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54冊目



「無職のオーランド?」

「まさかと思ったが、依頼人が泊まる宿と部屋が、ここだ」


 テーブルの上の青茶の短毛種の猫に、取り出したメモを見せる。メモを読ませようとする人間も普通ではないが、本当に読んでいるのだから、どこにでもいるような猫ではない。


 ベネット古書店には、本を読む猫がいるらしい。


 最近そんな噂が広がり、通りから窓を覗くような素振りを見せる人たちがいる。

 残念ながら『しばらく店内改装のため休みます』と扉に貼ってある。書いたのはハルに頼まれたレジナルドで、明日の風の曜日からそうすると決まっている。


「まあ、ここって‥‥‥」


 ジュードがこの古書店に来る前に、最初に猫の姿になったのがこの宿でこの部屋だった。



 宿泊代は数日分前払いしてあったが、古書店に泊まることになったので、ハルを連れてギルドへ行く前に立ち寄り、受付で残りの数日の部屋をキャンセルした。

 そこで、ジュードの兄を騙ったオーランドたちを、宿の従業員がジュードの許可なく部屋に入れたことがわかり、宿の主人が謝罪した。

 私物は全て魔法鞄(マジックバッグ)で持ち歩いているので問題はなかったが、あの時は、もう利用したくないと思ったし、ルークにもそう伝えた。

 ルーク・ブレイクは【月長石(ムーンストーン)】の代表として、今回は宿の主人に注意するに留めた。冒険者がよく利用する宿でもある。この先も同じような事があれば、大きなトラブルになり兼ねない。出来ればギルドも、近隣の宿とは良好な関係を築きたいのだ。


 オーランドたちがした事は愚挙と言える。だが、フィンレーが氷漬けになり、焦った彼らがとにかく本を取り戻したいと思ったその気持ちはわかる。諸々の謝罪をされ、ハルもジュードも受け入れた。



「オーランドさんは、本当に無職になったのでしょうか」

「ん?‥‥‥警備隊長が猫になってしまったら、辞めざるを得ないだろうから、オーランドたち三人も辞めたかもしれないな」

「フィンレー様、無職の猫になったのですね」

「‥‥‥うん、まあ、そうだが」


 無職を付けなくても、猫は猫でいいのでは?


 そんなジュードの考えが読めたのか、(ハル)の目が器のようになった。


「‥‥‥ジュードさん。私は『古書店の猫』であり『猫の使い魔』でもあるのです」

「そ、そうだな」

「ちゃんと働きます」

「すまない、その通りだ。世間の猫にも仕事があるな」

「猫こそ夜警隊に相応しい気がしませんか?」

「‥‥‥」

「‥‥‥」

「‥‥‥見回りだけならな」

「‥‥‥そうですね」


 明日は、朝のトレーニングと朝食の後にすぐに出掛ける。まずは宿に向かい、依頼主が本当にあのオーランドなのか、確認をする。それから、ギルドの受付のエマに(ハル)を会わせよう。周りの反応も見てみたい。


「そろそろ寝るか」


 (ハル)がジュードの肩に乗る。擦り寄ってくるハルは、猫になってからの方が積極的だ。人間に戻ったら、また恥ずかしがるのだろうか。

 

 今日はレジナルドたちが来て、ハルにとって楽しい一日になったようだ。【銀の女神の神殿】から戻った後の、未来の話をしたらしい。彼らがこの古書店を手伝い、隣の空き家が菓子の店になる。帰ってすぐに嬉しそうに話してくれた。


 自分たちが登場人物の物語のその後は、どんな世界になっているだろう。

 コーヒーが飲める古書店で、ハルが自分の帰りを待ってくれている。それだけで、幸せだ。




 * * * * * * * * * * * 




「そうだ。本当に無職になった」

「「‥‥‥」」


 扉が開いた客室の前で、細身の猫を肩に乗せた銀髪の美丈夫が瞬きをする。


 依頼人はやはり、あのオーランドに間違いなかった。元副隊長は北門の警備隊を辞めて、この宿に泊まっていた。

 短い銀髪は今は黒銀に染められている。弟のラルフと同じ髪色になった。ジュード・グレンの兄だと騙ってこの宿に来たことがあるので、念のためだろう。髪色で印象も変わるし、何よりオーランドの目の鋭さが違う。


「どうぞ」


 ジュードの前に紅茶を置いたのは、元警備隊員の二人のうちの一人、ロージーという女性だ。会った瞬間に違和感を覚えた。瞳の色が黒い。髪と同じ緋色だったはずだが、どうやら今までは色を変えていたのだろう。黒い瞳は、未だに一部の人間には畏怖の対象だ。


 ジュードは気にしない。


『過去に黒い魔力を持った強者が、たまたま悪人だっただけだ。ただの差別だ、畏れるな』


 ルークとヴァージルの父である元代表(ギルマス)に、そう教えられてきたからだ。


「瞳の色は自由に魔法で変えられるのですか?」


 ハルも気にしない。異世界人の父親は黒に近い焦茶色だったし、本の文字も黒だ。彼女の周りは黒で溢れている。

 青茶の猫の山吹色の瞳に真っ直ぐに見つめられて、ロージーは戸惑いながらも首を横に振る。


「‥‥‥私の場合は、自分が持つ魔力に近い色でないと無理」

「そうなのですね。緋色の隊服に合わせたのかと思っていました」

「それもあるワ。とても都合が良かった」

「ジュードさん、ロージーさんは黒魔法使いビアンカのイメージにピッタリだと思いませんか?」


 肩の上で瞳を輝かせる(ハル)に、「そうだな」と笑って同意する。黒魔法使いビアンカとは、【勇者ディラン・ランディの冒険 上】の後半から登場する人物だ。


「‥‥‥ビアンカ?」

「冒険の物語に出てくる格好良い女性です」


 格好良い女性。そのイメージにピッタリだと言われると、悪い気はしない。


「よ、読んだことはないけど、私の両親が生まれた国にビアンカという名の大魔法使いがいたと聞いた気がするワ」

「「‥‥‥!」」


 ジュードが勢いよく立ち上がったので、ロージーは驚いて一歩下がる。


「やはり、あの物語は実話に基づいているのかもしれませんね」

「きっと勇者ディランも実在した。もしかしたら、妖精族の風使いルーンは本当にルークの‥‥‥」

「何やら興奮しているところ悪いが、私の話は聞かないのか?」


 放置された感じになりムスッとした顔のオーランドにハッとして、ジュードは座り直した。確かに、彼の口からはまだ無職になったとしか聞いていない。ロージーが入れた紅茶を一口飲むと、落ち着いた。【勇者ディラン・ランディの冒険】の話は、ハルと二人の時にすればいい。


「‥‥‥依頼内容は、猫探しとなっているが?」

「色を変えて遊び回っている金色の猫を探してもらいたい。今は何色かは言えない。報酬は依頼書の通りだ」

「フィンレー様が遊び回っているのですか?」

「そうだ。弟のラルフも一緒だ」

「本題はその後か?」


 オーランドの口角が上がる。フィンレーを探すことが本来の目的ではないのは確かだ。それはわかっていた。金色猫(フィンレー)探しは、ハルの使い魔デビューにはちょうどいい。

 

「遊ぶなら広場かもしれないですね。ジュードさん、行ってみましょう」


 (ハル)が張り切る姿を、ロージーが見つめる。かわいい。またフワフワを着た姿を見たい。雪兎(スノーラビット)みたいな、白いフワフワ。


「‥‥‥」


 いつも無表情に見えるロージーが浮つく様子に、オーランドは驚いていた。今まであまり興味を持たないようにしていたので知らなかったが、元部下の好みは意外にも可愛らしいものだった。


 ハルは、ロージーが猫好きであると察して、肉球を見せるサービスをした。だが、彼女は肉球よりも()()()()()()()()が好きなので、ただ首を傾げるだけだった。


「そ、そんな‥‥‥」

「ハル‥‥‥肉球は万能ではない」


 肉球は万能ではない。全くその通りだとハルは気が付いた。猫になって、少し調子に乗っていたと反省する。


 青茶の猫が、ズーンと気分が落ち込んで下を向く。


「ジュード・グレン、彼女はどうしたんだ?」

「いや、肉球最強説が‥‥‥」

「「‥‥‥は?」」

 

 ジュードは魔法鞄から小さく丸めた布を取り出す。これは、彼女のやる気を取り戻すアイテムだ。


「ほら、ハル。着て見せてくれないか?きっと格好良いぞ」


 予定ではトラ様が着るはずだった小さな濃紺のベスト、それから生成りのストールだ。首輪のように作られているが伸縮性があるので、締め付けられる危険がないようになっている。

 ジュードに着せてもらい、冒険者風スタイルになれたことで、ハルの気分は上がった。

 

「‥‥‥ハル・ベネットさん。その服は、どこで?」

「ハルでいいですよ。これは、隣の店のロゼッタさんの手作りです」

「手作り‥‥‥」

「‥‥‥なるほど」


 オーランドとロージーが顔を見合わせた。そして頷いて、何やら話し合っている。「色は?」とか「あの方なら何色でも」と聞こえてきたので、もしかしたらフィンレーにも同じような服を着せたいのかもしれない。





 階段を下りると、受付・会計カウンターにいる宿の主人と目が合った。


「グレン様、お帰りですか?」

「ああ」



 ジュードはここへ来た時に、宿泊中のオーランドの部屋に行きたいと若い従業員に言った。知り合いだから、問題ないだろう?と。心苦しいが、どうしても確認したかったのだ。

 その従業員はジュードに、宿泊客に確認をするので待って欲しい、不在の場合は案内できないと、しっかり答えた。


 ジュード不在の客室に確かめもせずオーランドたちを入れた従業員は、解雇されなかったらしい。宿の主人は自分の責任であると反省し、引退したベテランを従業員全員の教育係として再雇用した。

 高ランクの宿ではない。だから、サービスや言葉遣いよりも、まずは客に信用してもらえる宿を目指すのだそうだ。


 

「今日はもう一度、同じ部屋に寄らせてもらうかもしれない。必要なら何度でも確認してくれて構わない」

「恐れ入ります」


 ずっとジュードに対して緊張していた宿の主人に、ようやく笑顔が見えた。




 * * * * * * * * * * * 




 ギルド前の広場で、人集りができるカラフルな屋台。


「いらっしゃいませー」


 マッシュルームカットの美少女のような美青年、ヴァージル・ブレイクのアイスクリーム屋だ。いつも以上に客が多く並んでいる気がする。


「探さなくても見つかりましたね」

「そうだな」


 白に色を変えた毛足の長い猫が、アイスクリーム屋の看板猫のように座っている。瞳の色は金色のままだ。本日オススメのギフトボックスの、カラフルな箱の見本の隣にちょこんといる。


「アレでは買います。買ってしまいます。猫好きなら」

「恐ろしい‥‥‥」


 いや、商売上手と言うべきか‥‥‥?


 近くに待機していたラルフがこちらに気が付くと、ヴァージルに白猫を任せているのか、一人で歩いて来る。オーランドと同じ青灰の瞳で、ジュード・グレンの肩に乗る(ハル)をチラと見た。そして「スゲェ小せぇ服」と呟くと、胸ポケットから白いカードを取り出した。


「ほら、これでアンタの依頼達成だ」


 ラルフから受け取ったカードには、フィンレーの魔力を込めた特殊なインクを使用して押された、猫の肉球の印があった。


 まあ、かわいいっ!


 (ハル)の尻尾がブンブンと、ジュードの後頭部を擦る。興奮を抑えているのが物凄く伝わった。


「‥‥‥ラルフ、このカードを持ってまた宿に戻ればいいのか?」


 名前を呼ばれてラルフは少し驚いたような顔をしてから、「ああ、いや‥‥‥」と言った。


「‥‥‥ギルドで見せて、預けてある報酬を受け取ってくれって。アイスクリーム屋の手伝いが楽しいらしいから、しばらくあの白猫(ひと)動かねぇぞ」

「ヴァージルさんとフィンレー様はお知り合いなのですか?」

「さぁな。ってか、その辺のこと、俺は何も知らねぇんだよ」


 口を尖らせてラルフが答える。ただフィンレーを好きなようにさせて、ジュードを待つようにオーランドに言われただけだ。


「ラルフさんは、他の屋台は回ったのですか?」

「兄様には好きに動いていいとは言われてねぇし、‥‥‥何したらいいか、わかんねぇ‥‥‥」


 彼は、レジナルドの所へ来る前のバートに似ている気がした。今でこそ人に甘えて楽しんで生きているように見えるバートも、生き方が変わったことで最初は戸惑ったはずだ。


「ずっとフィンレーの側に付いているように、とは言われていないのだろう?」

「‥‥‥言われて、ねぇ、か‥‥‥な?」


 眉根を寄せる癖がある。警備隊では、そうやって考えて答えを探しているうちに、不快そうに勘違いされたり、誤解をされた。

 オーランドには、フィンレーと一緒に行くよう言われた。確かに、フィンレーを守れとか、側に控えていろなど、命令されていない。


「‥‥‥」


 そうだ。もう俺は兄様の部下ではないのだから、命令されることはないのだ。


「ラルフ?」

「言われてねぇ」

「そうか。それなら、今からギルドへ行ってくるから、しばらく待っていてくれ。知り合いの店と他もいくつか回って、オーランドたちに買って行くのはどうだ?」

「屋台の、か?」


 オーランドが屋台の物を食べるところを見たことがない。


「食べるか、わからねぇけど?」

「美味しいですよ。私たちも一緒に宿に行きますから、もしお二人が食べなかったら、ジュードさんとラルフさんで食べればいいだけです」

「それも、そうだな‥‥‥」


 ラルフが納得したようなので、ジュードと(ハル)は冒険者ギルド【月長石(ムーンストーン)】へ向かった。





 受付にエマがいることを確認すると、ジュードは周りの視線を受けながら進んだ。エマはストールとベストを着た(ハル)の姿に笑みを浮かべる。


「俺の使い魔だ。『ハル』と呼んでくれ」

「承知しました」


 受付カウンターに下りた(ハル)は、エマの手に額をコツンと当てて挨拶をすると、再びジュードの肩に戻った。嬉しそうなエマに、ジュードはラルフから受け取った肉球印のカードを見せる。


「依頼達成ですね。お疲れ様でした」


 全く疲れていないので、ジュードは苦笑する。


「依頼人からお預かりしております報酬はこちらです。銀貨五枚と、それから、()です」


 何の石なのかは依頼書に書かれていなかったので、期待せず、その辺の石や筋トレに使う加重石あたりを予想していた。

 銀貨とは別の革袋を渡された。随分と丈夫な革袋に、コロコロといくつかの丸い石の感触。重くはない。寧ろ軽い?

 ジュードは袋の紐を解いて開け、(ハル)にも見えるように中を覗く。銀色に輝く丸い石にジュードは目を瞠るが、見たことがないハルは何だろうと可愛らしく首を傾げる。


「なるほど、銀貨の方がオマケだな」

 

 凄いぞ、ハル。

 手に入れたかった、魔氷銀石だ。

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