第31話 夜会4
「そろそろ入場のご準備をお願いいたします」
アランゾお兄様とブレンダンお兄様の復活を待っていたら、夜会の担当者が部屋まで呼びに来たので、わたしたちは会場の入り口へと移動した。
混乱を防ぐために、基本的に入場は身分の低い者から行う。ダリル様は王弟で辺境伯なので、ご兄弟の最初に順番が来るはずなのだが、お兄様方の「幼児がいるのだから、なるべく疲れないように後から入りなさい」という心配りで、国王陛下の前に入ることになった。
このことからも、ダリル様は国王陛下を始めとするお兄様方からずいぶん可愛がられているように思える。距離を感じるようになってしまったのは、アルテラ王妃が余計なことをするからに違いない。
わたしは左手をジェレミーに、右手をダリル様に預けてエスコートされた。呼び出し係が個人名ではなく「ダリル・セイバート辺境伯御一家」と高らかに呼んだのも、わたしたちの仲良しアピールのためにあらかじめ手配したことだ。
「さあ、行こう」
「はい」
扉が開き、わたしたちは華やかな夜会の会場へと足を踏み入れた。
国王陛下の誕生日を祝うために、国中から貴族家の代表者が集まっているので、盛大な夜会だ。居並ぶ貴族たちの好奇の視線が突き刺さってくる。
めったに領地から出てこないダリル・セイバートと、その妻になった『悪の氷結花』シャロン・セイバートが現れたのだ。しかも、王妃の企みで、わたしには『子どもを虐待し、ナニーを責め殺した女』という悪い噂まで流れている。皆、わたしたちの真の姿を見極めようと、本気の品定めにかかっている。
わたしは左手に小さな震えを感じた。見下ろすと、ジェレミーは緊張しながらもしっかりと前を見据えて歩いている。小さくともさすがは辺境伯家の長男であると、わたしは感心した。
田舎の屋敷で半ば引き篭もるように暮らしていたジェレミーにとって、今回が初めての王都訪問であり、国一番の社交の場への参加だ。知らない大人の注目は、まだ幼いジェレミーにとっては恐ろしさを感じるものだろう。
それなのに、必死の形相でわたしをエスコートしている。ほんの少しわたしよりも前に出ているのを見て、内心で舌を巻く。
こんなに小さいのに、この天使は、わたしを守ろうとしているのだ!
「ありがとう、ジェレミー」
わたしは頭を振り上げて、会場全体を見渡して笑顔を作った。ダリル様はセイバート辺境伯となってからは公の場には参加していない。おそらく彼は、目立つことが苦手なのだろう。
だから、この場はわたしがこの圧を受け止める。
皆の者、わたしを見なさい。
社交界を騒がせた『悪の氷結花』シャロン・アゲートが、シャロン・セイバートとなって戻って来たわ。
この母が防波堤となり、襲いかかる視線の奔流からジェレミーを守ってみせましょう。
「シャロン……」
「大丈夫ですわ、ダリル様」
驚いたような表情でわたしを見るダリル様と、視線を合わせて頷いた。
すると彼はわたしの手を持ち上げて、そっと口づけ「あなたはなんて勇敢な人なのだ」と甘く微笑んだ。
会場からざわめきが聞こえる。
どうやら彼はこの戦場で、共に戦ってくださるようだ。
「おかしゃま、おかしゃま」
ジェレミーが小さな声でわたしを呼び、手を引っ張った。
「ぼくもね、おかしゃまのきしなのです」
そう言うと、ジェレミーもわたしの手に甲に唇を当てて、騎士が姫君に贈るような素敵なキスをくれた。
そして、「だいすきだから、おまもりするのよ」と、全世界を虜にするような素晴らしさで笑った!
きゃわいいいいいーっ!
ちっちゃな騎士たん、きゃわいいいいいーっ!
もう夜会なんてどうなってもいいわ、ジェレミーの可愛さの前では全てのものはお空の彼方に吹っ飛んでよし!
だって、たいしたことないもん!
世界の中心はジェレミーで、他のことなんてどうだっていいもん!
お母様の顔面は今、炙ったチーズよりも柔らかくとろけてしまっていると思うけど、仕方ないよね!
「ああジェレミー、とても心強いわ」
うちの天使ちゃんは「うふふ」と笑ってから「おかしゃまがすごくきれいだから、みんなおかしゃまからめがはなせないのよ。ちょっとこわいかもしれないけど、ぼくがおかしゃまのことをおまもりするから、だいじょうぶよ」と、キリッとした顔を懸命に作りながら言った。
うわあああああん、胸のキュンキュンが止まらないんですけど!
なんて可愛くてかっこよくて可愛くてかっこよくて可愛くてかっこよくて(もうエンドレス)……。
「息子よ、それは父の役割だぞ?」
ダリル様はジェレミーを片手で抱っこすると、わたしの手を引いた。
「我が愛しき人よ、わたしはあなたの剣であり、盾である。その笑顔を曇らせるものはすべてわたしが排除しよう。だから、いつまでも可憐な花のように微笑んでいてくれ」
「ダリル様……」
うわああああーっ、かっこいい!
なにこの人、いや、わたしの夫なんだけど、なに、なんなの?
「んもう、おとしゃまったら、おかしゃまのことがだいすきなんだから」
騎士役を奪われたジェレミーが、ほっぺたをぷくっと膨らませながら「しかたのないおとしゃまね」とため息混じりに言った。
「そう、仕方がないのだ。お父様はお母様のことを心よりお慕いしているからな」
「なっ、ダリル様ったら、こんなところで……」
真っ赤になったわたしは「早く進みましょう」とダリル様を急かす。
「わたしはどのような場所でも、シャロンを愛していると誓えるが?」
いたずらっぽい笑顔のダリル様の耳元に「あなたって悪い人ね。ジェレミーが真似したらどうするのよ」と囁いて抗議した。
さてさて。
これは夜会の会場に入場しながらのことなのです。
皆さんの視線が集まっているというのに、緊張し過ぎた反動なのか、やっちゃいました。
日常的にこのようなイチャイチャをするセイバート一家なのですが、ついつい場をわきまえず、遠慮なくやっちゃいました。
でもね、ジェレミーは可愛いし、ダリル様はかっこいいから、仕方がないわよね!
かなりの人数の人たちが、胸をかきむしるようにして「可愛い! あの子が辺境伯家のおぼっちゃま? 空から降りて来た天使の間違いではないのか?」「おお、大きいダリル様とちっちゃいダリル様だ、セットになると破壊力が半端ない!」「なんて愛らしいお子様なの! 抱っこしたい、わたしもこの胸に抱っこしたいわ」と悶えている。
高貴な淑女たちも「きゃあああああっ、尊い! 尊い存在を目にしてしまいましたわ!」「嘘でしょう、辺境伯って、あの方が? 野生のクマ並みに荒っぽくて粗野な男性という噂は、なんだったの?」「全然違いますわよね、ワイルドで美しい殿方ではありませんか」と顔を赤らめながら興奮している。
おまけに「あれが『悪の氷結花』……以前とは別人だぞ」「まるで女神のように慈愛に満ちた美しい姿だ」「あんなに子どもに懐かれている。どこが悪女なんだ?」という声も聞こえる。
この国の貴族たちが、王妃の心無い作り話よりも、自分の目で見たことで真実を判断してくれそうで、わたしはほっと胸を撫で下ろした。




