ちいさな娘、未知との遭遇。
ラティナはピンチであった。
「どおしよう……」
キョロキョロと、不安な顔で行き交う人々を見る。
今彼女が居るのは、彼女が普段暮らすクロイツの南区ではない。仕入れに出かけたケニスに付いて、東区までやって来たのだ。
ラティナが東区に来たのはこれで二度目だ。
一度目の時は、全く言葉もわからなかったので、周囲が気になっても、デイルから決して離れることはなかった。
結果としてそれが良かった。
今回は、つい周囲に気を取られてしまった。
立ち並ぶ商店は、それぞれに工夫を凝らして道行く者の興味を惹くようになっている。流通の要所のクロイツは、物資が豊富だ。ラティナが今まで見たこともない、使い方もわからない、様々な商品が溢れている。
南区とは、雰囲気が異なる街の様子に、意識を奪われた。
もともとラティナは好奇心が強い。警戒心と注意力を好奇心が上回ってしまうのも、仕方ないとも言える。
そうしているうちに、気が付いた時には、ケニスの姿を見失ってしまっていたのだ。
(ちゃんと、ケニスといるって、やくそくしたのに……デイル、おこるかな)
そう考えると、ただでさえ落ち込んでいた気持ちがますます萎んだ。
ラティナは途方に暮れた顔で、どうすれば良いか考え込む。
だが、心細さが勝って、どうしたら良いかわからない。
帰れなかったら、どうしたら良いのだろう。
(もう、あえなかったら、どうしよう)
もう、ひとりぼっちは嫌だった。
こんなにたくさんの人がいるのに、どうしようもない孤独感に苛まれる。
悪い方、悪い方へと思考が傾くのを止める事ができない。
(いやだよ……どおしよう、かえらなきゃ……かえらなきゃ……)
思考がそこでぐるぐると回る。
いくら賢いとはいえ、ラティナはまだ幼い子どもなのだ。
理屈ではなく、感情に振り回されるのは、当然の反応だった。
だが、それを今の彼女に伝えてやれる者はここにはいない。
迷ったならば、その場で待つべきだという判断が、ラティナの中になかったのは、彼女は『あの森』の中で、『誰かの助けを待つ』のではなく、『自分自身でなんとかしなくてはならない』という環境に在ったからかもしれない。
ラティナは見当を付けた方向に走り出した。
後、もう少しだけそこに留まっていれば、慌てたケニスが戻って来たのというのに。
「……ここ、どこ? 」
なんとなくで幾つかの角を曲がったラティナは、本格的に見たことのない区画に入りこんでしまっていた。
彼女は知るよしもないが、東区の中でも職人街と呼ばれている区域で、住居と工房を兼ねた家々が並んでいる。東区の表通りと比べて、下町らしさの色濃い地域だ。
その為入り組んだ路地も多く、そこの住人以外の人間には、迷路のように感じられるかもしれない。
ラティナにとってもそうであり、振り返っても、もう何処からここまで来たのかもわからない。
「……どおしよう」
ラティナが途方に暮れて呟いた時だった。
「何だ、お前? 」
背後からかけられた声に、ビクッと飛び上がる。
ラティナが振り返ると、そこには数人の少年が佇んでいた。見知らぬ少女の姿に、眉をひそめている。
「お前、どこの子だよ、見たことないやつだな」
「……っ」
少年の中で一番体の大きな子が、ずいっと近づきながらラティナに言う。彼女は何と答えて良いかわからなくて、少年から距離をとろうと後退りした。その彼女の様子に、彼はますます不審そうな顔をする。
「見たことない髪の色だな、きぞくの子か? 」
「ちがうよ、ルディ。きぞくの子だったら、ドレス、着てるんだよ」
「そうだね。でも、珍しい色だ。金でも銀でもないみたい」
ルディと呼ばれた大柄の子の隣にいた丸顔のおっとりした少年と、後ろにいた茶色の髪の少年が口々に言う。
「こんな子が引っ越して来たら、うわさにならないはずもないし」
「じゃあお前、よそ者か!? 」
ルディの強い口調に、ラティナは再びビクリと体を跳ねらせた。
(なんで、おこってるの? )
(ラティナ……なんか、へんなの? )
(どおしよう……なんで、おこってるか、わかんない)
「ダメだよルディ、この子、泣いちゃうよ」
「こっちが聞いてるのに、だまってるのは、そいつだろ! 」
丸顔の少年が止めようとするも、ルディはずかずかとラティナに近づいて来た。完全にパニックになったラティナは、顔色を無くしたまま、逃げようとした。
「なんで、逃げるんだよ! あやしいぞ! 」
「っ! " **! ****! " 」
だが、体格の差もあって、ラティナはルディに回り込まれて捕まってしまった。腕を掴まれた瞬間にラティナから出た悲鳴に、少年たちがきょとんとする。
「なんて言ってるんだ? 」
「異国の子かも……」
顔を見合せて相談しあう少年たちから険は既に消え、戸惑いだけが残っているのだが、パニック状態のラティナは気付かなかった。身を必死に捩りながら声をあげる。
「 " **、 **! ****! " 」
「何やってるの!! 」
そのラティナの悲鳴に、近くの家から、少年たちと同じ歳の頃の少女が飛び出して来た。真っ青なラティナを見るやいなや、少年たちの中に飛び込んで行く。
「こんなちいさな子、いじめるなんてサイテーよ! 」
「うわっ、やめろっ、クロエっ!」
「ちがうよ、ごかいだよっ」
素早く距離を取った茶色の髪の少年以外の二人は、クロエという少女の正義の鉄拳制裁の犠牲になる。
ラティナが、パニックを忘れてぽかんとしてしまう位に、クロエという少女は凄かった。
助けてもらった立ち位置のラティナが、仲裁に入ってしまう程に。
「いたい? ……だいじょうぶ? 」
「大丈夫よ! つば、つけとけばなおるから! 」
「クロエがそれ言っちゃうんだね」
クロエに殴られ蹴られた少年二人、ルディとマルセル-―丸顔の少年――の前でしゃがみこんだラティナは、心配そうに顔を曇らせた。
「ラティナ、ちゃんとへんじできなかったから……ごめんなさい……」
「こわがらせた、ぼくたちがわるいから……」
マルセルがそう、苦笑を浮かべると、ラティナは更に申し訳なさそうな顔をした。彼の前に、ちいさな手のひらを向けると、キリッと表情を引き締める。唇を湿らせてから、丁寧にことばを紡ぐ。
「 " 天なる光よ、我が名の元に我が願い叶えよ、傷つきし者を癒し治し給え《癒光》 " 」
ラティナの手のひらから溢れた柔らかな光に、周囲の子どもたちの目が丸くなる。
ラティナはルディにも同じように回復魔法を使う。その後ぎゅうっと眉を寄せ、ぺたんと座り込んだ。
「大丈夫? 」
「だいじょうぶ。すこし、つかれただけ」
ラティナはにこりと笑ってクロエに答える。それをきっかけに少年たちは口々に興奮した様子でラティナを取り囲んだ。
「すげえっ! まほうつかいだ! 」
「こんなちいさいのに魔法つかうなんて、本当にすごいね! 誰が教えてくれたの? 」
「ぼく、はじめてまほう見たよ! 」
その勢いにラティナが怯えた様子をみせると、クロエが一歩前に出て、ジロリと睨む。
ぴたりと少年たちの動きが止まると、ラティナはクロエの背中から、顔を出した。
「すごい? ラティナ、かんたんな、いやしのまほうひとつだけしかつかえないよ? 」
こてん、と首を傾げてラティナはそう答えた。
「まほうつかえるの、すごいの? 」
「街の人ほとんどは使えないよ。神殿や、領主さまのところで働いている人とか、大きな商会の人は別だけど。後は冒険者の人かな」
茶色の髪の少年――アントニーがそう教えてくれたのに、ラティナはなるほどと頷く。
(デイルは、ぼおけんしゃ。だからまほうつかえるんだね)
そして、はたと思い出した。自分が迷子であったことに。
「ラティナ、はぐれて……かえりみち、わからない」
「どこから来たの、ラティナ? 」
「みなみの……とらねこのおみせ……」
しょんぼりと答えるラティナに、子どもたちは顔を見合せる。
「とらねこ?」
「みなみのお店って、そんなにないよね」
「あそこかな? みどりのはたのあるところ」
「冒険者のみせ? 」
その言葉に、ラティナの顔が明るくなる。
「うん。ぼおけんしゃ、たくさんおみせ、くるよ」
子どもたちは、互いに顔を見合せる。
冒険者の店は、危険な仕事をしているよそ者が集まる危ないところだ。親たちは南区のその辺りで遊ぶことを禁じている。
だが、これは人助けだ。
決して自分たちが行ってみたいだけではない。
――結局、大人が禁止する物ほど、子どもというのは興味を持つものなのだ。
サブタイトルの『未知』の理由は次の次の話で少し触れます。未知であったが故のパニックだった訳ですが。
ラティナの行動範囲と人間関係が少し広がりました。