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第17話 旦那様が野獣系だった件

 か、噛まれた。

 男の人に、指を、噛まれた。

 見た目がすこぶるよろしいイケメン男性に指を噛まれたんですけど、それってこの世界ではどういう意味なんでしょうか? 

『なんかちょっとやらしい』と思ってしまったのは、わたしの心が濁っているからなのでしょうか?


 わたしが言葉を失ってあたふたしていると、ダリル様はわたしの手を優しく撫でて言った。


「シャロン、これでわたしのことを男性だと意識してもらえただろうか」


「へい? 男性?」


 動揺して変な返事になってしまったが、ダリル様は熱い視線のままでわたしを見つめた。


「わたしはもちろん、ジェレミーの父親だ。おそらくあなたは今まで、それだけの存在としか認識してなかったのだろう。だが、できることならあなたには『ダリル・セイバート』というひとりの男として見て欲しい」


『見て欲しい』のところで、その麗しいお顔を近づけてきたので、わたしは目を見開いて硬直した。


「急に返事をくれとは言わないが、わたしの妻になることを考えてみてくれないか?」


 わたしがこくこくと頷くと、ダリル様は「ありがとう」と言って、視線を合わせたまま、ゆっくりと指先に口づけた。


「今夜はこれで退散するから、おやすみのキスをくれないか?」


 目の前の超絶イケメン男性は、もう充分近いのにさらに顔を近づけてきた。このままだと、口と口が……。


「え、あ、お、おやすみなさい」


 反射的に、ジェレミーにしたみたいに頬にちゅっ、とキスをしてしまった。

 彼は嬉しそうに笑うと「おやすみ、シャロン。いい夢を」と言ってわたしの頬に唇を押しつけてから、ソファーの上で硬直するわたしを置いて部屋を出て行った。





「いやああああ、こりゃまたいいものを見せてもらいましたわ!」


 隣の部屋で様子を伺っていたドナとミミルカが、居間に戻ってきた。


 ひゃっひゃっひゃっと、淑女らしからぬ笑い方をして喜んでいるのは、失礼メイドのドナだ。

 そして、ちゃんとした侍女のはずのミミルカは……。


「んまああああーっ! シャロン様! シャロン様! さすがでございますわ! まるでロマンス小説のワンシーンのような素晴らしい場面を堪能させていただきました! さすがです! さすシャロ! さすシャロ!」


 全然ちゃんとしてなくて、むしろちょっと壊れていた。

 ミミルカ・リューダ子爵令嬢は、両手を身体の横でぱたぱたさせながら「さすシャロ!」と叫ぶ変なお人形に変わっていた。

 とても残念よ、あなただけはまともでいて欲しかったわ……。


「それにしても、ダリル様が突然あのようなことをおっしゃるなんて……あなたたち、もしかして、ダリル様になにか言ったの?」


 わたしが尋ねると、ふたりはさっと視線を逸らした。

 こーいーつーらーっ!


 ため息をひとつついてから、わたしは言った。


「殿方の考えることはよくわからないわ。つまり、彼はなにが言いたかったのかしら? わたしがダリル様と結婚することは決定事項なのだから、今さらプロポーズの真似事をされてもねえ……」


「ひゃあ、なんという冷たさ! でも、お顔が真っ赤なので強がっても無駄でございますのよーん。シャロン様、あんな見目麗しいお金持ちの身分も高い男性に口説かれたんですよ、もうちょっと盛り上がっていきましょうよ」


 赤い髪をおさげにしたドナは、両手でひとつずつ持ち上げて「いえーい」と盛り上がりのポーズをとった。相変わらずの変なテンションだ。


「会ったばかりで、お互いのことをなにもわかっていないのに、好きになってしまったと言われてもね。そう簡単には信じられないわ」


「わたしは信じますわ!」


 ミミルカは、両手を胸の前で組み合わせて、舞台に立つ役者のように言った。


「シャロン様はたいそう美しく、ほっそりとしたそのお姿がまるで天から降り立った精霊のようなお方ですもの。そして、まるで聖母のようにジェレミー様を愛する尊いお姿に、心を打たれぬ者はおりませんわ! シャロン様のお美しさと滲み出る温かな優しさに、ひと目見た時から殿方の心が奪われたとしても、まったく不思議はございませんのよ。さすがはシャロン様! さすシャロ! さすシャロ!」


「そーそー。あとポイント高いのは、そんなパーフェクトな見た目のくせして、ほんのりとアホっぽい残念な風味を兼ね備えていることですよ。ぽやあんにこにこした間抜けな微笑みで、あのめんどくさそうな男もハートを射抜かれてしまったのでしょうね」


「ドナ! 本当に失礼な子ね!」


 主人あるじに向かってアホだの残念だの間抜けだの、よくもまあ悪口をてんこ盛りにできるわね!


「怒っちゃいやーん、ドナってば正直すぎちゃったの、ごめんなさあい」


 てへっと舌を出されて、さらに腹が立つ。


「それにしても、旦那様はずいぶんと強気に攻めてきましたね。やはり一度結婚された殿方というのは、初心なおぼっちゃまとは戦闘力が違います。アレですよ、野獣系男子ですよ」


 ドナは両手で頬を押さえてむふふふふと怪しく笑った。


「見ていてこっちがハラハラドキドキしちゃいましたよー、特に、シャロン様のほっそいお指が野獣の口に咥えられて、かりっと……」


「駄目ええええええーッ、それ以上口にしないでーッ!」


 わたしは両手でドナの口を押さえた。


「駄目よ、あんな、忘れてちょうだい!」


「ああ、あの時の旦那様から溢れる大人の魅力ときたら……」


 ミミルカはまた両手を組み合わせて、舞台女優モードになってしまった。


「熱い想いをシャロン様に伝えて、ほとばしる情熱のまま、お口に……」


「ミミルカ! お黙りなさい! 言っちゃ駄目!」


 ドナを放り出して、ミミルカの口をふさぐ。


「美男美女だから、本当に見ごたえがありましたね! むふふふ、思い出すとなんだか食欲が湧いてきます」


「おまえの欲望は、いろいろ間違っているから人前で話すのはおやめ!」


「旦那様、お色気ムンムンでしたね。大人の男ってすごいです、わたしたちのようなひよこちゃんにはとても太刀打ちできませんよ! 野獣に喰われてしまいますよ、可愛い可愛いシャロン様のお指のように……」


「きゃああああああーッ! まるで自分のことのようにときめいてしまいますわーッ!」

 

 動揺して手を外してしまった隙に、わたしが叫ぶよりも早くミミルカが叫んでしまった。


「ねえねえ、『あなたを他の誰かのものにしたくない』ですって。んんっふ、それはつまり、シャロン様を自分のものにしたいってことじゃないですか! いやーん、そしてふたりは、『激情の赴くまま結ばれるのでした』エンドに向かって……」


「いやあああああーっ! もう、やめてってばーっ!」


 思い出すとダリル様のお顔のアップと指先の感触が蘇って、顔から火を噴きそうになっちゃうんだから!





「奥様、いったい何事でございますか?」


 わたしたちがわあわあきゃあきゃあとあまりにも騒ぐので、家政婦長のセレアが心配してやってきてしまった。


「なんでもないわ、セレア。夜更けに騒いでしまってごめんなさいね」


「セレアさん、聞いてくださいよ。なんと、あの旦那様がですね! シャロン様に愛の告白を!」


「ドナ、お黙り! お黙りってば!」


 だが、黙らせることはできなかった。なぜならば、お喋りな側仕えはもうひとりいるからだ。

 というわけで、セレアの耳にも『野獣系の旦那様、熱い想いを告げる』事件が入ってしまったのだった。





「んまああああああーっ、なんというおめでたいことなのでしょうか!」


 セレアさんは、感激のあまりミミルカみたいに両手を組みながら天井に向かって叫んだ。


「旦那様と奥様が真のご夫婦になられたらどんなに嬉しいかと、わたし共も願っていたのです。おめでとうございます、奥様。旦那様は本気でございます。あの方は、都会の方々には誤解されていますが、とてもお優しくて素晴らしいお方なのです。その証拠に、このセイバート領では領民たちに慕われていらっしゃいます。きっとおふたりは幸せなご夫婦になりますわ」


 セレアさんが、敏腕仲人のようにダリル様をぐいぐい推してくる。


「そうだわ、こうしてはおれません。エルトンにも伝えなくては!」


「待って、セレア、この話は広めないで……って、言ってるのにー」


 家政婦長が部屋を飛び出して行ってしまった。


「明日からは、このお屋敷で指を噛むのが流行るかもしれませんね」


 ドナが意味ありげに笑っていやな予言をした。

 この子を、ちょっと凍らせちゃってもいいかしら?

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