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第七話

 私は他の子となにが違うんだろう。

 どうして違うんだろう。


 


 クラスの男の子から告白された。その子は私のことが好きだという。でも私はその子のことが好きではなかった。嫌いなわけじゃない。

 ただ、なんともないだけだ。関心がないのかもしれない。けれど、まったく興味がない一切の無感情というわけでもなかった。その男の子はただただ、クラスメイトだった。


「色音……好きだ……!」


 その男の子は私の足元を見ながらそう言った。

 初めて告白されたから、なんと言えばいいのか咄嗟に分からなくて、しばらく困っていた。そして、訳の分からないまま、


「ご、ごめん!」


 走って帰った。小学生だったから付き合うという発想には至らなかった。もちろん、ネットやテレビで知識としてはあったが、自分がそんな当事者になるなんて思いもよらなかった。その日の夜は怖くてなかなか眠れなかった。嬉しくはないし、悲しくもない。怒りはもってのほか。日常じゃない感じが、すごく怖かった。


 休み時間に女の子たちはおしゃべりをする。席を立って、いつもの人の席に何人かで集まる。私はお話しする相手が居ないから休み時間に席を立たない。でも話す時間は休み時間だけじゃない。先生が教室に入ってこなかったりだとか、授業中だとか。その間も話すことができる。私はそんな時間に、ペアになった子、隣になった子とお話しできる。


 話していると、みんな、放課後だったり休みの日は友達と遊ぶらしいとわかる。私は家族以外の人とお出かけに行ったり買い物に行ったりしたことがなかったから、なんか、そういうのがあるんだなって思った。


 私によく話しかけてくれる子は、私とあまり話さない子と仲が良いらしく、よくお互いの家に遊びに行ったり、お父さんの車で一緒に遠出したりイベントに行ったりするらしい。羨ましかった。そして、その頃からなんとなく、私には友達が居ないんだと気づき始めた。



 クラスメイトの女の子たちに放課後遊ぼうって誘われた。すごく嬉しかった。私を入れた四人で、うちひとりのお家に行って、テレビで動画を見たり、ゲームをしたり、おしゃべりしたりした。


 親戚のお家には行ったことがあったけど、普段学校で見る子のお家だとすごく新鮮だった。私にとっては初めての場所でも、その子は毎日ここで暮らしているんだと、不思議な感覚。家の中がその子の匂いで包まれていた。ずっとワクワクして楽しかった。


 そのあと二回、遊びに誘われた。三回めに誘われることはなかった。私は楽しかったけど、あの子たちからすると馬が合わなかったんだと思う。

 教室であの子たちが一緒に遊んだという話が聞こえてくると、悲しい気持ちになった。

 それからいわゆる女子のグループのいくつかから遊びの声はかかったものの、長続きしなかった。私じゃダメなんだろうか。



 女の子と話すのは緊張する。嫌われたくないから、自分のことを相手に話すのが怖い。嫌われたくないから当たり障りのないことしか言えない。そういう風にやっても、やっぱり誰かと友達にはなれなくて、いつも遠くから女の子たちが楽しそうに話しているところを見ていた。


 男の子と話すのも緊張する。また告白されてしまったらどうしようという不安が拭えない。告白を断りたくて断っているわけではない。相手を傷つけてしまうから、断らないで済むならそうしたい。けど、そういうわけにはいかないから、やっぱり傷つけてしまう。だから私のことを好きになって欲しくない。だけど何度も告白されたし、遊びで告白されることも時々あった。


 男の子たちに好かれると女の子たちには嫌われてしまう。私がどこかのグループに入っていれば悪印象はなかったのかもしれないが、私はひとりだったから、少しずつ、多くはないけれど何人かの女子たちに嫌われていった。


 男の子にも、女の子にも、からかわれることが増えていった。おそらく、男の子はコミュニケーションのひとつとして、女の子は嫌がらせとして。

 いじめと呼ぶほどではなかったけれど、私には繋がりがなくて、どこからも外れていて、どこにも行く場所がないと、日々感じていた。




 小学四年生になり、自分が他の人よりも飛び抜けて可愛いのだということを十分に理解することができた。同時にそれは受け入れ難いことだった。私は普通でよかった。


 人より余分に気を集めてしまう。人の関係は糸みたいなもので、多ければ多いほど不自由になる。その糸がお互いに制御できているものならいい。しかし私の周りにあるのは一方的に私に向けられるものばかりで、私はそこにいるだけで動きづらくなっていく。


 みんなと同じがよかったな。




 お盆は父方の実家に毎年帰っていた。

 辺鄙と呼ぶほど不便ではないが便利とは言えないような、そんな田舎に本家がある。畑ばかりではないが、少し歩けば畑があり、山に囲まれてもいないが、近くに山がある。


 そんな田舎すぎない場所をお父さんと散歩するのは楽しい。たまにお父さんは他の人と話したりして一緒に行けないから親戚のおじさんと一緒に歩いたりしたけど、落ち着かなかった。お母さんはずっと忙しそうで、あまり迷惑をかけたくなかった。


 私は上手く話せないから、会話が生まれる場所が好きじゃない。みんなが集まっている家の中にいれば声をかけられるのは避け難い。上手く返せないことが何度かあるだけで、みんな話しかけてこなくなって居た堪れなくなる。


 最初からその場にいなければなにも思わずに済む。だからなるべく家から出て散歩に行ったし、人が来ない二階の部屋のベランダにずっと座っていた。


 同じくらいの歳の子がいればもう少し気が楽だったのかもしれないが、歳の近い親戚は大学生と赤ちゃんだけ。話しやすい歳の子が居なかった。


 そして今年も、移動中の車の中で憂鬱を募らせながらおじいちゃんの家に来た。


「ねぇ」


 二階の部屋のベランダにある腰掛け用の木の箱に座って、ぼーっと山の方を見ていた時、話しかけられた。振り返ると綺麗な女の子がいた。一瞬現実味が感じられず、半ば夢でも見ているのかと思ってしばらく眺めていた。


 黒くて大きな目。白い肌。どこか人形じみた無機質な表情。綺麗な子だった。その子は私の隣にしゃがみこみ、私を見る。


「ねぇ、実はメガネ取ったらめちゃくちゃ可愛かったりしない?」

「………………え?」


 その子の言った意味がわからず、思考が渋滞を起こす。私は視力が弱く、三年生からメガネを掛けていた。

 ずいっとその子の手が私の目の前に迫ってすぐ離れる。同時に目元が軽くなり視界がぼやけた。


「あ、……め、メガネ……!」

「メガネ取れば? メガネ取った方が可愛いよ」

「えっ、あ……いやっ……でも…………」

「はい」


 その子の手によってメガネが元の位置に戻され、視界が戻る。経験のないことだったので戸惑いが隠せない。


「…………す、座る?」


 横にずれ、その子に座る場所を与える。


「座る座る」


 腰掛けの木の箱はそこまで大きくないため、小学生ふたりでも少しはみ出る。だからその子はぴったり密着してきた。心臓が跳ねた。同じくらいの歳の子とこんなに近づいたことがない。それにいい匂いがする。


 どうしようどうしようと考えた。

 顔をゆっくりずらしてその子の顔を盗み見る。近くで見るとよりその綺麗な顔立ちがわかる。不思議な感じ。見ているだけでソワソワする。その子がこちらを見て、ほんの少しの距離で目が合う。


「ねぇなに見てたの」

「あっ……! えっと……」


 すぐ視線を外して、さまよわせ、黙って、答える。


「ぼーっとしてた……だけ……。今お父さんと外いけないから……」

「外?」

「家の中にいるの……あんまり好きじゃなくて」

「じゃあ行く? ふたりならいいんじゃない?」

「え……」

「行こ」


 その子に手を取られ一階に降りる。その子は、その子の母親であろう女性に「一緒にそこら辺歩いてくる!」と伝えて、私の手を引いたまま外へ出た。


「あっつ〜。暑くない?」

「う、うん。暑い……」


 ぱっと掴まれていた手が離される。さっきまで人の温もりがあった場所が外気に触れそこだけひやりとする。もう少し、繋いでいたかった。


「ゲーム持ってこれなかったからな〜。近くになんかある?」

「……えっと………………近くにはない、と思う……。ここ住んでないから、わかんないけど……」

「そっか〜」


 畑ばかりというわけではないが、遊び場となるような場所は徒歩圏内……にはない。二十分ぐらい歩けばいけるが、馴染みのない土地で小学生ふたりだけでは危険だ。


「まいっか! 探検しない?」

「あ、う、うん」


 ふたりで近くを歩いた。その子は探検と言うだけあって、空き地に入っていったり細い道を選んで進んだりと、年に一度この辺りを散策する私でも行ったことがない道を歩いた。靴下や服についたひっつき虫を摘んで道に捨てる。


 自販機でジュースを買ってふたりで飲んだ。なんとなく用水路に沿って歩いた。山に近づき、蝉のうるさい木をその子が蹴って、蝉が一斉に逃げ出す。蝉のおしっこがふたりにかかって、わぁー! っと逃げる。


 小さな商店があったので入って、アイスを買って食べる。それぞれ別のアイスを買ったので半分まで食べて交換した。ずっとわくわくしている。

 空が赤み始める前におじいちゃんの家に戻ってきた。ふたりで親戚たちがあまりこない部屋の縁側に座り、冷凍庫にあったチューチューを並んで食べた。


「明日ベランダから見える向こうの山登らない?」


 彼女の提案が嬉しくて、体温が上がって体がすこし浮き上がるような感覚。


「うん!」


 次遊ぶ約束をしたことに湧き上がるような喜びがあった。また明日もこの子と居たいと思った。


 次の日は雨だったため外にはいけず、私のスマホでふたり動画を見ていた。彼女は中学生に上がるまでスマホは買ってもらえないらしく、いいなーと私を羨ましがっていた。


 誰も来ない部屋でふたり、夏の雨の匂いに包まれながら一台のスマホを回してゲームをした。なんとなくでやっていたゲームも、彼女の反応があると何倍も楽しかった。ゲームはひとりでできるけど、友達とやってはじめて本当の楽しさがあるんだとわかった。



 雨は昼過ぎにはやんで、午後はむしむしとした空気になった。雨の後の山は危ないからと、親戚たちに止められ、私たちは家に留まっていた。


「そういえば今日の夜お祭りあるらしいね」

「う、うん」


 一度だけうちの家がある地域のお祭りに両親と行ったことがある。歩いていると、クラスメイトたちが何人かで来ていて、それで声をかけられた。私は彼女たちに誘われていなかったから寂しくなった。


 そんなことがあって、なんだかお祭りにはいい印象がない。楽しそうだし、気になるけれど、心の抵抗が抜けきらない。


「まぁもう帰るから行けないんだけどね〜」

「えっ……」


 その子の言葉を聞いた途端、体の熱が溶けて流れ出たみたいに、体から重みがなくなった気がした。急に涼しすぎるくらいの冷房の風が際立つ。


「だからバイバイ! 楽しかったよ」

「あ……うん」


 つられてバイバイって言いそうになったけど、まだ一緒に居たくて言わなかった。そんなのただの言葉でしかないから、言わなくてもなにも変わらないんだけど。


 なんとかその子を引き留めたくて、その子が好きな動画を一緒に見ていた。彼女の顔が、体が、すぐそばにあって落ち着かなかった。一緒に何かを共有している間ならば時間が進まないような気がしていた。だけど彼女は部屋にやって来た母親にあっさり連れて行かれてしまう。


「じゃ!」

「……うん」


 玄関。彼女の母親が引き戸を開けると蝉の声と熱が煙みたいになだれ込んでくる。午前とは打って変わって快晴。あの子と母親のふたりは白々しく鮮やかな日向へ出てゆき、戸を閉めた。私はしばらくそこに立っていた。


 またひとりになった。




 夏休みは終わり、ルーティンの波が夏の昼間に襲い掛かる。そんな登校初日の朝。強い日差しの後に入る教室は一瞬暗く感じて、すぐに目が慣れる。教室に一歩足を踏み入れた時、私は自分が決定的に変わってしまったと悟る。


 これまでは、大きなうねりがいくつもある溺れそうな隙間に入り込んでいく様だったが、今日は、教室の空気にはなにもなかった。ただ乾いた空間があるばかりだったのだ。


 不純物も流れもない澄んだ空間を横断し、自分の席に着く。体が軽い。


「それ」はいつでもその場にあり、感じるか感じないか、気にするかしないか、ただそれだけのものなのだ。


 知らず知らず、私は私の世界や心を彼女に預けてしまったのだろう。だからクラスでなにも気にならなくなった。気を張る必要がなくなった。望み通りにならない他人に期待しなくなった。他人からこう見られているかもしれないという虚像の自分も、私の心を痛めなくなった。こう見られたいとつくった手製の佐藤色音も顔を見せなくなった。


 私の心はあの子に囚われ、同時に、これまで私をとらえて離さなかった「他人」から解放された。

 私は静かに変わっていた。


 すると、呼応するように周りも変わっていった。突然じゃなくて、少しずつ少しずつ、ゆっくりとその形を変えていった。


 気づくと私は、そんな流れの中心に立っていた。




 媚びず、身構えず、望まず、拘らず。ただそれだけなのに、自然とみんな話しかけてくるようになって、何度も遊びに誘われるようになって、求められるようになって、居場所が作られていた。


 羨んだ時には遠くにあったのに、目を逸らすとそこにあった。だからなんだか、そんな都合のいい彼らに本当に心を開くことはなかった。


 人に囲まれるようになった私は、ただ、あの子とどんなことがしたいのかを夢想する日々を送る。


 あの子に訊きたいことを考えて、あの子と行きたい場所を考えて、あの子に言って欲しいことを考えて、あの子とのもしもを考えて。私の中にあの子が居た。そしてあの子以外の誰も居ない。


 秋が来て、夏を待った。

 冬が来て、夏を待った。

 夏が来た。



 私はまたお父さんの車の後部座席に座り、これまでのようにおじいちゃんの家へ向かう。これまではただ行かなくてはならないだけの場所だったが、今日は行きたくて仕方がない。早く着いて欲しい。こんなに待ったのだから。


 私はそれほど渇望しながらも、同時に絶望がないよう戒めもしていた。去年と同じように接してくれるかはわからない。今年も居るかはわからない。ショックを受けても痛くないように、自分で傷をつけておくのだ。そうすれば、すこしは痛みを誤魔化せる。


 メガネのフレームに触る。本当はコンタクトにしたかった。彼女に可愛いねって言って欲しい。だけど、両親は小学生でコンタクトをつけるべきではないという。だからまたメガネをかけている。それに、急にコンタクトになったら彼女の言葉を意識し過ぎているみたいで、引かれてしまうかもしれない。


 おじいちゃんの家に着いた。そして彼女は居なかった。すごく苦しいし痛いけど、大丈夫。

 私は友達に囲まれすっかり人当たりが変わってしまっていたが、古くから私を知る者が多いここへ戻るとそれを忘れる。みなが私を昔と同じように扱うため、そのイメージに引きずられる。またひとりになった。


 一日目が過ぎ、二日目が過ぎ、三日目。

 彼女を夏祭りに誘って、私はお父さん、彼女はお母さんを連れて屋台を回る……そんな妄想をした。何度も。でも彼女はここには居ない。


「はぁ……」

「なんのため息?」

「えっ……」


 二階のベランダで諦観に浸っていると背後から声がした。あの子だった。


「ねぇメガネ外してよ」

「ま、またそれ」


 安堵で泣きそうになった。来てた。今年も。


「ね、ねぇ……あの……。夏祭り……行かない? 今日の夜にあるんだけど……」

「行く行く! 一緒に行こ!」

「……うんっ!」




 高校生になる。今は入学式の只中。


 小学五年生の夏祭りを最後にあの子とは会えていない。次の年は来るだろう、と考えていたら、再会は今日までなかった。


 特別な繋がりがあるって期待してた。私たちは急に再会して、あの子は私のことが大好きで、一瞬で一番仲良くなるって。


 私と同じくらいあの子も私のことが好きで、一目見ればお互いにどちらともなく歩み寄って、あの日の続きが始まるって。中学生からコンタクトレンズにしたから、やっぱりメガネ取ると可愛いねって言ってもらえるかもって。


 中学生の間ずっと想像していた。あの子が転校して来くる想像。ひとりだったはずの私の周囲は様変わりしていつしか人が集まるようになった。だけど、いつも足りない。みんな私に関わってくれるけど、心から打ち解けることができない。容姿が良くて、友達がたくさんいて、見た目にも気を遣うようになって……そんな私に集まって来た人たちに、飾らずに、演じずにいられない。人に囲まれているのに私はいまだひとりだった。


 足りない。隣に、あの子が。


 あの子と同じ高校にならないかな、なんて願望はたぶん、ただの妄想で終わる。運命的なものはないんだってそろそろ受け入れなくちゃいけない。


 高校生のうちに、お父さんに聞いてみよう。あの子が今どうなっているのか。そして会いに行く。運命から来ないのなら私から行くしかないのだ。


 他のクラスの担任の教師が、自分の担当するクラスの生徒の名前を読み上げていくのをぼーっと聞いていた。あの子がいたりしないかな、って期待と、そんなことはないって戒めを何度も繰り返しながら。そういえばあの子の名前を知らない。知らずにずっと遊んでいた。きっとあの子も私の名前は知らないだろう。どんな名前だったんだろう。



「高橋入華」

「…………はい」



 イルカ?

 教師の読み上げたその名前。真っ先に連想したのは海のイルカ。あの哺乳類の、可愛い海の生き物。他の生徒もその可愛らしい名前が気になったのか振り向く。私もつられてそちらを向いた。


「……」


 名前を呼ばれ立ち上がったその女子生徒。

 その整い過ぎてどこか人形じみた顔立ち。無気力な目。


 あの子だ。


 見間違いようがない。


 あんな可愛い子、間違えるはずがない。


 あの子だ!




 人は想像しうる出来事に備える。


 ただし私は妄想だった。都合のいい妄想の数々がいわば備え。予行演習。彼女が去って四年。学生の私にはとても長い時間だ。だから、同じ高校になる妄想も、しかし違うクラスになってしまう妄想も、何度も通過している。


 たとえば廊下ですれ違いざま、彼女は気づく、そして私を呼び止める。あるいは体育の授業で、複数クラスでの合同授業でペアになる。あるいは食堂で同席してしまう。あるいは帰りがけの私に声をかけてくる。


 けれどその考えは私に都合のいい虚像でしかなくて、落胆しないように何度も自分を戒めてこれまで生きてきた。


 それなのに、私の思い描いた像が今、目前にまで迫っていた。


「……む〜」


 そのはずだった。しかし私は唸っている。


「なんで気づいてくれないの〜……」


 私は一日にしてクラスの中心となり、友達と呼ばれる人たちに囲まれていた。一週間も経つと不鮮明ながらグループの輪郭は形作られ、グループごとの順位もお互いに察知し、そしてグループ内の優劣も手探りの中に感触がある。私はどのグループにも往来できるだけの信頼と愛嬌があった。


 高校生となり一週間が経ったのだ。しかし、彼女、入華ちゃんは気づかない。


 私から何度か話しかけようとしたものの、不思議と昔のような内気な自分に戻ってしまって言い出せない。大事な時、大切な人にこそ、必要な言葉を伝えられないものだ。都合十度も声をかけられなかったことから私は諦めることにした。なにか策が必要だった。


 ぎゅぅぅうと視野が狭くなっていた私は客観視した。すると、入華ちゃんがひとりであることに気がつく。


 移動教室の際、入華ちゃんたちのクラスが私たちのクラスの前の廊下を通る。別の日にはすれ違うこともある。彼女はいつもひとりだった。笑い声を聞いたことがない。学校生活に笑いはつきもの。だから私の目には仏頂面を崩さない彼女は異様に映った。


 私が変わったように、彼女も変わってしまったのかもしれない。変化は、時間とともにどんなものにも訪れる。例外はない。そして、変化というものは往々にして無情だ。


 なんか、逆だね、って心の中でつぶやくと、心臓はキッと身をこわばらせ痛んだ。


 自然と人に囲まれてしまうような彼女は孤立し、他者から一歩身を引いていた私は人に囲まれていた。


 入華ちゃんを孤独から救いたい。なのに、普通に接せられない。関わり方がわからない。そんな一方向に進めない私の心と体の差異は結果、私をストーカーへと至らしめた。私に気づいてくれない入華ちゃんが悪いのだ。




 どうにか高橋入華と接近しその人物を知っていくなか、私は気づいてしまう。その気づきを処理するにはずいぶんと時間を要した。さながら私の精神的支柱が取り払われたように、しばらくの間心は地に伏して起き上がることができなかった。


 入華ちゃんには兄がいた。入華ちゃんによく似た、美しい顔立ちの兄が。


 なんてことだろう。私は間違えていたのだ。あの子のことを、あの子の妹と間違えていたのだ。




 入華ちゃんの兄、高橋輝倫に接触することができた。入華ちゃんの兄がなにかおかしな活動を始めるらしく、僥倖にも入華ちゃんを通じてその活動に関わることができた。


 私だって気づいてくれないかな、とずっと思っていた。顔を隠し、声を変え、話し方も変えて性別すら偽っているのに、気づけるわけがないのに、私だと気づいてほしかった。


 こんなにも求められたいのに踏み出せないのは、怖いからなんだと思う。私のことを忘れていたら怖い。私にとって特別な思い出で特別な人なのに、相手にとってはそうでなかった時、私は立ち直れない。


 そして、私がただ入華ちゃんの代用であった時。入華ちゃんはずっと社交的ではなかったようで、小学生の頃の私もそう。内向的で、他者をなんとなく怖がっていた。たぶん、似ていたと思う。その頃の私と入華ちゃんは。入華ちゃんは昔からずっと親戚の集まりには行きたがらなかったらしい。そんな入華ちゃんに付き合って、行事の際はお兄さんもお留守番をしていたそうだ。とはいえ親戚たちに子供の顔を見せないわけにはいかず、せめて息子だけでもとお兄さんだけ連れていくことが何度かあったという。


 仲の良い妹と離れ、普段交流のない親戚達の場に来たお兄さん。そこにたまたま妹に似た内気な私が居た。その時私は、誰とも比較されず私単体で見られていたのだろうか。あるいは、妹の代わりだったのだろうか。


 怖い。期待しているのに、怖くて、勇気が出ない。私のことを特別に思っていて欲しいのに、そうじゃない可能性を知りたくない。


 近づきたいのに足が前に出ずにいた私。そしてまた、あの子はずけずけと私の前にやってきた。「入華が小学生の時の運動会の動画と写真あるけどいくらなら買う?」なんておかしなことを言って。


 ラインで送られてきた運動会の写真と動画を見て私は再会することになる。やはりお兄さんがあの子だ。そしてよく似た無愛想な妹も映っている。あの子は入華ちゃんのお兄さんだった。



 ◇



 普段コンタクトをつけている私はその日メガネをかけていた。それは打算だった。


 お兄さんと入華ちゃんのふたりで住むマンションの一室で、私は入華ちゃんの持つ漫画を読んでいた。学校帰りに用もなくこの家に上がることが、私の至上の喜びだった。


 入華ちゃんは本屋に寄るとのことでまだ帰宅していない。


「……」


 漫画を読み進めながら、視界の端でお兄さんを捉えていた。隙あらばその顔を盗み見ようと企んでいたのだがなぜがお兄さんは私の顔を凝視しているようだった。落ち着かない。


 私は漫画を読む余裕を失い、吹き出しから吹き出しへ適当に視線を向かわせ、左端の行き止まりに来ると自動的にページをめくる。機械的に繰り返しているといよいよ一話を読み終わりそうだった。


 ああ、ついにバレてしまったかもしれない。私があの時の女の子であると。


「クマ、お前……普通いつもメガネしてる奴が眼鏡とるから良いんだよ。なんでいつもメガネしてねえのに眼鏡掛けてんの?」

「…………。普段学校にいる間はコンタクトですけど帰ったらメガネなんです。なのでいまメガネに変えてもいいじゃないですか。私の家みたいなものですし」

「違うし。いや〜でもそうだな…………ヒロインとヒロインベンチの奴らにメガネいないからさ、お前いまからメガネっ子になれ」

「なんでそんな理由でメガネになるんですか! 嫌です!」


 メガネ取った方が可愛いよって、お兄さんが言ったからメガネをやめたんですよ、私。

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