ちいさな娘、青年を大いに動揺させる。
「ラティナが、迷子になったぁっ!? 」
『踊る虎猫亭』で、デイルの悲鳴が上がったのは、ケニスがラティナを見失ってから、しばらく後の事だった。
ラティナがいない事に気付いたケニスは、慌てて周囲を探したがその姿は見つからなかった。とはいえ、彼はこれから店に運ばれてくる食材などの業者の応対をしなければならない。ずっと探している訳にもいかないのだ。
東区の知り合い数人に彼女のことを頼み、急ぎ足で『虎猫亭』に帰って来た。
ことの次第を一番伝えなくてはならない、彼女の保護者の元に。
「ああ。本当にすまない。商談の間すこし、目を離したら……」
ケニスもデイルも、油断していたのだ。
ラティナはとても賢い子だ。
つい、このくらいなら大丈夫だろう。と、無意識のうちに思っていたことは否定できない。
この子はしっかりしているから、ふらふらしたりしないだろう。なんていうのは、大人の勝手な言い分だ。
元来、大人と子どもの視線は異なる。もとより見ている世界が違うのだ。大人の理由では子どもの行動は捉えきれない。
「いや、ああ。仕方ない。迷子になっちまったもんは、仕方ないっ。ああぁああああ……こんなことなら捜索系の呪文覚えておくべきだったぁあぁあっ、必要ないとか言ってた過去の俺、ラティナに謝れっ、ごめんな、ごめんなっ……いや、そうだよ、今はラティナだ……どうする、どうするっ? そうだ、い、依頼出して街中の冒険者にラティナの捜索を……」
「とりあえず、探しに行ったら? 」
「それだっ! 」
不謹慎だが、面白い位に動揺したデイルの様子に、周囲は逆に頭が冷える。混乱の極致にいるデイルに、リタがひとつの行動指針を与えると、彼は即座に店を飛び出して行った。
「ええと……リタ? 」
「街には、ラティナの特徴はデイルの後見と一緒に届けてあるから、連れ出そうとする馬鹿がいたら、街壁で止められるわよ。迷子になったのも、東区の治安の良い辺りだから……あの子ならなんとかする気もするんだけど、そうね……」
デイルを見送った後でケニスが妻を見れば、彼女は非常に冷静だった。店の中に居た雑談に耽っていた数人の冒険者に顔を向ける。
「捜索に加わってくれれば、今晩の酒代は無料よ。見つけてくれたら、別に礼金を出すわ。見つからなくても、一度セギの刻には戻って来て。これでどうかしら? 」
「まぁ、暇潰しにはなるな」
「デイルに恩売っとくのも、悪くねぇ」
リタの言葉に、常連客たちは口々に言いながら、席を立つ。
ラティナは、常連客にとっても、特別な存在になりつつあるのだ。
東区の子どもたちに囲まれて、ラティナが帰って来たのは、日暮れにはまだ間がある頃だった。
「リタ! 」
店の扉をくぐって笑顔になったラティナは、リタの方へ駆け寄って来たが、はっとしたように立ち止まった。
「リタ、はぐれて、ごめんなさい……ケニスは? 」
「心配してるわよ。顔、見せてあげて」
厨房を示してリタは言う。正直、ラティナが気になって、仕事がまともに手につかない夫の姿には、リタも辟易していたのだ。
彼女は厨房へと急ぎ足で向かう。ラティナが顔を覗かせると、ケニスは手にした鍋をガチャンと大きく鳴らした。
「ケニス、ごめんなさい……ラティナ、はぐれて、やくそくまもらなかった」
しょんぼりとした様子で素直に謝られては、自分に非のあることを知るケニスは叱ることなどとてもできない。
ただ、安堵しながら、ちいさな彼女を撫でる。
「無事で良かった」
しゅんと消沈しているラティナを、ケニスが抱き上げて店に行けば、やたらとたくさんの子どもたちが彼を見上げていた。
「なんだ? 」
「この子たちが、ラティナをここまで連れて来てくれたんですって」
唯一の女の子と話していたリタが言う。
「それは礼をしなくちゃな……」
「友だちを助けるのはとうぜんのことだよ! 」
ケニスの呟きに、女の子は不服そうに声をあげる。ラティナは小さく首を傾げていた。
「そう。ラティナの友だちになってくれたの。じゃあ、今日はもう遅くなるから……今度、ゆっくりラティナと遊んであげてね」
リタはにこにこと普段は見せない笑顔を浮かべながら、ケニスがラティナ用に作りおきしているクッキーの瓶を開けた。手際よく人数分の包みを作る。
それを膝を折ってひとつずつ子どもたちに渡しながら、
「ラティナを連れて来てくれて、本当にありがとう」
ときちんと礼を言う。大人であるリタから、丁重な扱いを受けた子どもたちはそわそわと落ち着かなさげだったが、満更ではなさそうだった。
子どもたちが帰路につくのを、ラティナは店の入り口で手を振って見送った。
セギの刻が近付いて、常連客たちが『虎猫亭』に戻って来ると、ラティナはひとりひとりに、頭を下げた。
「しんぱいかけて、ごめんなさい……」
「嬢ちゃんが無事なら、問題ないさ」
「……さがしてくれて、ありがとう」
笑って手を振る常連客に、ラティナはもう一度ぺこんと頭を下げた。
店に戻って来た当初は、笑顔をみせていたラティナだったが、今はその背中だけでも、しょんぼりとしているのがわかる。
店の入り口まで行ったり来たりを繰り返しては、足元を見て落ち込んでいる。
事情を知る常連だけではなく、知らない客たちも、いつもと様子の違うラティナの姿に、どことなく押し黙って酒杯を重ねていた。
デイルが帰って来たのは、そんなタイミングだった。
彼は汗だくで、息を切らして、店の扉を開けた。
「リタ、あの後何か……」
情報に進展はないかと、尋ねかけて、当の本人が彼を見上げていることに気付く。
「ラティナっ! 」
喜色を浮かべて名を呼んだデイルへのラティナの返答は、大粒の涙だった。
「っ!? 」
あわてふためき、声も出せずに膝をついたデイルに、ラティナは更にぼろぼろと涙を溢す。
「ラ、ラティナっ!? 」
「ごめ……ごめんなさい……っ、ごめんなさい……やくそく、まもらなかったの、ごめんなさい……っ」
しゃっくりあげて訴えるのは謝罪の言葉だった。
「デイル、ラティナわるいから、おこる? 」
「怒らない、怒らないから……ああぁっ、心配だっただけだから! 」
泣きながらのラティナの言葉に、激しく首を横に振ったデイルだったが、ラティナはそれに更に言葉を続けた。違うのだと、彼女も首を振る。
「おこられるの、いいの。ラティナがわるいからっ……でも、ラティナ、こわ、こわかったの、かえれないのかもって、こわかったの」
灰色の大きな眸からどんどん涙が溢れ出る。
このちいさな子が、泣くのを見るのは初めてだと、ほんの少しだけ残された冷静な部分が呟いた。
「もう、ひとりになるの、やだよ、デイル。……ラティナ、おこられてもいいから、デイルといっしょにいたいよ……っ」
『踊る虎猫亭』まで無事に帰って来た後、ラティナなりに色々考えたらしい。
そのうち、迷子になった心細さと、不安も思い出して、彼女はその大きな感情に振り回されてしまったのだろう。
謝らなくてはならないという、信念を通した後は、彼女はその不安感に流されてしまったのだ。
--という、ことは、後で冷静になったデイルが推測したことで。
今現在、混乱の最中にいるデイルに出来ることは、泣きじゃくるラティナを抱き締めることだけだった。
もう、泣くことが泣く理由となってしまっているのだろう。
ラティナはまともな言葉も無く、時折しゃっくりあげるだけになっていた。
ひたすら泣き続けるラティナを、デイルがひたすらあやし続けるという攻防は、彼女が泣き疲れたことで決着を迎えた。
泣き疲れてデイルに抱かれたまま、転た寝に移行したラティナを、周囲の客たちは見守りながら、デイルへはニヤニヤと底意地の悪い笑顔を向ける。
後年、『号泣及び狼狽事件』と称される。この店の新たな話の肴が生まれた瞬間であった。
本格的にデイルさんの暴走が止まらない……
でも、書いていてとても楽しい……
加減が難しいですね。