第67話 アリサが怒った理由を、ジェシカさんが教えてくれる
薄暗い休憩エリアのソファでひとり俯いていると、ジェシカさんとアリサがやってきた。
ふたりは僕と向かいあう位置のソファに座った。
アリサはジェシカさんの隣で、僕から顔を背けている。僕に顔を見せたくないのだろう。
「しょげるなよ。ほら」
ジェシカさんが缶のスポーツドリンクを放り投げてきた。
「ありがとうございます……」
せっかくだけど、飲む気にはなれない。
ジェシカさんは周囲に何度も視線を往復させている。その動きに僕が気づいたことに、彼女は気づいたようだ。
「2階は関係者専用だけど、こんな格好だから人に見られるわけにはいかない。全方位警戒。オレが通路側。カズはエスカレーター方面。敵を見逃すな」
「はい……」
僕達の様子を察して明るく振る舞ってくれている。その優しさを感じながら、僕は後方警戒のためという大義名分を得たから、姉妹に背を向けた。
「なんでまた喧嘩したんだよ。昨日、仲直りしたよな」
怒っているわけではなく、呆れているような口調だった。
「僕は悪くないのに、アリサが僕にバグ技使ったって言ってきて……」
「チートだもん……」
「地雷で飛ぶのはテクニックだよ。一緒にバギーを加速させたことだってあるでしょ……」
「人間は駄目だもん……」
アリサはそう言うが、僕には正直、いったい何が問題なのか理解できない。
アリサはいったい何に拘っているのか。
「ああ。そういうことか。アリサは引っこみ思案だし、口下手でな。自分の思ったことを相手に伝えるのが下手なんだよ。いきなり怒ったのは、許してくれよ」
アリサが引っこみ思案だなんて噓だ。
アリサは元気があふれていて、常にファックファック叫びながら跳びはねている。
それに口下手ならVTuberなんてやれないはずだ。
「んー。その顔、まさか気づいてない?」
背中を向けているから僕の顔なんて見えるはずないのに、ジェシカさんは僕の表情を見ているかのように、言葉に軽く呆れ笑いを混ぜた。
「こいつ、カズと話しているとき以外、ずっとゲームしているか、オレの後ろに隠れていただろ。これを引っこみ思案と呼ばずして、なんと呼ぶ」
「え?」
「アリサが会話するのはオレか、お前だけ」
「そんなことは……」
「チームとの顔合わせのときにVRゴーグル着けてただろ。人見知り極まってんだよ。恥ずかしくて自己紹介したくないから、空気読めずにゲームするクソガキムーブかましたの。痛い、痛い。本当のことだろ。八つ当たりやめなー」
……え?
……それじゃ、控え室のあの行動は、僕が昼休憩中に机につっぷして寝たふりをするのと同じということ?
そういえば、昨晩の練習会でも、アリサは声優さん達にもみくちゃにされたあと、ジェシカさんの背後に隠れてしまった。
たしかに、アリサがジェシカさん以外の人と会話しているのとを見たことがない……。
いや、違う。
「でも、昨日、ここで、プロのチーターに怒鳴ってた……」
「ん? ああ、4人組に絡まれていたときのこと? 人と話すのが怖いのに大声を出したんだとしたら、理由はひとつだろ」
「え?」
「大切な人を護るためだよ。カズだってアリサを護るために、前に出ただろ?」
「それは……」
「アリサは勇気を出したんだよ。カズ以上に他人を怖がっているアリサが、だ」
「うっ……」
見抜かれていた。
他人を怖がるという表現が重くて、僕は悶々とした気分と一緒に身体がソファに埋まってしまいそうだ。
「こいつ、ゲームが上手すぎるせいで、昔、失敗したんだよ」
視界内で何かが動いた。どうやら、エスカレーター側面のガラスパネルにジェシカさんととアリサが反射して映っていたようだ。
ジェシカさんはアリサを抱き寄せ、金髪に顔を埋めた。
「仲の良かった友達が、アリサのことをチートしてるって疑ったんだ。何もインチキをしていないのにな。お前もだけどさ、上手すぎるヤツは、他人から見たらインチキなんだよ」
「僕はインチキしていない」
「うん。知ってるよ。けどさ、アリサは相手に嫌われるのが嫌だったから、反論したらいけないと思っちゃって、チートしているって認めたらしいんだよ……。それが、さっきカズがやったような、グレー系の行為だったんじゃないかな」
アリサの震えが大きくなっているのを見て、僕はガラスパネルから視線を背けてしまった。
「その友達が運の悪いことに、今回のイベントの配信を見てたんだよ。それで、アリサがVTuberしてることに気づいて、昨日ネットにあることないこと書いてきた。今回のイベントでオレ達は他のプレイヤーと違って生身を晒していないだろ? だからハードウェアチートしているって書かれた。アリサはそれを見て、メンブレしちゃったんだよ。昨日の夜から情緒不安定だったのはそういう事情だから許してよ」
ジェシカさんは所々、苦笑し息を漏らす。
「カズと出会って、もう2年か……。オレさ、仕事が忙しくてアリサを助けてやれなかったときがあるんだよ。オレ達はふたりで暮らしているから、仕事を辞めるわけにもいかない。一緒にいてやれない。だから、カズには感謝しているんだぜ。オレがアリサの側にいてやれなかったとき、側にいてくれたんだから」
「僕はただ、ゲームをしてただけ……」
「それでいいんだよ。2年間もひきこもっていて腐らなかったのはお前のおかげだよ。お前はずっと声をかけ続けてくれた。……懐かしいなあ。うち、動画編集の都合もあってVirtual Studioを外部モニターに繫いでるから、プレイ中でも画面を見れるんだけどさ、オレが仕事から帰ってくると、こいついつも同じIDのやつと遊んでいるんだよ。『Sinさん、前、出て。援護して。弾あげる。右行こう』ってさ。アリサはボイスチャットしていないし、日本語が分からないのに、ひとりで喋っている日本人がいるんだよ。アリサのことをインチキと思う必要もなく、同じレベルで肩を並べられる奴がいて、本当に良かった。アリサが『カズ上手いんだよ、アリサのほしいところに援護射撃してくれるんだよ』って、嬉しそうに言うんだよ。そいつがどんな奴か気になったから、オレはお前と話すことにした」
見なくても分かる。青灰色の優しい瞳が僕の後頭部を見つめている……。
世界の誰よりも優しく微笑んでいる。
人生経験の少ない僕にだって分かる。その笑みが、心を許した特別な相手にしか向けないものだって……。




