対決!桜餅
満開を迎えた桜の木の下で、りん子は店を構えていた。淡い緑のテーブルクロスの上に白い網棚を立て、可愛くデフォルメされたキャラクターグッズを飾っている。わたあめのようなコスチュームを着た少女のキャラクターは、他でもないりん子をモデルにしたものだ。
つるりとしたアクリルキーホルダー。お菓子のように色とりどりの缶バッジ。ふんわりと広がるバンダナにバスタオル。桜の花びらを受けて薄桃色に染まるグラス。どれもセンスよく仕上がっている。にもかかわらず、客は一人も来ていない。
「引き受けるんじゃなかったわ。一つも売れなかったら私の取り分はどうなるの」
りん子はカウンターに肘をつき、ため息をついた。
近所のスーパーの売れ行きが芳しくなく、グッズを作って盛り上げようという話が出た。そこにりん子が通りかかったのがことの発端だった。
『りんさん、モデルやりませんか。ちょっと顔を貸してもらうだけっスよ』
バイトの太った男はりん子の知り合いだった。軽い気持ちで引き受けたところ、出来上がったグッズを売る役まで任されてしまったのだ。
「あいつが自分で売りに行くはずだったのよ。それなのに」
バイトの男はちゃっかり自分のグッズも作っていた。似顔絵のついた肉まんで、スーパーの入り口前で売り始めたら行列ができてしまったのだ。結局それで手一杯になり、りん子のグッズは宣伝という名の在庫処分をするしかなくなってしまった。
「こうなったら何がなんでも儲けてやらなきゃ。いらっしゃいいらっしゃーい!」
声を張り上げても立ち寄る人はいない。たまに足を止める人がいても、桜の花に見とれているだけだった。にっこり笑ったキャラクターとは裏腹に、りん子はしかめ面になる。
「だいたい花なんて散ったら終わりじゃない。私のグッズのほうが絶対可愛いのに」
ひと枝折ってグッズの横に飾ってやろうかと思った時、ふわふわとおいしそうなにおいが漂ってきた。甘く柔らかく、少し渋みもある。このにおいはひょっとして。
「桜餅……!」
横を見ると、いつの間にかすぐ隣に屋台が立っていた。全身を黒い闇に染めた少年が和柄の前掛けを腰に巻き、ひょいひょいと桜餅を巻いては並べていた。桜餅はふっくらとして色つやも良く、巻き目からのぞいているのはりん子の好きな粒あんだ。
少年はりん子に向き直り、赤い瞳をぎらりと光らせ、不敵な笑みを浮かべた。
「俺は闇の支配者だ。客は全部いただくよ」
その言葉もすぐには聞き取れないほど、完璧においしそうな桜餅だった。
* * *
勝負は簡単に決まった。花を見ていた人たちは甘いにおいに誘われ、次々と闇の支配者の屋台へ吸い寄せられていく。
「坊や一人でやってるの? 偉いねえ」
「顔が汚れるほど頑張ってるんだなあ。全部買うよ」
「うまい! 自信を持って作ったのがわかるよ」
小汚い少年が黒いオーラをまとって偉そうに売っていることが全て吉と出ている。かく言うりん子も自分の店を飛び出して一番に買ってしまったほどだ。三つ買った桜餅は絶妙に柔らかく、もっちりと満足感がありながらも後味は爽やかで、あっという間に全部食べてしまった。
桜餅が客寄せとなり、りん子の店にも行列ができるのではと期待した。ところが客は皆、桜餅のおいしさに気を取られてもはや花見すらしていない。
「桜餅は食べたら終わりだけど……私のグッズはずっと残るのに」
つぶやいても、桜餅の甘さと香りは舌から消えなかった。闇の支配者は見事な手さばきで餅を巻き続けている。りん子と目が合うと、勝ち誇ったように言った。
「どうだ。俺の桜餅に世界がひれ伏すさまを見るがいい」
「ふん。今に見てなさい」
とりあえず桜餅以外のもので腹ごしらえをしなければ。
そう思った時、香ばしい湯気とともに大きなものが近づいてきた。
「りんさーん! 助太刀に来ましたよ」
太った男が肉まんと蒸し器を抱え、桜吹雪の中を歩いてくるところだった。
* * *
「おいしーい! やっぱり春は肉まんよね」
「それ夏にも言ってました」
「一年中言うわよ。うーん、おいしい!」
太った男が肉まんを包んで蒸し、りん子がつまみ食いをしながら陳列ケースに並べていく。じゅわっと湧き出る肉汁に、立ち上る湯気に、食欲をそそるにおいに花見客が一人、また一人とやってくる。
「姉ちゃん、一つ包んでくれ」
「俺は三つ」
「お昼に食べようかしら。四つちょうだい」
肉まんは飛ぶように売れた。太った男はふうふうと汗を拭いながら新しい挽肉と野菜を混ぜ合わせている。りん子も蒸し上がりを待っては並べ、紙に包んで出しては小銭を数え、やがて食べる暇がないほど忙しくなった。
隣の屋台に並んでいた人たちも、肉まんの強烈なにおいに惹かれて列を移ってきた。
「ぐぬぬ……あのデブが余計なことを」
闇の支配者は歯を噛み締めて悔しがった。ひときわ濃いオーラが肩から燃え上がり、頭上の桜をどす黒く染めた。
桜餅の上品な甘い香りは、作るそばから肉汁と湯気にかき消されていく。しばらくすると店先の桜餅が固くこわばり、葉もしおれてしまった。一方、りん子の店は行列が途絶えることがない。
「ならば、これでどうだ!」
闇の支配者はすうっと息を吸い込み、空へ両手を広げた。その口から、信じられないほど深みのある歌声が溢れ出す。
赤い桜は 血の蜜に
ほどけた後は
夢の散り際 跡形もなく
小柄な体からは想像もつかない、憂いと強さを兼ね備えた声だった。りん子は思わず肉まんを包む手を止めた。
並んでいた客が一人、また一人と隣の屋台へ戻っていく。歌声に合わせてなびく黒いオーラが桜の枝を揺らし、肉まんのにおいを吹き飛ばす。
りん子ははっと顔を上げた。
「負けられないわ! あなたも歌いなさい」
「えー。りんさんが歌ってくださいよ」
二人はもごもごと口を動かし、結局歌わなかった。歌唱力で対抗するよりは、一つでも多くの肉まんを売ったほうがいいに決まっている。
りん子はうちわで湯気をあおぎ、おいしいよ、安いよ、と叫んだ。
* * *
「りんさん、俺もう疲れたっス」
「情けないわね。客を肉まんだと思って頑張りなさい」
「言い回しが独特すぎますよ」
三時を回るとようやく客足も途切れてきた。湯気を浴び続けた顔は汗びっしょりになり、休みなく動いていたせいで足もぐったり疲れてしまった。
「ふう。疲れると甘いものが欲しくなるわ」
「俺まだ桜餅食ってないんスよ」
「えっ! あれは食べなきゃ損よ」
りん子は陳列ケースに休業中の札を下げ、隣の屋台へ行った。あの後も売り上げは伸び悩んだらしく、桜餅はいくつも残っている。
りん子に気づくと、闇の支配者は挑発するように笑った。
「俺を誰だと思ってる。これくらい自分で食い切ってやるよ」
「私にも分けてくれる?」
「お前も情けねえなあ」
闇の支配者はりん子の店を一瞥した。
「肉まんばっかり売って、グッズは全部売れ残ってるじゃねえか」
「いいのよ。それで私の価値が落ちるわけじゃないもの」
「へーえ、言うねえ。モノの価値なんぞ簡単に変えてやれるのに」
闇の支配者は手のひらに乗せた桜餅を握りつぶし、黒く染めて小豆かのこにしてしまった。
それはいらない、とりん子は言った。
「そっちの桜餅ちょうだい。全部」
「早くしてくれませんかねー? 腹が減って死にそうっスよー」
太った男が身を乗り出して言った。闇の支配者は勢いよく立ち上がり、黒いオーラを激しく揺らした。殴りかかるのかと思えば、店先の桜餅を大皿に並べて差し出した。
「全部食いな。その代わり貰うもんは貰うぜ」
「もちろんよ。全部でいくら?」
財布を出そうとするりん子に、闇の支配者は万札を突きつけた。
「アクキーとバッジとタオル。釣りはいらん」
「は? ちょっと何言ってんの?」
「俺を誰だと思ってる。意味もなくこんな辺鄙な公園に陣取るとでも?」
闇の支配者はりん子に万札を握らせ、網棚から注意深くグッズを選び、手早く自分の屋台を畳むと、歌を口ずさみながら去っていった。
* * *
「りんさん、これうまいっスね」
太った男は桜餅を夢中で頬張り、緑茶を飲み干している。
「あの小汚い少年、俺の肉まん屋にスカウトできませんかね」
「無理よ。和菓子屋かレコード会社がとっくに声かけてるわ」
風に渦巻く花びらが、桜餅の甘い香りに上品な味わいを添える。
と、そこに強烈な肉と野菜のにおいが混じり出す。
「ちょっと、何やってるのよ」
「桜餅と肉まんって最高に合うんですよね」
「聞いたことないわよ」
蒸し器から新しい肉まんを取り出し、太った男は豪快にかぶりついた。りん子はゆっくりと桜餅を味わいながら、花びら越しに空を見上げた。
暮れていく空は闇も光も溶け合い、過ぎていく季節の優しさと激しさを映していた。
網棚に花びらが落ち、アクリルキーホルダーがほんのりと桜色に染まる。もう少しだけ、ここで客を待ってみよう。
りん子は甘い香りと肉汁の香ばしさを同時に吸い込み、一番星を待つようにゆったりと風に吹かれた。
おわり