第3話 困ったお嬢様の婚約破棄
「……嘘でしょうっ、どうしてくれよう、シャロン・アゲートが、けっこうとんでもない女子だった件!」
意識を取り戻してベッドに起き上がったわたしは、思わず叫んでしまう。
ジャクリーヌさんからの情報と、わたしの中に残っていたシャロンの記憶によると。
シャロン・アゲート十八歳は、大変な美貌の持ち主であることを鼻にかけたわがままなお嬢様で、アゲート伯爵家の長女だ。
フランツ・グレーダンという伯爵の三男坊と婚約しているが、グレーダン家は事業に失敗して借金を負った。事業が好調で大金持ちの伯爵家であるアゲート家がそれを肩代わりする代わりに、シャロンの下僕になってもらおう、みたいな流れで婚約したらしい。彼女はフランツの顔の良さが気に入って、アクセサリー代わりに欲しいからと父親にねだって、強引に婚約を取り付けてもらったのだ。
伴侶を顔の良さで選び、金で買い、それを本人にも言っていたので、おそらくプライドを踏みにじられたフランツはシャロンを憎んでいるだろう。
このあたりのエピソードからも、シャロンの性格の悪さが滲み出ている。
お金持ちで、身分が高く、とても綺麗なシャロンだが、性格に難がありすぎたせいで縁談に恵まれなかったのだという。
シャロンは魔力が高くて、氷魔法を使うのだが、主に気に入らない相手を酷い目に遭わせるためと、使用人を折檻するために利用していたので、ついた仇名が『悪の氷結花』。
彼女の周りから人々は逃げ出し、使用人も、心臓に毛が生えたようなおさげ髪のドナ以外は近寄らなくなっていた。
「なるほどね、あんなに失礼な子がどうしてお嬢様付きになったのかと思ったけど、まともな人たちには匙を投げられていたわけか……」
綺麗なお姫様になりたいというわたしの夢は叶ったのだが、この美しい身体の持ち主は心の中までは綺麗ではなかったらしいので、今後が思いやられる。
スタートから困難だらけのシャロン・アゲートの人生を、わたしはさっそく投げ出したくなった。
けど、投げ出さない。
なぜならば、ここから先の人生にジェレミーという三歳の男の子が待っているのだから。
わたしが読んだ小説は、ジャクリーヌが目にしたもののダイジェスト版だったようで、主人公たちの恋愛ストーリーばかり詳しく書かれていたのだけれど、ジェレミーの生い立ちについてはさらっとだけ説明があった。
彼が悪の道へと足を踏み外したのは、親の愛情が不足した上に、性格のねじ曲がったシャロンが自分の道具にしようと、虐待に近い育て方をしたからなのだ。
そんな子どもを、放っていくわけにはいかない。
わたしは保育士なのだ。
保育とは、子どもが心身ともに健全に発達するように育て、教育することである。わたしは保育士として、この世のすべての子どもが、健康で安全で幸せな人生を送れるように、手助けしなければならない。
難しい言い方だけど、とにかく、子どもには愛情たっぷりの大人の手が必要なのだ。
「お嬢様は、本日の頭のお腐り具合はいかがですか?」
「お黙り、ドナ。わたしの頭はいたって正常よ」
腐っていたのはシャロンの思考回路の方なのである。
使用人に対して主人としてのまともな振る舞いを心がけると、頭がおかしくなったと思われる悲しさよ。
フランツ・グレーダンと婚約しているわたしが、どのようにしてジェレミーの義母になるのだろうかと思いつつ、わたしはアゲート家でシャロンの汚名を少しでも返上しようと努力して日々を過ごしていた。
ドナはあいかわらず失礼なメイドだけども、遠慮のない口をきいてくれるので、この世界での情報が欲しいわたしは重宝していた。この調子でいろいろな場所に顔を出しては、相手を選ばずにお喋りをしてくるドナは、このまま間者にしちゃっていいんじゃないかと思えるほど優秀な諜報員だ。
そんなある日、わたしは王妃陛下から王宮に呼び出された。
「あの女、今度はどんな言いがかりをつけるつもりなのかしら?」
「シャロンお嬢様、顔が邪悪でございますよー」
あら、いけない、ちょっとシャロンの記憶に引きずられてしまったみたいだわ。
でも、ドナったら、主人に向かって邪悪だなんて酷くない?
「まあでも、仕方がないですよね。あの王妃にはほんと、むかつきますし」
そう、このアルテラ王妃というのがまたシャロン並み……いや、シャロン以上に性格が悪い女なのだ。このふたりはまさに犬猿の仲で、夜会だのお茶会だのといった社交の場でドロドロした女の戦いを起こして周りに迷惑をかけている。
ちなみに、若い男が好きなアルテラ王妃もフランツの顔の良さに目をつけたようだ。だが、国王陛下という立派な夫がいて愛人を作るわけにはいかないので、わたしたちの婚約を指をくわえて眺めていたらしい。
そして、シャロンは『ねえ、欲しかったおもちゃを取られて、どんな気持ちかしら?』と王妃を見て高笑いしていたのよね。
わたしは王妃に対抗するためゴージャスにドレスアップすると、王宮にアゲート家の馬車を乗りつけた。
今回は、お父様も一緒に呼ばれている。
わたしはお父様にエスコートされながら、王妃の応接室へと案内された。
「失礼いたします。高貴なるアルテラ王妃陛下におきましては、永遠なる栄光とお心安らかなる……」
マナーに則った挨拶をしていたら、紫色の髪を高く結い上げた王妃に「嫌だわ、おなかでも壊していらっしゃるのかしら? それともわたしに呪いでももたらそうとしているわけ? 気持ちが悪いからお黙りなさい」と遮られてしまった。
シャロンの日頃の言動がどれほどのものか、察しがついた。
「さて、本日はわたしの親しいお友達から、あなたにお話があるそうですのよ」
アルテラは扇で口元を隠しているけれど、その裏に邪悪な笑顔を隠しているのがわかるわ。
「お入り」
「失礼します」
部屋に入って来たのは、輝く金の髪に濃いブルーの美しい瞳を持つ美男子、フランツ・グレーダンだった。
フランツが、なぜここに? いつの間にか王妃と手を組んでいたの?
「シャロン、単刀直入に言わせてもらうよ。君との婚約は破棄させてもらう」
「婚約破棄、ですって?」
「お美しくお優しい、才気溢れる王妃殿下と共同で事業を行うことになってね、我がグレーダン伯爵家の財政が持ち直したんだ。もうアゲート伯爵家の援助は必要なくなったのさ」
フランツは目を細めて、唇を三日月型に持ち上げた。
「今まで世話になったね、シャロン。そういうことですので、アゲート伯爵、そちらとのご縁はここまでです」
なにか言おうとしたお父様を、王妃の笑いが遮った。
「あらまあ、どちらの殿方からもそっぽを向かれるシャロン嬢は、これでもう、一生独身というわけかしら? 女性として生まれてきたけれど、誰にも相手にされずに人生を終えるなんて、哀れですわねぇ」
おーほほほほほ、と淑女らしからぬ大笑いをしている。
その目はわたしが傷ついた姿を楽しもうと、こちらに据えられていたけれど、残念ながらそうはいかないのだ。
わたしは上品に笑みを浮かべて、フランツに言った。
「ええ、わかりましたわ。グレーダン家が持ち直してようございましたわね。では、正式な書類を作って、さっそく婚約を破棄してしまいましょう」
こんな碌でもなさそうな男性とは、早めに縁を切っておく方がいい。
わたしが動じないので、王妃は不満そうに鼻を鳴らした。
「おまえは強がっているのね。フランツを逃したらシャロン嬢にはもう、結婚相手がいないだろうに」
王妃は蛇のようないやらしい目つきでわたしを見た。
「でも、大丈夫よ! 哀れな行き遅れ令嬢のために、わたしが良い縁談を用意しておきましたから。おまえは目障りだから、王都から消えなさい。ふふふ、ダリル・セイバート辺境伯がおまえの新しい婚約者よ! セイバート領は、王都から離れて遥か彼方にある、野山に囲まれた田舎なの。おまえは野蛮人が暮らす辺境の地に行き、血生臭いやもめの妻として土に埋もれてしまうがいいわ!」