第23話 ダリル・セイバートの受難
国王の末の弟であるダリル・セイバート辺境伯は、とにかく見た目が良い。
背が高く、引き締まった身体つきをしているし、黒く艶やかな髪に青く澄んだ素敵な瞳をしている。もちろん、女性にウケそうな整った甘いマスクの持ち主だ。
わたしの元婚約者のフランツ・グレーダンも綺麗な顔立ちをしていたけれど、線が細くて中性的な雰囲気だった。それに対して、ダリル様は日常的に魔獣との戦闘をこなすだけあって、たくましくて頼り甲斐のありそうな美男子である。
そんな彼は王弟といっても国王や他の兄たちとは母親が違うし歳も離れているため、幼い頃に母親が早逝するとなんとなく王族と疎遠になった。彼は早々に王都を離れて、危険な魔獣が住む辺境のセイバートの領地に赴きそこを治めることにした。
「元々わたしは、剣技に自信があり騎士団に入ろうかと考えていたのだが、四番目の兄が辺境伯として生きるのも良いと勧めてくれたのだ。というのは、元々はその兄がセイバート辺境伯になる予定だったのだが、とある他国の貴族の令嬢と縁ができて……まあ、要するに、恋に落ちた彼女と結婚して、他国へ移ってしまったというわけだ」
「情熱的なお兄様ですわね!」
「それで、代わりにわたしが領主不在のセイバート領を引き受けることになった。だが、なぜか国王陛下は良い顔をしなかった。わたしのことを、あまりよく思っていないからかもしれない……」
ダリル様は少し寂しげな表情で「陛下にしたら、自分の母が亡くなってからやって来た後妻の子どもだからな。疎ましくても仕方がない」と呟いた。
「わたしが十五の時に、国王陛下はすでに他国からアルテラ王妃を娶っていた。政略結婚というわけだな。そして、わたしがセイバート辺境伯に任命された時は、二十二歳だったのだが、その時にすでに王妃からの干渉が酷くて困っていた。あの女は頭がおかしいのだろう、わたしに愛人になれと要求してきたのだ」
「ええっ!?」
わたしは驚愕した。
自分は国王の妻であるというのに、その弟に手を出そうとしていたというのだ。この国の貴族たちの恋愛事情は、かなり自由なものだが、それでも非常識極まりない。まさに『頭がおかしい』としか言いようがない。
自称『美しき恋に生きる女』らしいが、王妃の座を利用してやりたい放題の愚か者、それがわたしのアルテラ王妃への評価だ。
まあ、シャロン・アゲートも似たようなことをやって彼女と張り合っていたわけだが、まだ未婚だったし、既婚男性との不倫には手を出さなかったから良しとしよう。
「それは断ったんですね?」
ダリル様は嫌そうに顔を顰めた。
「もちろん、きっぱりと断った。いくら王妃の命令でも人の道に外れるようなことはできないし、なによりあの女は気持ちが悪い。だが、義姉上の干渉はセイバート領に移ってからも執拗に続いて、わたしの最初の結婚の時も反対された。もちろん無視したが」
「……あんな人が我が国の王妃だなんて、虫唾が走りますわ。でも他所の国との政略結婚だから、陛下も簡単に離縁することができないのでしょうね」
「そうだろうな。ちなみに王妃に言い寄られた件は陛下には知らせていない」
知られたくないのでしょうね。おそらくダリル様は、国王陛下に良く思われていないことで辛い気持ちになっているのだろう。自分の妻が末弟に懸想したなんて知ったら、ますます陛下に疎まれてしまう。
「王妃がレガータ夫人を通してなにをしようとしたのかわからないが、証拠もないのに告発するわけにもいかない。今は我々の守りを強固にするしかない」
「そうですわね。ダリル様、早く結婚してしまいましょうよ」
「は?」
「正式に結婚の届を出してしまえば、この先いちゃもんをつけられても対応しやすくなります。なんなら、今からでも書いてしまいましょう」
結婚誓約書を用意してありますか? と尋ねると、ダリル様は少し狼狽えながら「それはもちろん用意してあるが、本当にいいのか?」と尋ねた。
「いいも悪いも、わたしはダリル様と結婚してジェレミーの母親になるためにセイバート領に来たのです」
「だがそれは、わたしの妻になるということなのだぞ?」
「大丈夫です」
わたしはダリル様の青い目を覗き込むようにして言った。
「あなたはわたしの意思を無視して、不埒な行いなどしない方だと信じておりますし、ジェレミーの幸せを一番に考えていらっしゃるのもわかるわ」
「……だから、わたしと結婚したいと?」
「はい。客観的に考えても、ダリル様は地位も身分も財産もおありのかっこいい男性ですしね。おまけに誠実なお人柄です。わたしのような至らぬ女にはもったいない相手だと思われてしまいそうです」
「なにを言っているのだ? シャロンのような、この世の奇跡を具現したような美しさと、深い愛情と、賢神アレストルの使徒のような賢さを合わせ持つ女性がわたしにふさわしいなどと、そう考える方が烏滸がましいのではないか?」
「冗談ではなくそう思ってらっしゃるのかしら? わたしは泣く子も黙る恐ろしい氷の魔女、『悪の氷結花』と呼ばれる女ですわよ?」
「それを言うなら、わたしは『田舎領地の暴れグマ』などと呼ばれているらしいが?」
「悪意に満ちた酷い噂だわ」
「だな。わたしはクマよりも強い男だぞ」
わたしたちはしばし顔を見合わせてから、大笑いしてしまった。
ダリル様が机の中から結婚誓約書を出したので、わたしたちはそこに署名をした。明日の朝一番で早馬を出し、王都の戸籍管理部門に送り届けるのだ。
「本来ならば、結婚式を行なって祝いの宴を執り行うのだが……すまないな」
結婚の署名は式の途中で行うのが一般的なのだ。
「わたしは気にしていないわ。でも、できれば結婚式ができるといいわね。ジェレミーの良い思い出になるし、お祝い事で領地の経済が活性化するでしょうしね」
ふふふ、ジェレミーをここぞとばかりに可愛く着飾らせて、みんなに見せびらかしたいというのが本心ですけどね。
「そうだな。冬が過ぎたら式と披露を行おう。シャロンを美しく着飾らせて、わたしの妻になったと皆に見せびらかしたい気持ちがあるしな」
「え? わたし?」
「夫が花嫁以外に誰を見せびらかすのだ?」
「天使なジェレミーよ」
「ああ……」
ダリル様は手のひらで顔を覆うと「シャロンはとても賢いのに、たまに残念になるな」とため息をついた。
そして、わたしの手を取ると「こんなにも美しい妻を目の前にして、いつまでも手を出せない男のことを憐れんでくれたまえ」と言って、唇を長く押し当てたのであった。




