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第12話 可愛い息子とご対面

 ダイニングの扉がノックされ、家令のエルトンが開けた。


「失礼いたします」


 三十代後半くらいの女性が、小さな子どもの手を引いて入ってきた。


「か、可愛い……」


 黒い髪に青い目をしたちっちゃな男の子は不安げに部屋の中を見回すと、わたしを見て首を傾げ、驚いたように口を開き、そして「わあ」と言った。


 いやもう可愛すぎるでしょ!

 パパそっくりなふんわりした黒い髪に、くりんとしたおめめは真っ青なお空の色なのね!

 やだもう、三歳児最高だ可愛い天使か天使なのかもうもう可愛すぎて猛ダッシュで抱き上げて高い高いしたい!

 ふうっ! 可愛い! 可愛いよジェレミー!


 だが、猛ダッシュは駄目だ! 怯える! こんなにちっちゃくて可愛い子を怯えさせてはならぬ!

 落ち着くのだわたし!


 ああ、落ち着いているはずなのに、足が、わたしの足が勝手に動いてジェレミーのところに連れて行ってしまうーッ!


 必死で興奮を抑えつつ、椅子から立ち上がったわたしは、お口を開けているちびっこの前まで素早く移動するとその前にしゃがんだ。ドレスの裾が床をお掃除してしまうけれど、そんなことはどうでもいい。この屋敷は掃除が行き届いてピカピカだし、問題なしだ! 


「こんにちは、ジェレミー」


 わたしは優しく優しく、話しかける。

『悪の氷結花』要素など、こんなにちっちゃくて可愛くていたいけな天使ちゃんに、微塵も向けてはならない!


 ジェレミーは、ピンクのお口をいったん「ん」と閉じて、また開いた。


「……ぼくのおなまえ……どうしてしってるの? あなたはめがみしゃまなの?」


 えっなにそれ声まで可愛いなっ!

 あと、めがみしゃまって女神様なの?

 噛んじゃったのね、可愛いね、ちっちゃいから仕方ないね!


 盛り盛りと盛りあがる魂の叫びをなんとか抑え込む。


「知っているわ、ジェレミー。だって、わたしはあなたのお母様になったんですもの」


 はい、実はまだ入籍してないけど、今この瞬間から決定事項だから!

 わたしはこの子のお母様!

 異論は許さないわ!


「おかしゃま?」


 はい、『おかしゃま』で決定!

 世の母親は今日から皆『おかしゃま』を名乗れ!


 おっといけない。妙なことを口走ったらジェレミーの教育に悪いわ!


「そうよ、わたしが新しいお母様なのよ、ジェレミー。よろしくね」


 わたしはほっぺが丸っこい尊い三歳児を抱き上げ立ちあがった。

 全然楽勝、なぜなら抱っこに備えて毎日筋トレをしてきたから!

 スクワットを朝昼晩合計三百回と、腕立て腹筋は倒れるまでだ!

 どこの兵士だ!


 いや、本当の話、保育士は腕力勝負なのである。緩みきったシャロン・アゲートの筋肉を叩き起こす必要があったのよ。


「わたしはね、ジェレミーのお母様になるために、遠くの町から馬車に乗ってやって来たの。今日からよろしくね」


 ああ、腕に伝わる体温が愛おしい。

 元気なチビたんは体温が高めなのよね。


「おかしゃま……あの、あのね」


「なあに?」


「おかしゃまのかみが、キラキラしているから、めがみしゃまだとおもったの。めがみしゃまはね、おかしゃまみたいにしゅごくきれいなの」


 なんという破壊力!

 世界で一番価値のある『しゅごくきれい』いただきました!

 わたしの髪よ、いい仕事をしたな! 褒めてやろう!

 手入れをしたドナとミミルカも褒めてつかわす!


「まあ、ありがとう、ジェレミー。そうなのね。ジェレミーは女神様を知っているの?」


「ごほんにかいてあったの……おはなしの……あっ」


 腕の中に身をゆだねていたジェレミーが急に暴れ出したので、わたしは落ちないようにと優しく抱きしめた。


「どうしたの? 抱っこの時に動くと危ないわ」


 だが、ジェレミーは泣きべそをかいて「はなれないといけないの」と声を震わせた。


「だめなの、めがみしゃまがしんじゃうのはだめなの。ぼくのかみがくろいから、ふきつないろだから、ぼくはふきつなこどもなの。めがみしゃまにさわるとだめなの」


 ……なんですって?

 誰がそんなことを教えた? 

 ちっちゃなジェレミーに、自分が不吉な子どもだと、愚かな考えを吹き込んだ犯人は誰だ?

 今すぐここで、この世界から消滅させてやろうか?


 わたしはダリル様を見たけれど、彼はわたしの鋭い視線を受けて慌てたように首を振った。


 ということは、可能性はひとつ。

 ジェレミーを育てている、評判の悪いナニーだ。


 彼女は険のある声で、偉そうにわたしに言った。


「奥様、ぼっちゃまを下ろしてください。教育によくありませ……」


「お黙り」


 わたしは低い声で、年配の女性に言った。

 本当は怒鳴ると同時に張り倒してガシガシ足蹴あしげにしたいところだけど、天使ちゃんが怯えるといけないのでやめておく、

 そして、ジェレミーに優しく声をかける。


「ジェレミー、お母様とあてっこ遊びをしましょう」


「……それはなに? あそぶの?」


「そうよ。さあ当ててみて。わたしが一番好きな色は、なんでしょうか?」


「……ぎんいろ?」


「ざんねーん、違います。わたしが一番好きな色は、黒でしたー!」


 ジェレミーはきょとんとした顔で「くろは……ふきつなんだよ?」と言った。


「不吉じゃないわ、一番好きだって言ったでしょ? だから世界で一番いい色なのよ。それじゃあ次の問題ね。わたしが一番好きな男の子の髪の色は、何色でしょうか? ジェレミー、当ててみて」


「え? え?」


 ジェレミーは一生懸命に考えて、もじもじして、少し赤くなって言った。


「くろ?」


「当たりー。大当たりだから、ご褒美ね」

  

 わたしはジェレミーの柔らかなほっぺに唇を押し当てて、ちゅっ、とした。

 ジェレミーはとてもびっくりして「いまのは、なに?」と尋ねた。


「今のはキスっていうのよ。とても大好きで、大切な人にするものなの。わたしはジェレミーのお母様だから、ジェレミーのことが大好きでとても大切で、可愛くて仕方がないからキスをしたのよ」


「そうなのね。あのね、ぼくのきもちがふわってしちゃったの」


 ジェレミーが嬉しそうな顔で「ぼくはキスがすきみたいなの」と言うものだから、思わず反対のほっぺにもちゅってしちゃったわ!


「あのね、あのね」


 ジェレミーは小さな声で「ぼくもおかしゃまがとてもすきになってしまったの。キスしてもいい?」と尋ねてきた。


 ぎゃああああーっ、可愛すぎて死ぬわ!


 落ち着くのよわたし、気をしっかり持つのよ!


「もちろんよ、ジェレミー」


 この超きゃわいい天使は、ちっちゃなお口をわたしの頬に当てて、ぺち、と音を立てた。


「おかしゃまみたいなおとがしない」


 うわあもうだめ、息の根が止まりそう!

 可愛すぎて涙が出てくるわ!


「大丈夫よ、ジェレミー。毎日練習すれば、きっといい音が出せるようになるわ」


 ジェレミーは嬉しそうにうふふと笑って「まいにちするのね」と自分のほっぺたを押さえた。


 うわあああああああ、可愛いがっ、可愛いが大渋滞しながらこちらにパレードをしてくるっ! ズンチャ、ズンチャ、ズンチャってリズムに乗って胸が苦しい!


 可愛いよ、世界一可愛いよジェレミー! もう絶対に離さないから! ジェレミーが幸せな人生を送れるように、このわたしがすべてをかけてサポートするからね!


 お母様は、あなたのためにこの世界にやってきたのです。

 わたしの人生をあなたに捧げましょう。

 この世で一番可愛い子、それはジェレミーだから!


 そんなわたしたちを、じっと見つめる黒髪の男……ダリル・セイバート。

 わたしに文句でもおあり? たとえ実の父親でも、ジェレミーの障害となるならば全力で排除いたしますが、なにか?


 ダリル様の視線を正面から受け止めて見返すと、可愛い息子が言った。


「あのね、おかしゃまにごしょうかいします。あのかたは、ぼくのおとしゃまです」


「まああああ、ジェレミー、お利口ね! お父様をちゃんと紹介してくれたのね! なんて賢いのでしょう!」


 ジェレミーは得意そうにうふふと笑った。 

 今、この瞬間のジェレミーを、絵画にして飾ってもいいですか?


「あのね、おかしゃま。ぼくはおもったの」


「なにかしら?」


「おとしゃまのかみもね、くろなのよ」


「そうね、ジェレミーとお揃いね」


 それを聞いたダリル様は、口をわずかに開きながら自分の髪に触れて、ほんの少し微笑んだ。

 え?

 やばい。

 あの人、笑うとイケメン力が凄まじく上がるんですけど!

 彼が目を細めて、妙に優しくわたしを見たので、慌てて目を逸らした。


「いい色だから、お揃いで嬉しいわね」


「そうなの、うれしいなの。だからね、おとしゃまにもしなくちゃなのよ」


 天使のジェレミーは、ほっこりするようなあどけない笑顔で「おとしゃまもくろいかみだから、キスしてあげて」と言った。


「……うへい?」


 変な声が出てしまったが、ジェレミーはこくこく頷いた。


「おとしゃまも、いちばんすきなおとこのこなのね?」


 くっ!

 違うとは、言えない。

 この天使の言葉を否定するなどという冒涜ぼうとくおこなってはならんのだ!


「……そうね。お父様の黒い髪が素敵ね。大好きな色よ」


「そなの。それに、おとしゃまはかっこいいの。おつよいのよ。おかしゃまもすきね?」


 ああ、そんなに期待のこもった瞳で見つめられたら、お母様はベランダに出てひとりラインダンスを踊ることさえ断れないわ!


「ダリル様。すぐにこっちにいらしてちょうだい」


 わたしは、思いっきり上から目線で、成り行きを見守っている黒髪イケメンに命じた。


「ほら早く」


「お、おう」


 椅子が倒れそうになる程勢いよく立ちあがり、ダリル様はなぜか肩をいからせながらわたしたちの方にやって来た。


「そこにかがんで」


「え?」


「か、が、み、な、さ、い」


 背の高いダリル様が腰を屈めたので、ジェレミーを片手で支えたわたしは右手でダリルさまの顔をつかみ、横を向かせ、そこに唇を押し当てた。


 ちゅっ、という気の抜けるような音が、静まり返ったダイニングに響く。

 ダリル様は、中腰のまま固まった。


「おかしゃまもおとしゃまがすきなのね。ぼくもなのよ」


「ふふふ、ジェレミーとお父様とお母様はね、家族になったのよ。だから、みんなで仲良く暮らしましょうね」


「かぞくなのね。だからごはんもいっしょにたべるのね。ぼく、なんだか、たのしくなったの」


 きゃあわゆうううううういーっ!

 ジェレミー、ああもうジェレミー!


 わたしはぎゅっとジェレミーを抱きしめてから、隣で腰を屈めた姿勢でまだ固まっているダリル様を見た。


 かわいいやろ? ほーれほれ、かわいいやろ?

 ジェレミーはこの世の天使やろ?

 おまえさんの息子やで。ほなよろしゅう。


 わたしの中で、謎の関西商人がニヤニヤ笑いながら言った。


 目の前に、ジェレミーとそっくりな少しクセのある黒い髪がある。わたしはジェレミーの髪を撫でてから、ついでにダリル様の髪も撫でる。


「親子ねえ。髪質がそっくりよ。ジェレミーも大きくなったら、お父様のようなかっこいい男性になるんでしょうね」


「なりたいの! ぼくもおとしゃまみたいになるの、そうしたら、おかしゃまとけっこんするの」


「うーん、結婚は難しいかしらねえ……」


 わしわしと、犬を撫でるように目の前の頭を撫でてから、わたしは我に返った。

 婚約しているとはいえ、会ったばかりの成人男性の頭を撫でて犬レベルで可愛がってしまった。

 これ、あかんやつや。

 手を離すと、ダリル様の目が不安げにわたしを見た。

 これはまずい。

 失礼な女だからと婚約を解消されたら、ジェレミーのお母さんになれない。


「え、ええと、お腹も空いてきたことですし、そろそろお食事をいただきましょうね、ほほほ」


 全力で、笑ってごまかした!


「……そうだな」


 見事にごまかされてくれた!

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不憫なのによく歪まないで尊く育ってくれたねええええありがとうございます!!!
ああもう!!!!!!(尊死)
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