81話『猶予』2
「げほっ!おえっ!!げほげほっ」
枯れ木の森。
大きな木の下でリーバンは、何度も嗚咽と咳を繰り出す。
胃の中のものはあらかた吐き出した。
それだというのに、強烈な吐き気も、体の震えも収まらない。
そんな彼に、フォックスが小さな手で水筒を差し出す。
「す、すいませ――。げほ、げほ!」
咳込みながらも、リーバンは水筒をつかみ取り中身を飲み干した。
「危機感のねえ奴だな」
リーバンを冷たく見下ろしながら、グーファルトは呟くように言った。
黄緑色の瞳が、銀色の男を見上げる。
グーファルトはにやりと笑った。
「水の中に毒が入っている可能性を疑わないのか?」
「――!」
優男の整った顔が蒼くなる。
口元に手を置いて、また胃の中のものを吐き出す姿を見て、フォックスはグーファルトをにらみ上げた。
「睨むな。これはそういう『ゲーム』だぜ……?」
「――ご安心を、『三の王』。嘘ですよ」
にやり、口元を吊り上げるグーファルト。
その言葉を否定する、凛とした声が響く。
視線を向ければ、こちらへと向かい歩くカトリーナの姿が映った。
「今毒殺するぐらいなら、先ほど貴方を助けはしないでしょう?」
膝をつき、嘔吐を繰り返すリーバン。
その彼の側に腰を下ろし、背中をさすりながらカトリーナは言った。
彼女の言葉でリーバンが顔を上げる。どうやら、グーファルトの嘘に気が付いたらしい。
ほっと胸をなでおろしているのがよくわかる。
「で、女帝様。他の連中はどうだ?」
グーファルトは謝罪をするわけでもなく。カトリーナに問いかける。
その視線は彼女ではなく、森の中。
木々に腰掛け、それぞれの反応を示す、『10の王』に向けられていた。
「『六の王』陣営はみな無事です。エリザベート様が気を失って、ドトール様と執事が開放しております」
カトリーナの言葉にグーファルトは眼を細めた。
――まぁ、そうだろうな。
グーファルトは胸ポケットから煙草を取り出すと、口にくわえながら小さく息をつく。
「『九の王』――。そして彼女が助けた『四の王』と『五の王』も、彼らには怪我はありません。」
「……『九の王』は『猟犬』との戦いで腕が折れたように記憶しているが?」
「妾も驚いたのですが、もう傷はすべて治っているようでした」
この発言にグーファルトは僅かに眉を顰めた。
サングラスの向こうで、銀色の眼がレベッカを写し取る。
何を考えているのか。それは獲物を見る目に近かった。
そんなグーファルトの様子に気が付きながらも、カトリーナは続けた。
「ただ、彼らが連れていた『協力者』に被害がありました」
「ほう」
銀色の眼が再びカトリーナに映る。
「さきほど森の中で、『四の王』が引き連れていた使用人2人と、『五の王』が引き連れていた使用人1人の遺体が見つかりました」
「……」
二人が引き連れていた使用人。
『四の王』は安物の執事服を纏った青年が3人。
『五の王』は安物のメイド服を纏った少女を3人。
それぞれ引き連れていたが、どうやらここから被害が出たらしい。
どうせ着地がうまくできなかったのだろう。――鍛錬不足だ。
「ジェラルド様もマリアンヌ様も、これにはかなりお怒りのようですわ」
カトリーナは淡々と報告する。
彼女は『10の王』の中で、あの高さから自力で着地した。
それも自身の『協力者』をも助ける形で。
見た目は華奢な少女だが、その能力『参加者』の中では一桁ほど上なのは確かである。
「ほかに被害者は?」
「いません。朗報というべきか、悲報というべきか。脱落者は0です」
「そりゃ――。これぐらいで死んだら、次の王様なんてできねぇだろうさ」
グーファルトは、煙草の煙を吐きながら鼻で笑う。
少なくとも今の皇帝なら、こんなぐらいで死ぬことはない。
次の王もこうでなくては、誰も認めないだろう。
先ほどの女の姿をした【化け物】は規格外だが、これで一応王選抜の一次は通ったといえる。
となれば、次の問題だが。
「……いや、これはおれの問題じゃねぇか」
小さく笑みを浮かべて、グーファルトはフォックスに視線を向けた。
「おい、フォックス。そんな軟弱の相手なんて無駄だ。おれたちはこの場から離れるぞ」
「――でも」
少年の赤い瞳がグーファルトを見上げる。
しかし、今度は彼も折れるようなことはしなかった。
むしろ、ここで少年がわがままを言えば、確実に置いていかれるだろう。
フォックスは僅かに下を向いて、グーファルトへと駆け出す。
ふわり、リーバンとカトリーナに背を向けて二人は歩き出す。
「……どこへ行くのですか?」
カトリーナがそれを制した。
凛とした桃色の視線が、グーファルトの背を射抜く。
「――おれとあんたの契約は、あの屋敷の中だけだぜ?『三の王』を助けのは気まぐれだ」
「ですが、『猟犬』の強さを見たでしょう?貴方が必要ですわ」
カトリーナの申し出にグーファルトは口笛を一つ。
銀色の眼が、まっすぐにカトリーナを映した。
「いうね、お嬢さん。もっと胸が大きくて年が上だったら、了承してたかもな」
「……」
それは揶揄っているように聞こえるが、拒絶ともとれる。
いや、殺気がわずかに混ざっているのだから、完全なる拒絶だろう。
相変わらず、口元に弦月の笑みを張り付けながら、グーファルトはつづけた。
「あんたが危惧している『猟犬』だがな。確かにあれは飛び切りのイレギュラーさ。あいつを殺るなら、人出が多いことは越したことねぇ」
「でしたら――」
「だが、おれは数での犬狩りなんてものは嫌いでね。むしろ大きな獲物は一人で狩る派なんだよ」
「……」
「――悪いな」
サングラスの奥で、銀色の眼がわずかに揺らめく。
「悪い」なんて言葉にしながら、一切の感情はカトリーナに向けられていない。
これ以上引き留めても無駄なことは、嫌でも理解した。
カトリーナも僅かに思考を巡らせる。
ここで、グーファルトという戦力を失うのは大きすぎる。
ならいっそ、ここで他の『10の王』と協力して、先にグーファルトを相手取るか?
――いや、無理だ。
『猟犬』を倒す前に、確実に数人は殺られる
だから、導き出せる答えは一つしかない。
「分かりました――。引き留めて申し訳ございません」
カトリーナの独断に、グーファルトはニマリと笑み。大きな手を片方上げる。
「ま、あんたは気を付けな。――『三番』の事もよろしく頼むぜ」
旋風が駆ける。
思わず目を覆えば、その瞬きの間にグーファルトと少年は姿を消した。
残されたカトリーナは、大きく息をつくしかない。
「か、カトリーナさん……」
足元で不安そうな声色が一つ。
リーバンが黄緑色の目に、涙をためてこちらを見上げていた。
カトリーナは再び、地面に膝をつき、彼の背中に手を伸ばす。
「彼は――『十の王』はもう……?」
「心配ありません。彼がいなくとも、妾たちが協力をすれば、『猟犬』も倒せますとも」
なんて、嘯きながら、彼に激励を送る。
「じゃ、じゃあ今から『猟犬』のもとに――」
「行きませんよ。それより先に問題があります。――少なくとも一時間半は、ね」
まずは迅速に彼を安心させ、行動に移さなくてはいけない。
猶予は一時間半しかないのだから。




