8冊目
ジュードは緊張していた。
ハルを怒らせたかもしれないと。
先程の警備のアイザックは来た時から敵意のようなものを感じていた。帰りは、ハルと一緒にいたにも関わらず睨まれた。失礼な奴だと思い、ついこちらも睨み返したら、ハルに叱られた感じになった。
人前で大人気なかったと反省している。
更にこれから、【月長石】のギルドマスター、ルーク・ブレイクの名前を、本の修理の依頼人に加えたことを、ハルに言わなければならない。
「ジュード様」
「すまない」
ハルがキョトンとしている。返事を間違えたようだとジュードは焦った。
「ロゼッタさんから教えてもらったベーグル屋さんに行きたいので寄っていいですか?」
「い、いいな。ベーグル屋に行こう!」
「‥‥‥」
ハルは、ジュードの様子がおかしいのは、先程のソフィアが言っていた依頼人の追加の話からだとわかっていた。言ってくれるのを待っているが、なかなか話してくれない。ベーグル屋に行きたいと言おうとしたら『すまない』と言われてしまった。
もしかして、私が怒ってると思ってるのかしら?
隣に並んで歩く、背の高い銀髪の男性を見上げたら、目が合った。天色の瞳が揺れて不安そうに見える。
天銀の虎と呼ばれる人が、本当に猫みたいに臆病になってしまったわ。
「ジュード様、大丈夫ですよ」
「‥‥‥ハル」
「猫みたいに怯えなくても」
「ぐうっ‥‥‥」
「あ、あのお店ですね」
ベーグル屋の前では、若い女性が数人の列を作っていた。
「待っている間に、選びましょうか」
ベーグルは十種類ほどあるようだった。ハルは、ほうれん草&ベーコンとブルーベリー&チーズを選んだが、魔法鞄があったことを思い出して、やはり全種類一つずつにした。
「半分ずつ食べませんか?」
「ん、半分ずつ、いいな。そうしよう」
少し気分が落ち着いたのか、ジュードに笑顔が戻った。他の女性客から視線を感じる。
「いらっしゃいませ」
店員の女性が、ハルに笑顔で対応した。
「全種類を一つずつください」
「ありがとうございます。一袋に纏めてもよろしいですか?」
「はい、大丈夫です」
感じの良いお店で良かったと思った。十個で銀貨三枚はパンより少し高いが、たまにはいい、と思うことにした。
「この券を二枚どうぞ。次にいらっしゃった時にプレーン二個と交換します」
「!」
凄い、次にまた来たくなるような上手なサービスだわ!
感動しているハルの代わりに、ジュードが「ありがとう」と答えてくれた。ハッとして、ハルは真っ赤になった。
「ご、ごめんなさい。素晴らしくて感動してしまいました」
「ありがとうございます。ふふっ。可愛らしい奥様ですね」
「「‥‥‥は?」」
今度は、ジュードが真っ赤になった。
後ろに人がいたのでそのまま帰ることになったが、次に行った時に顔を覚えてくれていたら、ちゃんと訂正しなくてはジュードに申し訳ないと、ハルは思った。
それにしても、魔法鞄はなんて便利なのだろうと感動した。一年間父の部屋に放置していたことが信じられなかった。完全に引き籠もっていたわけではないが、新しいお店が出来ても行く気にもならなかった。
ジュードに会ってから、なんとなく止まっていた時間が動き出した感じがした。
「ハル」
「は、はい」
いけない。一人で考え事をしてしまったわ。
「店に着いたら話がある」
「‥‥‥はい」
依頼人の話をするのだろう。
ソフィアが悪い話ではないと言っていたから、きっと大丈夫だろうと思うことにした。
店の前に着いたが、先に雑貨店に行くことにした。
「おはようございます、ロンドさん」
「おはよう、ロンドさん。昨日はありがとう」
「ハルちゃん、ジュードさん、おはよう。一緒だったのか」
店内に年配の女性客が一人いて、椅子に座りながらロゼッタが接客していた。
「商業ギルドで会ったんです。少し話をいいですか?」
「コーヒー入れようか?」
「あ、いえ、今日は‥‥‥」
「いただこう、ハル」
ジュードは飲みたかったらしい。
「はは!二人とも席に座っててくれ」
「わかった」
「ありがとうございます」
いつものテーブル席に行こうとして、ハルが立ち止まった。灰色の揃いのマグカップがあった。父のカップならあるが客用がないため、買わなければと思っていた。
「ジュード様、このマグカップうちで使いませんか?」
「ああ、落ち着いた良い色だな」
「帰りに買っていきましょう」
テーブル席に座るとジュードが何か言いたげな顔をしていた。
「どうしました?」
「いや、ハルが良ければ、依頼人の話を彼らにも聞いてもらおうと思うんだが‥‥‥」
ロンドたちを信頼してくれているようで、ハルは嬉しくなった。
「私は、そのほうがいいです」
「そうか!」
どうやらこれで正解だったみたいだ、とジュードはホッとした。
コーヒーをトレイに乗せてロンドが来た。
「あちらのお客さんは毎週来ていて、いつもロゼッタが話し相手になっているんだ。今日は俺が話を聞くよ」
「そうなんですね」
「ハルからどうぞ」
ショルダーバッグを出して、今日はこの父の魔法鞄を商業ギルドに持っていったことを報告した。ロンドは懐かしそうに見ていた。
「やっと行ったかぁ」
「はい」
恥ずかしそうにハルが答えると、ロンドが立ち上がり頭を撫でてきた。
「いいんだよ。一年経ったが、ハルちゃんに必要になったのが今だったってことなんだろうから」
「‥‥‥はい」
ジュードは黙って聞いていた。
それから、持ち主を登録して、もしもの時の受取人をロンドとロゼッタにしたことを言った。変更は出来るから、ハルが良ければ今はそれでいい、と言ってくれた。
読めない異国の本と指輪と木箱は、オリーに預けて来たことを言うと、ロンドは、たぶん鑑定しても結果は出ないかもしれないと言った。
「たとえそうだとしても、大事に持っててやってほしいんだ」
「ええ、そうします」
「指輪を、作ったのはロンドさんか?」
黙っていたジュードが話に入った。
「そう、俺たちだ。指輪の土台は俺が作り、文字を入れたのはロゼッタだよ。文字は、ユーゴから渡された紙を見て彫ったんだ」
父はあの文字を読めるのだ。一体どの国の言葉なのだろう。
「父は異国人だったのでしょうか?だとしたら、どの国に生まれたのでしょう」
ロンドは考え込んでいたが、首を横に振った。
「ハルちゃん、今はジュードさんのことに集中しなさい。始まったばかりだろう?」
そうだ。私のことはいつでも出来る。父が生きていたら、依頼人のことを第一に考えるはず。
「木箱の手紙は見たかい?」
「いいえ、まだです」
「それだけ見るといいよ」
「はい」
ロンドが笑顔で言ったので、ハルも微笑み返した。今は、知らなくてもいい。
「ジュード様。依頼人の話を聞かせてください」
「ああ、わかった」
コーヒーを飲んで、カップを置くと、ボディバッグから紙を出した。
「昨日、宿に戻ると、一階のダイニング・バーで【月長石】のギルマスが待っていたんだ。俺が依頼達成の報告してからギルドに来なかったから、話を聞きに」
「心配してくださったんですね」
「‥‥‥たぶん?」
「はは!変わったギルマスだって噂があるぞ?美しい外見と性格が違う人だって」
「ロンドさんの言うとおりだ。俺が心配か、興味があるだけか、わからないな」
「まあ」
ジュードが困った顔で話しているが、気安く付き合える相手であると感じた。
自分の身に起こったこと、ハルに会ったこと、雑貨店の夫婦に会ったことまで話したと言う。
「商人にはかなり怒っていたな。他のギルドにも情報を流すと。それから、ハルに感謝していた」
「私、ですか?」
猫になった自分を信じてくれたこと。呪いだとわかっても、依頼を引き受けてくれたこと。
「可愛い猫ちゃんを放ってなんておけません!」
「ぐうっ‥‥‥」
ロンドは二人のやりとりに、吹き出しそうになるのをどうにか堪えた。
「‥‥‥それで、彼が依頼人に自分の名前を入れて欲しいと言った」
「え」
「「ええぇ?」」
いつの間にか、接客が終わったロゼッタが近くに立っていた。
「ハル」
「はい」
ジュードが、真剣な眼差しでハルを見つめた。
「ハル、【月長石】のギルドマスター、ルーク・ブレイクが、俺と共に依頼人になる。もし、もし途中で‥‥‥俺に、何かあっても、‥‥‥君のことは、彼が‥‥‥」
ハルの山吹色の瞳が、大きく見開かれた。
読んでいただきありがとうございます。