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第13話 レガータ夫人は解雇でよろしく

 この屋敷には子ども用の背の高い椅子が用意されていたので、ジェレミーの席をわたしの横に作らせてある。

 だが、ナニーの女性は「奥様、ジェレミー様をこちらに。いつもわたしが食べさせていますので」とムッとした顔で腕を伸ばした。


 もちろん、こんな女にジェレミーを預けるつもりはない。というか、二度と触らせたくない。


「レガータ夫人、あなたは手出し無用よ。ドナ、ジェレミーをよろしくね」


「はい、シャロン様! ささ、ジェレミー様、大人がお話をしますからあちらで待っていましょうね」


 わたしの腕の中にいる天使は不安そうにわたしを見たけれど、「ジェレミー、このドナは信用して大丈夫よ。妹も弟もお世話してきたベテランのお姉さんなの」と優しく話す。


「そなの?」


「そうよ」


 ジェレミーはドナの顔をじっと見た。ドナににこにこしながら「わたしは腕力にも自信がありますからね、ジェレミー様を高い高いすることもできますよ?」と言われて「たかい、たかい? おそらをとぶの?」と興味をひかれたように言って、おとなしくドナの腕に移った。


「なにを勝手なことを。わたしはジェレミー様のナニーですよ!」


 諦めずにドナからジェレミーを奪おうとするレガータ夫人の前に、わたしが立ち塞がる。


「レガータ夫人、母親のわたしがいるから、もうナニーは不要ですのよ」


「来たばかりの若いお嬢様が、母親ですって?」


 下の立場のはずなのに、妙に強気で敵愾心を隠そうとしないナニーは、わたしを鼻で笑う。けれど、わたしも鼻で笑い返した。


「わたしが不要だと判断したのだから、従いなさい。あなた、三つになる子どもに赤ちゃんのように食べさせていると言ったわね? 無知にも程があります。よくもまあ、恥ずかしげもなくナニーを名乗れたものだわ。子育てに関する経験が本当にあるのかしら。この子の発達を妨げるような者を近くに置いておくわけにはいかないわ。ダリル様、この女はすぐに解雇ということでよろしくて?」


 すると、ナニーのレガータ夫人は烈火の如く怒り出した。


「わたしを解雇するだなんて、そのようなことが許されるとでも? とんでもないですわ、ぼっちゃまのことはナニーであるわたしに任せて、よそ者は黙っていてくださいませ!」


 だが、わたしは冷静な口調で言った。


「レガータ夫人、あなたのことは調べさせていただいたわ。ナニーだと言い張っている割には子どもの発達についてなにも知らないようね。自立心を育てなければならない時期に食事の訓練をさせないなんて、それはもう虐待でしょう」


 この女は、子どもを健やかに成長させようという気持ちがない。確かにジェレミーの年頃ではまだ上手に食器を扱えないだろうし、遊び食べをしてしまうかもしれないが、だからと言って学習させないのは間違っている。食事も、着替えも、この時期に下手でもいいから手先を使っていかないと、ひとりではなにもできない子になってしまう。こういうことは毎日の積み重ねで上達するものなのだ。


 ……まさか、意図的になにもできない子に育てようとしている?


「それに育児の記録がまったくないというのは、あなたの職務怠慢です。雇い主のセイバート辺境伯に対する侮辱でもあるわ。父親への報告を怠ってきたことに対する言い逃れはできなくてよ」


「なっ、それは、辺境伯はお忙しいお方なので……」


「いいえ、それは言い訳です! 育児に関する相談も報告もなく、自分勝手な考えでジェレミーの生育を歪めようとしたあなたは、ナニーを名乗るべきではないわ。ジェレミーは、父親であるダリル様と協力してわたしが育てます。あなたは今すぐにでもこの屋敷から出ておゆきなさい」


 わたしはレガータ夫人にそう言い切ってから、セイバート辺境伯に「それでよろしいですわね、ダリル様?」と確認した。


 家令のエルトンが、なにやらセイバート辺境伯に囁いている。おそらく、今までレガータ夫人がやらかしてきたことについての報告だろう。


 彼は言った。


「レガータ夫人、今までご苦労だったな。もうジェレミーにナニーは必要なくなった。今日限りで解雇する」


「そんな……今に後悔するわよ」


 レガータ夫人は憎々しげに捨て台詞を吐き捨てると、大きな足音を立ててダイニングルームから出て行った。




 ドナがジェレミーに手遊びを教えて気を逸らしていたので、幸い大人のバタバタに気づいていない様子だ。


「ジェレミー、遅くなってごめんなさいね。おなかがすいたでしょう? さあ、みんなでお食事をいただきましょうね」


 わたしの隣りの席にジェレミーを座らせる。


「セレア、柄が太くて持ちやすいスプーンとフォークはあるかしら? できれば持つところは木製のものがいいのだけれど」


 幼い子どもはまだ器用じゃないので、ぎゅっと握れるものの方が使いやすいのだ。


「すぐにお持ちいたします」


 運ばれてきたスプーンとフォークは、明らかに子どものために作られたものだった。ダリル様は子育てに関してはうとそうなので、ジェレミーのために使用人が用意したのだろう。


「これは、ぼくがつかっていいの?」


「いいのよ。最初はうまくできなくても気にしなくていいの。ゆっくりでいいから、毎日がんばりましょうね」


「はい、おかしゃま。ぼくね、これ、やってみたかったのよ。うれしい」


 無邪気なジェレミーの笑顔を見て、胸が潰れそうになった。


 この子のやりたい気持ちを踏みにじったレガータ夫人を、わたしは許さないわ!

 そうね、全身を足元から徐々に凍らせて、そのまま町の広場で晒し者にしてやろうかしら……なーんて、嘘嘘、『悪の氷結花』的なお仕置きはやりませーん!

 ……本当よ?


 この家のディナーはコース料理ではなく、すべてが食卓に並ぶ。サラダにスープに鹿肉のソテーとパン、そして食後にデザートのパイが出てきた。薄くスライスしたキジ肉のスモークが乗ったサラダも、赤ワインと香味野菜で作ったソースがかけられた鹿肉も、ジビエに慣れていないわたしにもとても美味しく食べられた。


 ジェレミーの分の肉は、ちゃんと食べやすい形に切ってある。大丈夫だろうとは思ったけれど、わたしがセレアに頼んでおいたのだ。いつもはレガータ夫人に切ってもらうから、大人と同じものを出していたと聞いて、念の為に指示を出しておいてよかった。


 ジェレミーは初めてなのに、スプーンとフォークをがんばって使い自分で食事をした。もちろん、少しくらいこぼすのは想定内だから、問題なしである。最初のうちは、むしろ口に入る量よりもこぼす量の方が多くても仕方がないのだ。


「ジェレミー、自分で食べるのがとても上手だわ。あなたは器用なのね」


 天使な男の子はむふんと得意げな顔をして「じぶんでたべると、おいしいの」と笑った。


 んもう、可愛い!

 お口にあーんされる赤ちゃんも可愛いけれど、懸命にお肉にフォークを突き刺して『できた!』と瞳を輝かせるジェレミーはもっと可愛い。


「ぼく、おいもさすよ」


 にこっと笑って宣言してから、フォークを茹でたじゃがいもに突き刺して、むふーと満足げな顔をする。


「すごいすごい、とても素晴らしいわ」


 芋を口に入れて、美味しそうな表情でもきもきと噛んでいる。柔らかなほっぺたの動きがなんとも愛らしくて、触りたくなった。


「おかしゃまのも、さす?」


 うわああああん、わたしに食べさせてくれるつもりなの?

 きゃわいすぎるぅっ! 天使かよ! そうだよ、天使だったよ!


「ありがとうね、ジェレミー。お気持ちをいただきますわ。さあ、たくさんお食べなさいな」


「はい、おかしゃま! とてもおいしいごはんなのです!」


 可愛いジェレミーが「おいしいねえ、すてきなごはんねえ」ととても嬉しそうに言っている。これを知ったら、料理人たちも魂が飛ぶわね! 


 わたしは、ジェレミーに対する愛しさを分け合いたくなり、思わずダリル様に笑いかけた。


「ジェレミーは優しくて紳士ね。食器の使い方もとても上手だし、この調子ならすぐに食事のマナーを身につけられそうよ。賢いところはあなたに似たのかしらね」


「え、お、わたしか?」


 ダリル様はなぜか動揺している。


 すると、ジェレミーが「おとしゃまとにてるの? うれしい。ぼくもおとしゃまみたいになりたいの」と可愛らしさの極み顔でダリル様を見た。


「おお、おお」


 ダリル様は真っ赤になった。そしてなんとも言えない表情をしながら「そうか。これからも励むがいい」と、なんだか固い返事をした。


「はぎぇむ?」


「それはね、お父様を見習って、これからいろいろなことに挑戦するといい、という意味よ」


「そなのね。ぼく、はぎぇむの、です!」


 むふーと鼻息を荒くして宣言するジェレミー、めちゃ可愛い。

 そして、ダリル様の顔は赤いだけでなくゆるゆるになり、片手で隠している口元はにまにまして締まりがない。わたしと同じく、ジェレミーの可愛さにやられているようだ。

 この辺境伯様は息子との関わり方がわからなかっただけで、実は親バカなのかもしれないわね。


 微笑ましい気持ちになってダリル様を見ていると、彼はわたしの顔を見て「なんだ?」と口を尖らせて、さらに頬を赤くした。

 やだ、子どもみたいよ。

 わたしの胸が、なぜだかきゅっとなった。


 いえ、違うわ、これはダリル様が天使なジェレミーに似ているからなのよ。

 成人男性を可愛いと思うなんて、そんなわけがないもの!

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