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第16話 ダリルくん、おはなししましょうね?

 わたしたちエプロン親子は、クマという動物の話をしてからクレヨンを使ってお絵描きをした。やがてジェレミーが可愛くあくびをしたので、わたしが寝室に連れて行って寝かしつけた。


 意外なことに、ダリル様がセイバート領の山にいるクマについて、実体験を交えて熱心に話してくれたので、わたしも興味深い話をとても楽しく聞くことができた。ジェレミーはクマを巡る冒険譚にいたく感じ入った様子で、さらに父への尊敬を深めたようだ。


 この国では、子どもも幼い頃から寝室を独立させる習慣がある。ジェレミーのベッドの脇には、隣の部屋で控えている侍女を呼ぶためのベルが置いてあるので、喉が渇いたりトイレに行きたくなったりした時にはすぐに来てもらえるし、念のために夜中に二度ほど見回りにも来てくれるので安心なのだ。


「おかしゃま、おやしゅみなしゃい」


 お口がお休みモードになっているらしくて、挨拶を噛んでしまうジェレミーが愛らしい。


「おやすみなさい、ジェレミー」


 額に「いい夢が見られるように、おまじないのキスよ」と言ってちゅっ、と音を立てると、ジェレミーは嬉しそうに顔を赤くした。


「きょうはね、しゅごい、たのしかったの。あしたもね、あしゅ……」


 お布団をかけてトントンしてあげたら、可愛いうちの天使はあっという間に夢の国に旅立った。夢の国で、背中に生えた小さな白い翼をぱたぱたさせて「わーい」と飛び回っているのかしら? 

 可愛いわあ、そういう肖像画を描いてもらってリビングに飾りたくなってきたわ。ダリル様に相談してみようかしら。


 わたしが部屋に戻ると、エプロンを外したダリル様がクマのようにうろうろと歩き回っていた。いくらフリフリシャツが貴公子のたしなみと言っても、使用人が着るような白いフリフリエプロンは、見ていると脳がバグりそうになるわ。ここは、男子にふさわしい素敵なデザインのエプロンを作らせないと。


「ダリル様にお願いがありますの。よろしくて?」


「なんだ? そういえば、ドレスもアクセサリーもほとんど持っていないのだったな! よしわかった、セイバート領で一番の仕立て屋を呼んで、王都に負けないような素晴らしいドレスを……」


「いいえ、結構ですわ」


 盛り上がっているところを申し訳ないのだが、ゴージャスなドレスは必要ないのだ。


「それよりも、ダリル様に似合うエプロンを作りませんか? やはり屋敷の主人がメイドのエプロンをしているのは、少々抵抗がありますもの」


「えっ? ドレスよりもエプロンなのか?」


「ここの暮らしにドレスは不要でしょう? それよりも……そうだわ、仕立て屋に相談して、セイバート家オリジナルのエプロンを作るというのはどうかしら? 三人でお揃いにしたら、ジェレミーが喜ぶと思うのよ」


「それは……いい考えだな!」


「でしょう?」


 わたしとダリル様は、にっこりと笑い合った。


「セレアに言って手配させてくれ」


「わかりました。それでは、また明日。朝食はご一緒できるのかしら?」


「もちろんだ! わたしたちは家族なのだからな、なるべく共に食事を取ろう」


 ダリル様は、人が変わったように前向きになったわ。きっとジェレミーの愛らしさに心が洗われて、隠されていた父性が花開いたのね。


「では……?」


 ダリル様は、なにか心残りがあるような表情で、なかなか部屋を出ようとしない。

 ああ、この感じ、先生とお話ししたいけれど言い出せない子どもたちとそっくりだわ。


 わたしは三人がゆったりと座れるソファーに腰をかけると、お隣りをぽんぽん叩いた。


「まだお時間が大丈夫なら、少しお話しいたしましょう」


「いいのか?」


「もちろんですわ」


 ダリル様は嬉しそうな顔をして、いそいそと隣に腰を下ろした。


「これからジェレミーを健やかに育てていくためにも、両親であるわたしたちが、もっとわかり合えたらと思うのです」


「……そうだな。わたしも、シャロンのことをもっと知りたいと思うし……わたしのことを知って欲しい」


 声を低めて話すと、ダリル様の声はとても艶めいて魅力的だ。

 ここでドナとミミルカが目配せし合い、「シャロン様、お隣りの部屋で仕事をしてまいりますね。もちろん、ドアを開けておくので問題はありませんから! 大丈夫ですよ! ファイト!」「ええ、ごゆっくりどうぞ。失礼いたします」と言って、控え室に行ってしまった。

 

 でも、どうしてファイトなの?

 ドナとダリル様が拳を握って合図をし合っているのはなに?


 ちなみに、婚約中とはいえ、独身の男女はドアの閉まった部屋に二人きりになるのは許されないことなのだ。本当は侍女が同室するのがマナーなのだが、すでに輿入れしてきたのでそこは基準を甘くしてよいらしい。


「シャロン、その……強引に婚約を取り付けて、輿入れをせかして申し訳なかったな」


「お気になさらないで。その分、早くジェレミーに会えたのですもの、むしろお礼を言いたいくらいだわ!」


 わたしがそう言って笑うと、ダリル様も目を細めて笑い、それから真剣な表情になった。


「実は、義姉あね上に『辺境の静かな田舎で子育てをしたい令嬢がいるから、ぜひ妻にして欲しい』と言われて、この話を強引に勧められたのだ」


「あ……ええ、なんとなく事情がわかりますわ」


 あの根性悪のアルテラ王妃が、わたしを王都から追放するために仕組んだのね。


「だが、わたしはおかしな話だと思った。わたしについて、王都ではよくない噂が流れていたのを知っていたし、華やかな王都の暮らしから離れたい伯爵令嬢がいるとは思えなかったのだ」


 それはそうだろう。シャロンとアルテラ王妃は、社交界のトップ争いに夢中な、特におバカな女だったけれど、貴族の令嬢なんてほとんど皆そのような感じなのだ。

 それが、野獣のようだと噂された子持ちの男やもめの元に、しかも王都から遥か離れた辺境に輿入れするだなんて、それこそ人生のエンドマークに思えるだろう。プライドが高い令嬢なら命を絶ってもおかしくないような状況だ。


「だがわたしは、息子に母親を与えたいと考えて、この話を受けてしまったのだ。打算的で、利己的な男だと蔑まれても仕方がない」


「……ダリル様は、ジェレミーを愛しておいでなのよ。今までは、その愛情の表し方がわからなかったみたいですけれど、子どもはとても勘がいいわ。この通り、あなたのことを心から慕っているのだから、ちゃんとわかっていたのよね」


「ああ、ジェレミー……愚かな父を許してくれ……どうしてもっと、関わって、抱きしめてやらなかったのか!」


「やり方がわからなかったの?」


 両手で頭を抱えたダリル様は、大きく頷いた。


「わたし自身が、親の温もりを知らずに育ったのだ。わたしは兄とは母親が違う。母はわたしが幼い頃に亡くなったので、顔すら覚えていない」


 ダリル様は側妃の子どもなのだ。そして、王族はほとんど子育てに関わらない。乳母や側仕えの者が育てるのが普通である。


「前妻のジャクリーヌには感謝している。こんな辺境に嫁いで、わたしの息子を産んでくれたのだからな。だが、産後に体調を崩して亡くなってしまったジャクリーヌにも、どう接していいのかわからなかった。ちょうどその時に山で魔獣が大量に現れて対処に追われていたこともあり、充分なことをしてやれなかった。きっと神の国でわたしを恨んでいるだろう」


「あっ、それはないわよ」


 というか、ダリル様のことをひと言も言ってなかったわ。ジャクリーヌさんは、とにかく息子を頼むと必死だったのよね。


「たぶんね、あんなに可愛いジェレミーに会わせてくれて、ダリル様に感謝しているわ。だって、天使だもん、もっのすごく可愛いもん! ね、そう思わなくて?」


 いっけなーい、ジェレミーのこととなると、ついつい熱くなってしまうわ!


 ダリル様は驚いた顔でわたしを見たが「……確かにそうかもしれない、いや、きっとそうだ。あんなに可愛いジェレミーなのだからな」と頷いた。

 うん、親バカ上等!


「これから毎日ジェレミーと一緒に過ごせるなんて、幸せすぎるわ。きっとここでの暮らしは素晴らしいものになるに違いないって思うの」


「シャロン……」


 ダリル様は急に立ち上がったと思ったら、わたしの前にひざまずいた。


「ダリル様、どうなさったの?」


 彼はわたしの右手をそっと取ると、瞳の中を覗き込みながら唇に押し当てた。ダリル様の唇は、しばらくわたしの指先にとどまり、熱い体温を感じ取れるほどだった。


「ダ、ダリル、様……」


 彼は名残惜しげに唇を離すと、わたしに言った。


「シャロン・アゲート嬢。改めて、結婚の申し込みをさせて欲しい。わたしの妻になってくれないか? お飾りの妻でも、息子を育てるための母親役でもない、本当のわたしの妻に」


「……え?」


 ちょちょちょちょちょっ、なに? なんなの?

 なにがどうしちゃったの?


「あなたに会えたのは、わたしにとって最高の運命で、幸運だと感じているのだ。だから、わたしのことを本当の夫にしてくれないか?」


「おっ、落ち着いてくださいませ、ダリル様! わたしなんて、ダリル様に負けないくらいの評判が悪い女なんですよ?」


「評判がどうであれ、今わたしの目の前にいるあなたは、とても美しく、魅力的で、なによりも心が美しい女性だ。まさか、わたしの人生でこのようなことが起こるとは思わなかったのだが……」


 ダリル様はわたしの右手を両手で包み込むようにして、自分の胸に押し当てた。


「わたしの早鐘のような鼓動がわかるか? これは、恋に落ちてしまった男の心臓の鼓動なのだ」


「こ……い?」


「そう。わたしはあなたに……想いを寄せている。好きになってしまった。ああ、どうしたら伝わるのだろうか?」


 ダリル様は、ほんの一瞬だけ狂おしげな表情をして、わたしの指先を軽く噛んでから言った。


「愛しているのだ、シャロン、あなたを他の誰かのものにしたくない。わたしの本当の妻になって欲しい」


 底光するような青い瞳がわたしを射抜き、甘い痛みが指先から背中まで通り抜けた。

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