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白金の乙女、落ち込み中。

『踊る虎猫亭』にルドルフと共に帰ると、入口の前には、しばらく姿が見えなかったヴィントが居た。店の隅でのんびりと寝そべっていたのだが、ラティナの気配を察知して、しっぽをパフンパフン振りながら迎えに出たのだった。


 そんなヴィントが、ルドルフを見て、動きを止める。

 ラティナは、ヴィントのその反応に、不思議そうに首を傾げた。一方ルドルフは、眼前の獣から発せられる妙なプレッシャーに、身構える。

 ヴィントは--襲いかかるべきか否かを--暫し考えて、『見知らぬひとのオス』を無視する方向で結論を出す。ルドルフの横を素通りすると、ラティナに自分の頭をぐりぐりと擦りつけた。


 ラティナに近付く『見知らぬひとのオス』には、襲いかかって良し、と、周囲に言われているヴィントである。けれども今日のように、ラティナが、相手と親しげに話しているような時に、相手を倒そうとすると、ラティナに叱られてしまうことをヴィントはしっかり理解していたのだった。

 その上何故か、この『見知らぬひとのオス』からは、ラティナの『気配(ニオイ)』が察せられる。

 判断に困る時は、放置しよう。

 それがヴィントの出した結論であったのだった。


「……ラティナ……それ(・ ・)って……?」

「え? ヴィントは……犬だよ?」

「何で疑問形なんだ?」

「うーんと……ちょっと変わった犬? だからだよ」

 見るからに怪しげな生き物であるヴィントを前にした、ルドルフの当然の疑問に、ラティナはそそくさと、ヴィントの翼を隠す着衣を正しながら、答えたのであった。



 送ってくれたルドルフに礼を言って別れると、ラティナはヴィントと共に屋根裏部屋へと向かう。

 約一週間ぶりのブラッシングをしながら、ラティナはヴィントに留守の理由を尋ねた。

「何処に行ってたの? 急にいなくなるから心配したよ」

「ダディのとこ、行ってた」

「だでぃ?」

「ダディ、マミィにかまれて凹んでた。マミィさいつよ」

「?」

 幻獣の言語文化は、独自に発達した面があり、『人間族』の中で最も使われている言語である西方大陸語を一週間で話せるようになったラティナでも、理解に困る事があった。比較する語句や表現が無いのだから無理はない。

 ラティナは時折首を傾げながらも、ヴィントがどうやら里帰りしていたことに見当をつける。

 夫婦喧嘩の顛末を、知らぬところで我が仔に暴露されていることを、天翔狼の長は知るよしもなかった。


 ふかふかになったヴィントの毛皮に、ラティナはぎゅっと抱きつき、顔を埋めた。

「ラティナ?」

「……ごめんね、ヴィント……ちょっとだけ、こうしてても、良い?」

 ヴィントが嫌がることもなく、しっぽをぱっふぱっふ振る様子に安心して、再びラティナは、ヴィントの毛皮の感触とぬくもりに頬を寄せた。

「……どうして、うまく、出来ないのかなぁ……」

 ぽつりと呟いた言葉には、隠すことの出来ない悲哀の響きが含まれていた。

 今日一日頑張ってみたけれど、弱気な言葉を漏らした途端に、視界が滲む。鼻の奥にツンとしたものを感じながら、彼女はぎゅっと目を閉じた。


 ちいさな頃、周りの大人は、皆、凄くしっかりしているように見えていた。何でも容易くやっているように思えた。

 早く大人になって、自分もその仲間入りが出来るようになりたかった。

 身長も伸びて、テオの『お姉さん』になって、以前よりは大人に近付けていると、思っていた。

 だが、まだまだ自分は、『ちいさなうちのこ』のままであったらしい。留守番ひとつ上手く出来なくて、涙が出るなんて、全然成長出来ていない。子ども扱いされても、仕方が無い。


 きっと、ちゃんとした大人になれたら、自分も上手く出来るようになるのだから。


「いつになったら……私、ちゃんと……大人になれるのかな……」

「わふ」

 小さな声で慰めるように声をかけてくれた『友だち』の優しさに、零れた涙を手のひらでごしごしと擦りながら、ラティナはその後もしばらく動けないでいた。



「あの馬鹿、どうしてくれようか」

 自室から一階へと、戻ってきたラティナの目が、真っ赤になっていることを見たリタの第一声はそれであった。


「……確かに、何も言えない位に馬鹿な行動だとは思うがな……あいつも、あいつなりに思うところがあるみたいだから……多少は手心を加えてやってくれ」

「良いのよ。ケニスが、何だかんだ言って、あの馬鹿に甘いんだから。私はラティナだけの味方で良いの」

 夫へとそう言ってから、リタは器用に片方の眉だけ上げてみせる。

「あの馬鹿に、文句やら何やらを言えないラティナの分まで、私が罵倒してあげる位で丁度良いのよ」

「ねぇね?」

「そうよ。テオもそう思うわよねー?」

「ねー」

 口を挟んだ息子に同意を求めるようにリタが言えば、大好きな『姉』のことだということだけを理解したテオドールは、母親を真似て声をあげた。

 ケニスは複雑そうにはするものの、デイルの行動をフォローする言葉はなかった。


「……リタ? ケニス? どうしたの?」

「なんでも無いわよ。ヴィント、ふわふわになったわねえ」

 赤くなっている目を除けば、普段通りの表情を作っているラティナが、険のあるリタの雰囲気に首を傾げる。リタはラティナの問いに、笑顔で左右に手を振った。

 リタの返答に不思議そうにするものの、ラティナはケニスを見上げると、何気なさを装って、声をかけた。

「ケニス、夜の営業手伝おうか?」

「明日の朝から戻ってくれれば良いぞ。慣れない環境での仕事で、自分で思っている以上に疲れている筈だ。きちんと休め」

 ケニスの返答に、ラティナは少し沈んだような表情をする。

 ケニスはため息をついて、『弟子』に言葉を続けた。

「『何も考えなくて良い位に、働く』みたいな、無茶な働き方はするなよラティナ」

「……ごめんなさい」

「謝るところでは、ないな」

「でもね……あのね……私……」

 そう、尚も言葉を続けようとする『弟子』の頭に、ケニスはデイルよりも大きな手のひらをのせる。彼女が幼い頃からそうしていたように、デイルよりも強めの動作で撫でる。

「リタがフロアに入るのも今晩までだ。その分、テオのことをたっぷり甘やかしてくれるか? 俺たちはラティナほど、テオを甘やかすことは、出来ないからな」

「ねぇね?」

 父親の言葉をなんとなく理解して、テオが嬉しそうな声をあげる。とことこと、ラティナを傍に駆け寄って、期待するような表情でラティナを見上げた。


「ケニス……」

「ラティナが居てくれて、助かっている」


 ケニスのその言葉に、ラティナはじわりと、止まっていた筈の涙を滲ませる。

 自分の存在に、行動の全てに、自信を失いかけていた今の自分は、何よりも自己を肯定して欲しかったのだと、気付かされた。

 自分は、ここ(・ ・)に居ても良いのだと、理由が欲しかった。

「ありがとう……」

 泣き声を響きに含ませて、ラティナは『ごめんなさい』ではない、言うべき言葉を呟いた。


 リタと、デイルとの間にある『温度差』も、ラティナのこんな性質が根底にあるのだろうと、ケニスは思っている。

 ラティナにとって、『デイルの存在』は、何よりの精神安定をもたらしている。デイルが傍にいる時のラティナは、多少の不安も何もかも、デイルにべったべたに甘やかして貰えるうちに、忘れることができるのだ。

 ラティナが不安定になるのは、普段の朗らかな姿とは別人のように、落ち込んでしまうのは、『デイルがいない時』だ。

 それは、周囲が知っていて、デイルだけが知らない、彼女の姿だ。

 いくら周囲から話で聞いていても、実際のこの姿を見ていないと、想像することは難しい。それほど『普段の』ラティナとは大きな隔たりがある。


 こんな彼女の姿を知っていたならば、いくらデイルでも、自分の感情に任せて飛び出るなんて、行動はとらなかっただろう。

『子ども扱い』をしていながら、幼い頃より同時に年相応以上にしっかりしていたラティナに『甘えている』デイルだからこそ、とってしまった『ラティナへの無意識の甘え』だ。


「ねぇね」

 無邪気に慕うテオをぎゅっと抱き締めるラティナを、ヴィントが羨ましそうにぐるぐる回りながら見ている。

 ケニスは、そんな姿を見ながら、今後どうするべきか、考えを巡らせるのであった。

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