魔法の湖へ向かう
祭りの翌朝は、いつもと違っていた。天気のせいではない。空は相変わらず青と灰色が交錯していた。でも、何かが心の中で解き放たれていた。歌を歌っている時に、自分が一人ではないとようやく気づいた時のように。
結月は見慣れた部屋で目を覚ました。しかし、完全に自分の部屋というわけでもなかった。畳が静かにきしむ。颯太は近くで眠っていて、手の間にはまだ鈴が見えていた。春樹は外で、まるで人生にも準備が必要だと知っているかのように、庭の枝を集めていた。
「よく眠れた?」と、彼は部屋に入ってきて尋ねた。
「わからない。夢を見たんだ…」結月はうつむいた。「でも、それが自分の夢だったかどうかはわからない。」
春樹は枝を籠に入れた。
「時々、それが一番いいことがある。まだ自分のものではないものを夢見る。それが新しいものを受け入れる場所を作るんだ。」
颯太は伸びをした。鈴の音はほんの少しだけ聞こえた。テーブルの上には、春樹が寝る前に読んだ本のページの間にメモが挟まっていた。
「映るものがすべてイメージとは限らない。時に、水に映るものは…これから私たちがなろうとしている姿なのだ。」
旅は地図なしで始まった。漠然とした方向があった。地元の人たちによると、そこは人が気づいていない記憶を映し出す湖だった。そこは観光地ではなかった。標識などなかった。霧に包まれた約束のように、口承で伝えられる物語の中にだけ存在していた。
彼らは何時間も歩いた。道は緑に染まり、それから苔むし、そしてただ静まり返った。
柚希はノートをコンパスのように持っていた。春樹はゆっくりと歩いた。颯太は道の端の匂いを嗅いだ。
道の終わりに、湖が現れた。
大きくはなかった。
明るくもなかった。
しかし、湖は生きていた。
水には明確な色はなかった。風はそれを乱すことなく、湖を吹き渡った。そして二人が近づくにつれ、それぞれ違うものを見た。
春樹は水辺で誰かが何かを書いているのを見た。誰だか分からなかった。
柚月はノートを開いたまま歩いている人影を見たが、顔は見えなかった。
爽太は吠えた。
そして鏡に映った…三つ目のシルエットが浮かび上がった。
小さく、軽く。まだ怯えながらも同じように歩いていた、以前の柚月のように。
これは現実なの?―彼女は囁いた。
春樹は彼女の手を握った。
理解することなく思い出すように求めるものほど、現実味を帯びたものはない。
柚月はノートを開いた。
彼女は何も書き込まなかった。
彼女はただ、一枚のページを湖に落とした。
そして水面では…沈まなかった。
浮かんでいた。
光の中に消えるまで。
湖畔は静まり返っていた。まるで、そこで発せられた言葉が永遠の響きとなることを知っているかのようだった。春樹は水面の前にしゃがみ込み、ただの姿以上の何かを見返すように、水面に映る自分の姿を見つめていた。
柚希は数歩後ろに立った。颯太は二人の真ん中、二人の間に座り、思考が行き過ぎないように気を配っていた。
春樹は時々、水は自分が誰なのかを教えてくれない、と言った。自分が忘れかけていた自分を思い出させるのだ。
柚希はノートを胸に抱きしめた。たくさんのことを聞きたかったが、この場所は切羽詰まったことを禁じているようだった。
最初の夢を覚えているか?春樹は彼女を見なかった。
いいえ。でも、そこに書いた名前は覚えている。
何だった?
彼は数秒待ってから答えた。
君の。
柚希はノートの奥のページがひとりでに動くのを感じた。ノートを開くと、ページの一番下に一文が浮かび上がった。
「あなたの名前は、誰かが気づかないか確かめるために、隠れていた。」
彼女は息を吸った。湖の空気が違って感じられた。まるで密度が違っていたかのようだった。
もし、もう自分探しをしたくないと思ったら?と彼女は囁いた。春樹は立ち上がった。
そうしたら、君も自分自身を見つけ始めるだろう。
颯太は小さく吠えた。
水面に映る影が形を変えた。
柚月は誰かに抱きしめられている自分のシルエットを見たが、それが誰なのかは分からなかった。
ただ、失いたくない名前で呼んでいる誰かだということだけが分かった。
湖から続く道は、明確な方向を見失っていた。それは、終わりのない旋律のように、果てしなく繰り返されていた。
柚月は黙って歩いた。春樹は時折、記憶のかけらを拾い集めるように、枯れ葉を拾い上げた。颯太は、まるで石の匂いを嗅いで、まるで石の匂いが読めるかのように感じた。
「そんなにたくさんの葉っぱをどうするの?」と柚月は尋ねた。
「取っておくよ」と春樹は答えた。 「いつか誰かが私たちの過去を尋ねるかもしれない。その時、私はこれをあげられるかもしれない。」
彼女は微笑んだ。ノートを取り出した。白紙の真ん中に波線を引いた。
「どういう意味?」
「今の私の進む道の形よ。」まっすぐな道ではなく、私を驚かせたい。
颯太は脇に寄った。空を見上げた。鐘は鳴らなかった。でも、輝いていた。
春樹は葉っぱを布袋に入れ、緑のリボンで結んだ。
これからどこへ行くのだろう?
柚希は顔を上げた。
空気が私たちが誰だったのかを問わない場所へ。
春樹は頷いた。
静寂が、今も私たちを待っている名前を私たちに返す場所へ。
そして彼は彼女の隣を歩いた。
どこへ行くのか分からない人のように…
でも、誰と一緒にそこに行きたいのかを知っている人のように。




