第35話 夜会8
「……そう。それならばわたしはこの国の女帝になってやろう」
諦めの悪いアルテラ王妃はそう言って笑った。
「弱小でみすぼらしい国ではあるが、ここを起点にして新たな帝国を築けばいいのよ。国王、おまえは消えなさい」
「アルテラ、気が触れたのか?」
「お黙り! 国王を拘束なさい!」
アルテラ王妃は帝国出身の護衛や側近に命じたが、彼らは現れた王家の騎士たちに次々と捕えられていく。この展開はすべて、国王陛下が予想していたことなのだろう。わたしが知らない間にダリル様やアランゾお兄様、ブレンダンお兄様が手を組み、国王陛下と連絡を取り合って、アルテラ王妃の悪事を暴き失脚させる計画が練られていたのだ。
わたしは蚊帳の外だったけどね。
でも、ジェレミーを育てるという大切なお仕事があったから、仕方がないわ。
これで王妃は手も足も出ない……と言いたいところだけど、わたしはダリル様から、すべてが終わって帰宅するまでは警戒を解かないようにと言われていたので、ジェレミーを抱いてそろそろと下がった。
お家に帰るまでが遠足、ってやつですね。
「シャロン様、こちらへどうぞ」
適度に上質で動きやすいドレスを着て(もちろん、この日のためにわたしが作らせたものだ)ちゃっかり招待客に混ざっていたドナが、わたしたちを誘導してくれた。まさに神出鬼没のメイドである。
「あの女、おとなしくお縄についてくれりゃあいいんですけどね。帝国の皇族については、奇妙で不気味な噂があるし、この状況なのに自信満々でいるっていうのが気になりますよね」
「そういえば、皇家特有の特別な魔法があると言われているわね。未熟なものが使うととても危険だけど、使いこなせば一騎当千どころか万の兵士よりも強力な力を放つとかいう秘密のあれよ。でも、見たことあるって人に会ったことはないし、どこまで真実かわからないわ」
『武力で無理に人民を抑え込み、搾取していると評判の皇帝やその身内のものに、おぞましき秘密がある』というのがもっぱらの噂なのだが、口外しようとした者は密かに消されているらしい。
「皇家になんらかの力があるのは確かでしょうけどね。帝国を長い間治めて、周辺の国に無理難題を吹っかけてきた奴らも、これで終わりみたいでよかったですね……えっ、ちょっ、マジすか!?」
「ドナ、お口が悪くなって……えええええーっ、マジか!」
わたしのお口も最悪に!
でも、仕方がないのだ。
アルテラ王妃のごてごてした趣味の悪いドレスがびりびりに引き裂かれたと思うと、そこに現れたのが巨大な紫色の蛇だったのだから!
「あらまあ、蛇になっちゃいましたよ! これは驚きましたね。見た目を気にするアルテラ王妃の正体がキモい大蛇だなんて、そりゃあ恥ずかしくて秘密にするでしょうねえ」
「変身魔法、なのかしら。確か未熟な者が使うと精神が侵食されて人ではなくなるという、恐ろしい魔法だわ。実際に使っているところを初めて見たけれど、恐ろしい魔法ね」
「もう正常な判断力を失っているんでしょうね」
悲鳴をあげて、人々が逃げまどう。わたしたちは壁に張りつくようにして、人波に流されないようにした。ジェレミーは目をまん丸にして蛇を見ていたけれど「おとしゃまはおつよいからだいじょうぶよ」と怖がる様子を見せない。
うちの子、大物!
「それにしても、ものすごい色をした蛇ですね。蛇になっても底意地が悪そうです」
「しかも、ふっといわね。お茶会の丸テーブルくらいの直径がありそうだわ。皆さん、倒そうとなさっているけれど、大丈夫かしら……あら、効果的な一撃ができないみたいだわ」
騎士団とか護衛の兵士とか近衛とか魔法使いとかが、国王陛下を守りながら攻撃をしているけれど、口を開けたら牛も丸呑みできそうな巨大な蛇に手こずっているようだ。
「魔法の攻撃も弾いているわ。皮の防御力が固いのか、魔法攻撃への抵抗が大きいのかわからないけれど……ふむふむ、斬撃も通りにくいようだわね。……ドナ、あれをちょうだい」
「はい、シャロン様!」
ドナはドレスのスカートをまくると、脚に固定してあった杖をわたしに差し出した。お嫁入りの時にお母様からいただいた、ハナミズキでできた、携帯用の魔法の杖だ。本来は武器が持ち込めないはずなんだけど、これもダリル様の指示で用意したのだ。
わたしの役目は、ジェレミーを守ること。
アルテラ王妃はジェレミーに執着しているので、どんな行動に出るかわからない。
セイバート領に来てから、わたしはこの杖を使って魔法の練習を重ねてきた。辺境の地では身を守る力が必要だと思ったからなのだけれど、どうやら王都は辺境以上に危険な場所だったみたいだ。
わたしは持ち手の所に青い魔石がはめ込まれた杖を持つと、ジェレミーをドナに託した。
「ジェレミー、お母様はお父様とお掃除をしてきますからね。あとで迎えにいくので、ドナと向こうの部屋で待っていてちょうだいね」
「おそうじなの?」
「そうよ。汚れ物をパパッと片付けてしまいますから、いい子にしているのですよ」
「はい、おかしゃま。おきをつけてね」
「シャロン様、ご武運を」
わたしはふたりに頷くと、紫の大蛇が暴れている方に向かった。
「シャロン、なぜ逃げなかった?」
当然のことながら、ダリル様に叱られてしまう。
「ジェレミーは逃したからご心配なく。遠くから見て戦況はつかんでいますわ」
巨大な蛇がのたくったので、建物が半壊状態になっている。
「ここは危険だ、すぐに離れなさい!」
「あれを放っていくわけにはいきませんわ。すっかり爬虫類の目になっているけれど、あれを倒したら殺人になるのかしら」
「いや、国王陛下が討伐命令を出した。もはや人の心は残っていないらしい」
「そうなの……」
陛下のお心は、さぞかし複雑だったでしょうね。問題ばかりを起こしていたけれど、アルテラは奥さんだったんだもの……。
「ダリル様、わたしが蛇の身体を弱らせますわ。今の状態ではダメージが通らずこちらの攻撃を受けつけません」
わたしは『悪の氷結花』と呼ばれているけれど、実は育ったジェレミーのように大魔法を使えるわけではない。魔力もさほど多くないし、事象に大きく干渉することはできない。
けれど、日本で得た知識を使えばわたしなりの攻撃ができる。
セイバート領で暮らすと、獣や魔物と戦う機会があるかもしれないので、王都にいた時からドナに協力してもらってこの攻撃法を身につけた。
「皆様、わたしの詠唱が終わりましたらその大蛇からなるべく離れてくださいませ。巻き込まれると大ダメージを受ける恐れがございますわ」
わたしがそう言うと、『悪の氷結花』の魔法は恐ろしいという評判から想像したのか、「わかりました、離れます!」「巻き込まないように、どうぞご容赦をお願いいたします!」と必死の返事がきた。
わたしは頷くと、魔法の杖の魔石部分を握りながら詠唱を開始した。
『あまねく綺羅星の如く 無数の針と糸』
この世界の攻撃魔法は、火の玉を飛ばしたり、氷の槍を飛ばしたりといった、割とシンプルなものである。
『あなたの心無い言葉が 我が胸を切り裂き』
物理的に威力のある攻撃ができないわたしだが、とても小さな水の分子に働きかけることにより、この世界にはない新たな魔法を編み出した。
『地の彼方へと嘆きを説く』
優しく優しく、空気中の水分を集めて蛇の全身にまとわり付かせる。
わたしは杖の先端を蛇に向けた。
これは、とても地味だけど、とても恐ろしい魔法。
『満ちたりし非情!』
その瞬間、体表で絶対零度となった氷の分子が、大蛇の皮膚をずたずたに切り裂いた。




