第33話 夜会6
国王陛下にエスコートされ、周りに笑顔を振り撒きながら入場してきたアルテラ王妃は、ダリル様の姿を目に留めるとうっとりするような表情になり、ジェレミーを見て何かを企むような満足そうな笑いを漏らし、そしてわたしを見ると、憎悪を具現化したようなおぞましい顔になった。
「なんだ、あの女の表情は。まったく品のない……これが一国の王妃だというのか」
ダリル様が呆れたように呟く。
アルテラ王妃は王家が民を虐げている強権国家から嫁いできた皇女だ。バックに強い力の実家を持つためこの国ではやりたい放題で、おそらく王妃としての政務などまったく行っていない。やっているのは、気に入らない女性を陥れる策略を帝国から連れてきた手下に実行させて高笑いすることと、見目麗しい男性を無理やり集めて逆ハーレムを作ることだけだ。
この下品な女性は、当然ながら我が国の貴婦人たちにはよく思われていない。マキアード侯爵夫人のヘレン様は、社交界のお目付役とも言われる強い権力をお持ちの女傑なのだが、彼女ももちろん、王妃の所業には眉を顰めている。
ちなみに、シャロン・アゲートもヘレン様から眉を顰められていました!
だからたぶん、さっきからマキアード侯爵ご夫妻が近くにいるのは、わたしのことをじっくりと観察して、なんならお小言をくださろうとしたためだと思われます!
ジェレミーのおかげで、なんとか気を逸らすことができてよかったわ。
さて、シャロン・アゲートだったら、ここで負けずにアルテラ王妃を睨みつけて闘志をむき出しにするところなのだが、小林柚月が人格のメインになったわたしは違う。
忍耐強く、礼儀正しく、空気が読める日本育ちのわたしは、『あらまあお元気でいらしたかしら? わたしはご覧の通り、優しくて頼り甲斐のある夫ととびきり愛らしい小さな貴公子である息子と共に、とても幸せに暮らしておりましてよ?』という情報を盛り盛りにした笑顔で王妃に首を傾げて見せた。
王妃は真っ赤になって、余計に恐ろしい顔になった。なんならこれからは赤鬼王妃って呼んで差し上げても良くてよ? おほほほほ。
え? シャロンよりもタチが悪い?
うふふふ、そうかしからねえ、日本女性って怖いのねえ。
国王夫妻はそのまま広間を突っ切るようにして歩き、軽く頭を下げるわたしたちの前を通り過ぎると、一段高くなった所にある専用の立派な椅子にかけた。
この時点で、招かれた客は一斉に正式な礼を取る。女性はカーテシーだ。
しばらくすると、国王陛下が担当者に合図を出したようだ。男性が「いと高き国王陛下ご夫妻の栄光が永く在らんことを。それでは皆様、お直りください」と言ったので、わたしたちは頭を上げた。
「本日は……」
男性が、夜会の始まりの宣言を国王陛下にお願い申し上げるご挨拶、というものを始めたところで、アルテラ王妃が「待ちなさい!」と声をあげた。
「この善き日の夜会の場に、汚らわしい罪人が入り込んでおりますわ! 陛下、どうぞ断罪なさってくださいませ!」
王妃はそう言うと、閉じた扇でわたしを指し示した。
「陛下、シャロン・アゲートはダリル・セイバートを誑かして後妻に収まり、まだ幼い子どもを虐待する悪女でございますわ! とてもこのままにはしておけません故、今すぐ捕縛し牢に繋ぎ、その子どもをわたしたちが保護して育てる手続きをお進めくださいませ」
そう言って、邪悪な王妃はわたしを見て、にやりと笑った。
「あの女……ふざけるな!」
わたしは今にも王妃に襲いかかりそうなダリル様を制して、壇上に向けて言った。
「まことに心外でございますわ。王妃陛下のおっしゃられたことは事実無根、まったくの冤罪でございます」
「はっ、戯けたことを! シャロン・アゲート、証拠も上がっているのよ。観念してその子をこちらに渡しなさい」
「証拠ですって? いったいなにを捏造されたのかしら?」
わたしが煽ると、耐性が低い王妃は「キイーッ!」とヒステリックな金切り声をあげてから、側仕えの者に「アレをお出し! シャロン・アゲートから被害を受けた者の映像をここへ!」と怒鳴り散らかした。
「その女は虐待の実態を隠そうとして、ナニーであるナンシー・レガータを拷問したのです。命からがら王都に逃げてきたレガータ夫人は、残念なことに力尽きて亡くなりましたわ。ああ、なんて恐ろしい所業なのでしょう」
会場にどよめきが走る。
「さあ、記録石に残したこの映像を見るがいいわ。シャロン・アゲート、目障りで生意気な女め、今度こそおしまいよ!」
嫌な予感がしたわたしは、ジェレミーを抱き上げるとダリル様の広い胸に顔を押し付けるように抱かせて、そっとその耳を塞いだ。
記録石と呼ばれる魔導具が、国王陛下の座る後ろの壁に映像を写した。
そこには、暴力に晒されてボロボロになったレガータ夫人が、ぶつぶつとなにかを呟いている姿がある。
『ああ、口惜しい……シャロン・アゲートは恐ろしい鬼のような女……決して許してはなりません……王妃陛下、どうかジェレミーぼっちゃまをお助けくださいませ……』
なんとかそこが聞き取れたのだが。
わたしはダリル様と顔を見合わせた。
レガータ夫人は、あんなに可愛らしい声をしていなかったわ。
「どう? これが証拠よ。この後、レガータ夫人は亡くなったわ、シャロン・アゲートに殺されたのよ!」
「おや、我が妻を殺人者呼ばわりとは穏やかではありませんね」
ダリル様が、はっきりした口調で「国王陛下、うちのジェレミーはシャロンに可愛がられていて、虐待を受けた事実などこれっぽっちもありません。これは茶番です」と訴えた。
するとアルテラ王妃は「お黙り、証拠があるのよ! ダリル・セイバート、坊やがナニー任せで育てられて、ずっと放置されていたこともわかっているの。おまえも父親として失格だわね」と嘲笑った。
しまった、それは事実なのだ。
ダリル様は口をつぐんでしまう。
彼が幼いジェレミーにどう接していいのかわからなかったのと、ナニーに意図的に隔離されていたのが原因なのだけれど、それは言い訳に過ぎないのだ。
「さあ、あの女を捕縛なさい!」
アルテラ王妃の子飼いの騎士たちがわたしに近寄ろうとした時、「お待ちください!」と声がかかった。
見ると、アランゾお兄様とブレンダンお兄様が、国王夫妻のいる壇の前に素早く進み出ていた。
「畏れながら、我らの妹シャロン・セイバートに対する告発は冤罪でございます」
「お黙り!」
王妃がまた、キンキンする声で叫んだ。
「妹を庇おうとするならば、おまえたちも同罪よ! 共に牢に繋がれるがいいわ!」
あー、見た目のいいお兄様たちだけど、王妃のハーレムに入るのを頑なに断ってきたものだから、お怒りを買っているのね、ふふふ。
けれど、肝の据わったアゲート兄弟は、上品な笑みを浮かべて言った。
「こちらにも、冤罪を証明するものがございます。国王陛下、この場で披露してもよろしいでしょうか?」
「許す」
「陛下!」
王妃が咎めるように叫んだが、今日の陛下はいつになく強気のご様子だ。
「証拠を示すことを許す」
「ありがとうございます。こちらになります」
ブレンダンお兄様が、新たな記録石を取り出した。
壁に映像が映し出される。そこには、顔に大きなあざができた女性がいて、椅子に座ったままでこちらに向かって語りかけてきた。
「わたしはナンシー・レガータ。セイバート領でジェレミー・セイバート様をお育て申し上げてきた女です。そして、王都に戻ってアルテラ王妃陛下に抗議をいたしましたところ、殺されかけて獣の棲む危険な森に放置されました。危うく命を落とすところを助けていただき、身体が不自由な身になりましたが存えることができました」
『本物のレガータ夫人の声』が流れた。
「わたしはここに、アルテラ王妃陛下の恐ろしい企てを告発いたします!」
会場に「やめなさい! 今すぐその女の映像を止めなさい!」という王妃の悲鳴のような言葉と、キイイイイイーッ! という耳障りな金切り声が響き渡った。




