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黄金の王と、白金の勇者。(前)

書籍版四巻発売は今月22日となっております。それまでの10日程、発売日まで投稿回数を増やしますので、詳しいスケジュールは活動報告をご覧ください。

 ラーバンド国クロイツの南の森の更に先に、魔人族の国ヴァスィリオはある。

 デイルがヴァスィリオについて知ることは、その程度のことだった。

 長年鎖国政策をとり、他国と交流を持たないヴァスィリオのことは、ほとんど知る機会すら得ることが出来ないのだった。


 それでもデイルたちが迷うことなく彼の国を目指すことが出来たのは、ハーゲルの『鼻』があったからであった。

 ヴィント程の精度を持たないハーゲルであるが、距離を詰めるに従い、ヴァスィリオに居るラティナの気配(ニオイ)を捉えた。

 それを以て正確に彼の国の方向を知ったのだった。

(ヴィントがあまりにも普通に……ラティナの気配(ニオイ)で何事も把握してきたの見てきたけど……あいつのしていること、やっぱり『普通』じゃなかったんだな……)

 逸る気持ちと激情の中、それでもデイルはそんな突っ込みを内心に浮かべたりもしたのである。

 ハーゲルに言わせれば、ティスロウの地からクロイツまでを、気配(ニオイ)を辿って向かうことすら、条件が合わなければ厳しいことであるらしい。

 ヴィントは常々「やればできるこ」と、自称していたが、それは単なる自称ではなかったのだった。


 夜明けの早朝を待って、ヴァスィリオの上空をハーゲルで駆ける。

 ヴァスィリオの都市の様子は、空から見下ろすデイルにも、ラーバンド国とは大きく異なるものだった。

 王城に当たる場所は分からなかったが、『神』の気配が強い場所は直ぐに察知する。クロイツなどの『ひとの為の神殿』とは異なる、神の恩寵篤いからこそ設けられた、彼の故郷と同様の『神を奉る為の場所』だった。

「『紫の神(バナフセギ)』の神殿……」

「……御子の気配(ニオイ)は、そこに在る」

 ハーゲルの返答に、デイルの心は直ぐに決まった。


「ラティナの元に向かってくれ」

 邪魔をするものが在れば、全て薙ぎ倒す。

 自らの背でその意志を隠そうともしないデイル相手に、ハーゲルは複雑そうに喉の奥を鳴らした。


 本当に此所が、『魔王』の住む場所であるのかとデイルが戸惑う程に、彼は何者にも妨げられることなく神殿の内部を進んでいた。

 他の『魔王』を討つ際に、居城に侵入してきたデイルだったが、ここまでひとの気配が感じられないのは初めてだった。

 神殿とはいっても単一の建物ではなく、広大な敷地の中に、幾棟もの建造物が築かれている。

 空の上でハーゲルが示し、ジリジリと疼く自分の左手の感覚を信じてデイルは奥へと進む。


 その豪勢な離宮の前へと辿り着いた時、デイルは胸に迫るものを感じた。

 左手を自分で握り締める。

 理屈などはわからないが、自分は確信していた。此所には、自分のなくしてしまった『欠片』がある。

 熱いものを押し留めて、浅く水の張られた泉の上に架かる橋を渡る。緩やかな風に揺れる薄布を手で押さえ、入り口を潜った。


 ラティナが、いた。


 息が止まるかと思った。

 見慣れぬ風情の衣装は、ヴァスィリオの様式のものなのだろう。寝台にその身を横たえて、柔らかな寝具に包まれていた。

 そっと、近付く。夢ではないのかと、夢だったらどうしようと、目にしても信じることが出来なくて、息を殺して傍らに立つ。

 触れたくて、仕方がない。抱き締めたくて、仕方がない。

 それでも、彼女が目覚めた瞬間に消えてしまうのではないかと思うと、怖くてそれも出来なかった。


 長い睫毛は伏せられていて、灰色の優しい色の眸は見えない。

 記憶にあるよりも、痩せているように見える彼女は、あまり顔色は良くないようだった。それでも、規則的に上下する胸に、堪らない安堵を感じる。


 震える指を恐る恐る伸ばす。

 柔らかな頬に微かに触れて、慌てて手を引いた。彼女が消えてしまわないことを確認して、もう一度手を伸ばす。

 暖かい、彼女のぬくもりが伝わる。

 当たり前過ぎる程に、ずっと自分の傍に在ったそのぬくもりを感じて、デイルは自分の理性を総動員することになった。無茶苦茶に抱き締めて、キスをしてしまいたい自分を、押し留める。

 こんな風に穏やかに眠る彼女を、驚かせる訳にはいかない。

 だからデイルは、ずっとそうしてきたように、彼女の頭を撫でた。滑らかで触り心地の良い彼女の髪を撫で、擽ったがるものの、彼女にとって『気持ちの良い』場所である角の根元のあたりに手のひらを滑らせる。


「ん……」

 微かにラティナが身動ぎした。仔猫のように、上機嫌な吐息を漏らす。

 変わらない彼女の愛しい仕草に緩んだデイルの表情が、彼女の声を聞いた瞬間に強張った。

「フリソス……?」

 他人の名を呼ぶ彼女の姿に、脳が一瞬で沸騰した。


 こんな無防備な寝起きの姿で、薄絹だけを纏った身体の線も露な姿で、自分ではない他人の名を呼ぶ彼女に、他の全ての感情が塗り替えられる。


 此所が、特殊な宮であることぐらい、一目でわかる。

 他の『魔王』にとって害悪である筈の『八の魔王』たる彼女を、匿い留める『一の魔王』の心情など、考えないようにしていた。自分が知らない故郷での彼女のことを知る可能性を、考えないようにしていた。

 寵愛を受ける姫。その言葉に感じた昏い感情も、彼女を見た瞬間には、忘れていられた。

 それを、彼女のたった一言の言葉が、思い返させた。


「……っ!?」

 痛みといってもよい強い力に、両の腕を拘束されて、ラティナの意識は微睡みの中から浮上した。

 反射的に逃れようと身を捩るも、強い力は緩められることもなかった。

(何……何……?)

 恐怖に涙が滲んだ眸をまばたきして、焦点を合わせる。驚く程に近い距離にいる存在が、男性であることに気付くと同時に、自分は身体から力を抜いていた。

 身体の反応に、頭の方が追いつかない。

 無意識のうちに、相手が誰であるのかを理解して受け入れる身体に対して、頭は状況を理解しきれない。

 此所にデイルが居ることすら、彼女は把握しきれていなかった。

「デイル……?」

 ラティナを更に戸惑わせたのは、デイルの表情だった。

 会いたかったという言葉も、話したい、話すべきことがあった筈だったことも、全て忘れてしまう位に、混乱する。


 デイルが、今自分に向ける剥き出しの感情を、激しい程の嫉妬だと理解出来ないラティナは、息苦しさを覚えて喘ぐ。

 ずっとデイルは、ラティナに、穏やかで優しい感情を向けてきていた。ラティナは、彼の暖かな愛情にくるまれて過ごしてきていた。

 初めて向けられるデイルの怒りに近い激情の理由がわからなくて、彼女は、怯えた顔で自分を組み敷く彼を見上げた。


 ラティナのその反応すら、今のデイルの感情を逆撫でる。

 疚しいことがあるからこその反応だと、結論付ける。


「なんで……?」

「ラティナ」

 詰問するデイルの声に、びくりとラティナは身体を竦める。普段ならばどれだけ怒っていても、彼女がそんな反応をすれば、デイルは声を和らげてくれた。それなのに、今のデイルは怒りを隠そうとはしなかった。

「フリソスとは、誰だ?」

「デイル……?」

 何故、デイルがフリソスの名を知っているのかもわからなくて、ラティナは言葉に詰まった。一度詰まると、声がうまく出せなくなってしまった。

 怖くて涙が滲む。大好きなひとに逢えた喜びよりも、不安定な今の彼女は、怒りの感情に晒された恐怖に大きく揺り動かさされてしまった。

「……『一の魔王』の名か?」

「……っ」

 声が出ないラティナを、じっと睨むようにして、デイルは見据える。

 隠し事は出来ても、嘘の付けないラティナは、揺らぐ眸が能弁に本心を綴る。それで求める答えの確信を得た彼は、更なる質問を彼女にぶつけた。

「『一の魔王』は、何処に居る?」

「…………っ!」

 ラティナの眸が大きく揺れる。さっと走った視線の先が求める答えだと、デイルは昏い笑みを浮かべた。


「もう少しだけ、待ってろ……ラティナ。『一の魔王』で最後だ。そうしたら、俺の元に帰って来るんだろう」

「で……いる……?」

 掠れた声で問い掛けるラティナは、押し潰される程の不安に身体を震えさせた。それほどに深い狂気にも似た感情が、今のデイルには宿っていた。

「そうしたら、全部、赦してやるから、大人しく待ってろ」


 身を起こし、踵を返して部屋を出るデイルの姿に、ようやくラティナは、起こって欲しくなかった出来事が起ころうとしていることに気が付いた。

「や……ダメ……っ、お願い、デイル……フリソスは……っ」

 デイルの怒りの理由を理解していない彼女は、そうやってフリソスを庇う言葉を彼女が発したことが、更にデイルの感情を煽ることに気付いていなかった。

 背中に受けたその声に、デイルは憎悪を隠そうともせずに、ラティナが視線を向けた先へと足を速めたのだった。

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