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第6話 セイバート領

 旅慣れない貴族のお嬢様わたしのために、旅行はゆっくりと進められて、泊まるのも野営は避けて町にある高級路線の宿屋であった。

 馬車は揺れたけれど、お尻の下にはたくさんのクッションを敷いていたので、けっこう大丈夫だった。この世界で生きてきたシャロンのお尻には、すでに耐性があったのも大きい。

 ちなみにわたしは馬にも乗れる。身体が覚えていた。シャロンは意外にできる子だった。


 二台の馬車にはそれぞれの御者が乗り、その他に馬に乗る護衛の騎士が三人(そのうちひとりは女騎士だ)とわたしたちふたりの、合計七人が旅の一団だ。町に着くたびに喜んで市中に繰り出そうとするわたしとドナに、彼らは少しばかり面食らっている様子だった。

 庶民に混じって町歩きを楽しむなど普通のお嬢様はしないことだし、プライドが高いシャロンが素朴なものばかりの市中での買い物や飲食を楽しむなど、今まででは考えられないことだったようだ。


「わたしのわがままで引っ張り回してごめんなさいね、チェリーナ」


 わたしは本日の護衛当番の女騎士に謝った。体格のいいチェリーナは「いえ、わたしもいろいろ見て回るのは楽しいですから。この当番は役得なんですよ」と笑っている。

 彼女も当然、シャロンの人となりについての情報は持っていたので、旅の初めにはかなり警戒して固い態度だったのだが、「ありがとう」や「ごめんなさい」がちゃんと言えるお嬢様だとわかってからは急に軟化した。

 規律を重視する騎士の世界では、挨拶がきちんとできることのポイントが高いようだ。


「まさかシャロンお嬢様が、屋台の料理を食べられるとは思いませんでしたよ」


「あら、おなかは丈夫な方だし、こうして現地の美味しいものを食べるのは旅の醍醐味ではなくて?」


 わたしは上品そうに微笑んでから、手に持った串焼肉に齧り付いた。したたる肉汁がスカートにかからないように、ちゃんと左手で押さえておくのがコツだ。こういうことに関しては、一応は下級貴族の令嬢だけれどほとんど庶民に等しいドナが、豊富な経験と知識を持っている。


「おいっしい! とてもジューシーだし、スパイスが効いているわね。うさぎの肉がこんなに美味しいなんて」


 日本にいた時に、謎の洋食店でうさぎ肉のパエリヤを食べたことがあるけれど、骨っぽくてあまり肉が付いていなかった。この世界のうさぎはムッチムチに肉太っているようだ。

 屋台で肉を焼きまくっているおばちゃんが「綺麗なお姫様にそう言ってもらえて、嬉しいねえ」と笑っている。


「油と果汁を合わせたものでマリネしてから焼くのがコツなんだよ」


「なるほどね。下ごしらえが重要なのね」


「そういうことさ」


 わたしはおばちゃんと世間話をしつつ串焼き肉を楽しみ、護衛のチェリーナには「ほら、お代わりもお食べなさいよ」ともう一本買って渡した。毎日トレーニングを欠かせない騎士には、育ち盛りの子どもと同じくらいにたっぷりの肉を食べさせる必要がある。わたしは太っ腹な雇人やといにんなのだ。




 こうして行く先々でいろいろなものを見聞きし、旅を楽しみながら、半月ほどかけてわたしたちはセイバート領に到着した。寒い冬に明るい気持ちになるようにということなのか、この地方の建物には茶色や臙脂色えんじいろの他にも落ち着いた赤、青、黄色の塗料が使われていて、おとぎ話の世界かおもちゃの国のような楽しさがある。


 町から少し離れた所にあるセイバート辺境伯家の屋敷は、木造と石造を組み合わせた、シンプルで美しいデザインの建物だった。窓が大きく、落ち着いた緑色をした屋根の傾斜が大きいのは、冬に備えてのことで、光を取り込み雪が積もりにくくするためなのかもしれない。

 色合いも、自然に溶け込むアースカラーを上手く組み合わせていて、こちらもおとぎの国のお城のような雰囲気で可愛らしい。


 雪と氷に閉ざされた、重苦しい場所を想像していたわたしは「まあ、なんて素敵なお屋敷なのかしら」と呟いた。


「なんか、楽しそうなお屋敷ですね。住んでる人も楽しいといいんだけどなあ」


 そう言ってから、ドナは馬車の扉を開けてひょいと地面に飛び降りた。このメイドは口も軽いが身も軽いのだ。


「こっちはずっと涼しいですね」


「ええ、肌寒いわ」


 わたしは女騎士のチェリーナにエスコートしてもらって、ゆっくりと馬車から降りた。


 気温が王都よりずっと低い。

 ドナは臆することなく玄関に向かうとドアをノックして、出てきた男性に「シャロンお嬢様のおつきですよ。あっ、もう奥様なのかな? 荷物をどこに置けばいいんですか」と声をかけていた。


「ごきげんよう」


 わたしは背筋をびっと伸ばしたチェリーナに連れられて玄関に向かい、家令らしい壮年の男性に声をかけた。彼はなぜか驚いた顔をしていたが、咳払いをひとつして、騎士に負けないくらい表情をキリッと引き締めた。


「これはシャロン・アゲート様。お待ちしておりました。わたしは家令を務めております、エルトンと申します。ささ、どうぞ中へ」


「出迎えありがとう、エルトン。これからお世話になります、よろしくね」


「……こちらこそ、よろしくお願い申し上げます」


 わたしがお礼を言ったら、エルトンはまた変な顔になった。

 どうせわたしの悪口をたっぷり聞かされていたに違いない。


 輿入れのための荷物は少ないので、騎士たちと御者たちですぐに運び終わってしまった。


「……これで終わりですか?」


 不思議そうな表情のエルトンに、ドナが「そうよ」と答えた。


「お嬢様は、ドレスは最低限のものしか持って来ていないの。王都とは気候が違うし、どうせならこの地方のものを作ろうと思ってるんですってよ」


 エルトンは顔を顰めて「田舎の服が都会育ちのお嬢様のご趣味に合うかどうか……」と呟いた。


「失礼いたします」


 奥から女性が現れて、家政婦長のセレアと名乗った。がっしりした体格の、貫禄のある中年婦人だ。


「こちらの荷物は、奥様のお部屋にお運びいたしますね」


 わたしはまだ正式な奥様ではないけれど、この婚姻は王妃によって決定されたことなのですでに奥様扱いをしているのだろう。


「ええ。荷物を開くのはドナに任せるわ。この子がわたし専属のドナよ」


「セレアさん、こんにちは。わたしはドナって言います。よろしくお願いします! お嬢様のことならなんでも聞いてくださいね!」


「は、はあ」


 セレアは、ドナのまったく洗練されていない挨拶に面食らったようだが、ひとつ咳払いをしてから「こちらこそ、よろしくお願いします」と応えた。

 伯爵家の令嬢付きのメイドだというのに、あまりにも庶民っぽいドナに驚いているのでしょうね。


 ここでわたしは騎士たちと御者たちに別れを告げた。彼らは町に宿を取り、明日には王都へ向けて旅立つのだ。


「皆さん、ありがとう。快適な旅ができたのは皆さんの働きのおかげですわ」


 半月も一緒に旅をしてきたので、ちょっとした親戚同士くらいに仲良くなってしまった。別れることに少し寂しさを感じながら、皆に声をかける。


「あなたたちとの旅を、わたしは一生忘れないわ。本当に楽しかった。素敵な思い出だわ」


「そんな、お嬢様! もったいのうございます!」


「わたしたちも、こんなに楽しい旅になるとは予想しませんでしたよ。お嬢様、どうぞお元気でお過ごしくださいね」


「なにかあったら王都から飛んできますから、わたしたちをご指名ください」


「シャロン様、どうかお幸せに。家令さん、家政婦長さん、どうかお嬢様のことをよろしくお願いします」


「本当に、お願いしますね!」


「こちらのお嬢様は、とても良い方なんです。大切に扱ってくださるよう、お願い申し上げます」


「皆さん、ありがとう……」


 じーんとしてしまい、目頭を押さえた。見ると、御者たちも騎士たちも目を潤ませている。


 エルトンとセレアは戸惑いながら顔を見合わせていたが、「はい、ご不自由はさせません」「ご安心を」と応えた。


「皆さん、安心してください! シャロン様にはこのドナがついてますからね!」


 今日もむふうんと鼻息を荒くするドナを見て、御者たちも騎士たちも「ドナさん……信じていいんだな……」と不安そうだ。そして、エルトンとセレアは改めて自分達が期待されていることを感じたようだ。(ドナが言うほど信用できないと感じたらしい、とも言う)


「奥様、なにかありましたらわたし共に遠慮なくお声がけくださいませ」


「些細なことでも、お気づきのことがあればおっしゃってくださいね」


 家令と家政婦長は、変に盛り上がったこの場を収めるように言った。


「頼りにしていますわ」


 わたしがエルトンとセレアに頷く。


 そして、「ドナは? ねえシャロン様、ドナにも頼って? 頼ってくださいね?」と主人に対する態度とは思えない振る舞いをするドナを「わかったから、大丈夫よ、ドナにも頼るわ」となだめた。

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