第34話 夜会7
「わたしは帝国の子爵家の出身で、不幸な事故で夫を亡くした身でございます。あまり裕福とは言えない実家に身を寄せて、両親や兄弟、甥や姪と共に働き、慎ましく暮らしておりました。そこへ突然アルテラ王妃からの使いがやって来て、拉致されこの国に連れてこられました。王妃は言うことを聞かなければ実家の家族を皆殺しにするとわたしを脅し、セイバート辺境伯家のジェレミー様を、頼る者を作らないようにして従順に育てて、準備が整ったらアルテラ王妃の元へ連れてくるように命じました」
「黙れ! 殺してやるわ! その女も親族もすべて粛清してやる!」
アルテラ王妃は癇癪を起こして足を踏み鳴らし、叫んでいるが、皆は冷ややかな目で見るだけだ。
「人質を取られてしまったら、抵抗することはできません。もしもわたしが逃げ出したら、その時は家族を責め殺すと何度も何度も脅されたのです。わたしは王妃の言うことを聞いたふりをしながら、ジェレミー様をお育て申し上げました。ジェレミー様はとても利発で愛らしく、素直な気質をお持ちの大変素晴らしいお方でございます。王妃の手の者の監視の目を誤魔化しながら、なんとかアルテラ王妃のおぞましき企みからジェレミー様をお守りできないかと考えておりました。そこへ、シャロン様が嫁いでいらしたのです」
わたしはレガータ夫人の告発を聞きながら『ええっ? この人、まさか、いい人だったの?』と驚きを隠せなかった。
だが、冷静に考えれば、ジェレミーをこんなにも素敵な男の子に育てたのだから、その実力はたいしたものである。レガータ夫人は巧妙に王妃の目をかいくぐりながらも子どもを健やかに育てることができる、優れたナニーであったのだ。
「正直申し上げて、シャロン様の評判を耳にしたわたしは絶望いたしました。とてもジェレミー様の義母としてお迎えできるような方ではないと思ったのでございます」
ええ、その通りよ。もしもこの身体に本物の『シャロン・アゲート』の魂が入ったままだったなら、ジェレミーを恐ろしい魔王にしてしまったでしょう。
「けれど、実際にお会いしたシャロン様は、思いがけないことに、小さな子どもの扱いをよくご存じの快活でお優しいお嬢様でいらしたのです。ジェレミー様の輝くお顔を拝見したわたしは、シャロン様にジェレミー様を託してすぐさま退散することを決心いたしました。そして、アルテラ王妃の所に行くと心を入れ替えることをお勧めし……まあ、無理とは思いましたが、一応」
ちょっと投げやりなその言い方に、何人かがぷっと噴き出し、王妃がまた「きいいいいいーっ!」と叫んだ。
「進言を受け入れられないことを確認してから、ジェレミー様から引き離されて乱心したナニーの演技をし、『ジェレミー様をわたしにください』と王妃に縋りつきました。その後は先ほど申し上げた通りです。わたしひとりが死ぬことで、家族には危害が及ばなくなるはずと考えての行動でございましたが、親切なお方が家族を帝国から呼び寄せて匿ってくださいまして、わたしも助けていただけました」
王妃は「許さないわ、わたしに逆らう者は皆、殺してやる! わたしは帝国のアルテラよ!」と足を踏み鳴らす。
「最後になりますが、シャロン様、どうぞジェレミー様をお健やかに幸せにお育てくださいませ。わたしは罪深き女でございますが、ジェレミー様のことを心から愛しております。もう二度とお目にかかることはございません。どうぞ、よろしくお願い申し上げます」
そう言って口を引き結ぶレガータ夫人の瞳から、はらはらと涙が零れ落ちた。
「あっ、れがあたふじんがいるの」
いつの間にか、わたしの手はジェレミーの耳から離れて、頭が自由になった天使ちゃんは映像に向かって「れかあたふじん、ぼくよー、みえる?」と紅葉のような手のひらをぱたぱた振った。
「れがあたふじんのいったとおりに、いいこにしてがんばったら、ほんとうのおかしゃまにおあいできたのよ! ぼくね、とってもすてきなきもちでね、おむねがまいにちぽかぽかしてね、とてもたのしいの。きっとこれがしあわせなぽかぽかなのね。だからね、れがあたふじん、ありがとう。ぼくはれがあたふじんがだいすきよ」
この映像は録画なので、ジェレミーの声はレガータ夫人には届かない。
「れがあたふじんはおけがをなさったの? ぼくのおとうさまが、きっとよいおくすりをもっているの。すぐにいたくなくなるからね。そうしたらね、またいっしょにあそぼうね」
無邪気な子どもの声が会場に響き、ご婦人のすすり泣きがいくつも聞こえた。
「ありがとう。ぼくはまいにち、しあわせです」
ありがとう、レガータ夫人。ジェレミーはわたしが育てます。そしていつか、笑顔のジェレミーに会いに来てくださいね。あなたの罪はすべて、天使に浄化されるでしょう。
顔を醜く歪ませていたアルテラ王妃は、豪華で重いドレスを身につけているのに驚くほどの素早い身のこなしでブレンダンお兄様に飛びかかると、記録石をもぎ取って床に投げつけ、念入りに踏みにじった。
「あ……」
粉々になった記録石を見て、ブレンダンお兄様は「ああ、壊れてしまったな」と呟いた。王妃はにたりと笑うとお兄様方を指差して「今すぐ謀反人を捕えなさい!」と叫んだ。
「陛下、わたしに逆らうということは王家に逆らうということですわ。アゲート家は一族郎党、死刑に処してくださいませ。もちろん、この薄汚い女もですわ!」
王妃がわたしを扇の先で刺して言ったが、アランゾお兄様とブレンダンお兄様は「顔が薄汚いのはアルテラ王妃の方だよな」「うんうん、正視に耐えないほど薄汚くて、臭そうだ」と侮蔑的な言葉を吐いて、鼻に皺を寄せて王妃を見た。
うっわー、お兄様方ったら、どうしちゃったのかしら? まるで『シャロン・アゲート』のように無礼な振る舞いよ……あら、意外と似た者兄妹だったのかしら……。
「許さない! 許さないわ! こいつらを早く捕えなさい!」
だが、キーキー騒ぐ王妃に向かって、国王陛下が言った。
「アルテラよ、おまえの罪についてが先だよ」
「はあ? わたしの罪? 小国の国王風情が戯言をほざいているわね。わたしには罪なんてものはないわ、わたしが正義なのだから。さあ、あの子どもをわたしによこすのよ。おまえ、連れておいで」
アルテラ王妃が帝国から連れてきた側近に命じた。だが、その男が近寄る前に、ジェレミーをわたしに預けたダリル様がアランゾお兄様から流れるような動きで剣を受け取り、かまえた。
「息子に近寄るな」
一応、夜会には武器は持ち込み禁止なんだけど、国王陛下が涼しい顔で様子を見守っている様子から、すでに根回しは済んでいると見たわ。
「たとえ王弟であろうとも、わたしに逆らうことは許さないわ。ほら、陛下、この国がどうなってもいいの? 早くあの子をわたしのところに……」
「おお、アルテラよ。そういえばおまえに伝えなければならないことがあるのだ」
国王陛下が、妙に凄みのある笑みを浮かべて言った。
「帝国で、おまえの実家に踏み躙られていた貴族と庶民の代表が決起してな。実家、なくなったぞ」
「……え?」
「おまえの一族はすべて、首と身体が離れてさらされているらしい。つまり、おまえには帝国という後ろ盾がなくなったということだ」
「嘘……」
「観念しろ、アルテラ。おまえはもう終わりだ」




