白金の娘、決意する。
「"余が、どれほどそなたを捜したと思っている……"」
「……っ!」
わかっている。『一の魔王』となり、一国を預かる身となった以上、他国においそれと出掛けることの出来る立場である筈が無い。
それは『王の候補』として、神殿の奥深くで育てられていたあの頃からそうであった事だが。
それなのに、今、此処に居るということは、他でもなく自分を迎えに来たのだという推測は、簡単に出来る。
その事は、嬉しく思う。
「"私……っ、大切なひとが、出来たの……一緒に生きていきたい……ずっと一緒にいたいひとなの……だから、フリソスとは、行けない……"」
だからこそ、ラティナははっきりと自分の想いを相手に告げた。
大切な相手だからこそ、誤魔化さずに自分の気持ちを伝えようと思った。
「"ごめんなさい。……私はもう、フリソスの元に、帰ることはできない……っ"」
「"っ!"」
ラティナを抱き締める腕に、痛い程の力が籠る。それが、離さない逃がさないという心境を饒舌に示していて、ラティナの表情もまた曇った。
「"……駄目だ。認めぬ"」
「"……フリソス……"」
表情を泣き出す前のように歪めたラティナの様子に、フリソスの表情も少しだけ困惑めいたものになる。だが、腕の力は緩められることはなかった。
「"余ならば、そなたを護ることができる"」
「"フリソス……?"」
「"そなたの存在は、『魔王の理』を覆す。それが『理の外の魔王』の唯一にして、絶対的な能力だ……それを他の魔王たちは、本能的に忌避するであろう"」
「"……っ、私の能力は、そこまで凄いものではないのに……"」
フリソスの言葉に、ラティナは泣きそうな声を絞り出す。
「"七という理の数で定められた『魔王』を、揺るがし、絶対的な存在から変質させる。そなたの存在は、在るだけで『魔王』にとっては脅威だ。全ての魔王が揃ったことで発生する『理の外の魔王』は、神が世界に与えた魔王の制御装置なのだから" 」
「"……なんで、フリソス……?"」
ラティナ自身よりも、彼女の能力について深く知るフリソスの様子に、ラティナが戸惑ったような声をあげた。『魔王』と成った時間に差があるとしても、それほど深く『世界の情報を理解』することができるものだろうか。
「"……そなたを失ってから、余は王となるべく、ヴァスィリオで努めてきた。その最中に『王に災いを為す』という呪われた予言についての考察も、過去の歴史より推測をしてきたのだ"」
「"ああ……"」
「"七までの魔王が世に現れた時のみ、世界に現れた『八の魔王』は、魔王であって魔王ではない存在……魔王に対してのみ力を振るうことを許された、『勇者』とは異なる神が魔王を制する為に作りし機構だ。……余は可能性のひとつとして、ほとんど伝承も残されていないそれを、考慮していたのだ"」
その可能性でないことを、願いながら。
フリソスの表情から、ラティナはそれを読み取って涙を滲ませた。
それでもフリソスは、自分を護ると言ってくれたのだ。道を違えたあの時から、ずいぶん時間を経てしまったというのに。
そんなフリソスの共に生きたいという願いに、自分は応えることができないというのに。
それでも自分は、自分の想いに嘘は付けない。自分が隣に在りたいひとは、もう彼以外はあり得ないのだから。
「"ごめんなさい……ごめんなさい、フリソス……"」
そして、様々なことを理解してしまったからこそ、ラティナはフリソスの申し出に甘えることは出来なかった。
「"フリソスは、『一の魔王』で在らねばならない……魔人族は、ずっと新たな王を待ち続けていたのだもの……だから"」
ラティナは涙に濡れた眸を真っ直ぐにフリソスへと向ける。
「"いつか、その時が来たら、フリソスは『私』を切り捨てないといけない。そうしなくちゃダメだよ。私情の為に、国を、民を護る自分の在り方を歪めてはいけないんだよ……"」
「"プラティナ"」
「"だからその時が来たら、フリソスは何よりも、王として国を護ることを考えないといけない。私は、それで良いから。私はフリソスのその在り方を肯定するから……っ"」
「"嫌だ……プラティナっ"」
幼い頃すら、見たことのない駄々っ子のような声をあげたフリソスに、ラティナは強い意志の籠った灰色の眸をまたたかせる。溢れた涙が一筋頬に流れた。
「"『八の魔王』が全ての魔王にとって『敵』となるなら……『一の魔王』も私を敵として扱わなくてはならない。私を匿うことで、国を戦禍に遇わせてはならないよ"」
それは、悲痛な決意だった。
ラティナは優しい娘だ。そして、強く自らの意志を胸に抱く娘だった。
自分ひとりと国ひとつを、天秤にかけることは、彼女にはできない。そして、それは『故郷』だけに言えることではなかった。
「……ごめんなさいじゃ、届かないね……許してなんてことも言えない……ごめんね、デイル……」
小さく絞り出すように呟いて、ラティナは眸を閉じて涙を再び頬に流した。
「私は、出来ることで、クロイツや大切なひとたちを護りたい……だからその時が来たら……私は……」
全ての魔王と敵対する存在を捜して、大切な場所が蹂躙されるような目にあってはならない。戦場となるようなことになってはならない。
それならば--
「"全ての魔王が『私』を捜す時がきたならば、私は逃げることも隠れることもしない。だから『私』ひとりで、場をおさめて。この街を……私にとってのもうひとつの故郷であるこの街を、護って。このことを頼めるのはフリソスだけなの……だから"」
決意が籠った声は、震えることもなく静かに響いた。
「"その時が来たら私を滅ぼして"」
デイルと共に在りたいという想い以上にラティナが抱くのは、彼の無事への願いだった。
ラティナは、彼が冒険者として、高名で実力があるということを知っていても、怪我や命の危険に、ずっと心を痛めて過ごしてきた。
デイルは、自分の眷属化--魔族となったことで、様々な能力が向上している。それでも、全ての魔王を敵に回したら無事で済むとは思えない。彼が自分のせいで危険な状況になることを、ラティナは安穏と眺めていることは出来なかった。自分の為に死地に赴いてくれなんて、言える筈がなかった。
デイルがラティナを護りたいと大切に思うのと、変わらない程の強さで、ラティナもまた、デイルを護りたかった。
眷属であっても、デイルの『生命』をラティナは支配していない。彼の彼としての独自性を残していたことに、心の底から安堵した。
『主』である自分が、この世から存在しなくなっても、彼がそれに殉じることはない。
魔族としての長い生は失うかもしれないが、本来の『人間族』としての生は残されている筈だ。
元に戻るだけ。
きっと、そうしてくれるだろう。
痛む心に蓋をして、ラティナはそう考える。
逆の立場ならば、そうする筈はない。自分の命を失うことになっても、全身全霊で護ろうと足掻くだろう。自分と彼は何処か根底の在り方が似ている。そうしてしまうことはわかっている。
だから、デイルにそれを選ばせることは出来なかった。
「ごめんね……ごめんね、デイル……」
そして、それを選ばせてしまうもうひとりに。
「"ごめんなさい……フリソス"」
あの『森』の中で朽ち果てていれば、自分は大切なひとたちを苦しめることはなかったのに。やはり自分は災いを呼ぶ存在であったのかもしれない。
「ごめんなさい……」
それでもと、願ってしまう自分は、なんて罪深い存在なのだろうかと、ラティナは肩を震わせて涙を溢れさせたのであった。
ラティナは、デイルが『勇者』であることを知らなかったりするのであります。