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海の魔王。

「そろそろ来る頃だと思っていたよ」

 老境に入った男性の外見をした魔王は、夜更けに訪れた約束も無い『彼』を相手に、落ち着き払った声で迎えた。


 別名を海の魔王と呼ばれる『三の魔王』は、東の辺境の地で、海鱗族と共存関係を築き、集落を作っている。

 水鱗族は、種族特性により、水中での呼吸を可能としている種族だ。だからといって陸上での生活が出来ないという訳ではない。それでも、水中での機動力に比べ、やはり陸上での動きは不得手としている面がある。海での狩猟を水鱗族が主に担い、陸上での耕作作業などは魔人族が主に担っている。

 海の魔王が治めるこの土地は、彼に仕える少数の魔人族と多数の水鱗族によって成り立っているのであった。

 満潮時には半分以上を水没させる独特の建物群が作り出す光景は、他の文化圏の人族にとって非常に珍しい独特な景色となっていた。


 その建物の中でも、最も高く、大海原を見渡すことの出来るもの。城という訳ではなかったが、王の住まいし場所という意味では王宮と呼べなくとも無いそこで、『三の魔王』は、黒いコート姿の青年を迎えた。

「座ったままで、すまないね。足が悪いものだから」

 穏やかな笑みを浮かべた老人は、深く腰掛ける椅子の傍らのテーブルの上のディキャンタを掴むと、深い色の葡萄酒をゴブレットに注ぐ。

「飲むかい? ……まあ、そういう気にはなれないかな」

「……」

 誰何することもせず、誰かを呼ぼうともしない魔王の様子に、青年の表情にかすかに訝しげな様子が混じる。直ぐさま切り捨てる気でいたものの、ここまで敵意の無さを見せられると、彼も相手の真意を図りかねた。

「君と話がしてみたかったんだよ。『白金の勇者』……四の魔王を討った君は、私ら他の魔王にとっても大きな存在だ」

 老人はそう言いながら、黒いコートの青年を見る。


「それに、五の魔王と六の魔王を討ったのも君だね……『勇者』が、彼らを害する必要がわからない。だから、私は君をただの(・ ・ ・)勇者では無いのだと考えたのだよ」

「……なら、どうする?」

 低く静かな声にも穏やかな様子を崩さず、魔王は微笑みすら返してみせる。

「それは、君が、私の元にも来るであろうということだね。君は……『八の魔王』の縁者なのかな」

「……俺は」

 右手で自らの左手をぎゅっと握り、彼は一瞬言葉に迷った。

「……彼女は、俺の最愛のひとだ」

 そして彼は、他の魔王に対して答えたように『眷属』という言葉を使わず、彼女のことを語る。

 なんとなく、そうしたいと思った。

「『勇者』と『魔王』が恋仲になるとは……珍しいことも起こるものだね」

 魔王はゴブレットの中身で唇を湿らせ、彼を真っ直ぐに見る。

「君にとって、私は仇となるのだろう。討つが良いよ。……ただ、幾つか聞かせてくれないか」

「……」

 警戒を緩めぬままに、青年は魔王を見た。

 剣の柄から手は離さず、何時でも一太刀で討ち取れる距離を計る。相手が魔術に長けていたとしても、この距離では切りつける方が早い。決して討ち漏らすことはない。

 老人の姿をした魔王は、それにも微かな苦笑を浮かべただけであった。

「『八の魔王』は……『彼女』であったのだね。まずは謝罪を。彼女を犠牲に、自分たちが救われようとしたこと、本当に申し訳なく思っている」

 魔王の言葉に、青年の表情に憎悪が過った。

 冷静さを保っていた青年が見せた激しい感情を、魔王は静かに受け止める。

「……そうだね。これは、ただの此方の罪悪感の現れだ。謝罪なんてものを、君が欲していないことはわかっているよ。……忘れてくれて構わない」

「……何故、彼女を犠牲にした……っ」


 その怒りの籠った声は、彼の本心からのものだった。

 彼も、理解はしていた。『三の魔王』や、『六の魔王』。そして魔人族の王たる『一の魔王』は、自らの民を守る立場にある。

 恐らくは、ラティナ自身も、そうだったのだろう。

 守る者を持つ身では、『災厄の魔王』と敵対することは大きなリスクを伴う。曲がりなりにも『魔王』である以上、単一の魔王を相手にすれば、遅れは取らないかもしれない。だが、今回は条件が異なる。

『全ての魔王』にとって、敵であるとみなされた『八の魔王』を庇う側に回れば、他の複数の魔王を同時に敵に回すことになりかねない。

『他人』である『八の魔王』よりも、自らの守るべき者たちの安寧を取ったことは、彼等の立場では、致し方ない行動だ。


 だから、デイルは、自分の行動を肯定しない。正義の旗を掲げようとは思わない。

 復讐だと、報復であると、自分の行動を宣言する。

 これは、自分の感情を満たす為の独り善がりな行動--別の立場の者たちにとっての『悪行』--だと、自覚している。


 それでも自分の感情は、赦せないと叫ぶのだ。

「彼女は……っ」

 腕の中に、傍らに、いつも居てくれたぬくもりが、どうして今、自分のそばにいないのだろうかと思うのだ。

 相手にとっては、魔王が守る民たちにとっては、自分の行動の方が、理不尽極まりない暴挙であるだろう。それでもデイルは、自分が自分のままでいる為に、魔王に憎悪を向ける。


 憎しみを向ける相手がいなければ、きっとなくした自分は壊れてしまう。


『三の魔王』は、彼のその感情すら、受け止めるような顔をしていた。

 全てを呑み込む静寂さを以て、憎悪も怒りも当然のものだとしていた。

「……っ!」

 デイルは左手を強く握り締め、ギリと音がするほどに、歯を食いしばった。これ以上は言うべきではない。自分がどれだけ奪われた彼女を大切に想っていたのかなど、眼前の魔王に告げる必要のない事だと、彼はそんなことはわかっているのだった。


 それでもデイルのそんな姿は、多くの言葉を重ねるよりも能弁に、失った大切な存在のことを『三の魔王』へと伝えた。

 長く生きてはきたが、死が恐ろしくないはずがない。ゴブレットの中の水面は、細かく震え揺れている。

 激昂する『勇者』の姿に、久しく感じる、恐怖という感覚を抱いた。

 それでも、と、思う。

 あの時、『玉座』の場で、『理の魔王』に断罪された『八の魔王』の放つ『声』は、怯え震えていた。だというのに、毅然と最期まで自分の運命を受け入れてみせたのだ。

 眼前の青年の好いひとであったというのならば、年若い女性であったのだろう。

 長い若い時を過ごし、老いた自分のようなものとは、比べものにならない短い時間しか生きていないだろう。それでも『彼女』は、災厄たちとも、まみえてみせたのだ。

 老いた自分も、退く訳にはいかない。

 守るべき存在の為に。

 だから『三の魔王』は、穏やかな表情を崩さぬままに、それでも緊張に乾く喉を葡萄酒で湿らせる。


「彼女は、『魔王の総意』によって封じられた。恐らくは前例のないことだよ。魔王が、神によって許されている神の末席としての力は、限定的なものだ。今回は全ての魔王の力を束ねたからこそ、成せた事柄だ」

 静かな声で、魔王は告げた。

 謝罪は自分が楽に成りたいから出たものでも、それは紛れもない本心でもあった。救えなかったことを後悔していた。

 だから今度は、『彼女』を救う一端となろう。

「封印を解くのにも、『魔王の総意』が必要となるだろう。だが、それは不可能なことだ。災厄たちが自らの力を削ぐ存在を解放することに同意する筈がない。だから」

『彼女』を誰よりも大切に思う存在の背中を押そう。それは、そうであって欲しいという自分の願望も含まれているのだが、確認する術は無いことだ。

「君の行為には、可能性がある。前例も準備もなく行った封印術式は、完璧なものではないだろう。魔王を強制的に排除したことで、封印に綻びが生じていてもおかしくはない」

 青年の眸に、落ち着きと覚悟が灯るのを見て取ると、『三の魔王』は、ゴブレットの中身を飲み干して、傍らのテーブルにそれを置いた。


「このようなことを頼める立場でないことは、わかっている。だが、出来れば次は、『七の魔王』を討ってはくれまいか」

『三の魔王』が治めるこの土地は、『七の魔王』の軍勢の影響下にある。彼の魔王の本拠地がすぐそばに在るのだ。

 それでも平穏を保っていられるのは、ここが他の魔王の地であるからだった。

 絶対的な力で蹂躙することを好む『七の魔王』は、僅かなりとも自らの絶対的な勝利を覆す可能性を持つ、他の魔王との直接対決を好まない。万が一にでも、敗北なんて不快な思いをしたくはないのだ。別名を『海の魔王』と呼ばれる『三の魔王』は、海の側であれば、戦いに秀でた魔王とすら渡り合える大きな力を行使できる。

『三の魔王』を失えば、この土地はあっという間に蹂躙されるだろう。

 彼を生にしがみつかせていたのは、その一事だけだった。

「我が民には、罪がない……勝手な申し出ではあるが、聞き入れてはくれまいか」

「…………」

 デイルが微かに浮かべた表情は、泣き笑いのような気配を有していた。

「彼女は……」

 呟いてデイルは、灰色の眸の誰よりも優しい少女を想う。

「彼女は、子どもが好きだったから……子どもたちの未来が奪われるような真似は……したくねぇな……」

『三の魔王』にとっては、その一言だけで、充分だった。

「そうか……感謝する」


 そして、夜の闇の中、静寂だけが残された。

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