赤毛の少年と、白金の乙女と。弐
「なんだ? どうしたっ!?」
物音に、ケニスが厨房から店内に飛び込むと、散乱した皿やグラスの中央にへたりこむラティナがいた。
「どうしたっ!?」
「ふぇっ!」
普通では無い状況に、強張った表情でケニスが誰何すると、何故かお盆を抱き締めていたラティナは、びくん。と飛び上がった。そこで改めて、散乱した食器類をおろおろと見回し始めた。
「お……落っことしちゃった……ご、ごめんなさい……っ」
「怪我は無いか?」
どうやら事件性はなさそうだと、表情と声を和らげたケニスが尋ねる。ラティナは遅すぎるタイミングであるが、ようやく、食器類が割れたことに気付いたようだった。
「ふわあぁ……ごめんなさい、お皿、割れてる……っ!…………痛っ!」
ラティナは、反射的に破片へと手を伸ばし、びくりと手を引いた。どうやら今の拍子に切ってしまったらしい。
「大丈夫か?」
「ちょっと切っただけ……『回復魔法』あるから大丈夫……」
「そのまま動かないで少し待ってろよ。今、掃除道具取って来るからな」
「ふえぇ……ごめんなさい……」
情けない声でがっくりと肩を落とすラティナを置いて、ケニスは再び厨房へと戻って行った。
幼い頃から、『踊る虎猫亭』の手伝いをしていたラティナだったが、このような大きな失敗をしたことはない。
ケニスは首を傾げながら、箒を掴んだ。
そして、そんな看板娘の失敗を目にした常連客たちもまた、ケニスとは異なる理由で、慌てていた。
彼らは、自分たちのアイドルである少女が、告白された瞬間を目撃していた。
全ての客ではないが、彼らの最も愛する『この店の酒の肴』は、看板娘の愛くるしい一挙一動だ。誰かしら、ラティナの様子は見ているのが、この店の『通常』なのだ。
そこで発生した『告白』だ。場合によっては制裁の対象となる少年のその行動を、咎める隙も無く当の本人は店を出て行ってしまったが、その直後のラティナのこの狼狽ぶりである。
揶揄う隙もなかった。
茶化す暇もなかった。
親衛隊発足以来、初の大事件なのであるが、突っ込みを入れ損ねたのであった。
「ふきゃっ」
「ラティナっ!? 」
床にできた小さな水たまりに足を取られて、ぺちゃんと転んだラティナの姿に、ケニスが再び慌てた声を出す。
誰もが初めて目にする、ラティナの姿なのであった。
その後も、心ここにあらずという状態で、ラティナはミスを連発した。
例えば--注文を忘れた。同じ品を客の元に運んだ。少し間を挟んだ間に、自分がついさっきまで何をしていたのかを忘れて、キョロキョロした。そして何度か、ぺちゃんと転んだ。--といった具合であった。
「ふえぇぇぇ……ごめんなさい……ごめんなさい……っ」
その度に、情けない声を出して、赤くなった顔でぺこぺこと謝るのである。
希少なものを見た。--と、彼女のそんなミスとぽんこつぷりすら許容する空気が、『踊る虎猫亭』の常連客の間に完成していることを実証したことが、何よりも業が深い『事件』であった。
「ねぇね。たまご、にがい」
「ごっ……ごめんね、テオ……」
「ねぇねは、しかたないなあ」
「わふぅ」
翌朝も、ラティナのぽんこつ状態は続いていた。
いつもの朝食作りのオムレツも失敗して、半分はスクランブルエッグになり、残りの半分は更に一部を焦がした。
オムレツを作るという、いつも通りの慣れた作業すら失敗した自分に対して、更に混乱した--という悪循環がもたらした結果であった。
テオはもぐもぐと朝食を食べながら、幼子の特権である遠慮の無さで、思ったままの評価を口にする。
何故か上から目線であったが、横から見ていたヴィントも同意したことで、ますます情けなさそうにラティナは肩を縮ませた。
そんな一連の事態を引っ提げて、ラティナは朝の営業を終えた直後、親友の家を訪れたのである。
「えーと……今更?」
「今更なのっ!?」
通常よりも早い時間に訪れたラティナを、驚きの表情で迎えたクロエは、昨夜の話を聞くと、開口一番そう答えたのであった。
「まあ、あのヘタレなら……告白しただけマシと言うか……今更ようやくと言うか……」
「え? え? クロエ、知ってたの?」
「知ってるも何も、たぶんラティナ以外、みんな気付いてたって」
「えええぇっ!?」
ラティナは驚きの声をあげてから、頬を赤くしたまま、何とか状況を把握しようと試みる。
「夜祭りの時、久しぶりに会って……そこで、とかなの?」
だが、ラティナから出た推測は、かなり見当違いのもので、クロエは静かに首を横に振った。
「違うって。ルディはずぅーっと、初恋を拗らしてたの」
「……?」
更に首を傾げるという反応になった親友に、クロエは、はあっ、と音をたててため息をついてみせる。
「ルディがラティナのこと、好きだって言うのは……学舎通いする前からだってば」
「えええぇっ!?」
わかってはいたが、予想通りのラティナの反応に、クロエの表情は、より微妙なものになる。
「そんな、だって、ルディ、いつも意地悪ばっかりするし」
「わかりやすいね」
「私のこと、いっつも揶揄うし」
「うん。だから、わかりやすいよね」
「? ? 何がわかりやすいの?」
「うん。やっぱり、そこからなんだ」
ラティナの中に、「好きだからこそ意地悪をしてしまう」という発想そのものが無いことは、長年の付き合いであるクロエは、薄々察していた。
この天然娘は、自分たちが『常識』だと思っていることが、スコンと抜けている時がある。たまに忘れてしまいそうな時があるが、彼女は異種族人であり、生まれも他国である為に、価値観そのものが、ずれていることがあるのであった。
「ルディがあーいう態度取ってたのも、全部、照れ隠しみたいなものだってこと」
「え……? じゃあ……ルディ……ずーっと……?」
「そう。ずーっと」
「全然……気付かなかった……」
「まあ。ルディも気付かれていないことに、ちゃんと気付いてたしね」
「クロエ……さっき、『みんな』って言ってたけど……」
「そう、『みんな』。シルビアだけじゃなくって、マルセルもアントニーも。……他の奴らも気付いてたんじゃないかな」
「ふえぇぇぇ……」
赤い顔で、なんだか泣き出す前のような表情をして、ラティナはおろおろと視線を泳がせた。
「今度みんなと、どんな顔して会ったら良いか、わかんない……」
「その前に、ルディと会うこと、考えてあげなよ」
「ふえぇ……っ! そうなの、ルディ、最近毎日お店に来るの……っ。どうしよう……」
「……だから、ラティナに会いに来てたんでしょ」
「そ、そう、言ってた……どうしよう……っ」
心底戸惑った様子で、狼狽えるラティナは、親友としても驚く事態だが、本当にこういった状況に免疫が無いようだった。
(とりあえず、過保護過ぎるんだよね。ラティナの周りは)
クロエは呆れ半分の表情のまま、もう一度ため息をついた。
これだけ美少女で、何処に出しても自慢の親友だと、クロエとしても胸を張れるラティナだが、今の今まで、異性から告白されるという状況になったことはなかったらしい。
周囲が徹底的に排除していたとしか、考えられない。
「で、どうするの?」
「……? どうするって? ……どんな顔したら良いかな……?」
「そうじゃなくって、ルディのこと。どうするの?」
「…………ルディは、聞いて欲しかっただけって、言ってたけど……」
「それで良い訳ないじゃない。どう返事するの?」
「……やっぱり……返事しないとダメだよね……」
ラティナは困りきった表情で、視線を下に向けた。
「考えたことなかったの。ルディが私のこと、好きだなんて」
「……うん」
「どうして、私なのかな?」
「……それはルディに聞くべきじゃない?」
「……だって……私は、魔人族で、寿命も違うし……赤ちゃんも作れないし……」
「あのさ、ラティナ。本来ならラティナの方が言うべきじゃないの?」
「……?」
クロエの問いかけに、ラティナは少しだけ視線をあげて、親友の顔を見上げた。
「ラティナは『人間族』で良いの? 魔人族みたいに、長い寿命を持たないし、魔法を使えるとは限らない、弱い種族だよ」
「クロエ?」
「ラティナは自分のこと、下に考え過ぎってこと。美人であるのは、それだけで特権なんだから。その上、『いつまでも若い綺麗なまんまなんて、男の理想でしょ』位でいても良いんじゃない」
「ふえぇ……?」
もちろんこの親友がそこまで達観できるとは、クロエ自身、思ってはいない。それでも、一応口に出してみる。
「ラティナは、自己評価が低過ぎるの」
「だって……私……」
「私の『大切な親友』だよ。『大切な親友』を低く言うような輩は、私が許さない。それがラティナ当人でも、許さないからね」
「クロエ……」
「それともラティナは、私に人を見る目が無いって言いたいの?」
「ううん」
慌てたようにぷるぷると首を振ったラティナに、ほんの少しだけ表情を緩ませて、クロエは言葉を続けた。
「ラティナが故郷でどんな目にあったかは、知らない。私が知ってるのは、クロイツで出会った『大切な親友』のことだけ。でも、それだけで充分だし、それだけでも胸を張って、ラティナのこと大事なんだって言える」
「クロエ……」
「だから、自信を持って良いの。自分を馬鹿にするような発言ばっかりしたら、ルディのことも馬鹿にしてるようなもんでしょ」
「うん……わかった。……ちゃんと、考える」
「まあ。あいつが馬鹿なのは、事実って言えば事実なんだけど」
「ふぇっ!?」
真面目な顔で、幼なじみを貶める発言に繋げたクロエに、ラティナは驚きで、深刻さを一瞬忘れた。
思った通りのラティナの反応に、内心の笑いを押し留めながら、クロエは親友へと、意地の悪い笑顔を向ける。
「次、シルビアと会う時はこの話で盛り上がるから、覚悟していてね」
「ふえぇ……」
真っ赤になって慌てる親友が、どうやらいつも通りの彼女に戻りつつあることも察して、クロエは更に何を言って揶揄おうかと、思考を巡らせた。
真面目過ぎる親友は、周囲が、たまに混ぜ返してあげる位で丁度良いのだ。それが長年『親友』をやっているクロエの主張なのである。




