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第六話

 早くもその日はやってきた。なにせクマにあれやこれやと教えられた次の日の日曜なのだ。

 想定の一時間遅れで鳴ったインターホンに導かれ玄関を開く。そこには制服を着た乙葉つむぎが立っていた。


「おはよう! 高橋!」

「お前一時間過ぎてんだけど」

「ええっ⁉︎」


 昼飯を食べてから来るだろうと考え、俺のうちに来る時間は午後二時に設定していた。しかし今は三時。正確には三時になる数分前。


「ご、ごめん……! 間違えちゃった!」

「……上がっていいぞ」

「お邪魔します!」


 予定の時間を過ぎてもなかなか来ないので時間か日にちを間違っているのだろうと思っていたが一時間だけのずれでよかった。前日か午前中に改めて日にちの確認をしろとクマから言われていたものの面倒だからと無視していたが、乙葉相手ならばその手の確認というのはこまめにすべきなのだろう。


「ソファに座っててくれ」


 俺は麦茶を取りに冷蔵庫へ向かい、乙葉はそのままリビングのソファに向かう。ソファの前にあるテーブルの横、床に座るのは入華の服を着たクマだ。フードをかぶってマスクをしている。


「はーい! あ! 高橋さん!」

「入華でいいよ」


 入華クマを発見した乙葉は駆け寄ってあいさつをする。愛想の良いやつだ。


「入華! わたしは乙葉(おとわ)さんだよ!」

「自分だけ苗字で敬称付けさせようとするな!」


 おっと。クマが当然のように大きめの声で指摘をしてしまい、緊張が走る。冷蔵庫の中に買った覚えのないカ◯ピスがあった。クマが気を利かせて買ってくれたのだろうか……。ふたりの様子を窺いながら三人分のカ◯ピスを注ぐ。


「入華ってそんなおっきい声出せるんだね〜! いつも喋らないから意外」

「あ、あ〜……あはは」


 なぜいまの乙葉の言葉で胸が痛くなったのだろう。入華が普段どんなふうに思われているのか思い至ってしまったからだろうか。


「なんで部屋でマスクしてるの?」

「ちょっと風邪気味だから……」

「入華は頭いいもんね! だから風邪引くんだ〜」

「関係ねえよ」


 バカは風邪を引かないならばわかるが、頭が良ければ風邪を引くという聞いたことのない理論に訂正を入れつつカルピスを出した。


「わ! わたしの好きなぶとう味のだ〜。ありがとう高橋!」


 袖捲りした腕でなるべく乙葉に近づきコップを差し出したのだが、視線が腕に向かう様子はなかった。


「べ、別にお前のために用意したんじゃねえから」


 必殺ツンデレである! クマによると女子もツンデレは好きなのだという。ならば小出しして構わない。


「急にツンデレだー! キモ〜」


 キモがられているのだが。クマを見る。クマは顔の前で手を振り「僕じゃないです!」と身振りをしているがお前だ。お前がやれと言ったんだ。


「乙葉、なんか今日雰囲気違うな。その服似合ってるよ」

「制服だよ⁉︎」


 ちらとクマを見ればぶんぶん首を横に振っている。制服を褒めてはいけなかったのか、と歯噛みする。そういうのは先に言ってもらわなければ。


「あ! でも柔軟剤変えたんだよ。前初めて話したばっかなのによく気づいたね! 高橋気持ち悪いよ!」

「……」


 苛立ちを逃すようにクマを見るとグッド、と親指を立てていた。なにが良いんだ。バッドだ。

 それはさて置いて、俺は乙葉に気になっていたことを尋ねた。


「てか乙葉、なんで家なんだ。そこらへんの店で良かったんじゃねぇの」


 実は俺の家でやるように話が向かったのは乙葉の提案からなのである。俺からではないのだ。


「だってその高橋の幼馴染って女の子なんだよね?」

「そうだな」

「やっぱりよそで女の子といるところ見られていいことないよ!」

「そうか?」

「念のためね!」


 俺が女子といるところを見られ夏月の機嫌が悪くなるか微妙ではあるが、よくはならないことは確かだ。結果正しい選択だったのだろう。


「それにその夏月さんは近くに住んでるんだよね? 夏月さんの通ってる学校も近いしあんまりこのへんの人目があるところは避けたいよね」

「近くに住んでるというか隣に住んでるよ」

「えっ⁉︎ 隣だったの? 隣同士のマンションだったんだ〜」

「いや、隣の部屋」

「⁉︎」


 あれ、言ってなかったっけ、と思い返すが、言ってない気がする。言ったような気もする。俺がそのことを伝え忘れたのか伝えたことを忘れたのか、乙葉が聞いたことを忘れたのか定かではない。バカがふたりもそろうと途端にコミュニケーションが困難になる。


「え、ちょっと、よくないじゃん! 見つかっちゃったら家に女の子連れてきてることになっちゃうよ!」

「入華の友達のフリすればいいんだよ。同じクラスだし」

「た、たしかに……! ……高橋ってもしかして多少は、すこし……あるていどの考える力はある……?」


 こいつ自分も相当なのに俺のことを完全に下に見ている。俺は高校入学したんだぞ? いつまでもそうやってふんぞり返っているがいい、「底」で。


「まぁそんなことはいっか! どうにかなるよね! それより高橋、その幼馴染の夏月さんだっけ? とは昔から仲悪いの?」

「いや、そうでもないな。別に仲がよかったわけじゃないけど今ほどではない」

「へぇ〜。そうなった原因ってある?」

「あ、私も気になる」


 乙葉の問いに乗っかるクマ。うっかり敬語で喋ってしまわないかと危惧していたが、案外入華のフリは板についている。


「じゃあ軽く話すわ。まぁ大した話じゃないからすぐ終わるんだけどな。小学校一年の時に同じクラスになったんだよ。そんで家が近かったから遊ぶようになって、あいつ姉ちゃんがいるから遊ぶときは基本三人だったな。たま〜に入華も一緒に遊んでたけど、あいつがあんまり心開かないからそこまで仲良くはなかった。入華だけ」


 思えば入華にとっての初めての友達というやつは、夏月と姉の水希のふたりだったのではないか。入華がどう思っているのかいまは確かめられないが。


「それで中学上がってからは一緒にいるとなんか色々言われるようになってな。小学校の頃から言われてはいたんだけど中学からはいじり? が強くなって俺は別になんともなかったんだけどあいつが気にして距離とるようになって、遊ばなくなって……気づいたらああなってた」


 ゴン、と鈍い音が響く。入華に扮したクマが床に座った状態で頭を床にぶつけていた。


「ヒロインやないかい! メインヒロインのエピソードやないかい!」


 関西出身でもないだろうに関西弁を話し始めたクマに対し、乙葉は「はぁ…………」と深いため息を吐きながらソファの上でぐったりしていた。


「気づいたらああなってたとは言ったけど、昔からちょっと変なやつではあったぞ」

「そこじゃないんですが……。いや、なんか……うぅううううう‼︎」


 内なる獣性に抗うように、フード越しに頭をガシガシとするクマ。

 いくらなんでも大袈裟すぎる。幼馴染といえば聞こえはいいが、つまるところは学校が同じで家が近所だからよく遊んでいただけの友達に過ぎないのだ。夏月をメインヒロインと呼ぶにはいささかデレがなさすぎる。


「なーんか、やになっちゃうね〜入華ちゃん……。わたしが助けることあんまりなさそーなんだけど……」


 ついには力なくソファに寝転んでしまった乙葉。やる気を失ってしまっているようだ。このままではいけない。おそらく俺と夏月の仲が予想以上によく、現状の関係が言うほど悪くない物だと思ってしまっているのだ。


「乙葉、早まるな。一応入華も。お前ら俺と夏月がよく遊んでたからって仲がいいと勘違いしてるだろ? 実際は違うぞ」

「というと?」

「え? 普通に殴ったり蹴られたりしてたし、ゲームで負けそうになるとすぐ不機嫌になって投げ出すし、機嫌悪いとすぐ機嫌悪いオーラ出してくるし、遊ぶ約束破ったらめちゃくちゃキレるし、他のやつと遊んでたら不機嫌なるし、誕生日プレゼント渡したら文句言ってくるし、逆に誕プレでもらったなんだ、ミサンガ? 邪魔臭えからつけてなかったらなんか不機嫌なるし、ずっとそんな自己中な感じだったぞ。……いや入華も同じようなもんだな……」


 俺が他者に感じる自己中心的だなという感想は、実のところ誰にでもある気質なのかもしれない。……いやそんなことはない。入華と夏月くらいだ。


「ん?」


 同意が得られるであろうと話していたが返事はなく、クマと乙葉はぐでんと床に横たわっていた。またさっきと同じようなことを言われるのか、と彼女らが口を開く前に辟易する。


「それお兄ちゃんのこと好きですやん……絶対好きですやん!」

「またかよ……。いい加減にしてくれ。そんな反応してないで俺と夏月の関係が改善する方法を一緒に考えてくれ。特に乙葉」

「どうして名指し⁉︎ ……それにやっぱり夏月さんは高橋のこと好きだと思うんだよね……」

「いやそれはない。あいつは俺以外に好きな人いるぞ」

「そうなんですか⁉︎」


 果たして敬語が出てしまったクマ。乙葉には勘づかれていないようだが、不用心だ。しかし乙葉の前でそれを指摘してしまうと余計に視線を集めるので、気づかないふりをして続けた。


「ああ。中学の時に直接聞いたんだよ。周りが『あいつ絶対高橋のこと好きだぜ』っていうからそうなのかなって思って聞いたらかなり怒った感じで違うって言われたぞ。それに好きな人いるって」

「……それはお兄ちゃんに対する照れ隠しじゃないかな?」

「どうだろうな……」


 考えたところで事実は本人にしかわからないのだ。いや待て、本人ならわかるということだ。

 今は土曜で、昼過ぎ。大丈夫だな。


「すまん乙葉、入華、一瞬出るわ」

「わたし来客なんだけど⁉︎」

「お兄ちゃん乙葉さん置いてっちゃダメでしょ!」

「いやほんとに一瞬だから」


 俺はスリッパを引っ掛け隣の部屋の前に立った。インターホンを押す。ドタドタとわずかに足音がし、扉が開く。


「なに」


 半身を出して出迎える夏月。


「お前俺のこと好きなの?」


 数秒待っても返事がなかったので、より詳しく質問を重ねる。


「中学の時にお前俺のこと好きじゃないって言ってたじゃん? 別に好きな人がいるって。あれってもしかして照れ隠しだったのか? 俺はマジだと思っちゃったんだけど」

「…………うっ…………うう……!」


 目を見開いてぷるぷると震える夏月。感情がわからない。けれどこれたぶん殴ってくる気がする、という予感だけはあった。


「おい、殴る前にどっちか教えてくべぇ‼︎」

「あんたっ……ほんと……! ほんとにっ!」


 案の定俺は顔面を殴られ、拒絶を示すように勢いよくドアが閉まった。


「ぐぅ……う……やーべっ、鼻血……」


 夏月の拳は俺の顔面のど真ん中を捉え、必然、顔の中心にある鼻を直撃。生暖かい血が鼻の下から上唇を伝っう感覚がある。鼻を押さえつつ隣の我が家へ帰宅した。


「お、お兄ちゃん⁉︎」

「高っ……え?」


 手際よくクマが応急処置をしてくれ、俺は無様にも両鼻にティッシュを突っ込んだ姿でソファに腰掛けた。入華ならこうはいかなかっただろう。


「あの、高橋? 廊下で転ぶくらいのおバカなの?」

「俺がそんなドジっ子に見えるかよ」

「女子のドジは可愛いで済むけど男子のドジは無能って呼ばれるんだよ高橋!」

「いやいや、たしかに俺は美少年美少年と言われてきたけど俺は女じゃないぞ?」

「可愛いんじゃなくて無能って言われてるんだよお兄ちゃん。それより、手とかおでこには怪我がないから転んだわけじゃないよね? 壁にぶつかった?」

「夏月に俺のこと好きだったのか確認しに行っただけだよ。そんでなぜか殴られた。まぁあいつそんな胸ないし壁にぶつかったという表現も間違いってわけじゃないかもしれないな」

「なにしてんの⁉︎」


 鬼気迫る乙葉の顔がぐいっと目の前まで寄る。うむ、いい造形だ。俺は咄嗟にクマで練習したあの微笑みをかます。ニコッ。これほどの至近距離だ、ただでは済むまい。


「なに笑ってんの⁉︎」


 バチンと頬を叩かれた。


「いてぇ!」


 この国には人に暴力を振るってはいけないという法律があったはずなのだが。知らず知らずのうちに失効していただろうか。そうでなければこうも人に攻撃される事実に説明がつかない。

 俺が日本国の法律についての思考に耽っていると乙葉が場を仕切り直すように大きな声を出した。


「とりあえず! 高橋は夏月さんとお出かけをしよう!」




 次の日、日曜日。場所は近くのコンビニ。俺は私服で店内の心地よいクーラーを享受していた。

 そして昨日とは違い、今日はなんとか入華を逃さず家に封じ込めておけた。のだが……。


「私が七瀬玲奈。よろしく、高橋先輩」

「ごめん、俺一定以上の顔面レベルないやつの名前覚えられないんだよ。乙葉の友達って呼んでいいか?」

「…………聞いていた以上に失礼な人ですね。初対面でこれだけ不快に思ったのは初めてです」

「高橋! ほんとに! 私の親友なんだからひどいこと言わないで!」

「別にブスって言ってるわけじゃないだろ! 可愛いわけじゃないって言ってんの!」

「同じ!」


 のだが、乙葉が友人を連れてきてしまったため、クマも入華も使えない事態に陥った。俺ひとりで何ができるというのだ。入華にいつもああだこうだと言ってはいるものの、不要なんてことはないのだ。


「そんで、なんでコンビニ?」

「今日ふたりが行くショッピングモールに一番近いお店がここだったから!」

「つむぎ、普通少し話すくらいならカフェ行くんだよ」

「カフェは自分に酔ってる学生ばっかりが集まる未成年向け酒場なんだよ! わたしは素朴な人間だから行かない!」

「それにしたってコンビニ集合は素朴にも程があるだろ。お前、俺とこのお前の友達の…………子とは初対面だぞ。ここは適してなさすぎる」

「七瀬です」

「うるさいなー!」


 そんな感じで俺たちは、まぁまぁ他の客の邪魔になるくらいの声量で店内を物色していた。適当にお菓子やパン、飲み物をそれぞれ手に取っている。が、俺は無手だ。


「高橋先輩、夏月さんにはなんて言ったんですか? デートの誘い文句というか」

「へへ。玲奈〜それは私がちゃんとアドバイスしたんだよ! なんでもいいから今欲しいなと思っててショッピングモールで買えるものを言ってって! それで、夏月さんに、なんか買うものあるなら付き合うからって言ってってね!」

「つむぎにしては普通のアドバイスだね……。それで高橋先輩、夏月さんにはなんて言ったんですか?」

「電池とトイレットペーパーとカラシ買うからつったぞ」

『スーパーで買えよ!』


 乙葉と……七瀬が同時に言ってくるものだから、ああ、間違ってしまったんだな、と気がついた。


「それで夏月さんは来るって言ってくれたんですか?」

「いや何も言わずにドア閉めたけど……」

「それ来ないでしょ! ちょっと、つむぎ⁉︎ アドバイスするならちゃんと最後まで面倒見て! この人一から十まで言わないとできない人だよ!」

「え、高橋! ラインではそんなこと言ってなかったじゃん! いつも通りの感じだよって!」

「いや、あいつはわかったとか言わないから。断るときは蹴るか殴るか暴言吐くから、あれは肯定だよ」

「小学校からの付き合いでそんなコミュニケーション取ります……?」


 困惑の様子の七瀬。夏月という人間を知らないのだからその反応も仕方がないか。


「あのな七瀬。あいつほんとに変なやつなんだよ。まるで俺も変みたいに言わないでくれ」


 時計を見ると予定の時刻をめちゃくちゃ過ぎている。いつ来てもおかしくないだろう。もしかしてこれ来ないのではないか、と疑念が浮かぶなか、注意深く外の景色を見ていると夏月は来た。なぜか制服だった。


「来たぞほら」

「えっほんと⁉︎」

「あの制服のポニテのやつ」


 乙葉と七瀬は雑誌類が置かれている窓に寄って外を観察する。そしてすぐ夏月を発見できたようだ。


「あれそこの女子校の制服じゃないですか」

「そうだよ」

「あ! あれが夏月さん⁉︎ 可愛い〜」

「見た目だけな」


 休日にどうして制服を着てきたのか謎だった。高校生で自校の制服を着ることは一種のブランドを身につけることと同義であるのは理解できるが、それは普通同じ学校の友達とするものであろう。今日一緒に出かけるのは俺だぞ?


「お前らふたりどうするんだ? 四人で行くのか?」

「そんなわけないじゃん! ふたりの後ついてくだけだよ!」

「なんで……?」


 クマみたいに情報収集や指示をしてくれるわけでもなく、入華のように補助してくれるわけでもなく、ついてくるだけ?


「まずふたりがどんな関係なのかちゃんと見なきゃだから! 又聞きだと正確にはわからないからね。高橋と夏月さんの関係の問題がどこにあるのかとかは自分の目でも確かめなきゃ!」

「たしかに……」

「だからわたしたちは気にせず普通に夏月さんとお買い物してきて! ちゃんと仲良くなるつもりでね!」

「わかった」


 乙葉のことを少々侮っていたかもしれない。案外考えている。

 俺は雑誌コーナーの横にある、コミックスやしょうもない本が置かれている棚の前に立ってしょうもない陰謀論の本を読んで夏月を待った。乙葉と七瀬は少し離れ身を隠している。

 数秒と待たず入店音に続いてかつかつとローファーの足音が俺に近づいた。


「……」

「……」


 話しかけてくるのかと思ったが黙って横に立っている。普通待ち合わせ場所に先に相手がいたら話しかけるだろう。待たせてごめん、とか。


「ねぇ、来たんだけど。来てくださってありがとうございますの一言もないの」

「遅刻してるのにどうしてそんな強気になれるの?」


 本を棚に戻す。行こうぜと言って夏月とコンビニを出た。


「なんでお前制服なの? 今日休みだろ?」

「なんであんたと会うために私服着てこなきゃいけないの?」

「え……」


 もしかしてこいつ俺のこと嫌いなのかな、と思った。


「それに私服なんて小学生の時に散々見たでしょ……」

「いやいやお前な、小学生の服はただの服なんだよ。私服ってのは制服の対義語で、中学とか高校の服で初めて私服って言うんだ。わかるか?」

「あっそう」

「あっそうじゃねえだろ! 真面目な話してんだよ! いたっ」


 足を蹴られた。なぜこの国はこんなにも暴力が横行しているんだろう。法律Free? それとも実は俺だけが人権がなかったりするのだろうか? しかし住民票にはしっかりと俺の名前が記されていたが……。

 ショッピングモール間近、信号待ちの際に隣の夏月に話しかける。


「夏月、お前来たってことはなにかしら買うもんあるんだよな?」

「服」

「いや常に制服着てろよw」と半笑いで言うと睨まれたので黙って視線を逸らした。

「てかお前が普通に横を歩いてくれるとは思わなかったよ」

「どういう意味?」

「いちいち凄むな……。いやな、入華は一緒に外出するとき絶対隣歩かないんだよ。家族だと思われるのが嫌っつって。ひどくねぇか?」

「ごめん、なにがひどいのかわかんないんだけど。あんたと家族だと思われるの嫌に決まってるでしょ」

「……お前人が本来持ってる心を十だとすると三くらいしかないよなッ‼︎」


 蹴られそうだったので避けたのだが、繰り出された夏月の足は運動能力が平均以下の俺の速度に追いつき、普通に蹴られた。信号が青になり歩き出す。


「なぁ、周りのやつらからしたら俺たち付き合ってるように見えるんじゃないか? 入華みたいな理屈で一緒に歩くの嫌とか思わないの?」

「輝倫、あんたそれわざわざ言って意識させる必要なくない? なんで余計なこと考えさせるの?」

「いやどうなんだろうと思って……」

「他人にどう思われてもどうでもいいでしょ」

「あそっか……」


 入華はやたらと他人にどう思われるかを気にするが、他人はどうせその道や店で一瞬すれ違い、見、見られるだけ。夏月はそのあたりを割り切れているのだ。


「なに気づきがあったみたいな反応してんの。あんたのほうがそんな感じでしょ……」

「まぁそうなんだけど……」


 基本そこら辺の人間はモブだからな。


「そんなこと言ってもお前そこまで悟ってるのに中学の時からかわれてめちゃくちゃ気にしてたじゃん」


 俺と夏月が疎遠になった原因だ。俺はそれに関して特に思うところがなかったから反応が薄く、すぐにからかわれなくなったが、夏月は気にして俺と距離をとった。今の夏月の発言とは異なる行動だ。


「あれは……学校生活に支障が出るからよ。あんたの方はそんなに面倒くさくなかったかもしれないけど私は本当に面倒だったの。実際関わんないようになってから落ち着いたし」

「へぇ〜。大変だったんだな。言ってくれればよかったのに」

「なんでわざわざあんたに言わないといけないの」


 話しているうちにショッピングモールへと辿り着き、店内へ。


「お前の服から見るか。俺のは最後でいいし」

「最初からそのつもりなんだけど」

「……」


 HPとMPを交互に減らしてくるタイプの敵かな。夏月は俺などお構いなしにとことこと歩いていく。靴紐が解けて結び直しすなんてことになったら気にせず勝手にどっか行ってしまいそうである。


 しばらく歩いて夏月が足を止めた。一目では読めないアルファベットの名前の店だ。ショッピングセンターにある服屋など大抵そうだが。服を吟味する夏月の斜め後ろについて適当に視線を泳がせているとひと組の女が同テナントへ入ってきた。乙葉と七瀬だ。気にしない気にしない。

 いくつかの服を腕にかけた夏月が半畳ほどの更衣室へ入る。いよいよすることのない俺はぼけっと突っ立っていた。そんな俺の元へちょこちょこと音なく乙葉と七瀬が近づき小声で話しかけてくる。


「高橋……! 思ったよりかなーりいい調子だね……!」

「だな。俺も予想外だよ」


 一番会話があった小学生の時よりもしっかりとしたコミュニケーションがとれている。思えば遊ぶ時は大体夏月の姉の水希がいたし、ふたりだけで遊ぶことも初めてとまでは言わないが極めて珍しいことだ。


「あの、高橋先輩。もしどちらの服がいいかとか聞かれたらどっちつかずのことは言わないでちゃんとどっちが良いか言ってあげてください」

「なるほど。わかった」

「ただ女の子は自分の中でどちらがいいのか正解を決めてから自分の意思を補強するためだけにどっちがいいか聞くこともあるので、というかそれが大半なので、なるべく正解を選んでください」

「なんだよそのクソ選択問題」

「ま! 高橋は腐っても幼馴染なんだから! 真剣に考えれば当てられるよ! ファイト! じゃ……!」


 ふたりは今のテナントを出て廊下を挟んで向かいの店に入った。長時間同じ店舗に留まるのは愚策。場所を変え今度は遠目からこちらを観察するつもりなのだろう。

 そして、およそ二十分経った。


「なげぇよ……!」


 どれほど着替えるのに時間をかけるんだ。もしかして死んでる? しかし確かめるためにカーテンをジャッと開いて覗くわけにはいかない。


「夏月〜まだ着替え中?」

「終わった」


 カーテンの金具がレールを元気よく引っ掻く音と共にカーテンが開く。中から制服姿の夏月が出てきて、買う一品以外の服を片づけレジでお会計を済ませた。ふたりでテナントを出る。


「待て待て待て!」

「なに?」

「服選ぶのは一瞬だったけど試着時間長すぎだしなんでどっちの服がいいかとか俺に聞かないの?」

「…………………………そんなに言うなら次は聞く」

「なんで俺がせがんだみたいに……」

「チッ」


 舌打ちをして足早に去る夏月。機嫌を損ねてしまったやつだこれは。俺は駆け足でその背を負いながら謝罪する。


「すみません俺が必死になってせがみました。迷ってる服があれば俺に一度どちらがいいか聞いてくださいお願いします」

「ふん」


 大丈夫かな。大丈夫だな。機嫌が悪くなった時、適当に捲し立てるとなんだかんだ無礼はなかったことになる。ありがたシステムだ。

 ちらりと振り返ると、少し離れたあたりで乙葉と七瀬はなんとも言えない顔でこちらを見ていた。


 次のお店に入り、さながら夏月のボディーガードのごとくピッタリ斜め後ろにつき、視線を彷徨わせる。女性向けの店舗は、本当にどこに立てばいいかわからないしどこを見ていればいいのかわからない。気まずいお客様はこちらの点をご覧になってお待ちください、と壁に「・」をつけ視線の避難所を設けるべきだ。


「……」


 今回の夏月は熟考の様子で、動きが遅い上に同じ場所を行ったり来たりしている。廊下の方に椅子があるしそこで少し待とうと思いテナントから出る。が、すぐに乙葉が駆け寄って夏月に見られないタイミングで俺の手を引っ張って店に連れ戻した。


 立ってると足が痛いんだよ、と椅子で休みたい旨を視線で送信。乙葉は首を振り俺の主張を棄却。七瀬も同意のようだ。さらに五分ほど経ち、いよいよ休んでもいいだろうと店を出ようとするとまた乙葉に連れ戻された。このイベントが終わるまでこのマップから出られない。


「どっちがいい」


 あまりにも暇で半ばアヘ顔になっていた俺に、ついに夏月が質問してきた。手に持っているのは、片方はベージュの七分丈のパンツ。もう片方はくるぶしあたりまでの黒のロングパンツ。俺の答えとしてはどっちでもいい。


 さしもの俺も「どっちでもいいんじゃねぇの」と言うほどバカではない。七瀬もどっちつかずの答えではなくきちんとどちらかを選ぶべきだと言っていた。それに、どっちがいいかと聞いてくるくせにすでに自分の中では決まっている最悪の質問であるとも。

 俺にとってどちらがいいか、ではない。夏月がどちらの方がいいと思っているかを当てる問題なのである。

 頭をフル回転させる。ウィンドウズのアップデートと見紛う速度で俺の思考は加速していった。


 単純な話だ。夏月の好きな色から導き出せばいい。たとえば入華は黒が好きだから買う服は全部黒だ。……ダメだ。あいつは極端すぎる。黒が好きだとして下着も上着も靴下もスマホケースも傘も全部黒はおかしい。だから夏月が好きな色が何色だろうと入華のように何でもかんでもその色の服を選ぶかと言えば、違う。普通はそうしない。夏月は普通じゃないがその類型ではない。それにそもそも夏月の好きな色なんて知らなかった。

 待て。好きな色を中心にして他の色合いを決めているのだとしたら? たとえば暖色だとか、寒色だとか、無彩色だとか。色にはまとまりと組み合わせる法則が存在する。夏月の好きな色を起点にして推察できるのではないか。


 俺は夏月を観察する。ジャケット、スカート、リボン、靴下、靴……。制服なので固有の色合いはなかった。私服であれば、私服であれば自分自身で選んだ色があったはずなのに……。

 ……まだだ。夏月はポニーテールだ。つまり髪をまとめるためにヘアゴムをしている。その色を確認できれば……と思ったが、さっき見ていた。黒だか暗いブラウンだった。クソ野郎。

 それに色の組み合わせとか言ったが、そんなもの俺はわからない。美術の時間に習ったはずなのだが、あんなものはテストが終わればそれきりで、日常生活では使わない。だからすぐ忘れた。刺身に緑の葉っぱみたいなのがついてるから赤の補色は緑、の情報だけはあるが、あいにく今俺の目の前に差し出されたパンツは赤でも緑でもない。


 あ、これもうダメだ。賭けだ。


 入華が黒ばっか来てるしなんとなく黒の方だな、となおざりに決めようとした時、あることを思い出した。

 それは、俺がひとりではないということ。


「夏月、十秒目つぶっててくれ」

「は? 一分くらい無言で急にそれ?」

「いいから」

「……チッ」


 夏月の手からふたつのパンツを取る。そして、乙葉たちの方を向いた。


 どっち?

 声を出さず、しかし口の動きを読みやすいよう大袈裟に動かす。まず右手に持った黒いロングパンツを挙げる。乙葉と七瀬は横に首を振った。続いて左手のベージュの七分丈のパンツを挙げる。ふたりはうんうんと頷いた。よし、歳の近い女子がふたりもこちらを選んだ。つまり、こっちが「正解」。


「夏月、もういいぞ。俺はこっちのベージュのやつがいいと思う」


 と言って右手の方を差し出す。夏月は俺が左手に持った黒のパンツをひったくり、


「じゃあこっちの黒いの買うからそれ棚に戻しといて」


 と言い、レジへ向かった。すさまじいモラルハラスメントを受け、俺も乙葉も七瀬もその場で床に倒れ込んでしまった。

 夏月の買い物は終えた。食品館に向かい、俺はトイレットペーパーとカラシをカゴに。そしてレジ横、電池の売り場の前で立ち止まる。


「夏月、こっちの電池とこっちの電池、どっちが似合うと思う?」

「電池に似合う似合わないもないでしょ、死にたい?」

「お前なぁ……! 俺のこれは自分で答え出てるのにわざわざ人に聞くタイプのアレじゃねぇぞ⁉︎ 高くて本数が少ない電池と安くて本数が多い電池、どっちがいいのかお前は自分の意思でちゃんと決められるか⁉︎」

「……はぁ?」

「高い方は液漏れしなさそうだし長持ちしそうだろ? でも安い方は安い方でそんなに質悪くない感じするし」

「……高い方買えばいいでしょ。高いんだから良いものだよ」

「浅はか! お前は浅はかだ浅は夏月! 安物って言ったって本当に値段だけのクオリティの差があるのか⁉︎ 高いものは無駄にこだわったせいで余分に高くなっちゃってるんじゃないのか⁉︎」

「あんたほんとに…………じゃあ安い方買えばいいでしょ」

「安かろうは悪かろうだッ! こっちの方が安いしって軽い気持ちで安い方を選んで、その安さ以上にどれだけ損してきた! イタッ」


 脛を蹴られた。立っていられずひざまずく。


「安い方買え」

「はい……」


 こうして今日の買い物は終わった。

 そしてショッピングモールを出て帰り道。俺は静かに待っていた。クマに伝授された微笑み攻撃をするタイミングを――。


 乙葉にはまったく効かなかったどころか顔を叩かれるにいたったのだが、クマの時の成功体験が俺を同じ行動に縛りつける。


「そういや荷物持つ? いや軽いからいいか」

「なんで聞いたあんたで決めるのよ⁉︎ 持ってくれるなら持って」

「はい……」


 気の利いたことを言ってしまったばっかりに無駄に荷物が増える。


「お前が買い物付き合ってくれるとは思わなかったよ」

「別にそのうち買いに行くつもりだったから都合いいと思っただけだし。荷物持ちにもなったしね」

「そう……」


 夏月は友達はいるのだろうか。入華ほど誰にでも排他的な性格ではないが、これだと周りに腫れ物扱いをされていてもおかしくはない。現に俺と入華には腫れ物扱いされている。


「あ……」


 隣の夏月が立ち止まる。


「なんだ」

「お姉ちゃんから頼まれてたやつあった。ちょっと買ってくる」

「んじゃ戻るか」

「いい。それうちに持って行ってて。ひとりで買える」

「え? 今日俺たち一緒に買い物来たんだよ⁉︎」

「もう一緒に買い物したでしょ……」

「一回買ったからオッケーじゃなくね?」

「うるさい」


 あ、これダメだ、と察知。夏月は頑固者なので意見を変えない。ならば、ここだ!


「じゃまたな。久々にお前と遊べて楽しかったよ」


 ニコッ!

 あの時のクマの表情をトレース。実はつむぎに顔を打たれた後、洗面所の鏡を見ながら何度も練習したのだ。あの時おかしかったのは俺かつむぎか、今、夏月の反応によって雌雄が決する。


「……」


 夏月は特に何も言わず踵を返した。


「…………」


 失敗……? また……?

 これが失敗ならば俺の基にある前提条件が崩れる。つまり俺の笑顔で照れているように見えたクマは、その実そんなに照れていなかった、ということになってしまう。


「難しいな、デレさせるってのは……」


 夏月が去ってしばらく、そんな声を漏らした。


 ◇


「……見た? 玲奈」

「あれ絶対先輩のこと好きだよ……」


 輝倫と夏月の後を歩いていたつむぎと玲奈。ショッピングモールから出てしばらく、輝倫と夏月が立ち止まったかと思うと夏月ひとりだけが道を戻り、つむぎと玲奈の横を過ぎ去った。


 そしてつむぎは見た。口元を抑え赤面した夏月の表情を。あれは間違いなく輝倫のことが好きだ。隣の玲奈も同じ結論に至った。

 ふたりの元に買い物袋を下げた輝倫が近づいてくる。


「買い忘れあるから戻るらしいわ。荷物は持ち帰れって。最後キメ顔したんだけど普通に無視されたし……。やっぱあいつ俺のこと嫌いだわ。俺たちの関係修復できそうか?」


 キメ顔……? とつむぎと玲奈の脳内の声が重なる。


「いや高橋先――」

「高橋‼︎」


 玲奈の言葉を遮るつむぎ。つむぎは玲奈に一瞬のアイコンタクトを取る。


「わたしから見て夏月さんは高橋のこと嫌いだと思う! けど! 私に任せなさい!」

「だよな! だから頼むわ。俺だけじゃどうにもできなさそうだし」

「もちろん!」


 そして輝倫とつむぎたちはその場で別れた。じゃあなーと遠ざかる輝倫を、つむぎと玲奈はその場で見送った。会話しても声は届かないだろうと安心できるほど輝倫が遠ざかった時、玲奈が切り出す。


「つむぎ、さっきのは……」

「ふふん。玲奈、さっきのは高橋に教えちゃダメだよ。いい?」

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