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第五話

「わーっ! って高橋じゃん! 私より頭悪いのに脅かさないでよー!」


 身だしなど気にせず探し物をしていたためかスカートからワイシャツが垂れ出た乙葉が、なんでもないかのように罵倒を吐きながら近づいてくる。


「いやいやいやいやいなにやってんの⁉︎」

「スマホ探してるんだよ! あと……お母さんの……お母さんのー…………やつ!」

「形見な! てか乙葉お前っ……ここ男子トイレだぞ⁉︎」

「えっ⁉︎」


 乙葉は男子トイレにしかない小便用の便器と、また俺の姿を交互に見て顔を真っ赤にして硬直してしまう。


「わ、わわわ……あ……やっちゃった……またやっちゃった……ああぁぁ……やっちゃったぁ……」

「さっさと出るぞ!」


 思考を停止してしまって体の制御を忘れた乙葉の腕を引っ張ってトイレの外に出す。


「お前な……」

「お兄さ……ワッ‼︎」


 外に出てそうそうクマが近くにいた。鍵を返して戻ってきたのだろう。


「おうクマ、乙葉見つけたぞ」

「え、ちょ、お兄さ、た、高橋さ……えと……えっ。なに、な、な、な、ナニなにされてたんですか⁉︎ お、おふたりで! トイレで!」

「は? する前だよ」


 用を足す前に出てきて結局ズボンの前全開のままだ。


「やっちゃった……やっちゃった……」


 乙葉は乱れた服装をそのままにまだボソボソと呟いていた。


「やややや、やっ……⁉︎ た、高橋さん! 私が鍵を返してる間に乙葉さんと……⁉︎ えっ……行くとこまでっ行っちゃったん……ですか⁉︎」

「なんなんだよそのテンション……。あぁ、乙葉、これ見つけたぞ」


 職員室へ行っている間に大麻でもやったのか知り得ないがおかしなテンションのクマ。相手をするのも面倒なのでポケットから先ほど拾った宝くじを出す。


「あっ……あ! これ!」


 乙葉はそれを受け取るとニタァと笑った。


「へへへ……ありがとう高橋……!」

「なんなんだその笑い方は……」

「あ、あの〜乙葉さん」


 なぜかおっかなびっくりの歩調で近づいてきたクマが乙葉にカバンを差し出す。


「これ向こうに落ちてたけど乙葉さんのじゃない〜?」

「あ! あ〜! 私の! よかったぁ……」


 乙葉はバッグを受け取り大きく息を吐いた。宝くじよりよっぽど安心した様子だ。形見はともかくバッグや携帯は生活に関わるので、スマートフォンを失くしたと思ったら見つかった、という時の安堵は共感できる。


「ふたりともありがと〜! もしかして……探してくれたの?」

「当たり前だろ! 困ってるやつがいたら助けるに決まってるだろうが!」

「た、高橋さんちょっと、声……。職員室側に生徒指導の先生居たから押さえて……」

「当たり前だろ……! 困ってるやつがいたら助けるに決まってるだろうが……!」

「声量変えて言い直すな!」

「佐藤さんと高橋仲良しだね!」


 そうかな〜となんとも言えない感じで答えるクマ。他人だ。いい加減にしろ。


「あ、高橋! 宝くじ見つけてくれてありがとう! 佐藤さんも! なにかお礼させて!」

「あ、じゃあ私いい?」


 お礼をさせて欲しいと申し出る乙葉にとてとてと乙葉に近づくクマ。


「じゃあ乙葉さんの匂い嗅がせて!」

「? いいよ!」

「え……?」


 するとクマは乙葉の背後に回って彼女の首元に顔を近づけ、首筋をなぞるように鼻を動かしていき髪の毛に顔を突っ込んだ。


「すぅ……はぁ……すぅ……はぁ……つむぎちゃん……すぅ……ダメだよこんな……こんないい匂いを撒き散らしながら歩いちゃ……はぁ……いろんな悪い人が……はぁ……ス〜〜〜〜〜ッ……ハァ〜〜〜〜〜〜〜……。つむぎちゃんのこのいい匂いに……すぅ……はぁ……引き寄せられちゃう……から……すんっ……僕が……吸い尽くして…………すぅ……はぁ……つむぎちゃんを守らなきゃ……」


 あまりの気持ち悪さに俺も乙葉も我が目を疑っていた。さっきまで一人称が「私」であったのに急に「僕」を使い出すし、「乙葉さん」呼びが前触れなく「つむぎちゃん」となるし、乙葉からしてみれば恐ろしいほどの豹変だ。クマの正体が佐藤色音だということは俺の中で確定事項ではあったが、目の前でこうもおかしな行動をされるとただの確信が事実に変わる。


 乙葉が怯えてしまっているので早急に「これ」をやめさせなくてはならない。俺はスマートフォンでカメラを起動し即座に撮影。カシャ、とデジタルチックなシャッター音が響いた。


「つむぎちゃん……はぁ……」

「クマ、もうやめろ」

「や、やめませんよ……! こんなにいい匂いなのに……。ほんのり汗の匂いがするのも……あっ……つむぎちゃんの身体は華奢で……かわいいねぇ……」

「あ……あ、あ……」

「クマ、いまお前が乙葉の体をまさぐって匂い嗅いでるとこを写真で撮った。いつでも入華に送れる。いますぐやめろ」

「はい!」


 クマは一瞬で乙葉から飛びのいた。乙葉は細やかな歩幅でとことことこと俺のところまで来ると背に隠れた。クマの盾にされている。


「乙葉さん⁉︎ え〜っ、ちょっとイタズラしただけじゃ〜ん。ね? そんな、ビビらないでよー」

「……た、高橋……ありがとう……助かった……」


 クマは取り繕おうとしているが、どうなのだろう。アレをなかったことにできるのか? 現に乙葉を随分と警戒させてしまった。


「ていうか乙葉さんがにおい嗅いでいいって言ったんじゃん! 私悪くなくない⁉︎」


 クマが乙葉を追っかけ回すが、乙葉は徹底してクマとの対角線上に俺が来るように立ち回って、ふたりして俺の周りをグルグルとしている。


「お前が悪い。それより乙葉、お礼つってたじゃん」

「う、うん」

「あれくれ、あれラ――」

「えっ……お金⁉︎」

「いや……ライ……」

「資産⁉︎」

「同じだろ!」

「と……土地⁉︎」

「いらない!」

「私の家……⁉︎」

「不動産もいらない!」

「力⁉︎ 名誉⁉︎」

「持ってないだろ」

「高橋の人生半分あげるから私の人生半分くれ⁉︎」

「別にお前の人生いらない! ラインだよライン! ライン交換してくれ!」


 乙葉はおそらく人の話をちゃんと聞かない人間なのだろう。この問答で嫌というほどわかってしまった。乙葉は「いいよ!」と言ってバッグを漁りスマートフォンを取り出した。


「乙葉さん! 私も〜私も乙葉さんのライン欲しい〜」

「あ、うん……佐藤さんはまた今度でいい……?」

「え? よくないけど……え? じゃあ乙葉さんの友達から貰ってもいーい?」

「や、ダメ! みんなに佐藤さんにはライン渡さないでって言う!」

「なんで⁉︎」


 クマはちゃんと友達を作れているのだろうか。不安になってきた。そしてふたりはまた俺の周りをグルグルと歩き、その間に乙葉とラインを交換した。


「あれ、高橋のホム画の子可愛い〜! 誰⁉︎ も……もしかして彼女⁉︎」


 ラインはアイコンとは別にホーム画像という場所に写真を設定できる。俺はそこにある少女の寝顔を設定していた。


「ああ、これ俺の妹」

「…………え? いも……うと?」

「乙葉と同じクラスだったと思うけど。入華って名前。高橋入華」

「あっ、え……。妹……妹……。なんで⁉︎」

「なんでって……妹だからだよ」

「いや……うん。そっか……」


 乙葉はへへ、みたいな変な顔をすると俺から一歩遠ざかった。


「待て! 俺はそこの女みたいなアレじゃないぞ! 距離取るな!」

「な、なんですかアレって! さっきのは……あれですよ、私スピリチュアル系女子なので、気を抜くと霊を降ろしちゃうんです! だからさっきのは霊的事故です! 悪い霊! 私の中から出て行け! 出ろ! 出ろ!」

「あっ、あっ、わ、私帰る! バイバイ!」


 俺とクマが言い争いを始めたと見ると乙葉はここぞとばかりに別れを告げて走り去っていった。


「おまっ……変なことするなよ! あんな奇行見られたら今後支障が出るだろ!」

「いやいやいや、僕元々生身で参加するつもりなかったですし! 元々ないはずだったものがゼロに戻っただけじゃないですか! 損失はないです! それに、お兄さんもホーム画像変えておいてくださいよ、引いてましたよ!」

「妹の写真設定して悪いんですか〜?」

「普通はそんなことしないんですよ! だからあんな反応だったじゃないですか」

「高橋! 佐藤! 用事がないなら騒いでないでさっさと帰れ!」


 やや離れた校舎の窓から見覚えのある生徒指導の教師が怒鳴りつけてきた。


「はい!」

「す、すみません……」


 俺は元気よく返事をし、クマを伴って帰宅した。

 ようやくだ。念願叶って、ようやく俺はヒロインをデレさせる道の第一歩を踏み出したのだ。




「だ、誰……?」

「佐藤色音だけど……隣のクラスの……」


 クマを家に連れてきたのだが、やはりというか入華はクマと面識がなかったらしい。面識もなく性別不明の相手にストーカーされてそれを友達と呼んでいた事実に改めてゾッとする。


「お兄ちゃんちょっと……!」


 俺は入華に腕を引かれ彼女の自室に連れ込まれた。


「あっ、あれ! あの子、お兄ちゃんがヒロインって言ってる子のひとりだよね?」

「一応な」

「こ、攻略が進んだってことなの? 乙葉さんは?」

「いや俺は佐藤色音は攻略してない。とりあえず来い。話せばわかる」

「や……やだ!」


 次は俺が入華の腕を引いて部屋の外に連れ出そうとするが抵抗してきた。


「お前っ……抵抗するな!」

「だって、だって私、初めての人と会話できないもん! 同じ空間にいるのも気まずいんだよ! なんでお兄ちゃんはそんな酷いことばっかりするの!」

「お前っ、高一だろ! もうお姉ちゃんだろ! いい加減にしろ!」


 普通に俺は妹に腕力で劣るので入華の身体は微動だにしない。嘘だ。逆に俺の体が部屋の奥へ奥へと引きずられている。


「クマ! 鍵かかってないから入って来い! 急ぎだ!」

「はい!」

「く、クマ⁉︎」


 ガチャと鍵のかかっていない扉が開かれる。入華はクマ、いや佐藤色音の姿を見て「ヒッ」と声を漏らす。その表情は首吊り自殺の現場にぱったり居合わせてしまったのかと疑うほど鬼気迫る顔だった。人にそんな顔を向けてしまうからさらに人が寄り付かなくなってしまうのだ。


 入ってきたクマに話しかけようとすると、俺の言葉を交わすようにクマは跳び上がり入華のベッドに飛び込んだ。


『……?』


 クマのその謎の行動に、俺も入華も動きが止まる。


「あっ……! あああああっ……! すごいっ! 入華ちゃんの匂い‼︎ わ……あああああっ……。ス〜〜〜〜〜〜〜〜ッ…………ハァ〜〜〜〜〜〜〜〜ッ……」


 クマはクッションの上のタオルケットを体に巻き付け、形で言えば直立のような体勢でうつ伏せて顔を入華の枕に押しつけていた。俺はクマのその行動に、ついに怒りが発露した。


「クマ! お前メイクしたまんまやってねぇよな⁉︎ シーツについたらぜってぇ落ちないんだぞ!」

「メイクは落としましたー! お兄さんが生徒指導終わった時に顔がどうか聞いたじゃないですか! お兄さんのお勤め中にメイク落としてたんです! ここに来れることを見越して!」

「あ、そうなのか。ならいいよ」

「よくねぇよ!」


 入華が怒号とともに俺の頭を叩く。叩くならクマの方だ。俺はなにもしていない。


「入華、頼むから頭に攻撃するのやめてくれ。叩かれた拍子に偏差値が飛んでく」

「いや、これっ……クマ⁉︎ この人!」

「そうです!」


 クマはタオルケットに身を包んだまま器用にベッドに正座する。


「クマこと佐藤色音です! 入華ちゃん、はじめまして。……改めまして、かな?」




 俺はふたりをソファに座らせてやろうと床に座ったのだが、入華も横に来てクマだけがソファに座るという形になった。入華は俺を盾にして、クマの視線から隠れている。学校でも同じようなことがあったのを思い出す。


「い、入華ちゃん? なんで距離取るの……?」

「なんでって……ぎゃ、逆に、近づく必要性がないじゃん」

「僕たち友達だよね⁉︎」

「……友達だからって関係ないから……」


 乙葉もそうだが、入華もシンプルにクマを怖がっているようだった。たとえ同性とはいえあんなことをする人間だ。当然といえる。


「お、お兄さん……! 僕たちの仲を取り持ってください」

「嫌だよ。それにそんなことはどうでもいい」


 俺はスマートフォンを取り出して今しがた入ったメッセージを読み上げた。


「『高橋!今日は私の大事な形見を拾ってくれてありがとう!本当に助かったよ!だから何か困ってることとかあったら相談して!恩返しする!』ってラインがあった。乙葉つむぎからな」


 ごと、と目の前のテーブルにスマートフォンを置く。入華が横からそれを取り上げ自身の目で文章を確認する。


「どういう経緯?」

「乙葉が母親の形見を落としたらしくてそれを見つけてやった」

「その形見って?」

「母親と乙葉のふたりで買ったハズレの宝くじが形見らしい」

「ハズレくじ…………。……え、てか私にあんなに色々やらせてなんで私の知らないところで普通に進展してるの?」

「偶然だし……いやお前なんで怒ってんの」

「別に怒ってないけど」


 入華はなんだか機嫌が悪いらしい。俺たちはチームとしてこれまで何度も作戦を遂行し失敗してきた共同体だ。だというのに自分の知らないところで物事が進めば気持ち良くないのかもしれない。


「それに……なんか、佐藤さん? も拾ってくるし」

「入華ちゃん今までどおりクマでいいよ!」

「佐藤さんもヒロインじゃん。なんで急に」

「クマでいいよ‼︎」

「昼休みの時にお前と電話してるところ見つけたんだよ。こいつは今まで身バレしたくなくてずっと声だけで喋ってたけどもうバレたし隠れる必要がないだろ」

「まぁ……」

「使える人間は多い方がいいし連れてきた」

「ふぅん……」


 入華は不満げに口を尖らす。


「なんでお前そんな機嫌悪いんだよ!」

「だから別に機嫌悪くないって!」

「入華ちゃん色音って呼んで! クマじゃなくていいから! 色音!」


 おそらく、俺が他の女の子と仲良くしているのが気に食わないのだろう。嫉妬だ。入華も実妹とはいえヒロインなのだから、その反応も頷ける。

 しかし今は入華を攻略する時ではない。さらに乙葉つむぎの攻略が一段階進むのだ。構っていられない。


「よし、というわけで俺は乙葉つむぎと口実を作ることができるようになったわけだ。その口実を考えていこう」

「入華ちゃん〜色音だよ〜色音〜」

「……」


 クマは俺の話に集中しておらず、入華はつーんと明後日の方向を向いている。


「オイ! やっと前進したんだぞ! 気合い入れろ!」

「はぁ〜。わかりましたお兄さん。お兄さんが困ってることって勉強とかじゃないですかね」

「なるほど。でもあいつもバカじゃん」

「そうでした……。勉強が得意じゃない人が得意じゃない人に教えられないですよね……。じゃあ運動……も、乙葉さんはできませんね……」

「あいつ人を助けるほど余裕ある人間じゃないな……」

「う、う〜ん……」


 ピポピポピポピポピポピンポーン!

 ゾッとした。入華もビクッと反応している。このインターホン連打はあいつしかやらない。そう、俺の幼馴染、夏月。


「さ……騒いだからだ……ああクソ……」


 俺は嫌々立ち上がって玄関に向かう。ドアストッパーを掛け、鍵を開ける。寝ているライオンの檻にそっと入り込むようにドアを小さく開けた。

 徐々に開く隙間から見えてくる、動じない鋭い瞳。


「……ねぇ輝倫」

「はい。静かにします。申し訳ありません」

「何度も言わせないで」

「はい……!」

「……あんた返事だけは得意なんだから……」

「昔から返事だけは褒められます!」


 俺は運動も勉強も苦手ではあるが、幼い頃から返事を褒められることが多かった。どんな人間であれ、ひとつは長けているものがあるのだ。


「嫌味で言ってんのよ!」

「はい……!」

「チッ……」


 舌打ちだけを残して、夏月の姿はドアの隙間から失せた。音を立てないようにドアを閉め、鍵を閉める。体の内側が熱されて軽くなったような感覚を覚えながらリビングに戻る。


「酷い話だよな。隣に可愛い幼馴染が住んでるっちゃ住んでるのに、イカれてんだから」

「すみません、ちょっと僕もはしゃぎすぎちゃいました。それにしてもこんなに身近なところにヒロインがいるのに本当に全然攻略できなさそうですよね、夏月さんは」



「……閃いた」



 俺は思いついてしまった。


「夏月だ」

「え?」


 入華が俺の言葉を訝しむ。クマもまた理解が及んでいないようで、俺の言葉の続きを待っていた、


「だから、俺いま夏月との関係が最悪なわけじゃん? というか夏月が最悪なんだけど」

「……まぁそうだね」

「その俺たちの関係修復というか、関係改善を乙葉に頼むんだよ。幼馴染と仲がよくなくて、それをなんかこう、なんとかしてほしいってな!」

「えっとつまり……。乙葉さんを攻略するためには口実が必要で、その口実を、お兄さんの幼馴染である朝来夏月さんの攻略に当てる、ということでいいんですか?」

「つまりと言いつつなに言ってるかわかんねぇけどたぶんその通りだ」


 いつもクマは理解が早くて助かる。


「インセプションかよ……。お兄ちゃんさ、困ってることって言っても、そんな人間関係をどうこうさせるみたいな時間がかかるのはさすがに乙葉さんも請け負ってくれないんじゃないの」

「今ラインしたら『オッケー!』って返ってきたぞ」

「ラインするのが早すぎる! 見せて!」


 入華は遠慮なく俺のスマートフォンを取り上げてラインのトーク画面を確認した。頭痛でも堪えるような顔をしている。


「てなわけで、乙葉つむぎの攻略は次のフェーズに移行する!」


 俺はビシッと虚空を指さした。その先に目指すべき到達点がある。


「ひょんなことから借りのできた乙葉は、徐々に俺との距離を縮めていくのだ!」

「ちなみにですけどお兄さん、フェーズの意味知ってますか?」

「知らん!」




 その後乙葉つむぎとのやり取りの結果、一週間後に我が家で夏月との関係改善における会議を開くこととなった。ヒロインと関わってから家に連れ込むまでにあまりに駆け足な気もするが、しかし出会うまでにあれだけ苦労したのだからこのくらい進展が早くてもよいだろう。


 一応ヒロインに列する幼馴染の朝来夏月を攻略していく形になるものの、そのルートがどのような結果になっても構わない。俺たちの関係が改善、進展すれば上々。とはいえ真の目的は乙葉つむぎと親睦を深めることなのだ。その部分を見失ってはならない。


 そして、大本命である乙葉を攻略するため、俺とクマはリビングのソファにふたり座っていた。

 休日、自宅に異性とふたりっきり、なにも起きない。


「どうして入華ちゃんを漫画喫茶に行かせたんですか? あ〜もしかして僕とふたりっきりになりたかったんですか〜? お兄さんは油断できないな〜」


 機嫌良さそうににやけるクマ。しかし現実(いるか)はそう甘くはないのである。


「いや、お前がうちに来るって言ったら出てっただけだよ」

「え……?」

「いやだってお前あれじゃん。避けられてる」

「ちょっと、え? な、なんでですか⁉︎」

「あいつが言うには、文字とか音声でやりとりする分にはいいけど会うのはもういいかなって」

「そんな……やだやだ! 僕もっと入華ちゃんにスリスリしたい! 抱きつきたい! 匂い嗅ぎたい!」

「そんなんだからだろ」


 とはいえ入華がクマを嫌っているというわけではない。いまだに、というか直接対面してからほんの数日だが、これまで通りの交流はあるし、拒絶を示しているわけでもない。まだクマのことを友達だと思っているのは変わらないだろう。ただ、嫌いなところがあるだけだ。


「えーん……」

「お前、今日は乙葉の攻略に向けて俺になんかあれこれさせるからっつって来たんだろ。入華に比重がよりすぎだろ」

「だって……まぁ……はい。でもそんながっかりしないでくださいよお兄さん。たしかに僕は入華ちゃんが大好きですけど、お子様ランチのおもちゃくらいにしか求めてないですから」

「お子様ランチはおもちゃが本体なんだよ」


 お子様ランチもマックのハッ◯ーセットもおもちゃに飯が付いてきているに過ぎないのだ。


「細かなことは気にしないでください。本題に入りますよ」

「……わかったよ」


 居住まいを正したクマはぴん、と人差し指を立てた。


「まず、です。最初から口説きにかかるのは品がありませんし、そもそも警戒されますし、嫌われますし、避けられますし女子間でのコミュニティでその話を流されますしキモがられますしその話題は男子にまで伝播します」

「……代償でかくね?」

「はい、大きいです。なので、わかっていると思いますが、そういったものはできません」

「ああ〜……うん……。気をつけなきゃな」


 デレさせる、と言ってはいるものの口説く気はさらさらない。けれどもしそういうふうに捉えられてしまうと致命的だという話だ。


「はじめから前傾姿勢だと警戒されてしまうのは自明です。なのでさりげなく意識させるんです」

「さりげなく、ねぇ……」


 さりげなく、といわれても想像に難い。そんな表情を読み取ったのかクマが解説するように話し始める。


「たとえばですが、お兄さん、いま長袖を着られていますよね。その袖を捲ってください」


 言われるがまま薄手の長袖シャツの袖を、手首から肘に向けて絞り出すようにまくる。窮屈な感じがしてむず痒い。俺は普段袖捲りをしないため前腕の異物感が拭えなかった。


「……はぁ、なるほど」


 見定めるように目を細めるクマ。なにを納得しているのか。


「なんだよ」


「袖捲りというのは、まぁ、いわゆる定番なんですよ。女子が男子を意識するときの」

「捲っただけで?」

「はい。そうです。……たとえるなら、いつもおでこに髪のかかっている女の子がおでこを出しているとついつい見ちゃう、みたいな?」

「見ねぇよ別に」

「じゃあ制服より短いスカートを履いているとついつい太腿を凝視しちゃう、みたいな?」

「それも見ねぇな別に」

「普段どこ見て生きてんだ!」

「お前が人の体常に見てるだけだろ」

「もういいです理解してもらわなくて! とりあえず乙葉さんが来た際にはなにも考えず僕に言われた通り折りを見て袖を捲ってください!」

「はいはい」


 一応は同性で同じ年代のクマが言っているので常識から逸脱した提案ではないだろう。腕の痒さから解放されてたくてすぐに袖を元に戻した。一瞬口惜しそうに俺の手元を見たクマ。そしてジトっとした目線で俺と目を合わせる。


「……そうそう、そういえば。今日の僕の服、どうですか?」


 すっと立ち上がったクマが白いスカートの両端を軽く持ち上げて視線誘導を促す。


「は?」

「どうですか」


 どうですかと言われても、と辟易するのは容易いが、いま俺はクマに教えを乞う立場。クマの身なりを観察する。

 黒シャツをスカートにインして、上から軽めの黒いアウターを着ている。葬式だろうか。悩む。強いて言うならスカートが短め。

 そうか。先ほどクマは制服よりスカートが短いとどうこう言っていた。つまり、制服のスカートよりもいま履いているスカートの丈が短いのだ。


「……制服のスカートより丈が短い」

「ということは?」

「ということは? ……制服のスカートより丈が短い、ってことだよな」

「……それで、どうですか」

「どうって……制服のスカートに比べればスカートが短いな、って話だろ」


 クマは湧き上がる怒りに歪む表情を無理やり笑顔に正そうとし、しかし上手くいかずブサイクな顔になっていた。


「僕が入華ちゃんだったらいまお兄さんの顔を力一杯蹴り飛ばしていたところです。ですが僕は入華ちゃんではないので蹴りはしません。お兄さんはいま僕にそれだけの怒りを覚えさせたということだけ、痛みを知らぬまま自覚してください」

「え、なに?」

「褒めるんですよ……」


 それはさながら地獄に吹き荒れる風が僅かに地表に漏れ出たかのような響く声だった。


「お兄さん、女の子が私服を着ていたら褒めてください。とりわけ外行きの格好であれば必ず……」

「……いや、褒めるくらいに良ければ褒めるよ」

「……僕はいま、あなたを蹴りたくて仕方がない……」

「どうせお前入華より身体能力低いだろ。負け確じゃないから蹴り返すぞ?」


 ぺしっ、とつつく程度に蹴られた。たいして痛くもないので蹴り返すことはなかった。


「特別よかろうがよくなかろうが、女の子の服は褒めてください。僕たちにとって化粧や服装は自分自身の一部なんです。一部でありながら目に見えるもので、かつ褒めやすいものなんです」

「はぁ……」


 いつも適当な服ばかり着ている入華は一体……。


「とりあえず僕の服、褒めてください。一言でいいです。それで十分ですので」

「えーっと……うーん……。白黒でさ、色が」

「はい」

「なんというか……葬式を思わせるよな」

「……?」

「あれ、誰か死んだのかな? みたいな。なにも考えてなかった日常が一瞬そわそわするというか、緊張感が出る……みたいな? なんか、そんな感じで……いいと思う!」

「いいわけないでしょ!」


 怒声が飛んでくる。入華なら思いっきり俺の頭をどついている程度の感情の跳ね方だった。


「なんかこう……その服から感じる印象を一言と、続けて『似合ってるよ』、と添えるだけでいいんです」

「印象? 印象って……。スカート短いな、似合ってるよ。とかか?」

「そんなわけないじゃないですか……。なんか、じゃあ、もう『いつもと雰囲気違うね、似合ってるよ』でいいです。これだけ言ってください。それと、相手がお金だったり時間だったりをかけて選んでそうなものを褒めて見てください。……できないか。やっぱそれはいいです」

「クマがその場にいてアドバイスくれれば楽なんだけどな」

「家族でもない僕がいるのおかしいですよ」

「お前元からおかしいから逆に気にならないんじゃないか?」

「……はい?」


 しかし、そうだな。乙葉が来る際、入華は逃げて家にいないだろう。居ても間違いなく使えないし居なくていいのだが、俺ひとりでは頼りない。クマに入華のふりをさせるか、と着想が湧く。入華は女子にしては背が高く、クマは標準的。顔立ちは同系統の美人だ。問題は体格か。


 クマはそんな考えもつゆ知らず話を進める。


「……それで最後ですが、笑顔です。無邪気な笑顔。やっぱり笑顔は大切です」


 俺は口角を上げ歯を見せて笑う。


「こんな感じ?」

「違います。邪悪。入華ちゃんもお兄さんも基本ずっと愛想ないですし、感情的になるところは基本怒ってる場面ですし、笑うにしてもニヤッていう、なにか企んでいるような表情しかしないじゃないですか」

「それ人が傷つく言葉だよ?」

「それを悪いなんて言ってないです。でも大半の人はとっつきづらいと思います。なので、柔和な笑顔をなにげなくできるようにしてください」


 入華は無愛想だと思っていたが側から見れば俺も似たような人間だったのか? 不思議だ。同じような振る舞いでも俺には友達がいるのに。


「じゃあこうか?」

「……人の不幸を見てどうしても笑いが堪え切らないみたいな顔ですよそれ」

「じゃあこう?」

「相手を完全に見下している人間がする顔ですそれは」

「ごめん、人体の構造上笑顔が向いてない可能性がある」

「じゃあ僕の真似してください。こういう笑顔です」


 クマは隣に座ったまま俺の顔を覗き込むように軽く頭を傾げ、微笑む。目元が緩く細まり、口許は優しく吊り上がる。柔和で力んでいない表情なのに、反して、抱き寄せられるように強く心が惹きつけられた。


 俺は表情筋を脱力させ、力が入らないよう柔らかく表情を作る。ニコッ。


「……!」


 クマは目を点にして数秒固まった。かと思えば手を伸ばしてぐにょっと俺の顔を掴む。


「……なに」


「その表情は今後あまりしない方がいいです。あまりに面白い顔をしているので、人前ですることはお勧めしません」

「え? 上手くできてると思ったんだけど」

「まぁ後で鏡の前でやってみるといいですよ」

「えぇ……」


 そこそこ自信があったので、こうも否定されるとさすがの俺も少し落ち込む。


「ただ、ただまぁ、他の人にはやらない方がいいですが、僕は……面白くていいと、思うので。……顔芸のひとつとして、たまに笑いかけてもいいですよ。僕は優しいので、お兄さんの顔を笑ったりしませんから」

「はぁ……」


 支離滅裂とまではいかないが、主張の歪みが見える。もし当てはまる心情があるならば、クマは俺に気があって、今の笑顔でキュンと来たがそれを俺に悟られたくなく、しかし他の人間にその表情を向けられるのが嫌で独占しようとしている、とか。


「まぁいいか。とりあえずクマ、お前乙葉が来る時入華のふりして俺のサポートをしろ」

「……はい?」

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