ちいさな娘、はじめてのお留守番。「お帰り」まで。
お盆休みなので、投稿時間を変えてみました。二回目。休み明けには元通り朝の投稿に戻ります。
ぱちりと目を開けたラティナは、キョロキョロと周囲を見渡した。
「デイル? 」
彼女を、あの森の中から連れ出してくれたひとの名を呼ぶ。
たった一人ぼっちで在った彼女を見つけてくれたひと。
安全な場所と、安全な食事を彼女にくれたひと。
彼女に、ひとのぬくもりを、思い出させてくれたひと。
彼女にとって、『安心して良いということの象徴』であるひとの名を呼んだ。
「ラティナ? 起きたか……」
デイルとは異なる男の声に、ラティナは混乱しかけた。
咄嗟に逃げ出さねばならないと、全身に力を込める。だが、そこで、ふわりと漂う甘い匂いに気付いた。
ぱちぱちと瞬きして、ラティナは自分の居る場所を思い出した。
昼寝から覚めたラティナの第一声は、デイルを呼ぶ声で、それでケニスは彼女の起床に気付いた。
小鍋をかき混ぜながらラティナを見れば、怯えきった小動物が警戒しているような様子で周囲を伺っている。
ケニスが声をかけると、更に警戒を強めたらしい。
だが、急に動いたりせず、状況を判断したのち、すぐに行動に移れるように力を溜めている。
この子は本当に賢いらしい。と、ケニスは感心する。駆け出しの冒険者を名乗る血の気の多い連中より、よっぽど冷静だ。
寝起きで自分の現状を見失う位は、この幼さでは無理もないことだ。
ケニスは小鍋を火から下ろすと、ラティナの方に向けた。
とろりと、良い具合に煮崩れたベリーが、甘い匂いを漂わせている。
ケニスの計算通り、その匂いに気付いたラティナの全身から力が抜ける。木箱からよいしょとばかりに降りると、とてとてとケニスのそばに寄って来た。
差し出された小鍋の中を覗き込むラティナには、先ほどまでの毛を逆立てた小動物のような気配はない。年相応の幼い少女の顔だ。
ラティナの興味をひいた後で、ケニスは薄く切ったパンの上に、出来立てのジャムをのせる。たっぷりとのせてやりたいところだが、そうすれば火傷は必至だ。すぐ冷める程度で、味見には十分な量を見極める。
ラティナに渡すと、彼女は確認するようにケニスの顔を見た。
おそるおそるといった様子でパンにかじりつく。
ぱあぁっと、表情が輝いた。
夢中になって食べているうちに、手の上にこぼれてしまったジャムをペロリと舐めて、はっとしたようにケニスを見る。彼が咎めていないどころか、笑っている姿に、ラティナも笑顔を返した。
ケニスが瓶に入れたジャムを、ラティナはしばらく飽きもせず眺めていた。作り手としては、本当に作りがいがある相手だ。
日が傾きはじめると、ぼちぼちと冒険者連中は街に戻って来る。
『踊る虎猫亭』が再び忙しくなりはじめる時間だ。
『虎猫亭』に来る客の全てが、宿泊客という訳ではない。酒と食事だけをしに来る者が多数を占める。
冒険者以外にも、仕事帰りの街の門番や憲兵などの姿もある。
気取らず、安い料金で飲み食いできる店として、厳つい野郎どもが集まる店だ。
この時間になると、日中とは逆に『緑の神出張所』としての業務は閉じられる。リタがフロアを専門に回し、夫婦二人でなんとかこの喧騒を捌いている。
カウンターの隅の席で、夕食を食べているラティナも、そんな賑やかな店の様子に視線を奪われていた。
ガハハと大笑した客の姿に、口に運びかけていたニョッキがぽとりと落ちた。
そのことにも気付かずに、丸くなった目で、じーっと観察している。
はじめて見る生き物を、見るような目だなとケニスは思ったが、口には出さないでおいた。
ラティナの瞼が重くなりはじめた頃、『虎猫亭』の扉が開いた。
「あら、デイル」
リタの声に、ラティナの目がぱちりと開く。
ぴょんと椅子を飛び下りると、ととと、と急いで出迎えに走った。
「ラティナ、ただい……」
言いかけたデイルの足にぎゅうーーーっと抱きつく。
「ラティナ……」
やはり心細い思いをさせたと、眉を寄せたデイルは
「おきゃーりなちゃい」
顔を上げたラティナのその言葉に、抱き上げようと中腰になった中途半端な姿勢で硬直した。
リタとケニスがニヤニヤしている。
自然とにやける表情を抑えることもせず、再起動したデイルはラティナを抱き上げる。
「ただいま、ラティナ。留守番できて偉いな」
笑いかけてから、ぎゅっと力を入れると、ラティナは満面の笑顔になった。
周囲の常連客は、デイルとも顔馴染みだ。彼の締まらない顔に、容赦ない冷やかしの声が飛んで来る。
「なんだデイル、ずいぶん小さな彼女だなあ」
「うっせぇ」
邪険にあしらいながら、ラティナを抱いたまま、椅子に座る。
リタが食事を運んで来る時に、問いかけた。
「ラティナ、飯は? 」
「とっくに食べさせたわよ。さっきまで眠そうにしてた位だもの」
その当人は、デイルの膝の上で、ふにゃっと幸せそうな笑顔を浮かべている。誰が見ても、安心しきった表情だ。
「……どうだった、ラティナ。大人しくしてたか? 」
「大人しすぎる位よ。この子、凄く頭が良いわ。自分の置かれてる状況も、どういう行動をとるべきかも、ちゃんとわかってるもの」
デイルの前のゴブレットにドプドプと乱暴にワインを注ぎながらリタが言う。
デイルは普段、酒は薄めてアルコールを低くしたワインしか飲まない。リタもわざわざ聞かなくとも、彼の前に出すのは、決まったそれだった。
彼が、飲めない訳でも嫌いである訳でもなく、単に泥酔することを嫌っていることは、この店では常識だ。
以前、それを理由に彼を子どもと侮った一見の客が、片手で捻りあげられた時の話も、この店では良い肴になっている。
すりすりと仔猫のようにデイルの腕の中で体を預けるラティナは、今までで一番彼に甘えてくれているようだった。
(罪悪感より、ちょっと嬉しいかも……)
寂しい思いをさせたからこそ、反動で甘えてくれると言うのなら、留守番させるのも悪くないかもしれない。
時折デイルを見上げて、にこりと笑うラティナに。
笑い返してやりながら、デイルはそんなことを考えていた。
いつもより、少し短めでした。
同じくらいの文章量で合わせるのって、結構難しいですね。