第14話 旦那様、大胆ですわね
セイバート風の夕食は、とてもわたしの口に合って美味しかった。貴族の食卓にはあまり見られない、素朴で素材の美味しさを生かす家庭料理寄りのメニューだったのだが、これならば毎日食べても飽きない。バターや生クリームがほどよく使われていて、身体にも良さそうな料理だ。
ちなみに、アゲート家のディナーは、王宮の流れを汲むコテコテのクリームソースが多かったので、日本人のお口を持つわたしには少々くどかった。
わたしは家政婦長のセレアに「料理人に、とても美味しくて満足したと伝えなさい。ついでに、明日の朝食も期待していますよ、わたしは燻製肉の薄切りが添えられたオムレツが好き、というのも付け加えてね」と言った。
セレアは「承知いたしました」とひと言答えたが、口元に笑みが浮かんでいる。きっと料理人たちの仲がいいのだろう。
「さて、お食事も終わったことですし、おなかが落ち着くまでお母様の部屋でゆっくりしましょうね」
わたしがジェレミーにそう声をかけると、うちの天使ちゃんは嬉しそうな顔をして「おかしゃまの、おへや、なの?」と言った。
「そうよ。食後用のサロンが整うまでは、ごはんのあとはお母様のお部屋でご本を読んだり、お話をしたりして過ごすことにしましょう」
「わーい」
ぱっと開いたもみじのおててが上がった。
ううう、きゃわゆうい!
この子の反応がいちいち可愛すぎて、わたしの顔は緩みっぱなしなのよー。
なので、笑顔でダリル様を見た。
「早くサロンを作りましょうね。……なにか?」
「わたしは?」
「はい?」
「その、父親とのふれあいの時間が大切だとかなんとか言っていただろう。だから、わたしもおまえの部屋に行き、息子との関わりを持つべきではないのか?」
ダリル様になにが起きたの?
父親として、突然の覚醒が起きたのならそれでいいわ!
わたしは両手を合わせて言った。
「それもそうですわね! ええ、ダリル様もぜひいらしてちょうだい」
わたしがそう答えると、なぜか彼は「え? 本当にいいのか?」と戸惑っている。
「変な方ねえ。ご自分で来るっておっしゃったのに」
思わず笑ってしまうと、ジェレミーもころころ笑って「おとしゃまもいっしょ、うれしいの」と喜んだ。
「はーい、それではおとしゃまはジェレミーを抱っこする係に任命しまーす!」
わたしは温かな子どもの身体を抱き上げると、ダリル様に「はい」と渡した。
「おとしゃまは背が高いから、見晴らしが良くていいわね」
「たかいたかいなの」
「さあ、問題です。このおうちでジェレミーを一番高ーくしてくれるのは誰でしょうか?」
「おとしゃまー」
「大正解!」
期待に応えようとしたのか、ダリル様はジェレミーの腰をしっかりとつかんで高く持ち上げた。
「そら、どうだ?」
「うわあ、すごくたかいー」
きゃっきゃとはしゃぐジェレミーと、少し照れくさそうなダリル様。ふたりとも整ったお顔をしているから、まるで映画のワンシーンを見るようで、とても美しい一場面だ。エルトンとセレア、ミミルカも優しい笑顔でふたりの様子を見ている。
ドナは「ううむ、このドナさんの高い高いを超えるとは、ちょこざいな!」と対抗心をバリバリに燃やしていた。
「おかしゃま!」
「なあに、ジェレミー?」
「たかくてしゅごいから、おかしゃまもやってなの」
「……はい?」
「おとしゃまはとてもちからもちで、とてもたかいのがしゅごいのよ! ね、おとしゃま?」
父親を信頼して目をキラキラさせるジェレミー、尊過ぎる。
ダリル様はクールに「まあ、な」と言ったけれど、顔がゆるい。こんなに可愛らしい天使ちゃんに尊敬の眼差しで見られたら、顔がお日様に当たったバターのようになっても仕方がない。
でもね。
さすがにわたしまで持ち上げるのは……。
「おとしゃま、おねがい」
「わかった」
ええっ、わかっちゃったの? いや、あなた、息子に甘すぎでしょう!
ダリル様は、なぜか獲物を狩る目つきでわたしを見ながら笑った。
これはヤバい。
こんな笑い方をされたら、抵抗できなくなる……。
「さあ、シャロン。とても高いところに連れて行ってやろう」
「ちょっと、言い方! ダリル様、そんな目で淑女を見るものでは……」
両手を大きく広げたダリル様は、わたしに襲いかかるようにして腰をつかんだ。そして、そのまま力強く上に持ち上げる。
「きゃああああーっ!」
高いわ!
あと、ちょっとふわっと飛んでた!
あまりのことに動転したわたしは、そのままダリル様の頭にぎゅっとしがみついてしまった。
危ない、もう少しでイケメンの顔を乙女の胸が直撃するところだったわ!
「なにをなさるのですか!」
床におろされると同時に、ダリル様の胸を押して離れる。彼はまた顔を赤くして「いや、悪ふざけが過ぎた。すまない」と小さな声でわたしに謝罪する、
あーもう、胸がぶつかりそうになったことがバレてるわー。
「おかしゃま?」
天使ちゃんが、不安そうな顔でわたしを見上げている。
「いま、おとしゃまにどんってして……おかしゃま、おこってるの?」
「いいえ違いますよ、わたしは怒ってなどいませんからね!」
両親の仲が悪いと、子どもの情操に悪い影響を与えてしまうわ。
「お父様がとても高く持ち上げてくださったのですが、お母様には高過ぎたのです。お母様はジェレミーのように勇敢ではないの。ジェレミーはあんなに高く持ち上げられたのに、全然怖がらなかったわね」
「はい、こわくなかったのです。ぼくはおとしゃまのむすこだから、すごくたかくてもこわがらないの!」
むふうん、と得意げに胸を張る姿が可愛すぎて、ほっぺたをむにゅむにゅと揉んでしまいたくなるわ……。
「でも、おかしゃまはおんなのこだから、こわくなってもしかたがないの」
「そうね、仕方がないわね」
よかったわ、ジェレミーには本心を気づかれていないみたい。
白い結婚をする相手の顔面に胸が当たりそうになって腹を立てた、なんてことは、三歳児に知らせるわけにはいかないのである。
「うーんと、うーんと、あのね、おとしゃまはおかしゃまをひくくたかいたかいするといいとおもうの」
ジェレミーは、すごく考えたようだ。
どうやら高く持ち上げるのが気に入ってしまい、わたしにも楽しさを伝えたくてたまらないのだろう。
『ひくくたかいたかい』という矛盾した提案だが、ジェレミーが言うならこの世の真理なのかもしれない。
「それでね、ひくいからね、さんかいするといいとおもいます!」
「どうして三回なの?」
「ぼくのおとしが、みっつだから」
「まあ、偉いわジェレミー、自分の歳がわかるのね!」
わたしが頭を撫でると、天使の三歳児が嬉しそうな顔で「ぼくはジェレミーです、さんさいです」と上手に自己紹介をしてくれた。
「それではダリル様!」
セイバート辺境伯殿は、びしっと背を伸ばした。
「ジェレミーの素晴らしい提案を実行いたしましょう。低めの高い高いを三回連続でお願いいたします」
「いいのか?」
「いいのです!」
「それでは失礼」
わたしとジェレミーのやり取りを見ているうちに顔色が元に戻ったダリル様は、真顔でわたしの腰をつかむと、常識的な高さに持ち上げた。
床におろして、また持ち上げる。
彼はとても力があるらしくて、わたしを布のお人形のように軽々と持ち上げた。
でも、大の大人が真顔で高い高いをするって……。
「ふっ、ふふっ」
三回目に持ち上げられた時にダリル様の表情がツボに入ってしまい、わたしは笑い出してしまった。ダリル様が驚いてそのままわたしをキープしたので、宙に浮かんだまま笑い続けて、そのうちダリル様が噴き出した。
「ほら、たのしいのね! ぼく、ぜったいたのしいとおもったの!」
ジェレミーが大喜びでぴょんぴょん飛び跳ねて、わたしとダリル様は可愛いやらおかしいやらでしばらく笑いが止まらなかった。