの部分では、あのヴィントの父狼なのであった。
「クロイツでは、もうみんなラティナと王様が姉妹だって知ってるし」
シルビアはそう言ってニヤリと笑う。そんなシルビアの無礼な態度も、この場で最も貴い立場であるフリソスが咎めていないことから、ローゼも何も言うことはなかった。既にフリソスとローゼ、シルビアの三者は何度も顔を合わせているのである。
「何で?」
驚いたラティナにシルビアはあっけらかんと言い放つ。
「私の前で、『黄金』って言ったのはラティナじゃない。あの時、ラティナは『白金の姫』って呼ばれてたし。何か関係あるのかなって思うのは当然でしょ」
「あの時……って……?」
きょとんとしたラティナに、シルビアはふふふと笑いながら指を振る。
「緑の神の使徒の、情報を嗅ぎ付ける能力を侮ってはいけなくってよ、ラティナ。面白そうな話してたら、ちゃんと聞いてるに決まってるじゃない」
「え、ええと……あの時って、『あの時』!? だってシルビア、言葉わかんない様子だったのに……」
「ふふふ……」
驚くラティナと含み笑いのシルビアの会話も、他の面々には何事かは理解が出来ない。そして今のラティナは、そんな周囲を気にする余裕がなかった。
「私に、『魔人族の言葉』教えたのラティナじゃない」
緑の神の神官の情報に対する執念は、ラティナの理解を越えていたのである。
ラティナが、フリソスの命を受けてクロイツを訪れた魔族のひとりと遭遇した時、その場にはシルビアがいた。
ラティナは相手と魔人族の言葉で会話をしていたが、シルビアがそれがわからないような反応をしていた為、注意の外にあった。
だがシルビアは、『ラティナ自身から魔人族の言葉の基礎』を学んでいたのだ。全てを聞き取ることは難しい。けれども単語の断片を聞き取る程度は出来た。
シルビアには『緑の神』の加護がある。強いものではないが、彼女に宿るその力は、向かうべき道を指し示してくれる。
それに従い、シルビアはあの時、ラティナたちの後をつけた。西区の地理は、生まれ育ったシルビアはラティナよりも詳しい。元々尾行は、緑の神の神官にとって重要なスキルだ。注意力散漫なラティナや異邦人たる魔族の男性に対して、地の利があるシルビアの方に分があった。
そこでシルビアは、遠目でもわかる程に、ラティナと瓜二つの存在を確認したのだ。
二人の血縁を確信するのは、当然の結果だった。
ラティナが行方不明になった後、シルビアはルドルフの協力を得て、『ラティナと瓜二つの女性』の存在を確認した。
クロイツに入るひとは、街壁の中に入る際、必ず四方の門の何処かを使う。ラティナと面識のある南門以外の門番でも、珍しい白金の髪の美人というだけで、恐らく記憶には残っているだろうと思われた。憲兵隊に所属するルドルフなら、調べる事が出来る内容だった。
条件に合致する女性の存在を確認し、『虎猫亭』を中心とする面々は、『ラティナには、姉妹。恐らく双子の姉妹がいる』という結論に至っていた。
これ以上の情報を得る為には、ヴァスィリオに直接向かう必要もあるだろう--と、なり、ヴァスィリオの情報を集めている矢先、ヴィントとテオによる爆弾発言。『ラティナはヴァスィリオにいる』となったのであった。
シルビアがまず、ヴァスィリオ行きを志願した。
それでもラティナのように、ヴィントに乗って行くことには不安が残った。ヴィント自身も「なんか、うまくできたー」と信憑性に欠けるコメントを発していた為である。
そこで力を発揮したのは、『虎猫亭』に集う『妖精姫親衛隊』の面々だった。ベテランが采配を振るい、若手も、経験を積むまたとない機会だと志願した。
『四の魔王』による混乱も平定化の兆しが見えていた為、憲兵隊がクロイツの防衛に今以上に努めることと、後援を担うことを明言した。
更に『緑の神』の神殿も、全面的な協力を申し出た。ヴァスィリオという新たな情報の新天地である。緑の神の使徒が知らぬ振りを出来るプロジェクトではなかった。
『踊る虎猫亭』の常連客を中心としたクロイツ発の冒険者の大一団は、クロイツ南の森を踏破したのである。
ヴィントという高性能レーダーのお蔭で、ヴァスィリオの方向は決して見失うことはなかった。現在もヴァスィリオ手前で面々は拠点を築き、ラーバンド国との補給や休憩の拠点となる、そこを防衛している。
--現在は『七の魔王』との戦争に兵を取られている為難しいが、正式にヴァスィリオとの国交が決まれば、公爵閣下より兵の派遣もされるはずだった。後々には、町として開拓する要所となるだろう。
シルビアは、そこから、ヴァスィリオとコンタクトを取るべくヴィントと共に彼の国に赴いたのである。
クロエに借りた、ラティナの角の欠片を胸に下げて。




