第26話 そして、家族のもとへ
瞬きしてぼやけた視界のピントを合わせていると、不意に母さんがオレの手を強く握りしめた。
「翔琉っ! 目が覚めたのね! 痛いところはない?」
オレの顔を覗き込んできた母さんの目には涙が浮かんでいる。
母さんの顔はいつもよりかなりやつれて見えた。
声を出そうとしたが、口がうまく動かない。
「だ、大丈夫……」
なんとか絞り出した声を聞いて、母さんは優しくオレの身体を抱きしめてくれた。
「ああっ、良かった……。もう1か月近く目を覚ましていなかったのよ。お医者様にも、いつ目が覚めるか分からないって言われて……」
母さんは安堵のため息をつきながら、一息に喋ったかと思うとなにかに気づいたかのように、パッとオレから身体を離した。
「ああ、そうだわ! はやく看護師さんを呼ばないと……」
そう言うと、慌てたように立ち上がってナースコールのボタンを押した。
「本当に目が覚めたのか……。はは、夢じゃないよな?」
ポツリと聞こえた声の方を見ると、そこには弟の玲生を抱っこしたまま棒立ちしている父さんがいた。
「……父さん、仕事は大丈夫なの?」
喜びより先に、やっぱりその疑問が口から出てしまっていた。
すると、父さんは窓際の椅子に腰を下ろしてオレの傍に顔を近づけた。
「翔琉の一大事に仕事なんてしていられないさ! 休暇を取ってずっと翔琉が起きてくれるのを待ってたんだ。無事に目が覚めて本当に良かった!」
父さんの大きな腕がオレの身体を包み込む。
母さんも、父さんも。
こんなにもオレのことを心配してくれていたなんて。
なんだが心がポカポカする。
自分の頬をなにかが流れ落ちていくのを感じた。
「だあぁあ」
玲生も小さな手をオレの方へと伸ばしてくる。
その手に恐る恐る触れた。とても、暖かい。
「……お、お兄ちゃんっ」
ベッドの足元の方から声が聞こえて、そちらを見る。
朱音が今にも泣きだしそうな顔でオレの顔を凝視していた。
みるみる朱音の目から涙が溢れてくる。
「ごめんなさいっ! あたしのせいで、お兄ちゃん、大変なことになってっ……」
朱音が泣きじゃくりながら、オレの腕に縋り付いてきた。
「たまたま運が悪かっただけだ。朱音が謝ることじゃない。それより、朱音まで巻き込まれなくて良かったよ」
手に力が入らないが、なんとか右腕を動かして朱音の頭を撫でてやる。
「うううぅぅっ!」
朱音は声にならない声を上げて、病衣の袖を強く握りしめた。
「退院したら、一緒に雑貨を見に行こうな」
「ゔんっ! ……約束するっ!」
朱音は鼻声のまま大きく返事をした。
家族全員と話ができて、オレはようやく元の世界に戻れたことを実感した。
そして、みんなの気持ちに触れて胸がいっぱいになっていた。
これからは、オレも家族のことを大切にしたいと、そう改めて思った。
それから、あっという間に月日は流れた。
病院にいる間は家族の他に、学校の友人たちもお見舞いに来てくれた。
みんな心配してくれて、早く元気になるようにと励ましてくれた。
リハビリを頑張ったかいもあって、年明けには無事退院することができた。
冬の寒さが身に染みるある日。
オレは寒空の下、朱音と一緒に雑貨屋へと向かっていた。
「ふふっ、お兄ちゃん。今日はありがとね」
「約束だしな。それに、母さんへの誕生日プレゼントなら、オレも選びたいし……」
朱音は嬉しそうに笑った。
「お兄ちゃんが入院してる間に誕生日は過ぎちゃったけど、ちょっと遅れてもお母さんならきっと喜んでくれるよね」
朱音は母さんの誕生日を祝おうと密かに計画していたらしい。
その話を聞いた時はオレも随分驚いた。
オレは本当に家族のことをなにも知らなかったんだ。
「そうだな。母さんにも、父さんにも。感謝の気持ちは伝えないとな」
「うんっ!」
朱音は楽しそうに駆け出しながら振り返った。
「お兄ちゃん! 早く行こう?」
「ああ。でも、あまりはしゃいで転ぶなよ?」
「気をつける~」
スキップをしながら先に行こうとする朱音を早歩きで追う。
その時、遠くから音が聞こえた気がした。
耳に心地よい軽やかな音色。
間違いない。
エリシアの笛の音だ。
つい足を止めて空を見上げる。
耳を澄ませても、あの音はもう聞こえなかった。
ただの幻聴だったのかもしれない。
それでも。
きっとエリシアたちはみんな元気に暮らしている。
そんな気がした。
「お兄ちゃん? どうしたの?」
朱音の心配そうな声が聞こえて来て、オレはそちらへと顔を向けた。
「なんでもない」
言いながら、異世界の記憶を思い返す。
出自や事情に関係なく、助け合って生きていたテセイオ村の人々。
異世界から来たオレを受け入れてくれたエリシアたちは、オレにとってもう一つの家族と言ってもいい存在だった。
もう二度と会うことはできないとしても、あの思い出はこの先ずっとオレの中にあり続けるだろう。
ありがとう。エリシア、シオン。そして、テセイオ村のみんな。
オレは朱音が待つ方へと向かって、足を踏み出した。




