第24話 昏睡の薬
暗闇の中、どこかで笛の音が聞こえた気がした。
この音は、確かエリシアの……。
心地よい音色に導かれるように意識が覚醒し、自然と目が開く。
すると、オレの前にはエリシアの不安げな顔があった。
「カケルっ! 気が付いたのね。よかったっ!」
途端に彼女の表情に安堵の色が広がる。
「ここはどこだ?」
「ライラさんの薬屋よ。カケルがエビルトレントを倒してくれたから、何とか連れて戻ってくることができたの」
周囲を見回してみる。
オレはどうやらベッドに寝かされているらしい。
エリシアの姿をよく見てみると、服が泥だらけになっていた。
テセイオ村までは相当距離があったはずなのに、オレをここまで運んできてくれたのか。
「そうか。ずっと気を失って、迷惑かけちゃったな」
「そんなことない! カケルのおかげで私は助かったんだもの。感謝してもし足りないくらいよ……」
エリシアは瞳を潤ませてオレの右手を握りしめた。
「とにかく、エリシアが無事でよかった」
ちょっと照れ臭くなりながら、オレは彼女に笑いかけた。
「かなり無茶をしたようじゃな」
声がしたほうに顔を向ける。
そこにいたのはバレットさんだった。
「しかしまあ、無事でよかったわい。生きて帰ってきたなら上出来じゃ」
「本当に。よく生き延びてくれましたね。ホッとしましたよ」
さらにもう一人。リオール先生の姿もあった。
「バレットさんにリオール先生まで……。どうしてここに?」
率直な疑問を投げると、リオール先生が口を開いた。
「エリシアさんが鳥に手紙を託して、村に助けを呼んだのです。カケルくんが重傷だと知って、バレットさんと私ですぐに君たちを迎えに行きました。無事で何よりです」
先生の解説を聞いて納得する。
意識を失っている時に聞こえた音は、やっぱりエリシアの笛だったようだ。
「そうだったのか。お二人も、ありがとうございます」
「いえいえ。当然のことをしたまでですよ」
リオール先生はそう言って笑顔を浮かべた。
バレットさんはムスッとした様子で顔を背けている。
相変わらず、素直じゃないみたいで少しおかしくなってしまった。
「目が覚めたのね」
見ると、部屋の入口にライラさんが立っていた。
「体調はどうかしら? アタシの魔法薬を使ったから、もう大体治ってるとは思うけど」
言われて、身体に意識を向ける。
トレントの攻撃で全身を強く打ったはずだけど、痛みは全くない。
「おかげさまで、大丈夫みたいです」
「そう。なら良かったわ。あと、『昏睡の薬』はもう調合してあるからいつでも使えるわよ。どうする?」
そうか。ついに元の世界に戻る薬ができたのか。
生きて帰って来れて安心していたけど、もう別れの時が目の前だと気づいて急に不安になる。
こんなにも良くしてくれた人たちと別れる寂しさ。
それに、薬を使って本当に元の世界に戻れるのかという心配もある。
でも、これはオレだけの問題ではない。
シオンの命運もかかっているんだ。
そう考えたら、自然と言葉が出ていた。
「すぐに飲ませてください。急がないと、元の世界のオレが目を覚ましてシオンが戻って来れなくなるかもしれない」
「……分かったわ」
ライラさんはそう言って、小さな薬瓶を取り出した。
「飲めばすぐに効いて、深い眠りに落ちることになるわ。話したいことがあるなら今のうちにね」
手渡された濃い紫色の薬瓶をじっと見る。
これでこの世界ともお別れか。
オレはライラさんの目を見た。
「薬を作ってくれて、ありがとうございました。ライラさん。短い間ですけど、お世話になりました」
「アタシにとっては仕事みたいなものだから、気にしなくていいよ。代金は余分に取って来てくれた素材で十分だし、むしろこっちが礼を言わなきゃいけないくらいさ」
「ライラさんは、優しいね」
彼女は一瞬目を丸くしてから、クスクスと笑った。
「まあ、褒め言葉として素直に受け取っておこうかねぇ」
そんなライラさんの瞳を見ながら、オレは手を差し出す。
固く握手を交わしてから、今度はリオール先生の方へ視線を向ける。
「リオール先生。戦い方を教えてくれてありがとうございました。おかげで元の世界に帰れます」
「いえいえ、お役に立ててよかったです。カケルくんはとても良い生徒でした。君なら元の世界でもたくましく生きていけると信じていますよ」
リオール先生はそう言って、オレの頭を撫でてくれた。
続いて、バレットさんの顔を見る。
「バレットさんが作ってくれた装備がなかったら、オレは生きて帰って来れなかった。無理を言ったのに、協力してくれて本当にありがとうございました」
「ふん。武具を使いこなしたお前の力じゃよ。感謝されるほどのことではないの」
バレットさんはそう言って、腕組みをしながら顔を背けた。
オレは構わず歩み寄って、右手を差し出す。
バレットさんは横目でこっちをチラリと見てから、腕を解いてオレの手を取った。
「……元気でな」
「バレットさんも、お元気で」
最後に、エリシアの方へと向き直る。
と、彼女はオレの胸に飛び込んできた。
「もう、行ってしまうのね」
「ああ」
顔を上げたエリシアの瞳は潤んでいる。
「こっちに来てから、本当に色々世話になった。ありがとうな」
「確かにカケルが来てからは大変だったけど、来てくれたのがあなたで良かった。カケルのこと、ずっと忘れない」
「オレもだ」
そう口に出した途端に、名残惜しさが込み上げてきた。
エリシアの身体の温もりを感じながら、オレは自分に言い聞かせる。
ここにはオレではなく、シオンがいるべきなんだ。
そして、オレにもちゃんと戻るべき場所がある。
オレがエリシアの肩に触れると、彼女は一歩下がってくれた。
「ありがとう」
オレは薬瓶の蓋を開けて、中身を一気に飲み干した。
「さあ、横におなり」
ライラさんの言葉に従って、ベッドに横たわるとすぐさま眠気が襲ってきた。
「カケル。あなたと一緒に過ごせて楽しかった」
エリシアがオレの手を握って、声をかけている。
だけど、意識がどんどん遠のいていく。
「まるで新しい家族ができたみたいだった。私、あなたのことが……」
彼女の言葉が途中で聴き取れなくなってしまった。
まぶたが鉛のように重い。
そして、オレは深い眠りへと落ちていった。




