-21- 「居場所」
「平川君、元気だった? 学校に来てなかったから」
平川はきっと眉毛を吊り上げると、明来に詰め寄った。
「よくもそんなことが言えるな? 俺をバカにしてるのか」
「そんなんじゃないよ。ただ……」
「あの花はお前か? あんなもの何になる。余計なことをするな」
「勝手にお花を送ってたのは謝るよ。でも名乗ってないし、優衣ちゃんにも会ってないから」
「優衣ちゃん? 知りもしないくせに、軽々しく呼ぶなっ」
平川は憎々しげに言い捨てると、明来を睨み付けた。
明来はびくっと肩を揺らすと、俯いて薄っすらと苦笑いをする。
「ごめん。ただ、元気づけたかったんだ」
平川はぎっと目を剥いた。
こうなったのはお前のせいだ、と言わんばかりだ。ぐっと奥歯を噛み締めるような顔をすると、顔に手を当て失笑した。
「ははは。元気づける、優衣をか? 見捨てたのはお前だろ。花でも送って、心配してるふうに見せて。本当は自分が楽になりたかっただけじゃないか?」
「そんな……?」
「お前は、自分のしたことを許されたいだけだっ」
明来は言葉を失っているようだ。ただ平川の顔を茫然と見つめ、口をつぐんでいる。
「優衣はいつだって笑ってる。どんなに苦しくても、俺たちに泣き顔を見せない。その気持ちが判るか? 優衣は悪化して死ぬ。今日なのか、明日なのか。今も、こうしていても、俺たちには真っ暗な闇しかない。いつその瞬間がくるのか、恐ろしくて堪らないんだ。あの時、御使い様の奇跡があったら。今だって俺はそう思ってる。全部駄目にしたのは、お前じゃないか。それを今さらっ」
「平川君……」
平川は両手で顔を覆うと、黙り込んだ。指先が短い髪に食い込み、ぐしゃぐしゃになっていた。明来は恐る恐る手を伸ばすと、平川の肩に触れようとした。その手が寸でで止まった。真っ直ぐに伸びた指を握り込んで、明来は自分の胸に押し当てた。
「……ている。……いるから」
明来が俯いて、何かを呟いた。小さな声は、誰の耳にも届かなかった。かき消されるように消えていく。何度も何度も祈るように、口だけが動いていた。
その時、慌てて走ってくる看護婦が見えた。
「平川さん。大変よ」
慌てた様子に、平川の顔が一気に青ざめた。明来もぎょっとなって、顔を上げた。
「まさか、優衣が?」
「容態が急変して。早く」
平川が、愕然となった。がっと飛び出すと、明来を見ることなく、走って行った。
智加は少し離れたところで、様子を見ていた。明来を見遣ると、顔が蒼白だ。茫然とその場に立ち尽くしている。平川が消えていった方角を、ただ凝視していた。
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しばらくして、二人は病院をあとにした。優衣の容態は聞けないままだった。
自宅に着くと、明来は笑顔で荷物を置いてくると言って、二階に上がって行った。
憔悴しているようだが、明来は何も言わなかった。
いつ来てもがらんとした殺風景な家だ。家具や生活用品が少ないわけではないが、明来の雰囲気とこの家はどうもそぐわない気がしていた。
智加はふっとため息をつくと、リビングに入った。真っ直ぐに進むとキッチンだ。シンクには、黄色い布きんが干され、青いチェックのエプロンが椅子にかかっていた。飲みかけのグラスがテーブルの上に一つ、ぽつんと置いてあった。
智加は荷物を置くと、カーテンを開けた。その時、自分の名が呼ばれた。振り返ると、明来が携帯を持って立っていた。すぐさま、ぱしゃりとシャッターのおりる音がした。
智加は眉間に皺を寄せた。
「なんのつもりだ?」
「あー、高宮さんがさ。写真撮っておいてって言うから。卒業式だし」
「殺されたいらしいな」
智加はぎろりと睨むと、つかつかと歩いて、胸倉を掴んだ。
「きゃー。暴力反対ぃ」
明来はやたらとはしゃいで、手足をばたつかせた。茶色い髪が揺れ、頬が紅潮している。携帯をあちこちに動かして、もぎ取ろうとする智加の手から隠した。
「ダメだってば。これはダメーっ。一枚くらいいいだろ」
明来は智加の腕を払うと、ばっと携帯を胸にかかえ込んだ。智加は更に手を伸ばした。
「きゃー、東辞のエッチ。チカンー」
ぎょっとなって、智加は動きが止まった。
「ばかか」
「へへへ」
智加は明来の額をこつんと叩いた。
「久しぶり」
「何がだ?」
「声」
ふふっとまた笑うと、鼻歌を歌いながら、リビングのソファへ行った。この歌いいだろ? 最近のお気に入りなんだっと大声を出している。
智加はその後姿を見つめた。卒業式が終わったあと、明来の教室でのやりとりを思い出した。メモ帳に文字を書こうする智加の手を止め、家に誘ったのは、そういうわけか。
声を出して、喋ったのは久しぶりだ。光輪協会を恐れて、明来に対しても筆談をしていたのだから。そんなこと知る理由もない。
(まったく、人のことばかりを気にする)
智加はくしゃくしゃっと髪を掻くと、ふっとため息をついた。
明来はやたら明るかった。
優衣のことが気になって仕方ないのだろう。
少しづつ判ってきたことがある。明来は強いわけじゃない。強くあろうとしているだけだ。
病院でも、優衣の容態が急変しても、明来はすっと立って涙を見せなかった。
確証など無い。その中で信じていく心は、どれほど曖昧で、崩れやすいものか。
いつかは笑える日を、尽きることのない思いで信じていくだけだ、と明来は言うが、容易いことではない。
信じていく強さが、いつか壊れることになったら。
智加はくっと奥歯を噛むと、キッチンへ向かった。
勝手知ったる我が家のように、やかんをコンロにのせた。かちりとボタンを押すと、青い火がついた。
明来が、智加用に紅茶を置いてくれていた。食器棚からティーポットとマグを2つ出すと、お茶の用意を始めた。
「裁縫道具、ここに置いてるから」
「ああ」
明来はリビングに入ると、制服のジャケットを脱いで、ソファに腰掛けた。テレビのスィッチを入れる。画面にはニュースが映っていて、今日は県立高校の卒業式だ。様々な式の様子が映し出されていた。
智加は熱い紅茶の入ったマグカップを両手に持つと、明来の隣に座った。
「なんか、卒業って実感がわかないな」
「そうだな」
智加は明来のジャケットを掴むと、ぶちっとボタンを引き千切った。
「う、もうちょっと優しくー」
明来は唇を尖らせた。
智加はボタンを5つ揃えると、自分のジャケットと一緒に明来に渡した。
「つけろ」
「え、オレ? 苦手なんだけど」
文句を言う明来を尻目に、智加は紅茶をすすった。住宅街は静かで、時折遠くで車の音が聞こえてくるくらいだ。
明来は裁縫箱から針と糸を出すと、目を擦りながら、針に糸を通した。何度も失敗して、やったーと言った時には、もうとっくにニュースは終わっていた。
「通ったか」
「オッケー。よし。縫うぞ」
「糸を結べ」
「あ。そうか」
針に通した糸も結ばず、明来は縫おうとしていたのだ。智加は軽い眩暈に額を押さえた。ネクタイに指を入れてぐっと緩めると、ソファにぐったりとうなだれた。
明来は下を向くと、智加のジャケットに針を刺した。
「いってー」
「は?」
「指、刺した」
「まだ一針目じゃないか」
「そうだけど。うー、痛い」
明来は人差し指を舐めて、ぷつっと小さな赤い穴の開いた指先を見つめた。くそっと言いながら、今度は慎重に針を刺していった。上から入れて、下へ出し、また上へ持ってきた。今度は刺してないらしい。ボタンを掴むと、針に通して引っ張っていく。
「はあ、こんなことなら、母さんに習っておくんだった。小学生の頃、家庭科の宿題全部やってもらってたから。すごい刺繍がうまかったんだ。で、青い自動車縫ってもらった。体操服の袋や給食エプロンなんかも。ワーゲンみたいな丸っこい車で、ドアが緑色でイニシャルのAも入れてくれて……」
明来は俯いたまま、ぽつりぽつりと喋った。智加はテレビから視線を外すと、明来を見た。ふわふわとした茶色い髪が見えていた。指先は止まったままで、動かなかった。顔が見えない。いきなり落ちたテンションに、智加は背筋が冷えた。
咄嗟に明来の顎を掴んで、上向かせた。
「な、なに?」
「あ、いや、悪い」
明来は驚いた顔で、目をまん丸にしていた。智加はふうとため息をつくと、手を放した。てっきり泣いているのかと思ったのだ。
「あーびっくりした。チューされるのかと思った」
「は? なんでそうなる」
「いやー実はさ、今日クラスで告白大会みたいになって、カップルができたんだよな。そいで、皆ではやし立ててチューしろってなってさ」
「で、したわけだ。皆の前で」
「そう。いやーもうあてられっぱなしで。喜ばしいというか、悲しいというか」
後半どんよりだ。
「お前はどうだったんだ?」
「はあ、何もないよ。入学した時は、彼女作って、高校生のうちにファーストキスをする予定だったのに」
明来は握りこぶしを作ると、空中に振り回した。
「それはそれは」
智加はくくっと咽喉の奥で笑った。
「なー東辞。ちょっとチューしてくれよ」
「はあ?」
「この際、男でもいいや。大学生になる前にチューくらい経験しとかなきゃ、恥ずかしいじゃん」
「なんで俺が?」
「いいじゃん。減るもんじゃなし」
明来は智加のほうに顔を突き出すと、目を瞑ってじっと待った。
目の前に迫った明来に、智加は一瞬固まった。
ふわふわとした茶色い髪が、瞑った瞳にかかっている。まつ毛は長く、ふっくらとした唇がきゅっと閉じられていた。少し力が入っているのか、時折ぴくりと唇が動いた。頬はほんのり赤く、紅潮している。
智加は目が離せなかった。思わずぐらりと身体が前に動いた。
明来の唇に顔を寄せる。
柔らかそうな唇が、すぐ目の前だ。ごくりと唾を飲み込んだ瞬間、心臓が高鳴った。
刹那、智加は思いっきり明来の顔をはたいた。
「いてー、なにすんだよ」
「できるか、ばか」
「なんだよ、ケチー」
明来はぷんと口を尖らすと、顔を背けて手元のジャケットに向き直った。ぱんぱんと平らに伸ばすと、針をくいっと引っ張ってボタンをつけ始めた。
智加は思わず口を手で覆うと、気づかれないように息をはいた。心臓がまだ高まっていた。どくどくと流れる血が、一気に心臓に返っていく。ふうっと大きく息をはくと、智加は呼吸を止めた。
(ったく。天然が)
明来はまったく知らぬ顔で、ボタン付けに格闘していた。テレビに視線をやっているが、横で布がしゅっと音を立てるたび、智加はなぜか心臓が跳ねた。
「へー、東辞そんなの見るんだ?」
言われて画面を見ると、短いふりふりのスカートをはいたアニメの少女が映っていた。美少女魔法使いとかなんとか書いてあった。
「違う。これは勝手に始まったんだ」
「でも真剣に見てたよ」
「はあ?」
「そうかそうか。東辞は幼女魔法使いかー。ふふふ」
明来は口元を押さえ、堪らずぷぷっと吹き出した。
智加は明来の鳥頭をぱしっとはたいた。
「もう、乱暴なんだからー」
怒っている反面、明来は楽しそうだ。まあ、いいかと智加はアニメを見始めた。
その時、智加の携帯がバイブで着信を知らせた。ウィンドウを見ると、高宮の名前だ。明来に断ると、携帯に出た。高宮とは短い用件のみで、電話を切った。
「高宮さん、なんて?」
「平川の妹の件だ」
明来はぎょっとなって、表情を強張らせた。強く見開かれた瞳が、充血で赤くなっていた。
「容態は、安定したらしい」
はっと言って、明来はぐったりうな垂れた。はぁと大きく肩で息をして、何度も顔を振った。
「よ、かった。ああ……。ありがとう、東辞」
「それだけじゃない。ドナー提供者が見つかったそうだ」
「っ?」
明来はばっと顔を上げた。これ以上ないほど、目を見開いている。ぽかんと口を開けて、茫然自失だ。
「顔、へんだぞ」
途端、明来は顔を覆うと、俯いて縮こまった。背中を丸め、肩を振るわせて泣き出したのだ。声を押し殺し、嗚咽を飲み込むように、必死に胸を丸めて蹲った。
「明来」
明来は声を上げなかった。ただ必死に息を飲み込んで、震えていた。押さえた手のひらから涙が溢れ、ぽたぽたと智加の制服に落ちていた。
「あき、……」
智加は思わず明来の頭を抱き寄せると、自分の肩に引き寄せた。
うっくうっくと、明来の身体が、声を我慢するたびに揺れていた。ひどく強張った身体だ。智加は明来の頭を何度も撫でた。
「アメリカで、手術するそうだ。受入れ態勢は整っているらしいから、すぐにでも出発するそうだ」
明来が智加の腕を掴んできた。そして何度も何度も頷いた。智加の肩口で、明来の頭が揺れる。声はついに出さなかった。
(もし明来が壊れる時がきても、)
明来の髪は柔らかく、智加の指先を何度も通り抜けていった。
(続く)




