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第三話

 問題発生。

 ヒロイン選定会議から一夜明けた。俺は一連の習慣を済ませ帰宅。


「乙葉つむぎと出会えない!」


 ソファに座っていた入華と、ローテーブルに置かれたクマに届くような声で宣言した。


「また夏月来るから大声出さないで!」


 入華の声が予想以上に大きく、しばし夏月を警戒して立ったままでいたがどうやら今回は問題ないらしい。入華自身も怯んでしまって謝ってきた。


「ご、ごめん」

「気をつけろよ……」

「……それで?」


 俺は入華の隣、いつもの位置に座る。


「クマは今話せるのか?」

「用事あるんだって」

「ストーカーならストーキング優先しろ……なんなんだあいつ」


 ここまでの意識の低さでルフィなどと大層な名前を名乗っていたのかと思うと呆れる。名前負けも甚だしい。現状の「クマ」という名前にすらも負けている。本物の熊だったならば、誇りを持って最後までストーカーをやり切ったに違いない。最後食うけど。


「で、さっき出会えないとかなんとか叫んでたけど」

「そうそう。今日から乙葉つむぎの攻略に取り掛かろうと思ってコシタンしてたんだけど」

「……虎視、眈、眈、ね。で、なんなの? なんかあった?」

「いや、なにもなかった……。それが問題なんだよ」

「ん?」


 そう、なにもないのだ。

 乙葉つむぎにかける言葉が。言葉をかける理由が。


「乙葉つむぎと仲良くなるためにはまず知り合うきっかけが必要だろ? 俺にはそれがないんだ」

「……そっか。同じクラスメイトでもないし、同じ部活してるわけでもない。同じ委員会でもないし、行事で同じ仕事をしてるわけでもない……。そもそも、個人的な知り合いでもない…………他人じゃん」


 入華は苦々しく言い捨てる。


「おまえが昨日言ってた関わりどうこうってこういうことだったんだなぁ……」

「違うけど……話したこともない可愛い人を勝手にヒロインとかなんとか言ってることに対してなんだけど……でもそうだよね。無理あるし、やるなら身近な人かとっつきやすい人を選んだ方がいいんじゃない?」

「うーん……」


 入華を除き身近で関わりやすいヒロインは同じクラスの白城凪だろうか。あるいは隣部屋の幼馴染、朝来夏月。


「お兄ちゃんと同じ二年生はやりやすいし、次は三年生かな? 新名羽柔さんは即付き合えるし」

「……入華、人は逃げちゃダメなときってのがある。それが、いまだ」

「あっそう」

「乙葉つむぎはもう決定したから乙葉つむぎを攻略する方向で考えていきたい」


 真摯に入華の目を見て話す。すると入華は目を閉じ、しばらくしてわかった、と諦めたように言った。


「だったら……乙葉つむぎの情報欲しいね。……あぁ、だからお兄ちゃんさっきクマのこと聞いたの?」

「ああ。ちょっと調べて欲しいことがあってな」

「そういえばクマがラインだったら返事できるって言ってたよ」

「どういう状況なのあいつ」


 声は発せられないがスマートフォンは操作できるという場面、というのがなかなか想像できなかった。

 ひとまずクマに、「乙葉つむぎの通学路わかるか?」とメッセージを送る。送って五秒としないうちに既読がついた。


「既読早っ」


 入華にも見習って欲しいものだ。入華は自分に都合のいいラインだけさっさと反応して、都合が悪ければ見ないふりをするような悪質なラインの使い方をする。

 さらに十秒と経たない間に、「わかります。夜に地図に印をつけた画像をお送りします。他にありますか?」と返ってきた。


「なに聞いたの?」


 入華がもそもそとソファの上を四つ這いになって俺の手元を覗き込む。いつも俺が近づくと自分のスマートフォンの画面を隠すのに、自分がする場合は気にも留めない。はっきり言って最悪の人間である。


「乙葉つむぎの通学路」

「……なんで?」


 さらにクマに、「何時に家を出て何時に学校に着くかと、何時ごろに通学路のどこにいるのかも大体で知りたい」と送る。


「そりゃ……ヒロインと出会うんなら通学路だろ」

 すぐクマから返事がある。「日曜日の夜までには調べてきます」と丁寧な返信。


「俺と乙葉つむぎは、朝の登校中、偶然交差点でぶつかって出会うことになるんだよ」




「ああああぁぁぁああああ⁉︎ 電車ァ⁉︎」


 日曜日の夜、自宅、入華にばしっと頭を叩かれる。

 刑法二〇八条違反。


『はい。乙葉つむぎさんは電車通学です』

「お前っ……交差点で電車とぶつかったら死ぬだろうが……」


 遅刻遅刻〜♪ プォーー‼︎ ドッカーン! ビチャドチャ!


「なんで電車とぶつかる気なの……てか線路に交差点ないし」

「通学路でぶつかる作戦はナシか……」

「お兄ちゃん待って。電車って言っても家から駅までと、駅から学校までは歩きじゃない?」


 そうだ。入華の言う通りだ。家の玄関から電車に乗って、電車を降りてすぐ目の前に教室の扉があるわけではない。


「たしかに……それなら駅から学校までの間がいいか……? クマ、乙葉つむぎが何時着のに乗ってるかまでわかってるか?」

『はい。ですが、乙葉つむぎさんはいつも友人の七瀬玲奈さんと一緒に登校していて、しかも乙葉さんは常に内側を歩いているので脇道から飛び出して、というのは非常に難しいと思います』

「なんで可愛くない方が道の内側歩いてんだよ」

「そんなこと言うな」

「まぁだとしてもだ、その七瀬ってやつより向こう側に飛び出せばいいんだから」


 入華が俺の発言に食ってかかる。


「だめだよ。あの道は歩道そんなに広くないしガードレールないから最悪車道に飛び出る。お兄ちゃんもそうだし乙葉さんも事故るかもしれない」

「うぅ……」


 朝の交通量は見過ごせない。俺はただ朝の交差点でぶつかりたいだけなのに、どうしてこうも死の危険が多いのだろう。


「なら、いい作戦がある」


 俺は不敵に笑い、入華を見た。




「無理……」


 早朝の学校。特別棟の裏、ひとけのないこの場所は、むき出しの土と所々に雑草、校舎の反対側にはフェンスを挟んで住宅街が広がっている。俺と入華はいわゆる告白スポットで密会していた。


「なにが無理なんだよ。話しかけて友達になるだけだろうが」

「むっ無理無理無理! 話しかけるってそんなっ……人体の構造上できないの!」

「そんなわけあるか」


 次なる作戦はいたって単純だ。乙葉つむぎは入華と同じクラスなのだ。だから、入華が乙葉と友人関係になり、自宅に誘えばそれだけで顔を合わせることができる。

 そして友人ならば継続して家に招くこともできるだろう。命の危険はなく、血が流れることもない、正真正銘の無血攻略なのである。


 欠点のないはずだったこの作戦に、ひとつ問題が生じた。入華だ。


「おまえ席近いんだろ? 次の授業の教科聞いたり体育の時間ペア組むとかなんかの教科でグループになったときに話してみるとかあるだろ」

「だからお兄ちゃんバカ? 人の体は、そんなことができる作りになってないの!」

「なぁ、なにが欲しい。入華ががんばれるように好きなもの買ってやるから。な? 言ってみろ」

「お兄ちゃんは百万円あげるから地球を素手で割ってくださいって言われてできるの? できないよね? そんな質問なんの意味もないじゃん。不毛だよ」

「さっきから言ってることめちゃくちゃじゃねぇかよ。そこまでの話じゃないだろうが……」


 一度説得を断念し入華を言い込める言葉を探すが、どれほど言葉を重ねても、めちゃくちゃ理論で撥ね付けられる未来しか見えなかった。

 俺が物思いに耽る横で、入華は目元から前髪を両手で押さえるようにして覆い、「無理だ……無理無理……無理……」とぶつぶつ小さな声で繰り返していた。


 ふぅ、と一度息を吐いて、俺は少し屈む。入華の両手首を掴んで顔を晒し、同じ目線の高さで優しく諭す。


「入華はもうお姉ちゃんなんだから、がんばってお友達つくれるな?」

「……無理…………」


 弱々しい言葉だった。でもここで諦めてもらっては俺が困る。俺は何度も、そっと入華の頭を撫でる。乱れのない流れるような髪の感触が気持ちいい。入華は俺の顔は見ずに、視線を下ろしたままされるがままだった。


「やってみないとわからないだろ? 一回だけ、やってみないか?」

「でも……」

「話す内容に困ったらクマに聞けばいい。あいつがいいネタを教えてくれるよ。俺もクマもついてるからな」


 学校生活の話題から入れないのなら、ひとつ段階を飛ばし、つむぎが普段話している内容から話の種を拾い上げるほかない。入華にそんな器用なことはできないだろうから、話す内容やらなにやらは多くの情報を持つクマから助言を貰えばいい。


「……」

「ほら、入華だけじゃないぞ?」

「……うん」

「一回だけならできそうか?」

「……うん」

「よしよし」


 わしわしと軽く指を立てて頭でも掻くみたいに荒っぽく撫でると入華は目を瞑って、聞こえるかどうかの声でん〜と鳴いた。よし、行ける。




 そして昼食時間、同じ場所。学校の中でも僻地なこの場所にも、霧散しきらない喧騒が届いていた。


「だめだったよぉ……。乙葉さんいつも誰かと一緒だからぁ……声かけられなかったよぉ……」


 涙をぽろぽろ流しながら、入華が縮こまっていた。

 俺は赤子をなだめるがごとく、ひたすら優しく頭を撫で続けた。今日はいつもの日課ができない。学校を歩き回っている場合ではないのだ。


「よしよし。入華はがんばったな。おりこうさんだな」

「うぅ……う……」

「ご飯食べたか?」

「……まだ」

「じゃあお兄ちゃんのパンあるから、これ食べような」

「……うん」


 校舎側の壁に煉瓦造りの花壇があるので、ふたり並んでそのふちに腰掛ける。

 入華は手ぶらでここまで来たようなので俺の惣菜パンを与えた。平時の入華ならばがつがつと男顔負けの食事速度だが、今日は件のことが堪えたようでちょむちょむと小さな口で食べ進めていた。


「ごめんねお兄ちゃん……」


 入華が申し訳なさそうに俺を見た。


「入華……」


 愛しさのあまりぎゅっと抱きついた。


「気持ち悪っ‼︎」


 瞬間、世界がぐるんと回る。がしゃん! と大きな音を立て向かいのフェンスにぶつかり、地面に落ちた。


「え、えぇ……」


 兄妹愛は土のにおいがする。

 そしてラインでクマに失敗の報告をした。




 乙葉つむぎさんは今日、自宅近くのスーパーに一人で買い物に行くはずです、とクマからライン。入華に協力してもらった作戦はあまりに惨憺たる結果だったこともあり、俺は新たに作戦を立てた。


「それがこれだ」


 放課後、俺と入華で乙葉つむぎの家の近くに来ていた。クマの指示によって乙葉つむぎが必ず横断するという公園にて待ち伏せている。

 遊具らしい遊具もなく、公園とは名ばかりの草木が生えただけの住宅街の余白のような場所だ。


 俺は途中のホームセンターで買った犬用の首輪とリードを装着し、いわゆるヤンキー座りから前に両手をついた四つ這いで待機。そして俺のリードを持っているのは入華。


「お、お兄ちゃん、ごめん、本当に意味がわからないんだけど……」

「おまえ勉強できてもこういうとこは鈍いよな。だからさっき言ったみたいにな、ペットの散歩中にヒロインと出会うやつあるじゃん? あれよ」

「いやペットって……、…………ヒト……じゃん……お兄ちゃん……」

「だったらなんだ?」

「ペットの散歩中がどうこう言ってたじゃん……。ごめん、ほんとにこれに関しては論理的な部分がぜんぜんなくて理解できないんだよ……。今日ちょっと私のせいであれだったから手伝ってるけどさ……」

「うるさい! やる前からごたごた言うな。やってみなくちゃわからんこともあるだろうが!」


 入華は俺の熱い言葉に納得したようで黙って顔を俯けた。心の籠った言葉というのは相手に届くものなのだ。

 俺はスマホを取り出して耳に当てる。


「おいクマまだかよ」

『もう二分もせずにそちらに着きます。ので、まぁ……準備? でもなさっててください』

「わかった」


 俺はスマホをしまって再び両手を地面に着けた。


「……お兄ちゃん質問なんだけどさ、どういうプランなの? 乙葉さんが来たら話すんだよね」

「あれだな、俺が乙葉つむぎに飛びかかるから、おまえが『あっ、ごめんなさい! うちの兄が……コラ! 輝倫! ダメでしょ!』って叱って、そこからクラスでも交流が生まれてくんだよ。それかまた別の場所で偶然俺を散歩させる入華と乙葉つむぎが再会して……みたいな?」

「無理だろ‼︎」


 入華がリードの先を地面に叩きつける。


「地面に投げ捨てんなよ! また持つ時に手が汚れるだろうが……」

「ほんとっ……無理じゃん! なんかっ、たぶん、人が物事を考えるときに必要ななにか欠落してるよね? それで、それで乙葉さんと仲良くなれるわけないじゃん! せめてお兄ちゃんじゃなくて本物の犬でも散歩させてたらワンチャンあったのに!」

「犬だけにな」

「死ね!」

「いてっ!」


 入華に思い切り臀部を蹴られ俺は前方に転がる。

 刑法二〇八条違反。

 俺は細々と付着する土と草をはたきながら言う。


「あのなぁ、犬用意するの面倒だし時間もかかるだろ? そこで俺が犬の代わりをやれば俺と乙葉つむぎの交流にもつながるし、おまえがコミュニケーションでなんかやらかしても兄の俺がすぐフォローできるだろ」

「フォローはどう考えても無理でしょ……私もう帰りたい……」


 交通費は俺が握っているのでそう簡単に帰ることはできないのだ。ここから家まで歩くとなればかなり辛い道のりになるので、入華も事が一段落するまでは逃げるに逃げられない。


「ほら持てこれ」


 と入華にリードの持ち手を渡す。入華が力なくそれを手にしたとき、クマからの着信がある。サインだ。

 すぐに止んだ着信音に呼応するように乙葉つむぎが姿を表す。


「……ッ」


 入華が息を呑む。俺はそんな入華の様子を横目に見つつ、脳内に鮮明な犬をイメージする。俺は犬。俺は犬。俺は犬。俺は犬だ。

 なんだか犬になってきたな、と極限の集中に達しそうになった瞬間、入華の口から「ひっ」とも「しっ」ともとれる、鋭く息を吸う音が聞こえ、たちまちビン! とリードが引かれた。


「ググギグウウゥゥ!」


 リレーのバトンでも受け取るような姿勢で入華は俺のリードを引きつつ、乙葉つむぎが入ってきた方とは逆側の公園の出口目指して駆けた。


「まッ待て待めゥゥウウ!」


 俺の体を上を向いたまますごい力で後方に引かれる。下半身は入華の進行方向とは逆のため、不恰好に後ろ向きに駆けるような形になる。


「オオォオイ……ッ! シシッ……シシシ死ヌ‼︎」


 首輪が首に食い込まぬよう隙間に指を突っ込むが、入華に引かれるまま喉のすぐ下まで迫り上がってきた。


「イッ……イゥッ…………イゥカッ……!」


 ばっと振り返った入華は俺を見て驚き、うわっとリードを手放した。俺は住宅街の道路を転げる。


「あっ⁉︎ お、お兄ちゃん!」


 入華は走るのが早いためあっという間に遠くへ行ったが、すぐ俺の元へ駆け戻ってきた。


「うわっ……」

「一言めはごめんだろ! おまっ、俺死ぬとこだったんだぞ!」

「私は恥ずかしすぎて死にそうだったし……」

「心なんていくら死んでも良いだろうが……こっちは命だ!」

「いやそれはお兄ちゃんの価値観でしょ、押し付けないで。私は命より心の方が大切なんだけど」

「ちょっと待て、なんで兄殺しかけてそんな態度でかいの?」

「お兄ちゃんだって先に産まれたくらいで年上ぶってるじゃん……」

「先に産まれたら年上だろ! 年上ぶってるわけじゃねえよ!」


 スマートフォンに着信があり、すぐに出る。


「なんだクマ」

『急に兄妹喧嘩しないでください。とりあえず作戦は失敗です』

「…………わかってる」

『いますぐ駅に向かえばちょうど帰りの電車に乗れます。もう帰る予定でしたら急いでください』

「はいはい。あんがと」

 クマは電車の予定も把握しているようだ。こんな場所で口喧嘩などしていないで帰ることにする。

「帰るぞ入華。だらだらしてたら電車間に合わないらしい」

「はぁ……」


 入華のため息を聞きながらのっそり立ち上がる。振り返って乙葉つむぎが居た公園を見る。もうその姿はない。クマが道案内をしてくれるので電話は繋いだまま俺たちは駅へ向かう。

 再び敗北を喫した俺たちは哀愁を纏いながら帰った。




「捨て犬作戦、だ!」

「……」

『……』


 翌日、リビングで入華とクマ(のぬいぐるみ)が沈黙していた。


「反応が悪いな」

「また犬?」

「早まるな入華。あくまで形式の話だ。今度は犬じゃなくていい」


 俺は用意していた段ボールを出す。


「これは?」

「スーパーで貰ってきた段ボールだ」

「文化祭かよ」

「文化祭でろくにクラスの出し物に参加したことないお前が何言ってんだよ。……ごめん入華、お兄ちゃんが悪かった」


 ソファの上で丸くなってしまった入華の背中をぽんぽんしながら話を続ける。


「ようするにだな、捨て犬っているだろ? 段ボールに入って捨てられてるやつ。横に拾ってくださいって書いてな」

『まぁ、実際に見たことはないですけど、わかりますよ』

「あれの人間バージョンってわけだ」

『それ捨て子!』

「でも俺子供じゃないし。だから捨て子ではないだろ」

『…………。それで、捨て犬作戦というのは? 前回は散歩中に偶然出会うという演出が失敗したので、もうそのまま道に段ボールに入って待ち伏せるということですか』

「そうだ。理解が早くて助かる」


 前回と前々回の失敗の原因は入華だ。そのためより作戦を単純にすることにした。これであれば入華がいなくとも成立し、かつ身の危険がない。


「まぁ、理解には苦しむけどやりたいことはわかったよ。でも大丈夫かな……」


 入華はなにやら懸念があるようで言葉尻がゆっくり力なくなっていく。


「あいつの生活圏とか予定とかはクマが調べられるし、俺はただダンボールに座ってればいいから乙葉つむぎの監視を入華もできる、なにが心配なんだよ」

「いやつむぎさんに発見される前に普通に優しいおじさんに拾われちゃったりしたらどうする……?」

「抵抗する」

『お兄さんの入る段ボールに拾ってくださいとだけ書くのは少しリスキーかも知れませんね』


 乙葉つむぎを待っているのにまったく関係のない人間に群がられたりしてはたまったものではない。それにクマや入華だけで乙葉つむぎ以外の人払いをできるはずもない。ここにもまた策が必要になってくる。


「わかった!」


 俺は段ボールを机の上に置き、マジックで「拾ってください」と書く。その文字の下に「※乙葉つむぎ限定」と書き足した。


「これでどうだ! 乙葉つむぎ限定と書けば乙葉つむぎ以外の人間は拾わない!」

「バカか!」

「いてっ」


 入華が俺の頭をはたく。

 刑法二〇八条違反。


『僕はありだと思います。ただ名前を書くのは問題があるので、乙葉つむぎさん以外にありえない条件を書けばいいんですよ』

「なるほど。たとえばなにがある?」

『身長、体重、誕生日、とかですかね?』

「んー、誕生日は個人情報すぎるんじゃない?」


 入華の言うとおりだ。あまりよくないだろう。


「なら星座がいいな。生年月日ほどじゃないけどかなり狭まる」

「だったら血液型も追加で。そのあたりの情報ってクマわかるの?」

『わかりますよ。ああ、それとお兄さんに聞かれる前に言っておきますけどさすがにスリーサイズはわかりません』

「いや聞かないけど。聞かないしお前に入華のスリーサイズ教えねぇからな」

『なんでですか⁉︎』

「なんで知ってんの⁉︎」


 うるさいふたりを無視して、俺は※乙葉つむぎ限定の文字をぐしゃぐしゃっとマジックで擦るように塗りつぶす。次に、今の話を参考にし、「※身長約153cm、体重約48kg、星座約双子座の方限定」と記した。


「星座『約』双子座ってなに? それとさ、私心配なことあるんだけど」


 入華にはまだ気がかりなことがあるという。俺としては十分だとお思うのだが。


「なんだ?」

「もし153cm48kgで双子座のおじさんに拾われちゃったらどうする……?」

「そんなちっせぇおっさんいねぇよ!」


 俺は「おっさん禁止!」と段ボールに書き足した。




「なに、家出?」

「いや……そういうのではないです」

「行くとこないならうち来てもいいよ?」

「いや〜、どうだろう……ははっ……」


 俺は152cm、50kg、双子座のおばさんに拾われそうになっていた。


 捨て犬作戦は今日、土曜日の夕方決行された。俺はクマの指示通り河川敷に段ボールを設置し体育座りをして乙葉つむぎを待った。クマの情報によると、土曜のこの時間に乙葉つむぎは必ずこの道をジョギングするという。

 彼女はさほど体力がないためにこの河川敷のあたりでは駆け足をやめ、ゆっくり歩くインターバルに入る。そこを狙う。


 狙っていたはずだった。しかし運悪く乙葉つむぎとほとんど同じ条件の女に絡まれてしまった。年齢はおおよそ俺の親と変わらないはずだ。


「あの、すみません、もうよくないですか? こっちはこっちでやるので」

「よくないですかじゃないでしょう。自分の子供と同じくらいの子が困ってるんだから」

「いや、そんなに困ってないです。大丈夫です」

「そんなこと言ってもねぇ、いまそんなふうになってるわけだし……」


 鬱陶しい。誰か助けてくれ。

 すぐそばの橋の陰で待機している入華に視線を送る。しっかりと視線がぶつかったがふいっと逸らされた。入華……。


 その時スマートフォンが振動する。俺の前に立つ女に「すみません電話が入ったので、ちょっと」と断ってから通話を始める。


『接近中です。そろそろ入華ちゃんの場所から目視できるはずですので、あとは入華ちゃんとコンタクトを取りながら連携してください』

「お前いまわかる? 俺の……」


 他人の前で、ことさら目の前の女のように他人に積極的に関わる人間の前で具体的な単語は言えず、ずいぶんと抽象的な言葉になってしまった。しかし、クマは俺の現状も把握できているようだった。


『入華ちゃんから伺っています。僕はそちらに行けませんし、入華ちゃんは行きたがらないので僕たちでその方を引き剥がすことはできなさそうです。申し訳ありません』

「わかった。まぁそのままでも問題ないだろ」

『乙葉さんは抜けてる方なのであまり影響はないんじゃないかな、と僕個人としては思っています』

「俺もそれに賭けるしかないな」


 電話を切る。そのうち河の向かいの道から乙葉つむぎが橋を渡ってこちら側に移り、そして俺の目の前を通るはず。それまでこの女に付き合うしかない。


「今の電話は親御さん?」

「え? いやストーカーです。ぜんぜん親じゃないです」

「ストーカー⁉︎」

「? ……! あ、俺のじゃないですよ! 妹のなんでほんとに問題ないです」


 うわ、早口で余計なことを言ってしまった、と思ったがもう口から出てしまったものは仕方がない。


「妹さんがストーカーされてるの⁉︎ あなたが今こうなってるのはその人のせい⁉︎」

「あっ、すみません間違えましたストーカーじゃなくてー……ストーカーじゃなく、えー……。ストー……す、スー? スプ……スポー……スー…………」


 ストーカーに言葉に近しい言葉と言い間違えてしまった、という論法で場を収めようとしたのだが、焦っていたこともありなにも思い浮かばなかった。なので俺はバカになることにした。


「ポェ……!」

「え……?」


 突然の俺の可愛らしい声に訝しむ女。誤魔化していることを悟られたくないので、表情筋を全力で緩め表情を消した。


「ポェ」

「えっどうしたの?」

「ポェ」


 言うたびにイントネーションを変え、何か言われたらとにかく「ポェ」で適当に返した。警察を呼ばれるのが先か、乙葉つむぎがやってくるのが先か、緊迫した時間だった。


「ごめんなさい、学校か親御さんの連絡先教えてくれる?」

「ポェ!」


 拒否! の意のポェ。そのポェを受けた女はさすがにどうしたものか、と考え込み始めた。すると後方、離れたところからここまで届くほどの着信音。これは入華たちと示し合わせていた音で、乙葉つむぎの接近を知らせるものだ。視線をやると橋を渡っている姿を確認できた。


「ポェ! ポェ! ポェ!」


 来い! 来い! 来い!

 よそ見もせずに祈っているとその時はやってきた。


「あ! 清水さんどうしたの〜?」


 走りに合わせて揺れるハツラツとした声。乙葉つむぎの声だ。


「ああ、つむぎちゃん! あのね、この男の子が訳ありみたいで……」


 俺の目の前、女の隣に足を止めた乙葉つむぎがこちらを見下ろしている。やはりヒロイン足り得る顔立ちで、その造形の完成度は入華に及ばずとも迫るものだった。


「えっと! 清水さんの知り合い……ではないんですよね⁉︎」


 乙葉つむぎは屈み込み俺に視線の高さを近づける。


「そうよ。初めて見た子」

「……」


 彼女はじっと、なにか確かめるかのように俺から視線を外さない。俺はトントンと段ボールの文字を指す。乙葉つむぎはそちらに視線をやり、文字を目で追うと、「ん〜」と濁った唸り声を上げた。そしてまた俺の顔をじっと見る。続いて、俺の腕や肩、顔をペタペタと触り始めた。まさかとは思うが、俺が犬に見えているのか? なでている?

 絶好の機会であり、失敗はしたくない。なので俺は余計な言葉を発することなく乙葉つむぎの反応を待った。


 すると、パンッ、と音が鳴る。

 叩く音だ。乙葉つむぎの頬が叩かれる音。


「ポェ……?」


 パンッ。

 また。


 パンッ。

 パンッ。

 パンッ。


 当然、俺が叩いているわけではない。

 乙葉つむぎが、自分の手で何度も自分の頬を叩いていた。


「ポ、ポェ……」


 俺にしては珍しく、予想もしていない事態に混乱していた。

 パンッ。パンッ。


「つ、つむぎちゃん⁉︎」


 清水さんと呼ばれた女がつむぎの右手首を掴んだ。俺は息を飲む。パンッ。乙葉つむぎは左手で頬を叩いた。


「ちょちょ、つむぎちゃんやめなさい!」

「清水さんいまちょっとやめてもらえますか⁉︎ なんですか⁉︎」

「なんですかじゃないわよ! 自分を叩くのやめなさい!」


 まずい。どうするべきか。俺はこれまででもっとも乙葉つむぎと接近している。そして話しかければ会話もできる距離にいる。しかし……。

 俺が思考を巡らせようとした時、ガバッと強い力で両脇を抱えられ持ち上げられた。


「ポェ⁉︎」


 なんだ⁉︎ 首のあたりにクッションのような柔らかさを感じながら視線を後ろに向けると、入華が俺を抱え上げていた。


「あ、あ〜……ごみんさぃ! ぁ……お、母さんが私のお兄ちゃんを犬と間違って捨てちゃったみたいです〜!」

「犬なんか飼ってねぇだろ」


 あいかわらず入華は初対面の人間と話す時に噛んでしまうようだ。そこはわざわざ言及しなかったが、犬に関しては口を挟まずにはいられなかった。


「うるせぇ!」


 暴言と共に頭突きをされる。


「すみませんご迷惑かけましたさよなら〜‼︎」


 入華の傍に抱えられ、引きずられる感覚を遠くに感じながら俺は気を失った。

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