-13- 「言ノ葉」
「じゃあ、またな、東辞」
「ああ」
翌朝、高宮の車に乗って、明来は笑顔で帰っていった。
高宮からは、昨夜のうちに、明来の通学路や自宅付近に警備カメラを設置した、と告げられていた。無断設営だか、仕方がない。しばらくは明来に気づかれないよう、警護の人間をつけるそうだ。
車中から手を振っている明来を見送ると、智加は自室に戻った。
高宮は、その後、痣のことは何も言わなかった。頑なに拒否したのを理解したのだろう。
明来には全てを話したわけではない。瑤子の行う奇跡とは、人の寿命を搾取して与える行為ということも、光輪協会の目的が東辞智加だったということも、ふせている。
保身と責められても仕方ないが、これ以上明来を巻き込むわけにはいかなかった。智加はとりあえず、締め切りの迫った祝詞作成に打ち込んだ。
それから数日が経った。光輪協会からは何の接触もなかった。
今日は、平川が光輪協会の集会へ行くと言っていた日だ。
今、智加は、明来との待ち合わせの場所へ歩いている。明来の住宅の近くにある市営公園だ。
明来からの連絡によれば、平川と一緒に行く算段は叶わず、平川は両親と妹が居るので単独で行くといったらしい。集会の終わったあとで、平川と公園で会う約束になっていた。
3月に入り、日暮れが遅くなった。陽射しは穏やかで、智加はマフラーも置いてきたくらいだ。コートも薄いものに変えた。このまま春になるのだろうか。足元には、落葉樹のケヤキの葉が、沢山落ちていた。
かさかさに乾燥し、虫食いのそれは踏むとかさっと音を立てて、壊れていった。
明来の自宅付近も、見慣れた場所になった。見上げると、並んだケヤキの枝には、灰色の皮を被った小さな芽が膨らみ始めていた。
公園に着くと、明来は既にいた。こちらに気づいて駆けてきた。
「東辞、ごめん、わざわざ」
智加は返事をせず、首を振った。
外出先では、たとえ二人きりでも、光輪協会のことを考えて喋らないことにした。
明来には、言霊の影響が出やすいので外でも喋らない、と言っている。素直に信じたようだ。
「5時には来れるって言ってたから。もうちょっと待ってくれる?」
智加は自分の腕時計を見た。時間までまだ10分ほどあった。本当に集会があってるのかさえ、智加は疑問に思っていた。
「今朝、平川と喋ったんだけど、すごく嬉しそうだった。なのに、オレは」
そう言って明来は顔を伏せると、黙りこんだ。心細そうな、不安げな表情だ。
「もし、オレにも病気の妹がいたら、」
同じ話の繰り返しだ。明来は諦めがつかないのだろう。本来、自分の力量では不可能なことでも、全力を尽くして行動しようと思うタイプだ。平川のこと、瑤子のこと、どちらも助けたいと狭間で揺れているのだろう。
智加は何も言わなかった。
その時、明来の携帯が鳴った。短いバイブ音だ。メールか、と智加は明来を見た。
明来は上着のポケットから携帯を取り出すと、フリップを開けた。ボタンを2,3回押すと、途端明来の顔がほころんだ。何か良い知らせなのか、と言葉を待った。
明来は画面から顔を上げると、智加の顔をまじまじと見た。そして携帯に視線を戻し、また智加の顔を見たのだ。変な仕草だ。まるで、携帯の画面と自分の顔を見比べているような。
智加はばっと手を出すと、明来の携帯を取り上げた。メールの差出人を見ると、高宮だ。
そこに写っていたのは、文面ではない。添付された写真が大きく写っていた。
「わ、返せ」
「これは、」
茫然となった。写真から目が離せなかった。
「返せってばっ」
明来が掴みかかってきた。携帯をもぎ取ろうとした手を強く掴んで、そのまま写真をまじまじと見つめた。
そこに写っていたのは、智加の母親だった。
今までに智加が見たことのない写真だ。髪が長く、若い。自分と暮らしていた時の母親ではない。まだ自分は生まれてなかった頃かもしれない。
第一、八歳で東辞家に連れて来られた時、私物は一切持って来れなかった。智加は母親の写真一枚、持っていないのだ。
そんな写真をなぜ明来が?
智加は明来の腕を乱暴に突き飛ばした。外で喋らない規制など、吹っ飛んだ。
「これはなんだ? 高宮と何をしているんだ?」
「黙っててごめん。でもオレは、東辞のお母さんを探したいって思ってるんだ。だから高宮さんに話した。そしたら協力するって言ってくれて。色々教えてくれて」
「ふざけるなっっ」
智加は声を張り上げた。
明来がびくっと身体を縮こまらせた。公園にいた鳩が一斉に飛び立った。ばさばさという大きな羽音が、上空に消えていく。
「ふざけてないよ。オレは東辞のお母さんを探すんだ。絶対見つける。だから東辞、お母さんと会って、話してよ」
あまりのことに、感情がふつふつと煮えたぎっていった。
「話すだと? 俺がいつそんなの頼んだ?」
「東辞は判ってない」
「なにをだ?」
「お母さんは生きてるだろ?」
言葉に詰まった。明来の母親は他界している。だから、母親に会わないというのは贅沢だとでも言うのか。俺と母親の経緯を知ってるくせに、この状況がどう変わる?
「それがなんだ? 会えばどうにかなると思っているのか? 話せば、過去が変わるとでも」
「過去は変わらないよ。でも、未来は変わる」
そう言うと、明来は真っ直ぐに見つめてきた。智加はその視線を睨み返した。あまりのことに、苛立ちを隠せない。胸中に真っ黒で重たいものが、ずんと落ちてきた。感情の起伏に、痣が動きだしている。
明来はじっと見つめたまま、さらに続けた。
「お母さんとは喋れるんだろ? 他の誰とも喋れないのに、お母さんには東辞の言葉で伝えることができるんだ。こんな大事なこと、なんで気づかないんだ? そのための言葉だろ?」
(言葉? 俺の言葉ってなんだ? 母に何を言えっていうんだ。怯えて、逃げた)
「その言葉一つで、俺は人殺しだってできる。今も同じだ。俺は化け物だ。母は俺をっ。変わるわけないだろ?」
「そんなはずない。親子なんだよ。たった一度のことで、決めつけてちゃだめだ。東辞は自分で自分の道を塞いでいるんだ。そっちにちゃんと道があるのに、全然見ようとしない。だから、オレが道を繋げるんだ」
明来が拳を震わせて熱弁している。顔を真っ赤にして、息せき切っていた。
目の前の光景に、智加は急に身体が冷えていくのが判った。
何を言っても同じだ。この感覚は、幼い頃から何度も味わってきた。目を閉じると、自分は真っ暗な穴の中に、永遠と落ちていく。底がどこにあるのかも判らない、ただ落ちていく恐怖がずっと続いていくのだ。終わらない。繰り返しだ。
智加はふいに胸に手をついた。
過去であったことをどう言ったところで、あの時の母の言葉は真実なのだ。
「もう一度、母を憎めと、言うのか?」
「憎む? なんで。違う、そうじゃない」
「お前にとって、母親の記憶は優しいものなのかもしれない。だが、俺にとっては、もう二度と見たくない」
「とうじ……?」
「この話は終わりだ。二度とするな」
「どうして判ってくれないんだ。東辞は見えてないんだ」
「見えてない?」
「そうだよ。オレは東辞に関わって、想像もできなかった今の自分がいるよ。東辞だって、オレや皆に関わって、違う世界があるはずなんだ。東辞自身が見なきゃ、ダメなんだ」
「俺に他の世界があるって言うのか? 言霊で人を殺せる俺に」
「東辞が居るのは、綿菓子の世界なんだ。甘くて居心地がいいだろうけど、それは嘘だ。ちゃんとお母さんと話して。東辞なら」
かっとなった。明来の強張った顔が目の前にあった。智加はぎっと睨みつけると、明来の胸倉を掴んだ。
「綿菓子だと。俺が甘い世界に居ると言うのか? あの家が居心地がいいと?」
「だからオレはっ」
「ここ以外、どこにもないっ。俺には何もないんだ。お前に何が判るっ?」
智加は怒鳴った。明来を乱暴に突き飛ばした。その時、公園の入り口に人影が見えた。明来をめがけて突進してくるのだ。夕日の光で、手にしたものがギラギラと光った。閃光をはなった刃金だ。
(明来っっ)
思わず、明来の前に飛び出した。途端、どん、と身体に衝撃を受けた。火傷のような激痛が胸に走った。
目の前に、平川がいた。鬼のような形相だった。
「お前のせいだっ。お前のーっ」
うわーーっと悲鳴をあげて、平川は走り去った。ナイフが足元に落ちていた。
「東辞っ? とうじーっ」
智加は地面に倒れこんだ。明来の声が、耳に響いていた。
(続く)




