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青年、--赴く。

 ラティナが、消滅(きえ)た。

 後、ほんの少し早く、抱き締める腕が届いていれば、繋ぎ止めることが出来たのだろうか--と、根拠も無い思考を巡らせる一方で、デイルは奇妙な程冷静に状況を確認していた。


 魔術を使用しても、こんな現象は起こせない。もしも自分の知らぬ何らかの魔術だとしても、この場に他者の気配は無い。外部からの魔法による干渉を疑うには可能性が低すぎる。

 そうやってひとつひとつ思い付く可能性を、検討を重ねて否定していく。


 そして何より、ラティナはこうなることを予見していたようだった。

「……魔王」

 呟きを漏らした後で、無意識のうちに奥歯をギリと鳴らす。

 『神』のちからの断片たる数多の『加護』でも、このようなことを起こせるとは思えない。ならばそれを振るうことが出来るのは、ひとならぬ存在でしかあり得なかった。

 彼女は『魔王』を、下位の『神』であると表した。

 矮小なるひとの身では、起こせぬ奇跡の如きちからでも、『神』ならば、話は変わることだろう。

 ラティナは、こうも言っていた。

『魔王』を害することが出来るのは、魔王を護る運命を覆すことの出来る存在たる『勇者』と、同じく神の末席に連なる同等の存在である『魔王』だけであると。

 そうであるならば、現在『魔王』となった彼女を害することが出来る存在は限られる。

『勇者』のちからでは、何処に居るかもわからない『魔王』を、消し去るなんて現象を起こすことは出来ない。それは、誰よりも自分がよく知っている。『勇者』なんてちからや加護は、そんな万能のものでは無いのだ。そうであったならば、自分は、あれだけ必死に腕を磨くことも、精神を磨り減らしながら屠ることを繰り返す必要も、無かった筈なのだから。


 ならば、ラティナを害したのは、『魔王』でしかあり得ない。

 更に上位の存在である『神』は、直接世界の事象に関わらない。それも彼女が語ったことだ。

 理由はわからない。方法もわからない。だが、可能性のある『相手』だけはそうであると結論付けた。


「ラティナ……」

 夜更けた屋根裏部屋の中、暗がりの中で思考を巡らせる自分の身体は、睡眠欲求を訴えることは無かった。

 それは、『魔族』と成ってから薄々感じていた自分の変化だった。

 今まで通りに眠ることも食事をすることも出来る。だがそれは『生命を維持する為に本当に必要な行為』ではなくなっていた。必要ではあるだろう。それでもそれは、『人間族』であった頃とは比較に出来ない程に少ない時間、少ない量で事足りる行為となっていた。

 身体も精神も、魔族と成って強化されているということだろう。

 朝が来るまでに、まだ時間はあった。繰り返し考えることは、消滅(きえ)てしまった愛しい少女のことだった。


 自分は、どうするべきだ。


 思考がそこに至る。

 どうしたら良い。何が起こったかもわからない。

 彼女に仇なした者が『魔王』だとしても、どの魔王が何を理由に彼女を害したのか、わからないのだ。

 ー-そして、この身ひとつで『魔王』相手に事が成せるとは思えない。

 冷静さを残した思考は、そんな真っ当な回答を導き出す。今まで、ラーバンド国との契約で剣を振るい続けてきたからこそ、わかるのだ。

『魔王』は複数存在している。だからこそ、互いに互いを牽制しあって微妙な現状を維持しているのだ。『厄災の魔王』が何かを切っ掛けに活性化したとすれば、それは多くの国を巻き込む大災害となるだろう。


 ひとりの少女が消滅(きえ)た。それを受容してしまう事が、最も穏便な選択なのだろう。

 そう彼の論理はひとつの選択を彼に示す。それが、最も誰も不幸にしない選択だ。


 その時、ふと、視界の隅に『それ』を捕らえた。普段の自分ならば決して手に取ることの無い『それ』。厚い布張りの表紙の一冊のノート、彼女が時折胸に抱いて微笑んでいた彼女の日記。

 半ば無意識にそれを開く。無くしてしまった彼女の面影を捜すように、彼女の痕跡を宿すものへと引き寄せられた。

 彼女らしいちいさな読みやすい几帳面な字で綴られているのは、他愛ない日常のことだった。日によって長さも文章もまちまちで、時には日付も飛んでいる。

『他愛ない』と、そう言ってしまえる何気ないことばかりであるのに、彼女にとっての『世界』は、穏やかで優しい光に満ちている。

『自分』のことを、そこに見つける。彼女の視点からの自分は、こう見えていたのか。こんな些細なことも見ていたのか。こんな風に想ってくれていたのか。

 気が付くと、次の一冊を手にしていた。そしてその次に。日付が遡るにつれ、拙さが見える文字となっていくのは、今まで見守ってきた、彼女の成長具合を巻き戻していく錯覚すら覚えさせる。


 手が止まったのは、『彼女の名』についての記載のところだった。

 祖母が彼女に与えた『一族の役割名』は、自分たちの一族にとって、大人になった証だ。彼女から、その『名』を聞いた事がなかった事を思い出す。「大人になったら、だよね?」そう言って照れ臭そうに微笑んでいた彼女の姿を思い出す。

「ムト……」

 それ(・ ・)は、ティスロウにとって、決して珍しい『名』ではなかった。ありふれていると言っても良い。家を、家庭を護る女性の多くが有する名だ。

 だがそれは、ティスロウにとって最も尊い『役割』だ。ティスロウにとっての最上のものは一族そのものだ。『ムト』が護るものは、一族そのものであり、更には一族の次代ということなのだから。


 そして、『レキ』という一族の外に出る事を役割とした自分の側に、その隣に居てくれることを望んでくれた彼女に『ムト』の名が授けられた意味。

 それは、自分にとっても、彼女が『自分の居場所であれば良い』という祖母の願いだ。

 生まれ故郷に帰ることが出来ずとも、新たな場所で新たに『一族』を築く事が出来るだろう。--それは、彼女だけ(・ ・ ・ ・)に向けられた『願い』ではなかった。


 文字が、滲んだ。

 諦めることなんて、出来る筈が無かった。

 彼女は、ラティナは、自分にとっての『居場所』だ。帰るべき場所だ。代えるものなどありはしない。代えられるものなどありはしない。自分にとっての唯一の存在だ。

 彼女がこの日記に綴ってきた今までの時間、同じだけの時間を、自分も彼女を想って過ごしてきた。大切に愛しく想ってきた。簡単に捨てられる想いでは決してない。

 彼女が消滅(きえ)てしまったことを、受け入れることなんて出来る筈が無い。


「ーーっ!」

 その時、気付いた。


 自分の思考を振り返る。

 無意識のうちに自分は、『彼女が消滅(きえ)た』と考えていた。その事実を確認する。自分は、何故そうであると『確信していた』のか、と考えを巡らせていく。

 自分は、決して、彼女が『滅んで(ころされて)しまった』とは考えていないのだ。

 あり得ない事象である以上、そういう可能性を考えても然るべきであるのに、自分は、初めからその可能性を除外していた。

 左手を、見る。

 可能性に思い至ってそこに魔力を点す。

「……っ!」

 文字が浮かんだ。

『主』である彼女との、明確な繋がり。自分が彼女の眷属であり、彼女の影響を受けているという証。

 それは、彼女が『何処かに存在している』という証だった。


「諦める必要なんて、ねぇよな……」

 眷属と成っていて良かったと、心底思った。自分にはまだすがるものがある。この『証』がある間は、ラティナは必ず『何処か』に存在している。

「奪われたなら……取り戻せば良い」

 日の光がクロイツの街に朝が来た事を告げる頃、デイルは顔を上げて呟いた。



 リタは、階段を下りて来たデイルを見咎めて声を上げた。

「どうしたのよ、そんな格好して」

 旅装束を調えた黒い魔獣のコート姿のデイル。こんなに早い時刻に仕事に出るという話は聞いていなかった。そんなリタ自身、この時刻に一階にいることは珍しい。テオもエマも起こすにはまだ早いこの時刻、少し羽を伸ばそうと二人を置いて部屋を出て来たのだ。

「リタか」

 その短いデイルの声に、リタは背筋に寒気を感じた。聞いたことの無い程に、冷えきった声だった。

 それは、『踊る虎猫亭』という、デイルにとって自分のままで居られる場所では見せたことの無かった『仕事中』の彼の姿だった。

 感情を殺し、周囲を威圧する。普段のデイルとは異なるもうひとつの彼の姿だ。

「ラティナが消滅(きえ)た」

「な……」

 何を言っているのか、と、問い詰めることも出来ない。気の強いリタですら、まともに声を出させる事を、今のデイルは赦そうとしなかった。

「取り戻す。絶対に」

「っ!」

 何が起こったのか、リタにはわからなかった。茶化すことも冗談として流すことも出来ないことを、彼女は既に察していた。声の調子も表情も平坦であるというのに、デイルが激しく怒り狂っていることがひしひしと伝わってくる。

 何か、自分の預かり知らぬところで、取り返しのつかないことが起こってしまったのだ。それだけを理解する。

 だからこそリタは、最大限の虚勢を張って声を上げた。

「なら、ラティナと一緒に、帰って来なさいよ」

「……っ」

「待っててあげるから」

 デイルはそのリタの言葉には返答せずに、裏口から外に出た。足元に視線を向けて、寝そべる獣に声をかける。

「ヴィント、お前も行くか?」

 問われたヴィントは数度鼻を動かして、再び地に伏せた。

「ラティナまってる。るすばんする」

「……そうか」

 短く答えたデイルは、もう振り返ることはしなかった。


 足に力が入らなくて、崩れ落ちそうになったリタを支えたのは、夫の力強い腕だった。

「ケニス……」

「ああ」

「何が……何が起こったの? ラティナに何があったの?」

「俺にもわからん」

 夫の腕に力が籠った。だが彼は、リタよりも強靭な心身を持つ『戦士』だった。不安に怯え、足を止めるのではなく、前に進むことを選択する男だった。

「だからこそ何が起こったか、知ることから始める必要があるだろう。デイルが何をしようとしているのか、知る必要があるだろう」

「ケニス……」

「俺たちに出来ることは少ない。だが、何も出来ない訳じゃない」


 白金色の少女が消滅(きえ)たことが、平穏な幸福だった日々の終わりであることだけは、現在のケニスとリタにもわかる唯一のことだった。

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