閑話 混乱しています (注・シャロンとの初顔合わせが終わった後のダリルの様子です)
「聞いたか? 奥様が噂とは全然違うらしいぞ!」
「ものすごく意地悪で性格が悪いから、ジェレミー様に近づけてはならないって言われていたけれど……」
「普通だった。全然普通の人で、まあたいした美人だけど、普通に騎士や使用人と話していた。気に入らない者を鞭で殴る女じゃなかった」
「刃向かう者は氷魔法で凍らせるんじゃなかったのか?」
「確かにものすごく美人だわ。まるで絵物語の中から抜け出ていらっしゃったみたいね」
「お声はとても可愛らしかったわ」
「連れてきたメイドと笑い合っていたわよ!」
「高飛車な貴族のお姫様じゃないの?」
「使用人と一緒に大浴場に入ったんですって」
セイバートの屋敷はざわめいていた。
辺境伯の妻になるべく王都からやって来たシャロン・アゲートは、『悪の氷結花』という大変評判の悪い令嬢のはずなのに。
王妃と犬猿の仲で、金にものを言わせて男を手に入れるとんでもない傲慢な悪女のはずなのに。
家政婦長に「あの方は、とても素晴らしいお方ですよ」と言わしめるほどのまともな人物だというのだ。
シャロンとの対面を果たしたダリル・セイバート辺境伯は、家礼と家政婦長を執務室に呼びつけて問いただした。
「アレは、いったいどういうことだ? 見た目は美しいが、わがままで男好きで、癇癪持ちの悪女だという評判の女が、アレか? 豪華に建て替えた離れに住まわせて、ジェレミーと出会わぬように軟禁する予定はどうなったのだ?」
家令のエルトンは、狐につままれたような顔をして答えた。
「それがですね。あのお美しさから確かにご本人とお見受けするのですが、噂に聞くシャロン・アゲート嬢とはまるで別人のような、たいそう可愛らしくお優しいご令嬢でいらっしゃるのですよ」
家政婦長のセレアも言葉を添える。
「連れてきたメイドは、かなり庶民的な気さくな娘で、シャロン様に遠慮のない口をきいているのですが、本気で腹をおたてになることはございません。会話からしておふたりはとても気の合ったよい関係であるようですわ」
「付け焼き刃の振る舞いではないということなのか? いや、『悪の氷結花』とまで呼ばれる女なのだ、我々を騙しているのかもしれないぞ」
「とても演技とは思えませんが。人の考え方は、どう偽ろうとしても自然と滲み出てくるものでございます。奥様から滲み出てくるのは、年相応の無邪気さや、真っ直ぐな心根でございますね」
エルトンは、シャロンがなにかを偽っているのではないかと、ベテランならではの目を光らせていたのだが。
「奥様と共に王都からやって来た、護衛の騎士たちや御者たちも、奥様のことをとても慕っている様子でした。あれは口裏を合わせていたようには思えませんでしたね」
「使用人に慕われるとは……」
ダリルは「普通、貴族の令嬢は身分に差のある使用人とは距離を置くものだ。脅しつけて話を合わせるように仕向けているのではないか?」とセレアに尋ねた。
「奥様が連れて来たメイドのドナには、正直申しまして、口裏を合わせるといったような器用なことをするのは無理でしょう」
「……調子が狂うな」
ダリル・セイバートは額に手を当てて考え込んだ。
「それから旦那様……ナニーのレガータ夫人についてなのですが」
セレアが口を開いた。
「奥様のお話によりますと、あの女性はジェレミー様に良くない影響を与えている、ナニーとして未熟過ぎる人物らしいのです」
セレアは「独身のわたしは、子育てについてあまり詳しくないのですが」と続けた。
「奥様は予想外に子どもの成長について詳しく、メイドのドナも弟や妹がいるとのことで、幼い子どもに慣れているようです。そのおふたりの説明を聞いたところ、レガータ夫人にはナニーとしての能力に欠けるのではないかと思えてまいりました、また、レガータ夫人は他の使用人からの評判もよろしくないのです」
「教育者としては害にはならぬが益にもならぬ、そんな存在ですね」
エルトンも言った。
「ですが、シャロン様ならば、もしかするとジェレミー様に良い影響を与えてくださるのではないでしょうか。わたしも段々そう思えてまいりました」
「わかった。それが彼女の真の姿なのか、または人心を惑わす魔女のような女なのか。少し様子を見よう」
様子を見ていたのに、そのままシャロンの子犬ちゃんになってしまう未来が来ることに、まだ気がつかないダリルであった。