『世界を滅ぼす謎の筒』
深夜の軍事施設の屋上。
壁にもたれかかった男が一人、床に腰を降ろして脱力したように座り込む。
彼はガスマスクを外し、黒い血管の浮き出た顔を焚き火の灯りで照らし出しながら、静かに語り始めた。
「なあ、あんたは自衛隊の『薬莢拾い』って知ってるかい?」
『…………』
日本語での問いかけ。
それが通じているかどうかもわからない相手に皮肉っぽい笑みを浮かべながら、彼は続ける。
「俺たち自衛隊ってやつはな、訓練の後で薬莢を拾わなきゃいけないルールがあるんだ……磁石にもつかないちっこい金属片をさ、数が合わなきゃ数が合うまで何度でもやり直しってな。アンタにゃわかんねえ不合理な話かもしれねえが、使った弾数の厳密管理とかなんとかで本当に見つからなきゃ何度も何度もみんな揃って大捜索って流れになるんだ……コフッ……」
『…………』
軽い吐血。
のた打ち回りたくなるような苦しみを押さえつけて、彼は脳裏を流れる走馬灯を言語化するかのように語り続ける。
「まだ訓練始めて日の浅い頃だったな……あの日は特に大変だった。ほんの短い隙に、飛んでいった薬莢をカラスが拾って巣に持って行っちまっててな? 夕暮れまで部隊のみんなで大捜索よ……前例がないくらいのレアケースだぜ? ようやく見つけたのが木の上のカラスの巣の中でな……そんときゃ、良い年して男同士で肩車なんかしてようやく回収できたんだ。10gにも満たないちびっこい真鍮の火薬入れを、宝物みたいに握りしめて、今度は絶対になくしてたまるかってな……」
『…………』
その時の感覚を思い出そうとして拳を握ることすら気力を必要とするのか、男は自らの酷く震える手を見て自嘲する。
「で、そんときに肩車の土台になってくれた相棒が……そこの隅で倒れている親友だ。まさか、人類最後の二人になっちまうとか思わなかったが……ポストアポカリプスってのかね。ここまでの二人旅は、まあ悪くなかったよ。むさい男同士じゃ絵にもならねえが、こいつがいなきゃここまで来られなかった……だんだん弱っていく相棒を見るのは辛かったが、まあそれはお互い様だったな」
『…………』
そう言って男の目線が指し示すのは、ほど近い屋上の床に倒れている迷彩服の遺体。
最後にガスマスクを外す余力もなかったのか、マスクの下に顔を隠したまま息絶えた彼の素顔を見ることはできない。
「せめて死ぬ前に何か意味のあることをしたいってだけで最後の目標地点をここに決めて旅をしてきたが、二人でここまで歩くことができただけでも、自衛官として鍛えておいてよかったって思うべきか……ゴフッ、ゲホッ……ちっくしょうめ」
『…………』
先程よりも激しい吐血。
それは、彼の『病状』が急激に進行していることをありありと示していた。
「……これも、ウイルスだか細菌だかの生物兵器のせいさ。もはや世界中で混ざりすぎて、変異しすぎて、元がどこの馬鹿が作って撒いたやつかもわからねえが。アインシュタインは第三次世界大戦の武器はわからないなんて言ってたが、正解は致死病の病原体だったわけだ……それも、棍棒と石の第四次世界大戦なんて起こりようもないくらい徹底的に人類が終わっちまった」
『…………』
静寂に包まれた世界。
深夜だというだけでなく、文明の光すらない夜闇の世界。
その中で一つだけ煌々と灯る焚き火に照らされて、男は命を削って言葉を続ける。
「複数種の病原体のせいで一つに耐性があっても多少死ぬのが遅いか早いかくらいな話だったしな……無線で拾った最後の方の通信じゃ、僻地もほぼダメだったらしいしな。ま、現代じゃ人が暮らせて外部と交流が一切ない地域なんてないようなもんだ……無人島で自給自足生活していようが納税は要求されるくらいだしな」
『…………』
『どっかに誰かは生き残ってるかもしれねえが、文明としての地球人類は終わりだ』。
床に落とした視線の先に血の底の地獄でも見えているかのようにそんなことを吐き捨てて、彼は視線を上げた。
「で、だ……その大惨事な第三次世界大戦の原因が、その焚き火の中で炙られてるコーヒー缶みたいな筒ってわけだ。なんかいろいろと文字っぽいものも刻まれちゃいるが結局誰も読めやしなかったな」
『…………』
男が目線を向ける焚き火の中。
その中には、確かに黒い円筒状の物体が立てられている。
「わかったのは、『宇宙人の作った装置』ってことだけ……元々、発見から隕石みたいに落ちてきたって経緯で宇宙産だってのは明らかだったし、その上で人造物。明らかに地球人類の技術力を超えた代物だってテレビやネットは大騒ぎだったよ。本当は政府やら国連やらがそうなる前に情報封鎖したかったんだろうが、そいつの性質的に間に合わなかったからな」
『…………』
パチリと、火の中では木材の空気が膨張して爆ぜる。
しかし、黒い円筒は焚き火の熱くらいではなんの変化も示さないらしく、変形の兆しも破損の気配もなく、ただ黙々と熱を吸っている。
「結局、本当になんもわからなかったぜ……今の地球の技術じゃ解体はほぼ不可能ってことと、熱を吸って電波を発するってこと以外。電波がやたら強力なせいで、そいつが落ちてきた時の熱で発された電波が世界中で電波障害を起こして存在を隠せなかったんだ」
『…………』
『今も電波がバリバリ出てんだろ?』。
男はそう言って、牙を剥いて嗤った。
「いろんな憶測や推測が溢れたのを憶えてるぜ……そいつは宇宙人が異文明を見つけるためのビーコンじゃないか、とか。『通信装置』なんじゃないか、とかな。ネットの噂が先なのか政府やら学者やらの推測が先なのかは知らないが、そいつが致命的だったな」
『…………』
立ち上がることもできないまま、上目遣いで睨み上げる。
精一杯の敵意を伝えようとするかのように。
「誰かが言い出したんだ……『実はもう宇宙人との通信が始まってるんじゃないか』って、そこから陰謀論と繋がって、それが落ちてきた国の政府に宇宙人との内通の疑いがかかってな……そこからは誰がそいつの管理をするかとか、もう既に別の経路から通信手段を確保してるんじゃないかとか、疑心暗鬼になったんだろうな。だんだんと世界の空気がおかしくなり始めたんだ……精神的にも、物理的にも」
『…………』
その口元から新たに溢れる血液。
もはや、無駄に咳き込む体力すらないというように男は話し続ける。
「『地球侵略の手伝いをしてる』ってよりも、勝手に地球代表として交信してるんじゃないかって方が怖かったんだろうな……なにせ、その筒の異常な強度だけでも技術が上なのは明らかだったんだ。そんな異文明に、どこか一国にだけ技術供与なんてされたら地球の軍事バランスが崩れる……最初にこれが落ちてきた国も面倒事を避けたかったんだろうが、唯一無二のオーバーテクノロジーを簡単に手放しすぎじゃないかって、既にそんなものいらないくらいの新兵器の量産でも始めてるんじゃないかと疑われてたくらいだ」
『…………』
『あそこの国の人たちは本当に災難だったな』。
そう呟く彼の表情は、彼が真っ当に人の不幸を悲しみ他人の痛みを自分のことのように思える人格を持つことを……そういう人間でありながら、『人類最後の生き残り』という誰よりも苦しい位置についてしまったことを意味していた。
「だが、本当に宇宙人が味方についてる国があるとしたら鉛玉をバカバカ撃ち込めばいいって話でもねえ。もしも、その国を友好国扱いした宇宙人が大軍隊を連れてきて報復に来たりしたら困るって判断はわりと共通してたんだろうな。それに、もし疑いが疑いでしかなかった時、出元のハッキリする兵士やらミサイルやら、世界から批判されるのが目に見えてる核兵器やらは言い訳ができない……だから、出元を辿れない攻撃方法として、自然な衰退を装うために生物兵器が選ばれた」
『…………』
ペッと口の中に溜まった血を吐き捨てる。
遠く、強く、その血反吐が少しでもこの終末の元凶へ届くことを願うように。
「その結果、どこの国が撒いたやつが変異したのかは知らないが地球の大気は汚染されてこの有様だ。相棒といろいろやってみたが、今じゃ通信もどこにも繋がらない……その相棒も死んで、最後の人間が俺ってことなんだろう?」
『…………』
男は改めて、目の前のモノを睨みつける。
その瞳に焚き火とは別の輝きを反射させながら。
「せめて最後に疑問をハッキリさせてやろうと思って電波暗室に隠されてたこれを屋上で火に放り込んだんだ。まあ、正直もう答えは分かってて答え合わせだけしておきたかっただけなんだが……こうなるのも全部計算してたんだろう?」
『…………』
返答はない。
異文明の言語の翻訳に時間がかかっているのかもしれないし、下等生物との会話なんて成立させる意義すらないと思われているのかもしれない。
どちらともわからずとも、残された時間のない男は気力を振り絞って言葉を紡ぎ続け、問いを投げる。
「わかってたんだろう? オーバーテクノロジーで造られた謎の物体一個を送り込むだけで不安定な社会を綱渡りしてたこの星の人類は呆気なく自滅するって」
『…………』
答えはない。
だが、男にはそれが無言の肯定のように、『そんな馬鹿とは話す価値もない』と返されているように感じられたのか、どこか納得したように口角を上げる。
「笑えよ? これで晴れてこの星に満ちるインフラも、俺たち地球人類が長年かけて地下から掘り出して地表に並べた資源も、そっちに価値があるかどうかもわからない文化遺産も、全部あんたらのもんだ。殺人ウイルスなんざヒトにしか意味がねえだろうしな……結局、生物兵器への報復なんてどこにすりゃいいか調べる間もなく終わっちまって核戦争にもならなかったから放射能汚染もない。あんたらは本当にうまくやってのけたわけだ」
『…………』
答えはない。
だが、男は死ぬ前に言っておきたいことは全て吐き出そうと、言葉を続ける。
「なっさけねえ話だぜ、本当に……何千年も哲学やら社会学やらの研究を重ねて何万何億という物語で人間讃歌やら平和への願いやらを重ねてきた人類の末路がこれとは、偉い先人たちも思うまいよ」
『…………』
『人類が宇宙へ旅立つ系のSF……いつかは本当になると思ってたんだがなぁ』。
まるで子供時代の夢想を回顧するように、男は小さな声でそう洩らした。
「まあ、それはいい……もう終わった話だ。俺たちが自分で思ってたよりも馬鹿だったってだけの話だ」
『…………』
男は、目の前の光源を強く強く見つめる。
敵意ではなく、怒りでもなく、ただ真剣に真剣に。
最後の問いを投げる。
「だが、一つだけ教えてほしいんだ。今の俺と同じように何億って人間が最後に疑問符を浮かべてきたはずだ」
『結局、この筒はなんなのか』。
『自分たちは一体なんのためにこんな地獄で死んでいくのか』。
男は、正面から自分を照らす物体を睨みながらそう問いかけた。
「俺はここに来るまで、酷えもんを見せられてきた……女子供も区別なく誰も彼も血反吐を散らして藻掻き苦しみながら死んでいく姿を見てきた。我が子の苦しみを見ていられないと感染した子供を殺して自殺した母親を見た。発症した感染者を死神みたいに恐れてリンチにする群衆を見た。気密シェルターに逃げ込んで停電で窒息した連中の地獄絵図を見た」
『…………』
残酷なほどの静寂に包まれた世界。
そこにはもう、阿鼻叫喚の残響すら残っていない。
「そんな光景を見て、十中八九そうなんだろうと思ってるが……星の支配者を気取って驕り高ぶった猿どもがこうやって自業自得の同士討ちで無残にのたうち回って死んでいくのを見たかったんだろう?」
『……………………』
答えはない。
だが、地球人類の言語を理解しているらしき僅かな動揺が光の揺れとして見て取れたことに安堵した男は、脱力しながら息を吐く。
「ケッ……わからねえでもないよ。ガキが遊びで蟻の巣に水路を引くのと同じようなことだ……蟻にとっちゃ運が悪かったとしか言いようがねえ。俺も昔、そういう遊びをしたことはあるし自分が蟻の側になったってんなら笑うしかねえ話さ」
『……………………』
手を動かせる余力があったのなら、両手を上げて『お手上げだ』とジェスチャーしたかったのだろう。
しかし、その余力もなく手が持ち上がらなかった彼はジェスチャーを諦め、ただ目の前を見つめる。
「……だから、この筒が『こういうものを送り込めばこの星の馬鹿どもは自滅するだろう』って未来予知じみた計算で作られた意味深なだけで無意味なオブジェクトだってんなら、それでいいんだ。そこまでの知力と悪意を持った宇宙人に狙われた時点で地球人類は終わってたって諦められる。だが……その『謎』一つのためにここまで内輪揉めをさせといて、最後の最後までなんの答え合わせもないのは、あんまりだろう?」
『……………………』
男は血を吐きながら、自分の命の灯火が無数の病原体に蝕まれ吹き消されようとしているのを自覚しながら、それでも最後の人類の責務を果たそうとするように気力を振り絞る。
最後の問いを投げかけるために。
「なあ、俺たちを滅ぼしたその筒は、アンタが今手にしてるそれは、いったいなんだったんだ?」
もう残り数十秒の生命から最期の力を振り絞って言葉を紡いだ男。
その前に立つモノは……光に包まれた地球外の生命体は、静かにその言葉を受け止める。
そして、目の前のホモ・サピエンス最後の個体に言葉を返すかを悩むように数瞬の沈黙を要した後に……合成した地球人類の声と日本語に翻訳された言葉で男に告げる。
心底から気まずそうな、申し訳なさそうな声色で、最後の力で求められた『答え』を。
『えっと、その、あの……これ、演習で使った砲弾の空薬莢なんだ……時空の隙間に落ちちゃって、なかなか見つからなくて困ってて、信号がようやく見つかって来てみたら、なんか、ね……だから……なんていうか……お騒がせしたみたいで、ごめんなさい』




