絵梨
あの日、俺は横浜に居た。友人である古田の結婚式があり、その帰りの二次会の会場で絵梨という女と出会った。出会ったって言っても、別に俺は何を話したわけでもないんだけども。隣に同席していた山崎が、彼女の気を惹こうと必死だったのは覚えている。絵梨はアーガイル調のドレスを着ていて、他の女性たちは無地のドレスが多い中では目立っていた。顔の造りだってまるでモデルのようだし、スタイルも抜群に良くて、きっと男たちの注目の的だったと思う。でも俺は妙に冷めていて、会社の彼女とも上手くいってないし、絵梨を見てても芸能界の女性なのかなと思う程度で、特に心弾まなかった。
絵梨は主役の古田の奥さんよりも輝いていたように思えた。会場の男たちが我先にと、彼女とグラスを交わすのを待ちきれない様子で、そんな一人である山崎が彼女と話したいというので、隙を見計らってグラス片手に絵梨とささやかな会食をした。
「どうも、はじめまして。古田さんの同級生の高山絵梨です」
「あっ!どうも、山崎って言います。古田の奴、いい奥さんと結婚できて幸せそうだよねー、羨ましい」
「羨ましいですよねっ!お二人ともお似合いで。……古田さんとは大学が同じだったんですか?」
「いや、高校がね。あいつはバスケットボール部の主将で、当時からモテモテだったから。絵梨さんって、もしかして古田と幼馴染?」
絵梨が笑窪を作りながら笑った。そして、整った歯を見せて山崎に答える。
「うーん、幼馴染ってほどでもないですけど、小中一緒だったんですよ。古田君、いつもみんなのムードメイカーで、昔っからなんですよ」
俺は山崎の傍で、まるで亡霊のように二人の会話を見つめていた。山崎は鼻の下を伸ばしながら、絵梨の話に興味深々といった様子で、彼女の美貌の虜になっていた。俺は脇で鴨の燻製やら、赤ピーマンのサラダなどむしゃむしゃと食べていた。
「お隣の方は?」
絵梨が俺に気づいて山崎にそう言った。
「おぃ、山下。食ってばかり居ないで、絵梨さんに挨拶しろよ!」
俺は手持ちの皿をテーブルに置いて、絵梨とおそるおそる目を合わせる。俺は人の目を見るのが嫌いなのだ。見透かされたような気持ちになってしまって、本当のことをいうならば毎日サングラスを掛けて生活したいと思っているくらいなのである。
「あぁどうも。山下って言います」
「こちらこそ。山下さん、ワインいかがですか?」
絵梨がボトルを右手で取って、空のグラスに注ぎ始めた。しかし、俺は一言もワインが飲みたいなどと言ってはいない。
「……」
山崎が俺の方を見て、何か考えた後、こう言った。
「おぃ、山下。お礼くらい言えよ」
俺は駄目なのだ。社交が駄目なのだ。気の利いた台詞がどうしても出てこない。こういう場所に居ると、隅っこでアルマジロみたいになって、さっきの鴨の燻製でも食べていたいのである。でも、何か言わなくてはならない。
「あぁ」
……言えた。それだけかよと自分で思ったが、それだけだ。そして、絵梨が不思議な顔を魅せる。
「山下さんって、面白い人なんですね」
絵梨が気の利いた台詞を言う。……面白い人って、駄目な人ってことじゃないか。面白い人って、マナーがなってない人ってことじゃないか。嫌々、絵梨の注いだワインを飲みながら、これは白ワインでそんなに高級品でもない安物だなとか思いながら、近所のスーパーでも売っていそうだなとか思いながら、絵梨の首元のネックレスあたりを見る。……ダイヤか?イミテーションか?キラキラと美しく輝いている。
絵梨が俺の反応の乏しさで嫌悪を抱き、再び山崎と何かを話し始めた。俺は白昼夢を見るように、会場をじっと見渡していた。すると、遠くに座っていた一人の女と目が合った。その女は、どこかの未開民族の女子といった風貌で、モンゴルの大地でパオを作って生活しているんじゃないかと思うような顔をした女だった。彼女は黒の無地のドレスを着ていて、ここは葬儀場じゃないぞと思わせるような陰鬱さを漂わせていた。
しばらく彼女を見つめていると、喪服の女は何か手元をごそごそとさせ始めた。よく見ていると、鶴や蟹、蜥蜴などの手影を精巧に作り遠くからそれを披露してくれている。そして、作品の提示がしばらく続いた後、最後の瞬間、片手でぐっと中指を突き立てた。俺は冷や汗が出てきて震えてしまった。
「おぃ、山下。どうかしたか?」
山崎が絵梨との会話を止めて、俺にそう尋ねる。そして、山崎の顔を見てこう言った。
「……何でもない」
すると、絵梨が俺の方を向いて、楽しそうに微笑んでいた。
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