第7話 素敵なお屋敷にて
「奥様、長旅でお疲れでございましょう。まずはお部屋でごゆっくりなさってくださいませ。ミミルカ、こちらへ」
この屋敷の家事一切を仕切る家政婦長セレアが、わたし付きだという若い女性を紹介した。茶色の髪を後ろでまとめた優しそうな表情のこの女性は、わたしの侍女として選ばれたらしい。
『悪の氷結花シャロン』のとんでもない評判を知っていての人選だとしたら、このお嬢さんは見た目によらず根性がある人物だということなので、期待する。
「奥様、初めまして。ミミルカ・リューダと申します」
少し緊張気味だが、なんとか笑顔をたたえて挨拶してくれた。なるほど、肝が据わっているようだ。
わたしは軽く会釈をして「シャロンよ、よろしくね」とひと言だけ言った。だが、それだけでも想定外だったらしく、セレアもミミルカも驚いた表情をする。
いや、普通に挨拶くらいするでしょ。
ねえ、どれだけ悪評を聞かされているの?
「ミミルカは子爵令嬢で、奥様にお仕えするためにひと月前からこちらで働いております。さあ、ご案内してください」
「はい」
ひと月前?
ずいぶんと最近の雇用のようだけど、侍女のなり手がいなかったということかしらね。シャロンはどれだけ嫌な女だと思われているのかしら……。
これは、酷いイジメに遭うことも覚悟しておかなくちゃね。
『こんな女はうちの旦那様にふさわしくないから、追い出して新しい奥様に変更してもらおう』みたいな感じで。
わたしの中にあるシャロン的な考え方は『もしもいじめられたら、返り討ちにしてやりますわ、おーほほほほ!』と高笑いをしているけれど、わたしは温厚な日本人なので、争い事はなるべく避けていく……はず……よ?
「奥様、こちらへどうぞ」
緊張ぎみのミミルカが、わたしたちを部屋へと案内してくれた。ドナは「ミミルカさん、よろしくお願いします。わたしはお嬢様付きでずーっとやってきたので、お嬢様のことならお任せください。大丈夫、大丈夫、けっこう抜けてるし、ざっくばらんなお方ですよー」と、さりげなく先輩風を吹かせている。
ドナ、ざっくばらんは貴族令嬢への褒め言葉ではないわよ。
『抜けてる』に至っては、明らかに悪口です。本人の前で言っちゃ駄目なやつです。ミミルカが困っているじゃないの。
わたしに用意されたのは、日当たりの良い広い部屋だった。大きな暖炉があって、その傍にすでに薪が用意されているのを見たわたしは「なんだ、いい部屋じゃないの」とほっとした。
『悪の氷結花』だからといって意地悪をされて、寒い小部屋に閉じ込められたりしなくてよかったわ。
内装は温かみのあるブラウンベースで、素朴なデザインの木の家具が置かれている。居間、寝室、衣装部屋、そしてわたし専用の小さい浴室まで付いていて、辺境とはいえさすがは王弟殿下の屋敷なのだと感心する。
テーブルの花瓶には花が生けてあり、壁には刺繍の作品や絵画が飾られて女性らしいインテリアだ。よく見ると、カーテンも美しい柄が織り込まれた上質なものだ。
わたしは予想よりも良く扱ってもらえるのかもしれない。
「とても素敵なお部屋だわ。ミミルカが手配してくれたのかしら?」
「はい、セレアさんと一緒に整えさせていただきました」
「居心地が良さそうで気に入りましたよ。ありがとう」
わたしがお礼を言うと、ミミルカは「ひゃ?」と変な声を出してから「おっ、畏れ入ります、奥様」と頭を下げた。
貴族の令嬢が『ひゃ』なんて言って、まさかこの子もドナと似たような性格だったりして?
ドアがノックされ、セレアが「失礼いたします」と入ってきた。なんだか困った顔をしていたので、わたしは「どうしたの、セレア? なにか問題でも起きて?」と尋ねると、セレアはなぜか「わたしの名前を覚えていらっしゃる、ですって?」と目を見張った。
ドナとは違って、三歩歩いたら忘れるなんてことをしないわよ?
わたしはセレアをじっと見つめた。
「先ほどから、わたしを見てなにを驚いているのかしら?」
「いえ、そのようなことは……」
わたしはうっかり「先生は怒らないから、本当のことをお話ししてちょうだいね」と言いそうになるのを堪えて、貴族令嬢らしく上から目線で「いいから、セレア、正直に言ってごらんなさい」と命じた。
「申し訳ございません。奥様に関して間違った情報があったようです」
「具体的には、なに?」
「……使用人の名前など決して覚えないとか、人間扱いしないとか、その、あまり良くないことでございます。申し訳ございません」
「あー、それ、ね」
以前のシャロン・アゲートの正しい評判だわあ……。
わたしはひとつ咳払いをして言った。
「セレア、ミミルカ、よくお聞き。人には様々な面があります。わたしについては、これから実際のわたしを見てもらいたく思いますよ。正直、あまりよろしくない噂を立てられているのは事実ですけれど、それに引きずられることなく観察及び判断していただきたいわね。そして、なにか疑問があればわたしに尋ねればよろしいわ」
「はい、奥様」
「しかと心に留め置きます」
セレアとミミルカは、そう言って頭を下げた。
「いいのよ、わたしは気を悪くしていません。人の口というのはいい加減なものだと知っていますからね。さあ、この話はこれでおしまい、ね? このお部屋も、このお屋敷全体もとても素敵だと思いますよ。セイバート領の町や村を見て回るのも楽しみにしています」
「そうなのですか?」
またミミルカが驚いている。
「そうよ。わたしは辺境伯に嫁いで来たのですもの、領地に興味があって当然でしょう? ここに来る前に、歴史や気候や風土、産業についてが書かれたたくさんの書物を読んで来ましたのよ」
「本当ですよ! お嬢様はセイバート領の美味しい食べ物についての本も、何度も何度も読み返してましたし。馬車の中でも『今夜のごはんはなにかしら?』って、わたしに……」
「ドナ、余計なことを言わないの!」
わたしが失礼なメイドの口を塞いで「食いしん坊だと思われちゃうから内緒だって言ったでしょ! どうして三歩歩くと約束を忘れるのよ、ドナのトリ頭!」と叱っていると、家政婦長と侍女が噴き出した。
「あの、奥様。鹿とキジでは、どちらがお好みですか?」
わたしはセレアに「両方とも食べたいわ!」と答えた。
「美味しいのでしょう?」
「はい。当家の料理人はとても腕が良いので、鹿もキジも思い出すとたまらなくなるほど美味しいのでございます」
胸を張って答えたセレアは「それでは、夕食に両方お出しできるように料理長に伝えておきますわね。奥様の好物がなにか、ミミルカに詳しく話しておいてくださいませ。料理長がきっと知りたがると思いますから」と笑った。
やったー、ジビエ料理が楽しみすぎるわ!
「セレアさん、お嬢様、じゃなくて奥様は串焼きも好きだし、屋台で売ってるものでも大丈夫ですよ、でっかい口を開けてなんでも食いつきます。なんなら川で捕まえた魚の丸焼きでも横からこう、ガブリと……」
「お黙り、ドナ。夕飯抜きにしますよ」
「うわあ、さてはドナの分まで食べようってんですか? 奥様の食いしん坊めー」
「おまえはわたしをなんだと思っているのよ!」
きちんとした奥様の振る舞いをしようと思っていたのに、初日から崩れてしまった。
みんなドナが悪いのよ。
セレアさんが笑いながら部屋を出ていき、ドナとミミルカは荷解きをした。ミミルカも緊張がほぐれたようで、よく笑うようになった。
「奥様、あとから奥様の衣装が届くのですか?」
「いいえ、持ってきたのはこれだけよ。こちらでは社交がないから、華やかなドレスは不要ですもの」
「……一度袖を通したドレスは処分する、なんてことは」
「普通はしないわよ、もったいないもの。もちろん、夜会や舞踏会で着たドレスは、伯爵令嬢の嗜みとして何度も着回せないから、下げ渡して作り直させたわよ」
最新式のドレスをあつらえるのも、着たドレスをリサイクルするのも、貴族として必要なことなのだ。大量購入により経済を回すのである。
着終えたドレスは華美な飾りを外して、下級貴族の令嬢がお出かけ着として喜んで着るし、それが傷んでくると作り直して庶民の洋品店で売られる。外した飾りももちろんリサイクルだ。
「ここで必要なのは、着心地のいい普段のドレスと、近辺に出かける時のちょっとしたドレスくらいでしょう? まさか、食事には正装で席につかなければならない、なんて習慣はないわよね? もしも足りないようなら、セイバート領の町で作るから大丈夫よ」
「そうですか。ええ、お美しい奥様は、どのような服も着こなしてしまわれますよね! この地方のデザインのドレスもぜひ身につけてくださいませ」
「ええ、きっと素敵なドレスでしょうね。楽しみにしているわ」
「はい!」
地元の子爵令嬢ミミルカは、にこにこしながら頷いた。