第11話 ありがたい味方
「お忙しいところをお時間を作ってくださいまして、ありがとうございました。それでは夕食の席でお会いいたしましょうね、旦那様」
「ああ。って、わたしは夕食はひとりで取るのが……」
「早くジェレミーにお会いしたいので、とても楽しみですわ。では後ほど」
「おい待て、人の話を聞かない女だな!」
「ごはんを食べながら、楽しくお話ししましょうねー、おほほほほ、楽しみ楽しみぃ」
後ろでなにかわめいているけれど、反対意見は聞きませんよ。
父親には子どもと充分に交流し、健やかに育てる義務があるのです。それをおろそかにすることは、このわたしが許しません。
さて、夕食までは特にやることがないので、部屋に戻ったわたしはベッドに横になって身体を休めることにした。
わたしたちははるばる王都から旅をしてきて、今日到着したのよね。いくら若くても疲れはあるわ。
普段着とはいえ、伯爵令嬢が着るようなドレスはそれなりにゴージャスなものなので、そのまま寝るとシワになるしゴソゴソして心地良くない。
というわけで、ちゃんとシンプルなナイトウェアに着替えてから横になり「ミミルカ、起こしてね」と頼んだ。
なぜドナに頼まないのかというと、彼女は居間のソファーに横になってすでにすやすやと寝息を立て始めてしまったからである。
この図太さときたら!
だが、これくらいでないと『悪の氷結花』のそばになどいられなかったのだろう。今となっては、この失礼だけど胸の中を開けっぴろげにしてついてきてくれるメイドがいて良かったと思う。
絶対に調子に乗るから、本人には言わないけれどね。
少しうとうとしたらミミルカに起こされたので、手早く脱いだドレスに着替えていると、彼女に「奥様、いくらなんでもお召し物が足りておりませんので、早急に仕立て屋を手配いたします」と言われてしまった。
「この地では社交がないのだから、そんなに要らなくない?」
ひとりでも着られるドレスなのでミミルカの手伝いは必要ないのだけれど、彼女に「わたしの存在意義は……奥様付きの侍女なのに……」と悲しげに言われてしまったので、あえて手伝ってもらっている。
「わたしの評判が悪くて、皆さんによく思われていないことは承知しているの。それは仕方がないことだわ。だから、もしかしてこのお屋敷の人たちに『旦那様にはふさわしくない女を追い出そう!』なんて意地悪をされるかもしれない。その時に備えて、手伝いが不要なものだけを持ってきたのよ」
「奥様! わたし共のことをなんだと思っていらっしゃるのですか? 仮にもこのお屋敷の奥様という立場の方に意地悪をするなんて……」
「ミミルカさん、おはようございます。あのねー、シャロン様は、そういう物語を読んだみたいなんですよねー」
寝起きのドナがあくびをしながら広い衣装部屋にやってきた。
「物語、ですか?」
大きな鏡に大口を開けた間抜けな顔が映ったので、ドナはふへへと笑っている。
わたしはため息交じりに言った。
「おはようじゃないでしょう。わたしよりも長く寝ているなんてどういうことよ?」
「旅で疲れちゃったんですから、仕方がないんです。ミミルカさん、シャロン様ったら携帯食もたくさん持ってきたんですよ。ごはんを出してもらえない時に備えてですって」
「まあ……」
ミミルカに呆れられてしまった。
「だっ、だって! あなたも『悪の氷結花』の評判を耳にしているでしょう? そんな人がいきなり『奥様でございます』なんてやって来たら、いい気持ちはしないでしょう? そんな女はこのお屋敷から追い出して、もっとましな令嬢にお嫁に来てもらおうってって思うかもしれないじゃないの」
「その酷いお話が、小説の筋なのでしょうか。まともな大人がそのようなことをするわけがありませんわ」
「王都の大人は、そういう企みが得意だったわよ?」
「実際にやる人がいらっしゃるのですか!」
ミミルカは、本気で驚いたようだ。
「それはともかく、実際にお会いした奥様は、そのような噂とはぜんぜん違うお人柄でいらっしゃいますし……」
ミミルカは「万一、奥様が噂通りの方だったとしても、それは過去の奥様でございます。このミミルカは、今の奥様はお仕えするにふさわしいお方だと思いますわ。ええ、このような素晴らしい奥様が輿入れしてくださって、このセイバート領は幸運な土地だと思います」と言ってくれた。
「今日からミミルカは、どんなことがあろうとも奥様のお味方ですわ」
「ミミルカ……」
わたしはちょっと感激してしまい、鼻をくすんと鳴らして「ありがとう」と呟いた。
ミミルカは「ほら、奥様はちゃんとありがとうを言ってくださるではありませんか」と笑った。
いい感じの雰囲気なのに、空気を読まないドナが口をはさむ。
「そういえば王都では、セイバート辺境伯はゴリゴリでむっさい、山に棲む野獣みたいな恐ろしい男、なーんて噂が流れてましたよ」
「そうなの?」
わたしはドナの言葉に驚いた。
あんなイケメンがむさい野獣ですって?
どうしてそんなことを言われていたのかしらね。仮にも王弟でいらっしゃるのに、それはほとんど悪口じゃないの。
「どこかで恨みでも買ったんですかねー。たとえば、はっきりとは言えませんが、王妃とか王妃とか王妃とかー」
めちゃくちゃはっきり言ってるわ!
しかも『様』をつけていない。ここまで失礼を貫くと、逆に潔いわね。
もしも恋の相手だったなら、イケメンなのはポイント高い。けれど子育てを一番に考える今、大切なのは顔ではなくて、ジェレミーの父親として態度や振る舞いがきちんとしているかどうか、である。
なんといっても、これは形式だけの結婚なのだから。
あーあ、日本にいた時も彼氏ができなかったけど、わたしの人生の男運は絶望的だわ。開き直って、一生清いままで過ごしてやるからね!
そうこうしているうちに、食堂に移動する時間になった。
このお屋敷はとても大きな建物で、ダンスパーティーがひらけそうな大広間もある。食堂も、お客様をお招きして正式な晩餐会を開けるものと、家族が使うものと、使用人たちが使うものがあるという。今夜は家族用で食事を取るのだ。
ドナとミミルカは使用人たちと後で食べるとのことなのだが、わたしに付き添ってついて来てくれるという。
「もちろん、家令のエルトンさんと家政婦長のセレアさんもお部屋にいらっしゃるはずです。あのふたりも奥様のお味方だとお考えくださって大丈夫ですわ」
「それは心強いわね。とにかく、ジェレミーに一番良い結果となるように、話をまとめましょう」
「はい、奥様」
「やる気満々っすねー。ちびっ子くんのために、がんばりまっしょ! ほい!」
そういうドナも気合いが入っているわ。
わたしたちは、子どもは世の宝、という点では意見が一致しているのよ。
エルトンとセレアが来てくれたので、わたしたちはぞろぞろ連れ立って食堂へと向かった。
「どうぞ、奥様」
エルトンが扉を開けてくれたので、わたしは背を伸ばして悠然と中に進む。そこにはすでにダリル様が着席していた。ジェレミーはまだのようだ。
わたしは浮かない顔のダリル様に「こんばんは、旦那様。思うんですけど、まだ結婚していないのですから『旦那様』とお呼びするのはおかしいかしら? ダリル様って呼んだ方がよろしくて?」と尋ねた。
「呼び方などどうでもいい」
「それじゃあ、ダリル様って呼ぶわね」
にっこり笑顔も大サービスしてそう言うと、彼は視線を逸らした。
「わたしのことがお嫌いのようですけど、本当の夫婦になるわけでもないから堪忍なさってくださいな。でも、子どもの前で不仲な態度を取るのはおやめくださいね。ジェレミーが傷ついたらいけませんから」
すると、ダリル様はわたしを見て「わたしの気持ちを勝手に決めつけないでもらいたい」と怖い顔で言った。
「ダリル様」
「なんだ?」
「眉間に皺が寄ってますよ。子どもが来るのだから、笑えとは言いませんが、そのような獰猛な顔はおやめください」
「獰猛だと?」
「そこのナイフに顔を映してごらんなさいませ」
意外にも、ダリル様は素直にナイフを手にすると、そこに自分の顔を映して「なるほど、寄っているな。これがいけないのか」と眉間の皺を指でさすっている。これには不覚にも、ちょっと可愛いと思ってしまった。