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第18話 朝から天使

 その晩、なんだか目が冴えてしまって眠れないので、ドナに頼んでブランデーを少し落としたホットミルクを持ってきてもらった。


「ささ、サービスしておきましたので」と言われて飲んだミルクは蜂蜜が入っていて甘く、ほんのりと酔いが回って眠りにつくことができた。


 そして、翌朝。

 今朝からなるべく家族三人で食事を取ることになっているので、身支度を整えていると、メイドに手を繋がれたジェレミーが「おかしゃま、おはようございます」とやって来た。


「あのね、ぼくはうれしいきもちなので、はやくめがさめてしまったの」


 とことこと駆け寄って来た天使な幼児は、わたしのスカートにしがみつきながら言った。


「でもね、もしかすると、おかしゃまがきたゆめをみていたのかなって、こわくなったの」


「大丈夫よ、ジェレミー。お母様は夢ではないわ。これから毎日、ジェレミーと一緒に暮らすのよ」


 優しく言って頭を撫でると、ジェレミーは目を細めて「よかった。ぼくのまえからきえないでね、おかしゃま」と甘えた声を出した。


「どこかにいくなら、ぼくもつれていってね。もうひとりになるのはいやなの」


「ジェレミー……」


 彼はドレスの生地を小さな手でぎゅっと握りながら「おかしゃまにもうあえなくなるのは、とてもこわいのよ」と震える声で訴えた。


 この子は、ジャクリーヌさんを亡くした悲しみを覚えていたのだ。まだ小さいけれど、ジェレミーはとても賢い子である。二歳の頃の記憶を持っているのだろう。


 ある日突然、母親がこの世から消えてしまい、どんなに不安で悲しかったことだろう。ジェレミーの小さな胸を襲った別離の辛さを思うと、わたしの胸も痛くなる。


 わたしはジェレミーを抱き上げて、ぎゅっと抱きしめた。


「約束するわ、ジェレミー。お母様はあなたを置いてどこかに消えたりなどしません。万一、この場所を出ていくようなことがあっても、あなたを抱っこして連れて行くわ。世界の果てまでも一緒に連れて行くことを誓います。だから、ジェレミー、お母様から離れないでね?」


「はい、おかしゃま! そのときは、ぼくがおかしゃまをまもるから! ぼくがおかしゃまをたしゅけて、しあわせにするのよ!」


 なんていい子なの!

 昨日、初めて会ったというのに、こんなにも新しい母に懐くなんて。今まで心が親の愛を求めて乾ききっていたに違いない。わたしの読んだ物語の中で、頭がよく才能溢れるジェレミーがなぜシャロンなんかにそそのかされて、魔王と呼ばれるほど暗黒面に堕ちたのだろうと不思議だったけれど、彼は歪な愛情すら吸い込んでしまうほど、寂しかったのだ……。

 わたしは切なさで涙が出そうになった。

 この子の身体から溢れるほどに、たくさんの愛情を注いであげよう。そして、悪役になる道など閉ざしてしまうのだ。


「あなたは小さな英雄なのね。お母様は、とても頼もしく思うわ」


「ぼくね、おべんきょうをたくさんして、からだもつよくして、おかしゃまをまもるからね。だから、ずっとそばにいてね。おやくそくよ」


「ふふふ、それではこの母もジェレミーを守るために、より一層力を磨きましょう。たとえすべてのものを敵に回しても、あなたから離れないわ」


「おかしゃまのてきを、ぼくがぜんぶたおせるようになるのよ」


「まあ、すてきだわ! それではわたしたちは無敵の親子ね」


「しょうなの、むてきなのよ」


 可愛いジェレミーのためならば、この手で世界を手に入れてみせるわ!


 そんな物騒な決心をしていたら……うちのドナさんに叱られました。


「シャロン様、ジェレミー様を可愛がるのはいいんですけどね、ちょーっと方向性が間違ってるんですよ! 目を離すと禍々(まがまが)しい女になりそうで怖いんですけど!」


「『禍々しい』って、主人あるじに向かってその口のきき方はなんですか!」


「だって今、世界中を凍りつかせることを考えたでしょ?」


 考えたわ。

 だってだって、ジェレミーと引き離されるようなことがあったら、それくらいのことはしないとって思ったのよ。


 わたしは抱っこしたまま、ダイニングに向かって歩き出した。


「ねえジェレミー、セイバートの地には冬になったらたくさんの雪が降るのでしょう?」


「しょうよ、たくさんふって、まっしろになるのよ」


「一緒に雪だるまを作りましょうね」


「わあ、しゅごいの! ゆきがふるのがたのしみね」


「そうねー」


 後ろから、「シャロン様は天才的な魔法の力を持つお馬鹿さんなんですよ。まったく、手に負えないったらありませんね」「まあ、かっこいいわ! あんなにお美しい上に、魔法の天才だなんて! まさに物語のヒロインですわね」「ヒロインってゆーより、はた迷惑で嵐のような役柄じゃないですか?」という会話が聞こえてきたけれど、ジェレミーのほっぺたにちゅーをするので忙しいので、まるっと無視することにした。


「おはようございます、ダリル様」


「おとしゃま、おはようございます」


「おはよう、シャロン、ジェレミー。良い朝だな」


 爽やかな朝の挨拶をするのは、ワイルド系にも関わらずシルクのフリフリシャツを着こなしている、超絶美男子のダリル様だ。自信満々に初対面のわたしを口説くだけあって、特別な存在だと感じさせる魅力的な男性だ。

 今は『ジェレミーの父親』でしかないけれどね。


 ジェレミーは、昨夜と同じ持ちやすいスプーンとフォークを与えて、なるべく自分で食べさせている。慣れてきたのか、こぼすよりも口に入る方が多くなり、やっぱりこの子もダリル様の子どもだけあって選ばれた存在なんだなと思った。


「あっ」


 スプーンからころりと落ちた野菜がお皿から跳ねて飛んでいってしまったので、ジェレミーが悲しそうな顔をした。


「ごめなしゃい……ぼく……」


 わたしが声をかける前に、ダリル様が言った。


「気にするな、ジェレミー。挑戦する者だけが失敗をする。そして、失敗こそが明日の糧となるのだ。恐れずに立ち向かうことが人生の様々な局面で必要となってくるだろう」


 ジェレミーは真面目なお顔でダリル様の話を聞いていたけれど、段々と首が傾げられて「???」となった。


「あのね、お父様は、がんばった結果、お野菜が転げても、気にしなくていいとおっしゃっているの。大丈夫よ、昨日よりもずっとスプーンの扱いが上手になっているわ」


 ジェレミーの表情がぱああああーっ! と晴れて「はい、もっとじょうずにできるように、がんばるの!」とスプーンを握った。ダリル様は「その通り! お母様は説明が上手で素晴らしいな。ふたりとも、素晴らしい!」と褒めてくれた。そして、彼の顔を見て笑顔で頷くと、ダリル様も満足そうに頷いてくれた。


「おいしいのね。ぼく、まいにちじぶんでごはんをたべます」


「そうね、自分で食べると余計に美味しいものね」


「それにね、おとしゃまとおかしゃまがわらっているから、もっともっとおいしいのよ」


「まあ、ジェレミー……なんて可愛いの……」


 胸がきゅううううん! としてしまったわ! 可愛さに死角なし! 油断していると胸が爆発してしまうわ、要注意、天使注意報が発令されました!




 さて、朝食が済んだら、お仕事に出かける旦那様のお見送りをするのが妻の役目だ。「いっしょにおみおくり、したいの」という可愛い天使ちゃんを抱っこして、身支度を終えたダリル様と向かい合う。


「おとしゃま、おきをつけてね。げんきにもどってきてね。いなくならないでね」


「…………」


 笑顔で見送ろうとするジェレミーだが、不安な心や心配が漏れている。ダリル様も気づいたようで、胸元を押さえて辛そうな顔をしている。『いなくなった』ジャクリーヌさんのことを考えているのだろうか。


「ダリル様、なにか問題がありましたらわたしをお呼びくださいね。大抵のものは蹴散らしてご覧にいれますわ」


「……は?」


「わたしのふたつ名をご存じでしょう? 敵対するものは氷魔法で完膚なきまでに叩き潰す、恐ろしき氷魔法使いでございますわよ。よろしければ、戦力に加えてくださいな。セイバート領は可愛いジェレミーの故郷ですもの、力を尽くして住み良い土地にして差し上げます」


 ダリル様は、口をぽかんと開けてわたしを見ていたが、とうとう笑い出した。


「あなたは本当に面白い人だ。わたしは絶対に手放さないからな、覚悟をしてくれ」


 あらやだ、変なところに火をつけてしまったみたいだわ。


「では、行ってくる」


「行ってらっしゃいませ」


「おとしゃま、おとしゃま、まって」


 わたしに抱っこされているジェレミーが両手を差し伸べたので、ダリル様は「どうした?」と顔を近づけた。


「おとしゃまに、いってらっしゃいの、きすをします」


 ぎゃあああああーっ、可愛い、可愛いがすぎるうーっ!

 ダリル様も突然の可愛い攻撃に対応できずに、胸を押さえてよろめいている。


「そ、そうだな。父は嬉しいぞ!」


「ぼくもうれしいのよ」


 ジェレミーは、ちゅ、と上手に音を立ててダリル様の頬にキスをした。


「なかよしだもの。おかしゃまもね? するのね?」


「す……するわ」


 わたしはダリル様の反対側の頬に唇を押し当てて、ちゅっ、と音を立てた。


「おかしゃま、じょうずよ」


「ありがとう」


 天使に褒められちゃったわ。


 そして、ダリル様は。

 よくわからないけれど、しばらくその場で悶絶してからお出かけなさいました。

 行ってらっしゃいませー。

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― 新着の感想 ―
家族が仲良しなところを見ないと、不安な気持ちを思い出してじうのかもしれませんねえ。 それはそうとして尊い!!
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