毛深くて、汚くて、ギラついた目のモンスターなヒーロー2
「おいっ! 諦めて俺のモンスターになれよ!」
人間が穴の奥に隠れる俺に声をかける。
誰がお前のものになってやるものか、と俺はただ穴の奥に体を預けて耐え忍ぶ。
たとえコボルトだろうと俺の体は俺のものだ。
「ふざけやがって……」
「雨が降りそうだぞ?」
「くそっ……」
男が空を見上げる。
空はいつの間にか厚い雲に覆われている。
「‘喉がかわいた……腹が減った……’」
穴の中で体の回復を図るが、水も食料もなくては回復するものも回復しない。
口が乾燥して、水を欲している。
お腹が鳴って、食料を欲している。
本能は相変わらず生きたいと叫んでいてうるさい。
何かないかと探して、ナイフを突き刺した時にわずかについた血ですら舐める。
錆の味なのか、血の味なのかも分からない。
でも甘美な味に感じられたのだから、もう末期の状態だ。
こんなに血の味が美味いと感じたことはない。
「‘まだ……数時間か? あるいは数分? 分からない……もう何日もここにいるような感覚だ……’」
ふと目を閉じると時間が飛ぶ。
飛んだのが数秒なのか、数分なのかも分からない。
ウルフが襲いかかってきていないことは幸いだったが、時間の感覚が分からなくなった。
また血でも舐めたくて、もう一度顔を突っ込んでくれないかなと期待して穴から外を覗く。
男たちやウルフは穴のすぐそばで渋い顔をしている。
不用意に手を突っ込んでくる雰囲気ではない。
「‘……くそっ、目がボヤける’」
意識すら保つことが難しくなってきた。
視界がぼやっとして、俺は頭を振って正気を保とうとする。
「‘……何か、ないか…………’」
どうしようもなくて木の根っこをかじる。
硬くて食べられたものじゃない。
けれども魔物の丈夫な顎で噛んでいると、ほんの少しだけ水分が滲むように出てきてくれた。
じわりと感じられる水分に頭が喜びを感じている。
「あぁ……降ってきやがった」
「もう諦めろって。コボルトぐらいなら他を探したほうが楽だろ」
「……そうするか」
合成とやらがしたいのか、男たちは過激な手段に出てこなかった。
「‘ん?’」
視界がぼやけて、また意識を失いかけていると、ふとウルフと人間の気配が遠ざかっていく。
外はまだ明るいのに、なぜだ?
「‘このにおいは……’」
鼻に独特のにおいが届いてくる。
普通の森のにおいとはどこかが違う。
耳を澄ますと音も聞こえてきていた。
心臓が期待に高鳴った。
「‘はぁ……くっ……’」
ずっと縮こまっていたので、体を動かそうとすると痛い。
しかし、俺は期待に動かされ、這いずるようにして空洞から出る。
「‘……は、ははっ…………’」
俺の鼻先に水滴が落ちてきて、弾ける。
ほんの少しの冷たさと、鼻先を垂れるくすぐったさが胸を突く。
「‘……雨だ!’」
ウルフと人間が引いた理由、それは雨が降りそうだったから。
空洞の外ではポツポツと雨が降り始めていたのだ。
少し体に当たる程度だった雨は、すぐに激しさを増す。
俺は口を大きく開けて雨を口に溜めて飲み込む。
渇いた体に雨が染み込んでいく。
久々のマトモな水分に体が喜んでいる。
「‘あっ……うっ……’」
同時に涙が溢れてきた。
「‘辛いよ……どうして…………こんなことに……’」
泥だらけになりながら必死に雨を飲む。
死んでしまいたいほどに屈辱的で、情けない。
とても辛い。
体は生きていたがっているのに、心が死んでしまいそう。
ある程度水を飲んだ俺はグッタリと地面に倒れ込む。
「‘……生きてやる!’」
水分を得られて、ほんの少し体に力が戻ってきた。
雨に打たれて、泥を握りしめて、心の底から湧き上がる思いを吐き出す。
「‘生き延びて……人間に戻る。人間に戻って…………帰るんだ……’」
なぜモンスターになったのか、そしてなぜ異世界に来たのか分からない。
でも生きている以上、希望はある。
俺には元の世界にも仲間はいるし、帰るべき家がある。
モンスターになったのなら、人間にだってなれるかもしれない。
人間に戻る。
そして元の世界に戻る。
俺の中で消えかけていた思いが、再び大きく燃え始める。
「‘ここにはいられない……移動しなきゃ’」
ウルフがいなくなった今のうちにということもあるが、空洞に雨が流れ込んで水が溜まってしまった。
もう空洞の中にいることはできない。
まずは生き延びなきゃいけない。
何もかも生きてこそだ。
雨に濡れると毛がしんなりとして張り付き、俺の体は非常に小さくて貧相に見えるだろう。
他のやつが見たらなんと貧弱なモンスターだと笑うだろう。
だけれども毛が濡れて隠れるようになった目の奥には、生きるという炎が燃えている。
最後の瞬間まで諦めないと俺は心の中で誓う。
「‘ただ腹減ったな……’」
水分はどうにかできたが、相変わらずお腹は空いている。
雨で誤魔化せたのはほんの一瞬で、空腹で死にそうだ。
「‘キノコ……’」
ふと木の根元に生えているキノコが目につく。
俺はこれまで、キノコには手を出してこなかった。
キノコについて詳しくなく、どのキノコが安全に食べられるのか分からなかったからである。
でももう耐えられない。
食べられるならなんでもいい。
「‘色は地味……においはしない……’」
俺はキノコを手に取って、軽く観察する。
毒々しい見た目はしていない。
鼻につくようなにおいもなく、見た感じでは毒キノコには思えない。
口に放り込んで噛み砕く。
上手くもなく不味くもない。
とりあえず口に入れた時点でも毒を感じることはなかった。
「‘う……ぐ……’」
ひとまずキノコで少し腹が膨れた。
そう思っていたら急に腹が痛くなってきてしまう。
俺は腹を押さえて、その場に倒れ込む。
ただただ腹が痛くて動けない。
もう日が落ちる。
あたりは暗くなるのに、隠れる場所すら確保できていない。
しかし起き上がることもできずに、俺の意識は失われたのだった。
『獲得:毒耐性(小)』
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「‘うう……’」
気づいたら朝だった。
相変わらず空腹である。
頭がクラクラとしているけれど、毒でも死ななかったし、他の魔物に見つかって死ぬこともなかったようだ。
運が良いのか悪いのかわからない。
でも差し込む光が眩しくて、俺は目を細めた。
雨に濡れて体は重く、泥に塗れて冷えている。
とりあえずまた一日乗り越えたのだと、寝転がりながらじんわりと考えた。
「‘何か食べるもん探さなきゃな’」
やっぱりキノコはダメだ。
せめて木の実か何かなら少しは安全だろうから探してみよう。
俺は力の入らない体を奮い立たせ、フラフラと起き上がった。
「いや! やめて!」
そんな時に女の子の声が聞こえた。
「うるせぇ! 静かにしやがれ!」
「お前押さえておけ!」
続いて男の声。
男は二人ほどいるようだ。
なんだろうと思いながら、俺は声の方に引き寄せられるようにフラフラと歩いていく。
「放して! どうしてこんなことするの!」
「へっ! こんなところまでノコノコついてきて何を言ってんだ!」
「‘あれは……’」
木の影から覗き込むと三人の男女が見えた。
銀髪の女の子が男二人に地面に組み伏せられている。
「嫌……嫌ぁ!」
「へへへ……綺麗な肌してやがるぜ」
一人が腕を押さえつけ、もう一人が馬乗りになっている。
馬乗りになった男が、乱雑に女の子の服を掴んで破る。
周りには魔物が二体いる。
デカいカエルとトカゲのような魔物はなぜか男たちを襲うこともなく、周りを警戒するようにキョロキョロとしている。
やはりこの世界の人間は、モンスターを連れていることがあるようだと俺は察する。
「誰か……助けて!」
「無駄だよ! こんなところ人なんていやしない! このところご無沙汰だったんだ……楽しんでやるぜ」
馬乗りになった男は下品に笑う。
いかにもな、いやらしい顔をしている。
「‘あいつら……’」
子供ではないのだから、俺だってあいつらが何をしているのかは分かる。
人間、生きていくためには多少卑怯なことをしたり、悪いことをするのはしょうがないこともある。
やられると怒るだろうが、やる分には仕方ないとある程度割り切っているような行いもいくつかあるのだ。
しかし卑劣な行いは違う。
それは己の欲を満たすためだけの行為であり、生きていくための必要な行為ではない。
胸に怒りが込み上げる。
生きるため不必要な、卑怯な行いは許せない。
怒りによって限界の体にほんの少しの力が湧く。
「‘どうにかしなきゃ……’」
どういうことなのかは未だに分かっていないが、魔物は男たちの味方をしている。
まずは魔物を引き離さねば男たちに近づくこともできない。
俺は近くに落ちていた石を拾い上げてパッと投げる。
石の飛び込んだ茂みがガサガサと音を立てて、魔物たちが茂みの方に向く。
「なんだ?」
「魔物か?」
男たちも怪訝そうな表情で顔を上げる。
「チッ……いいとこなのに。おい! あっち見てこい!」
「お前も行ってこい。見られると集中できねぇ」
馬乗りになった男が顎で魔物に指示を出すと、魔物は茂みの方にのそのそと歩いていく。
上手く気を逸らすことができて、俺は口の端を上げて笑う。
その隙に俺は気配を消して男たちに近づいていく。
「ああ! もう窮屈で我慢ができねぇ!」
よだれでも垂らしそうな顔をして、馬乗りになった男はベルトを外そうとする。
「やめて……! 誰にも言わないから!」
女の子は足をばたつかせて抵抗するけれど、手を押さえられていてはまともに動くこともできない。
大の大人が女の子を二人がかりで押さえつけるなど、卑怯なことをするものだ。
「チッ……なかなか外れねえな」
馬乗りになった状態のままでは上手くベルトが外せない。
男は舌打ちしてベルトを外そうと苦戦する。
「よしっ、これで……」
「おい、後ろ!」
「うし……」
馬乗りになっている男の真後ろまで来た俺は、怒りのままにナイフを思い切り首に突き立てた。
錆だらけでロクに切れなくなったナイフでも、柔らかい首に突き立てれば刺さりぐらいはする。
「ぐああっ!」
「‘血……’」
首から血が吹き出す。
血を見た瞬間に、俺の何かが我慢の限界を迎えた。
「なっ、なんだ!? い、いてぇよぅ!」
抗いがたい本能のようなものに引きずられ、ナイフを引き抜いた俺は男の首筋に噛みついた。
血を吸い、肉を噛みちぎり、飲み込む。
生暖かい肉が喉を流れて、体が熱くなっていくような高揚感が怒りも空腹感も塗りつぶしていく。




