79話『貴方の証』
「おい。……おいシーア!」
壁のあちこちに穴が開き、今にも崩れかかっている屋敷の中。
アドニスは忌々しそうに宙を見上げた。
目に映るのは優雅に足を組み、顎を手に乗せたシーアの姿。
ニタニタリ。笑みを湛えてアドニスの周りをふわりと跳ぶ。
「なんだ?何か問題ある」
「問題だと?問題だらけだ……!」
ぬけぬけとしらばっくれる彼女の足を掴み、引っ張り下ろす。
珍しく従順にシーアはその身体を地に降ろした。しらばくれる様に、不敵に静かに笑みを湛える彼女。
それならばと、アドニスはその胸倉を掴み、顔を近づける。
「――今のはなんだ?」
彼が問いただすのは、つい先程の事。
『九の王』と戦っていると突然、女の足元に穴が開き姿を消したのだ。
気が付き周りを見れば、同じように『王』達の下に空に繋がる穴が開く。
吸い込まれていくように落ちていく彼らを見て、すぐ様に誰の仕業かと理解した。
というか、こんな事出来るのは彼女しかいない。――だから、今こうして詰め寄っている。
その犯人はニタニタリと笑うばかりだが。
「今のは、とは?」
「――『王』の足元に穴が開いただろう。何をした?」
眉を顰めて更に問い詰めた。
此方は真剣に怒っているというのに、シーアはいつも通りだ。
アドニスの顔を覗き込んで、やはりニタニタリ。
「あれ?あれなぁ。――やれば出来ちゃった☆」
――なんて。額がくっつくぐらいに顔を近づけて彼女が笑う。
その言い草に頭に血が上る感覚が襲った。
「出来ちゃったってお前……!何を勝手に!」
そんなこと命令していない。
本選では勝手なことは慎めと命じたのは実に昨晩の事だ。だというのに。
あのままであれば、二人ぐらい処せたはず。それを邪魔した。この事実が実に腹立たしくて堪らない。
何より、先程の言葉はなんだ。
まるで皇帝から授かったかのような物言い。いや、確実に皇帝からのお言葉だった。
一体いつどこで、授かったというのか。
なんにせと、実に面倒なことしてくれたものだ。
様々な苛立ちがアドニスの中を駆け巡り理不尽な怒りが溢れ出す。
そんなアドニスの心を読むように、笑ったのは勿論シーアだ。
「ここで二、三人殺したらこの先飽きるのは君だと思うけど?」
「お前!」
「心は読んでない」
こつん――。額がぶつかる。
目の前の彼女がニタリと笑って、唖然としていたアドニスから離れたのは少し経ってからの事。
「一気に殺してしまったらツマラナイ。皇帝様もそれは望まない……。そう君は言うはずだ。ここは恰好の餌場だったけど、遊び場としては下の下。――違うかい?」
真っ赤な瞳が真意を付く。
彼女の前で高ぶっていた気持ちが嘘のように冷め行き、頭がクリアになっていくのが分かる。
――。言い返せない。
それはつい先刻、この屋敷に入るまで定めていた事じゃないか。
呆気なく『ゲーム』を終わらせてしまったら自分も、皇帝陛下もつまらない。
だから、極力獲物を泳がせてから狩りに出よう、と。
完全に、遊び過ぎていたようだ。
シーアから目を逸らしアドニスは唇を噛む。
「……。あいつらは何処へやった!?」
「気にしなくても、この村の何処かにいるよ。其処まで離れていない所に落としたからね」
問いかけに対し、まるで安心してくれと言わんばかりの言いぐさ。
シーアの目を見る。相変わらず、興味も無い視線を此方へと飛ばす。
しかし、嘘を付いているようには見えないし。
此処で自分を裏切る様な嘘を付く女ではない事は理解している。
「それならいい」
だからこそ。小さく息を付いて、この話を終える。
なに。獲物はもう逃げられない様になっているのだ。
先程見えた穴の隙間から、『組織』が動いたことは確認済み。
だからこそ話は終わりだ。問題は次。本題へと入る。
「で、さっきのはなんだ?」
「さっきとは?」
「さっきあいつらに言っていた言葉だ。何処で聞いた?」
「ああ。さっきの宣告?」
「そうだ」
シーアは顎をしゃくった。
先ほどの宣告――。
それは『王』達に向けた彼女の言葉だ。
先程も記したが、アレはまるでと言うか正しく皇帝からの勅令があったようではないか。
「お察しの通りさ。君の知らない所で皇帝様から私にお達しがあってね」
「!」
アドニスの考えをシーアがあっさりと肯定した。
目の前で彼女がまた、ふわりと宙に浮く。
足を組み。しかしその表情は冷たく。氷のように。
「それも今朝。朝方の事さ」
「今朝だと?」
今朝。朝方と言えば、丁度この村へと出向くために出た時間だが。
ああ、と思う。ふとした瞬間に頭から抜けてしまうが。
『二の王』の一件で、今は一人暮らしではなく『組織』に厄介になっていると言う事に。
シーアが誰かと接触することなど、前に比べればいとも簡単になったと言う事。
「苦労人のおじさんに手渡されたんだよ。手紙をね」
「ドウジマか?……そう言えば、今日出るときに声を掛けられたが――」
あのときか。溜息を一つ。
「何故、俺に言わなかった?」
「言う必要も無いだろう。ただのゲーム開始の伝言だ」
「……俺も参加者の一人なのだが?」
イラっとした様子で声を漏らせばシーアは僅かに笑みを浮かべた。
この様子だと忘れていたのか。それとも何時ものようにわざとか。
どちらでも良いが、重要な情報をこうもサラリと……。
「で、さっきのは皇帝からの命令で良いんだな」
「命令?――まあ、君が思いたいのなら、それでいいんじゃないかい?」
すっとシーアはそっぽを向く。
あの一件。彼女が皇帝に初めて会った日。あれ以来、本当に彼女は皇帝に興味を無くしたらしい。
すこし話を振ってもこの通り。興味が失せたように視線をそらしてしまう。
別に何かを考えている様なわけでもない。心の底からどうでも良いと言う瞳。
彼女に、ゲーバルドと言う男の恐ろしさは一生伝わらないだろう。
こっちは彼女を、皇帝に捧げなくてはいけないかもしれないと言うのに。
「……」
「なんだい?」
思わず俯いているとシーアは顔を覗かせる。
不思議そうに、悪戯っぽく。
アドニスは迷いを振り払うかのように、首を振って彼女を見据えた。
「まぁ、良い。皇帝からの言葉は賜った。――じゃあ、その背中はなんだ?」
遂に、今まで気になっていた一部分を指摘する。
シーアは何時もの露出の高い喪服を模したドレスに身を包んでいるのだが。
その大きく開いた白雪の様な白いその背中に。
そこにしっかりと大きな、赤い入れ墨が刻まれているのだ。
三角の耳に、アーモンドの形の瞳。
逆三角の鼻に丸みを帯びた二つ繋がる口。
全体的に角ばってはいるが。
簡単に言えばまるで、と言うか完全に『猫』を模した刺青。
「ねこ太だ!可愛いだろう!」
そして彼女から返って来た言葉で完全に確信だ。
「なぜ?なぜ、そんな刺青を?」
「これも皇帝様のご命令さ」
「は?」
ニタリ。今度は笑う。
何処からともなく何時もの暗闇が空いて、シーアは手を差し入れる。
穴の中から取り出したのは一枚の書状だ。
ソレが皇帝直々のモノであると残された封蝋で分かる。
「これ、君に♪」
「……あ?」
手を伸ばし、ひったくるのに一秒。
けらけら笑う前で、破る様に手紙を裂き中身を出す。
内心。何を命じられるか、破裂しそうな動悸を抑えながら一枚の折りたたまれた紙を開いた。
『体の一部にこの紋様を刻んでおけ。余の証だ』
文にはただその一言。そして別の紙がもう一枚。
記されていたのは王冠を被った一頭の獅子が、大蛇を噛み殺すエンブレム。
現皇帝、ゲルバードの為に描かれたという『世界』の紋章。
これは、間違いなく皇帝からの命。
新しい世界を創る『王』ではなく、ゲーバルド。
『世界』の使者だという示し。
それを身体に刻めと言う事は、自分達は皇帝の使いと表し。
また皇帝のモノと言い表している様なモノ。
――だが。
「なぜお前は、ねこ。ねこ太?」
「かわいいにゃろ?」
「……」
頭で猫耳の様に両手を立てるシーア。
あほらしく感じて何も言い返せなくなった。
いや。しかし皇帝からの命令があるのだが。
「………………」
アドニスが思考を巡らせていると、そそそ……と、シーアが忍び寄る。
細長い指が彼の胸元。鎖骨あたりへと伸びた。
「……えい!」
「!」
なんて、実に軽く。ちり、とした僅かな痛み。
それだけで、シーアはアドニスから身体を離し、宙で足を組む。
「ふふん。これで皇帝様とやらの命令は聞いたな!」
この言葉にはと我に返った。
シャツを掴み上げ、横に引く。露わになった自身の鎖骨……。より少し下か。
その紋章は刻まれていた。もちろん。「ねこ太」の方。
「はぁ!?なにしてる!!」
「にゃにって、皇帝の命令通り動いたまでさ」
「どこがだ!こっちだろう!」
思わずと手に持つ紋章が描かれた紙をシーアに突きつける。
もはや彼女にそんな能力があったかとか、驚くことも無い。
というか、そんな力があるならこの指示書通りに動いて欲しいのだが。
「消せ!いや、こっちの紋章に変えろ!」
「いやだよ!!蛇を食う獅子なんて絶対に嫌だね!」
命令すれば、案の定シーアは嫌だと駄々を捏ねた。
ふわりと宙に浮いて顔をぷい。
きっとあれだ。
可愛くないから嫌だと抜かしたいのだこいつは。
しかし。エージェントとして皇帝の命令に逆らう訳にも行かない。
「いいから!コレにしろ!」
「だったら君のだけ変えてやるさ!私はコレが良い!――せっかく考えた君のマークなのに」
「は?」
「だから、君のマークだってば!つまりは名札!自分のモノには名札をつけるものだろ?」
「――!」
ただの言葉一つで、アドニスの非難は枯れ果てる事となるのだが。
一瞬でアドニスの頭の中は真っ白になった。
だって、お前、そんな、まるで、それって。
彼女が自分のモノみたいに――!
ていうか、よく考えれば。おそろいのマークだなんて。
いや。そうじゃない。違う。
「お前!!またそうやって俺を翻弄する気だろ!」
「は!?言いがかりはよせ!」
「今のじゃ、まるでお前が俺のモノだと言っているみたいじゃないか!」
最近はシーアの突拍子も無い行動に、慣れて来たアドニスの反撃。
的を射た言葉にシーアは珍しく唖然といた表情を浮かべた。
勿論何時も様に。変わらずその瞳には色が無いけれど。
眉を顰めたままのアドニスを前にシーアは腕を組む。
首を傾げ、当たり前の様に言葉を一つ。
「それは、正解じゃないか?私は君の武器みたいなもので参加してるし」
「……」
ほら、コレだ。
思わず此方が飽きれてしまう程に、事実を簡単に叩きつけて来る。
彼女に対して期待を抱き。胸を高鳴らせるのは実に愚策。
アドニスは眉を顰めたまま、大きなため息を零した
「もういい」
額を押さえて一言。
そんな様子を見て不服そうにシーアが口を開いた。
「全く。じゃあ、その可愛くないマークにしてあげるよ!」
「……もういい。これでいい」
「む?」
「ああ!もうこれでいい!!」
言い争うのも馬鹿馬鹿しくなって。同時に喜ばしい自分もまだ心の中にいて。
アドニスは背を向けて言い放つ。
「なんだい、なんだい」なんて彼女の怒りにも似た声がまだ木霊するが。
そんなシーアに、バレない様にアドニスは再び小さく吐息を零した。
ああ、何度目だろう。彼女にこうも簡単に言い包められるのは、と。
言い包められるというか。言い負かせられるというか。
彼女の言葉に期待を抱いて、自分から降りて、最後には結局勝手に落胆するのは。
目を閉じれば頭に浮かぶのはいつも通り赤い瞳。
此方を見つめる興味も抱かない色の無い赤い色。
この数週間で慣れたと言うモノ。
どうせ、彼女は自分にさほどの興味も抱いていない。
それでもアドニスは、どうしてもシーアと言う存在には弱いままなのだが。
弱音を心で浮かべ、直ぐに振り払う。
其れより今は此のゲームに集中しなくては。
壊れた屋敷の中、アドニスは彼女に背を向け、歩く。
向かうのは、一応は原形をとどめている大きな階段。
「あれ?追わないのかい?」
機嫌を直したのか。興味を失ったのか。不思議そうにシーアが問う。
なにを。自分で先程宣言した癖に。
「1時間半――。それがあいつらに与えられて猶予だろ?だったら待つさ」
細かい瓦礫を払い、階段の2段程上に腰かけ、今日幾度目かの溜息。
目の前でシーアがニタリと笑う。
もう慣れてしまったが、やはり彼女は何時ものように不似合いな笑みを浮かべる。
ふわり――。彼女の身体が舞って、アドニスの側。腰を下ろしたのは直ぐの事。
そんな彼女から目を逸らしながらアドニスは自身の足を机代わりに。
肘をついて大きなため息を一つ零す。
「全く……。いつもの目で見るくせに、あんなこと言うなんて。――本当に無駄な3週間だった」
苦々しそうに呟いて。
アドニスは静かに目を閉じるのであった。




