第2話 お嬢様とメイド(←このおさげっ子、乱暴すぎる)
「おまえ……ではなくて、あなた。この枕をきちんとしてちょうだい。わたしはもう少し休むわ」
気を緩めると高飛車な言い方になりそうなのは、この身体に染みついた癖のようなものだろうか?
さっきだって、枕でとはいえ他人を殴るだなんて。わたしはそんなことをしたことがないのに、自然と行動してしまった。
枕をひったくるようにして受け取り、おさげ娘はぽんぽん叩いて膨らませてベッドにセットする。
「なんだかいつもより穏やかで気味が悪いんですけど、頭の方は大丈夫ですか?」
この子、さりげなく失礼というか、あまりものを考えずに口に出すタイプらしい。
「大丈夫よ。ほら、さっさとおし」
「はい、お嬢様!」
無駄に元気な感じのおさげ娘は「さあお嬢様、思う存分怠惰な眠りを貪ってください!」とわたしをベッドに押し倒した。
身体がバウンドする。荒っぽい召使だ。メイドというのだろうか?
紺のワンピースドレスに白いエプロンをつけて、頭には白いカチューシャのようなものをつけている。これはホワイトブリムという名前だっけ?
わたしは今、シャロンというお嬢様で、メイドが仕えているそこそこ高そうな身分らしい。
なぜこんなことになったのかは、まったくわからないままだ。
「ひとりになりたいから、もう出ておゆき」
「はい、お嬢様! たとえお嬢様の頭がお腐りになっても、このドナがばっちりお世話いたしますからね、ご安心ください!」
「お腐りにって、あなたね……」
「むしろ腐っていた方が世話するのが楽そうだし、遠慮なくどうぞ! おやすみなさいませお嬢様!」
笑顔で元気よく、とても失礼なことを言う彼女は部屋から出て行った。なかなかメンタルが強そうな娘である。
わたしは考えをまとめようと目をつぶったのだが、そのまま眠りに落ちていった。
そして今、わたしは変な夢の中にいる。
ええと、夢よね?
真っ白でなにもない空間に、わたしが寝ているベッドだけが浮かんでいる。
夢って、こんなにリアルだっけ?
五感が普通にあるんだけど。
「今度はどこに来ちゃったのよぅ……」
ベッドに身体を起こして頭を抱えそうになっていると、いきなりなにかがぶつかり、またしてもベッドに押し倒された。
「お願いします、可愛いジェレミーを不幸にしないでくださいませ!」
茶色の長い髪をくるんとカールさせた、まだ二十歳そこそこくらいの綺麗な女性が馬乗りになって、わたしの手をがっちりと握りしめながら涙ぐんでいる。
もちろん初対面の相手だ。
この状況について、なにか情報を持っているかもしれない。そう思って半泣きの女性に尋問を開始する。
「あなたは誰ですか? ジェレミーって誰? なにがどうなっているのか、ご存知でしたら教えてください」
「ジェレミーはとっても可愛いわたしの子どもなのです、あどけない男の子なんです、不幸になってはいけない子なんです」
「不幸になっていい子なんて、ひとりもいませんからね! あと、重いんで、わたしの上からどいてください」
「あ……はい」
「で、状況説明!」
彼女は涙を拭い、ベッドに腰かけて、わたしの身に起きたことを説明した。
わたしこと、小林柚月、二十三歳独身女性は、強風で外れて落ちて来た看板が直撃して死んでしまったらしい。
あー、やっぱり死んじゃったんだ。
せっかく保育士免許を取ったのに、なれないまま死んじゃったのか。まあ、学童も楽しかったけどね、保育園で可愛い園児さんたちとわちゃわちゃしたかったよぅ。
それにしても、短い人生であった……。
でもって、この女性は、現在三歳になるジェレミーという男の子のお母さんで、一年前に亡くなっている。名前はジャクリーヌさん。つまり、今は幽霊みたいなものらしい。実体はあるけれどね。
この人もお姫様っぽいドレスを着ていて、貴族の奥様だったという。
ちなみにわたしよりも歳下の、二十一歳でお亡くなりになったそうです。
ジャクリーヌさんは亡くなってからも息子のことが心配で、なんとか生き返ることができないかといろいろな場所をうろうろしていたら、この世の全てのことが記録されている図書館のような所で、息子の人生が書かれている本を見つけた。
それを読んでみたところ、将来、可愛い息子が継母にあることないこと吹き込まれて歪んで育ち、最後には世の中を恨んだ挙げ句、膨大な魔力を使ってすべてを破壊しようとする魔王と呼ばれる青年になるのだという、とんでもない未来が書かれていた。
「血も涙もない女、『悪の氷結花』と呼ばれるシャロンが、わたしの可愛いジェレミーを不幸のどん底に陥れてしまうのです。そして、ジェレミーは、そのお話の主人公たちに断罪され、倒されて、無惨に人生を終えてしまうのですわ! ああ、なんということでしょう!」
ジャクリーヌさんはそう叫ぶと、しばらくえぐえぐと泣き続けた。
わたしはベッドに寝転がったまま、泣き止むのを待つ。
しばらくすると、ジャクリーヌさんは泣き止んでこちらを見た。
「ジェレミー、かわいそうでしょう?」
「そうですね」
わたしだって、小さな男の子に酷い目にあって欲しくない。
「それでわたしはシャロン様に、ジェレミーを害さないように直談判をしようと、このお屋敷にやって来たのですわ。でも、勢い余ってシャロンさんにぶつかって、その拍子に池に落としてしまいまして……さらにですね、その衝撃で運悪くシャロンさんの魂が身体からはみ出てしまったわけなのです」
「……はい? 魂がはみ出た?」
「母の愛が強すぎたのでしょうか」
しおらしく俯いているけれど、あなた、それって、さつじん……ううん、考えないわ。
「シャロン様の魂は『ここの暮らしにはうんざりしていたの。わたしはもっといい男がいる世界に行くわ』とおっしゃって、嬉しそうに飛んで行かれましたの。それで、息子の義母になる予定の身体が空っぽになってしまい、どうしようかと思っていましたら、たまたま通りかかった小林柚月様の魂がシャロン様の身体に入ったのですわ」
「……ええええーっ!?」
「小林柚月様、もしかしてあなたもジェレミーのお話をご存知ではございませんか? 『フルール・ド・グラス〜失われた王国〜』というタイトルのお話なのですが」
「フルール・ド・グラス……どこかで聞いたことがあるなあ……フルグラ? あーっ、フルグラ! 知っているわ、ネットで読んだもの。ミリアムっていう平民の女の子が王立学園にやって来て、イケメンたちにモテモテになって、ええっ、あれに出てくる悪役のジェレミーのこと?」
わたしはイラストに描かれていたジェレミーを思い出した。だが、彼は確か、十七歳のクールな美青年だったはず。
わたしはベッドから起き上がって、ジャクリーヌさんの肩をつかんだ。
「あの話には、義母のことなんてほんの数行しか書いてなかったんだけど? 本の中ではもう十七歳になっていたし。あの子の義理の母がこの身体の持ち主なの?」
「ああっ、優しくて可愛いジェレミーが悪役になってしまうなんて!」
わたしの話を聞いちゃいないジャクリーヌさんがまたさめざめと泣き出したので、再びベッドに横になり、彼女が落ち着くのをのんびりと待った。
「つまり、わたしはこれからシャロン・アゲートという女性になって、ジェレミーの心が歪まないように育てなければならない、というわけね」
「はい。あの、柚月様はフルール・ド・グラスの内容の一部しかご存知ないようですので、シャロン・アゲートについての情報をお渡しいたしますね。どうか、ジェレミーを可愛がってくださいませ」
ジャクリーヌさんはそう言って、わたしの額に自分の額をつけた。
すると、シャロンの今までの人生とその人となりについて、膨大な記憶が流れ込んできた。わたしと違って、ジャクリーヌさんは完全版の本を読んだらしい。
「どうか、どうかよろしく……」
ジャクリーヌさんの声が遠くなる。
わたしはベッドに倒れ、シャロン・アゲートのとんでもない過去に驚愕しながら意識を失った。