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浅はかな知識と量子論

量子力学には2重スリット実験なるものがある。

つまるところ観測によって結果が変わるという話であって、1/2で毒が放出される箱にぶち込んだ猫が生きてるかどうかは確認するまでわからないという話に近い。


さて、しかし自分にはこれが疑わしくて仕方ない。

というのも、観測しているのは人間の目だけなのか?と言われれば絶対にそうではないからだ。

スリットを生むために用いられた板はそれを観測しないのか?

地面に落ちている石ころは我々を観測しないのか?

自分はこの世の全ての存在が、たとえ目を持たずとも感覚を持たずとも観測者であると考えている。

人の目という器官も言うなれば物理的な反応の賜物だし、もっと分解して見れば単なる有機物にすぎない。


では、存在するというのは何か。

個人的な意見としては、存在するということをいちいち証明する必要はない。

自己が自己を認識するならそれが存在を担保するし、ブラックホールに吸い込まれて外から観測できなくなったとしても自己は変わらず在るはずだ。

死んで土に埋まったとしても微生物や土そのものが存在を担保するし、要するにそこに在るというのを人の目に晒す必要はないのだ。


自分はさらに深く行って、ラプラスの悪魔が支配する世界を考えた。

未来が確定している時、我々に自由意思はあるのか?

それは勿論ある、何故なら今こうしてくだらない文字を書き散らしてサーバにゴミを放り込んでいるのは自分の意思だからだ。

しかし、その自由意思はあくまでも観測者の一部でしかない。

我々の自我はその他全ての観測者同様に、存在を確からしくするためのアイテムに過ぎない。

つまり我々は考える葦であって、道端の石ころなのだ。


ならば考えることそのものすら無価値なのか?

その通り、考えることは全く意味がない。

それでも、それすら理解した上でやはり考えてしまうのが思想する動物としての宿命であり、世界を動かす観測者の役割なのだと思う。

自己を自己たらしめる努力を重ね、自己が生きる意味を自己から見出すのが人間の仕事だ。

そうやってこの無価値な世界は観測者同士で相互作用して存在している。

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