青年、療養中。弐
「何かあったのか?」
「う……」
口ごもりながらもデイルは、友人相手に、簡潔に事態を語る。
他にすることも無いし、何度もぐるぐると回るそのことが、頭の中を占めているのだった。吐き出させて貰えるならば、そうさせて貰おう。
「ラティナが……」
「ああ」
「俺のこと、ほら、なんつぅか……異性として、考えてるって……告白された」
「そうか」
「あっさりしてるな……」
「まあ。不思議でもない話だろう」
淡々としたグレゴールの返答に、デイルは微妙な顔で更に言葉を継いだ。
「それに動揺して、ちょっと頭冷やそうと……飛び出して来た」
「子どもか」
「反省はしてる……」
自分でも、あれは無いな、と思う。動揺して衝動的に飛び出してしまったが、丸一日が過ぎた頃には、いくら何でも、あの行動はなかったと、思い至る程度には頭が冷えていた。
とはいえ、そこからすごすごとクロイツに戻る訳にもいかず、予定通りに王都へと向かったのである。
「俺はこれから、ラティナとどうしたいのかって聞かれて……今まで、考えないようにしてたってことを自覚した」
「そうか」
グレゴールは、デイルの話が長くなりそうだと、侍女を呼んで茶の用意を命じた。自身は、彼のベッドの横に椅子を置いて腰掛ける。
「……そこで改めて、気付いたんだけどさ」
デイルはそこで、本当に微妙な表情になった。
「俺とラティナ。10歳そこそこしか、離れてねぇんだなって」
「今更だな」
「そうなんだよ」
本当に今更な、基本的な情報なのであった。
「ほら、ラティナ、初め本当にちっさくて。いつも俺の膝の上で、にこぉっ、ってしてたから、その印象強すぎたんだけどっ。……改めて考えると、せいぜい歳の離れた兄弟位で……親子の歳の差じゃ、ねぇんだなぁって……」
「……俺が彼女と、初めて会ったのは、つい先日のあの時だが……お前の話の印象だと、本当に小さな幼子といった具合だったから……驚きはしたな」
グレゴールは、先日クロイツで会ったラティナの姿を思い出す。彼の目から見たラティナは、未だ外見には幼いという印象はあるが、それを以ても余りある、落ち着いた物腰の大人びた少女だった。
「そうだろ。ラティナ、可愛いだろっ」
「……まあ、確かに」
「だろぉ」
そこでデレっと表情を緩めるのは、以前から全く変わらないデイルなのであった。
「改めて考えるとさ……そんくらい離れた夫婦ってのは、珍しくも無いんだよな……」
デイルはそう言って、表情を真面目なものに戻す。
彼の『兄貴分』たるケニスとリタの夫婦も、その位離れた夫婦なのだ。幼い頃は大きな差だと思われても、年齢を重ねるうちに、気にならなくなる、その位の差なのだった。
「最初の出会いが幼すぎたんだよな……だから、その印象を引き摺っていたんだけど……もう、ラティナは、『子ども』じゃなくなっちまうんだよな」
ふう、とため息をついて、デイルは視線を泳がせた。
「『保護者』であっても、『他人』で『男』である俺が、ラティナと常に一緒にいるっていうのは……しちゃならねぇこと、なんだよな」
「……下衆な勘繰りをする輩というのは、何処にでもいるからな」
「そうだよな。俺が、ラティナの『保護者』なら、俺が考えるべきことだった……」
ケニスが『ラティナの想いを受け入れるか、はっきりしろ』と迫ったことを考えているうちに、同時に、その裏にある『受け入れないのならば、その立場も明確にしろ』ということにも、考えが至った。
このまま自分が、『保護者』のままでいることを選択するならば、きちんと彼女との間に線を引く必要があるということだ。
彼女が『大人』になる前に、明確な『距離』を開けなくてはならない。周囲が悪意ある推測を彼女に向ける前に、芽を摘まなくてはならない。
男である自分は、どんな下卑た噂を向けられても、何とでもなる。でも、『女の子』である彼女に、そんなものを向けさせることになってはならなかった。
「ラティナと俺。べったべたしてるの、普通だし」
「お前……」
「客観的に見たらそれは、まぁ……そーいう関係にも、見えるよな」
『幼い子ども扱いをしている』というのも、確かに自覚すればそうなのだろう。自分は全く意識もせずに、彼女とひとつ布団で安眠していたりするのだから、そうなのだ。
年頃になった『女の子』相手に、する行動ではない。
「それで、お前はどうしたいのだ?」
「んー……」
侍女が用意をした、茶器を口元へと運ぶグレゴールを横目に見て、デイルは言葉を選んだ。
「俺は、たぶん……ラティナと一緒に居たいんだよ……な。これからもずっと……ラティナが誰かのものになるのは嫌だし、このまま俺のそばに居て欲しいって思ってる」
それが、たぶん、自分の中の一番シンプルな答えだ。
周囲から見ても、はっきりしていた、シンプルな望みだった。
『いつか死ぬこと』を受け入れて、何も求めようとしなかった『自分』が、唯一望んだ『存在』、それがラティナだった。
今でも『いつか遺して逝くこと』は、心苦しい。だが、それも受け入れてくれるのならば--その限りある時間だけでも、自分の我が儘に付き合って貰えるだろうか。隣で幸せそうに微笑む『癒し』でいてくれるだろうか。
「それなら、『そうする』のが、一番手っ取り早いんだよな……」
問われて、思い至ってしまったのだ。
今よりも、もう少し大人になった彼女が--自分の隣で幸福そうに微笑んでくれるのなら--それは、なんて幸福な未来なのだろうかと。
その、『幸福』を与えるのが、他でもない自分であるならば、代えるべきものはないのだと。
自分が誰よりも、幸せにしてやりたい少女を、幸せにする役目は、自分自身でも良いのだと、思い至ってしまったのだ。
「元々、俺……自分は、政略結婚することになるだろうって思っていたんだけどさ」
「ああ」
グレゴールも特異な『一族』であるティスロウのことは知っている。『ティスロウ』は、ラーバンド国内の下位の貴族よりも、よほど力を有する『一族』なのだ。公爵家として、注意を払わぬ理由が無い。
デイルは、一族の次期当主の義務として、一族の益となる相手と縁を結ぶ為の政略結婚を受け入れることに、何の疑問も持っていなかった。
年齢や美醜はもとより、場合によっては初めて会う相手と婚姻を結ぶことになったとしても、そういうものだろうと達観していた。
「感情は別にして、どんな相手だったとしても、誠実ではあろうって思ってたんだよな。それこそラティナより年下の相手でも、気にするつもりはなかった」
「政略結婚ならば、珍しくもないな」
「そうなんだよ」
次期当主の役割を弟に委ねて、そのしがらみからは逃れたが、自分の『結婚相手』を探すという考えには至らなかった。
「だからきっと、『俺の大切なラティナ』と、一緒に居られる選択は、俺にとっても『幸福』な選択だ」
周囲が五月蝿く言うのは、自分のことを心配していたのだろう、ということにも、想像がつく。
ラティナは『魔人族』だ。
『人間族』である自分たちよりも、ずっと長い時間を持っている彼女。その彼女の幸福を見守ることが、自分の幸福だと、それに時間を費やしていけば、だんだんと『時間の差』が現れていくだろう。
(気がついたら、俺は爺ぃになってるんだろうからなぁ……)
『若いままの彼女の隣で、自分自身の幸福を二の次にして、年老いていく自分』という姿を、周囲は容易く想像してしまえるのだろう。
心配させる理由になる。
冷静に考えれば、自分自身そうなる未来しか見えない。
「でも、それはそれとして、置いといて」
「は?」
デイルの声のトーンが変わる。呆気に取られたように聞き返したグレゴールに、デイルはいつも通りの気楽な口調で答えた。
「まぁ、それは、まだ、『先の話』だ」
「……そうなのか」
「だってラティナ、まだ『子ども』だからさぁ」
デイルは、宙に浮かせた手の動きで、なだらかな曲線を示す。ほとんど起伏の無いその曲線が何を意味しているか、グレゴールも聞き返すことはなかった。
「本格的に『どうするか』ってのは、ラティナがもうちょい育ってからだよなぁ」
デイルには、『少女』を対象にする性癖は無い。
そのこともあって、困ったようにデイルが浮かべる笑いは、照れと本心からの苦笑が半々ずつといった様子であった。
そこに、ノックの音が響く。
グレゴールが応じると、部屋に入って来たひとりの侍女は、この館の使用人らしからぬ慌てたような気配を発していた。
静かな声の報告を聞いたグレゴールも、表情を驚きのものに変える。
その理由をデイルが聞き返す前に、『その理由』が室内に入って来る。
グレゴールは直立することで応じたが、ベッドの上のデイルには、身形を調える暇は無かった。
起き上がり、畏まろうとするデイルの動きを、相手が片手ひとつで制する。
「父上」
グレゴールがそう呼ぶ相手は、白髪の老境に差し掛かった人物だった。グレゴールの父親と言うだけあって、整った容貌をしている。
存在するだけで、周囲の姿勢を正させる風格を有している男性だった。恐ろしげな表情をしている訳ではない。どちらかといえば、穏やかそうな印象の方が強いだろう。だがそれだけの筈が無いのも、明らかだった。
エルディシュテットの家名を背負う男性。この国でも、王に次ぐ権力を有する男なのだ。
その彼が、わざわざ自分の元に、足を運んだ理由が思いつかなくて、デイルは困惑したのだが、それは、一瞬にして--吹っ飛んだ。
公爵閣下の背中に隠れるようにして、見慣れた白金色の輝きを戴く少女が、彼を見ていたのだった。
次話、直接対決。




