53冊目
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「とても安心しました」
彼女が、心からそう言ってくれた。
レジナルド・ベネットの息子になる。
両親はもう随分前に主から打診を受けていたそうだ。やりたいこともなく傭兵になったような息子ですよ?と笑って、カルロスが望むならと了承したらしい。
本人の居ないところで何をと普通なら思うだろうが、聞いた時は嬉しくて堪らなかった。
主の孫でロッティの娘ハルは、どう思うだろう?
一年前にユーゴが亡くなり、彼にハルを見守って欲しいと頼まれていた主は、祖父とは客として毎週木の曜日だけ古書店へ行き、文字通り彼女をただ見守った。自分はバートと共に、主が古書店から出て来るまで外で待っていた。
彼女と初めて面と向かって会ったのは最近だ。あまりにもロッティによく似ていて、本当に驚いた。ロッティが遺した娘だと思うと、やはり愛しい想いが生まれた。自分も見守る一人になりたいと思った。
猫になってしまったハルは今、レジナルドの肩にいる。猫が皆を驚かそうと飛び出して来たのには目を丸くしたが、レジナルドは猫をそのまま抱きしめて「すぐに来れなくてごめんよ」と言った。
「彼を‥‥‥カルロスを、私の養子にする」
ジュードがこれからギルドへ行くと言ったら、その前に話したいことがあるからと、レジナルドが引き留めた。古書店の中で立ち話になってしまっても、すぐに伝えたかったのだ。ジュード・グレンがハルと結婚するなら、彼も家族になるからだ。
二人はレジナルドの言葉に驚いたが、特に動揺もせず拒絶する様子もなかった。
「カルロスはロッティより歳上だから、兄となる」
猫は穏やかに頷いた。
「では、カルロスさんは私の伯父となるわけですね?お祖父様」
「「‥‥‥!」」
今度はレジナルドとカルロスが目を瞠った。今まで『レジナルド様』と呼ばれていたからだ。
「うん、そうだよ、ハルちゃん」
顔をくしゃっとして泣きそうになるレジナルドに変わって、バートが答えた。主の肩に乗る猫の頭を撫でる。カルロスは何も言わなかった。カルロス自身も込み上げてくるものがあり、声が出なかったのだ。
「カルロスが、『ベネット』と屋敷を継いでもいい?」
「はい、勿論です。私たちは、これからもこの古書店に住むつもりですし、何より、お祖父様の望みであれば反対などしません。それに‥‥‥」
すりっとレジナルドの頬に顔を寄せた。
「とても安心しました」
母も父も、きっとそう思ったはずだ。
物語では、ロッティと結婚するのはカルロスだった。
ユーゴと結婚する道を選んだロッティ。
二人は運命を変えるために、カルロスの人生を変えてしまったことを、申し訳なく思っていた。
だが、カルロスは、遠回りしてもレジナルドの息子になる運命だったのだ。
誰も悪くない。恨むことはしない。
たとえ、物語のイレギュラーである父が、修正力で死んだのだとしても‥‥‥。
「お祖父様」
「ん?何だい?」
「お仕事、長い間お疲れ様でした」
「‥‥‥‥‥‥ありがとう、ハルちゃん」
* * * * * * * * * * *
ジュードはレジナルドの所の料理人が作ったハムと野菜のサンドイッチを少し食べると、ギルドへ向かった。レジナルドが昨日無事に退職したので、今日は他の予定もなく、ジュードが帰るまでハルの側に居られると聞いて安心したようだ。
「ハルちゃん、今度お屋敷に遊びにおいでよ。ジュード・グレンが帰れない日や遅くなる日は泊まればいいんじゃない?」
「そうだね、ロッティの部屋がそのままあるから」
「わ、楽しみです。遊びに行きます」
ハルは少し前からお願いしたいと考えていたのだ。母の部屋にとても興味がある。
カルロスが紅茶を入れてくれた。レジナルドはブレンドされた柑橘の香りを楽しんでいる。バートは蜂蜜をたっぷり入れている。普段も三人はこんな感じで過ごしているのだろう。
「ジュードくんとも一緒にいつでも遊びにおいで。私は暇になってしまったから、まだ毎日何をするか、散歩意外は考えていないんだ」
「主よ。しばらく忙しかったのだから、ゆっくりするべきです」
「うぅ‥‥‥、そうだけど」
取り敢えずは、今までの出勤時間や退勤時間に合わせて散歩をすることにした。
「それで、カルロスさんはお祖父様のことをいつまで『主』と呼ぶのですか?」
「‥‥‥!」
紅茶を飲もうとしたカルロスの手が止まった。バートがにやにやしている。
「レジナルド様、必要な手続きや挨拶は終わったんでしょ?」
「ああ、ハルちゃんたちに伝えられたし、明日教会に行こうと思うんだ」
「あ、では明日からですね?カルロス伯父様」
「‥‥‥!」
「ぷっ」
カルロスが、吹き出したバートの頭を小突いた。
「なんだよー」
「‥‥‥ハルちゃん、今まで通りに」
「わかりました、カルロスさん」
カルロスが手を伸ばして、テーブルに座る猫を撫でた。
ジュードが用意してくれたアイスクリームは小型食品収納庫に入っている。もう少ししたら食べようと、バートが店内の本棚を見て回った。
「明日から店を休みます」
ハルは、【銀の女神の神殿】から戻るまで店を閉めて、次に開けるまでに店内の棚を移動させ中央にテーブルを置きたいのだと言った。
「修理の依頼はありますが、買いに来るお客様は、残念ながら最近でもお祖父様を含めて数人です」
そこで、店内で本を読めるようにして、隣の雑貨店のロンドのコーヒーを飲みながら本に触れる空間にしたいと言った。
「お祖父様に相談したいと思っていたんです。珍しくても難しい古書は図書館に寄付することも考えています」
「ここの本は状態が良いし貴重な古書もある。図書館は喜んで受け取ると思うよ。私が仲介しよう。私が読みたいものは残してくれるかい?」
「はい!‥‥‥では、甘えても良いですか?」
「うん、もっと甘えて欲しいくらいだよ」
孫が頼ってくれたことが何より嬉しい。ハルと同じ山吹色の瞳で優しく笑った。カルロスとバートは顔を見合わせる。レジナルドの幸せは二人の願いでもある。
「主よ。暇をどうにかしたいのであれば、古書店を手伝いませんか?ジュードは冒険者に戻るのだし、慣れるまではハルちゃん一人では大変かもしれません」
「私は構わないが‥‥‥」
「あ、俺も手伝いたい。雑貨店にも遊びに行きたいし」
ハルは目を瞠って、それからレジナルドの目の前に来た。
「お祖父様。でしたら、一緒にここを素敵な店にしていただけませんか?」
「一緒に?」
「お願いします。実は、小さな子供が読める物語や絵本をもっと増やしたいです。最初は、そういったものから本を好きになっていくと思うので」
カルロスは考えるように腕を組んだ。
「それならば‥‥‥」
ハルとジュードが本を探しに出る時は、自分たちが店を開けて、こちらも空いた時間に良さそうな本を見つけたら良いのでは?と、提案した。
「それ、いいなぁ。本探しもしながら散歩しようよ、レジナルド様」
「バート‥‥‥カルロス」
カルロスは、レジナルドの仕事まで継ぐわけではない。傭兵にさえ戻らなければ、好きに生きてくれて構わないと思っていたが。
「カルロスには、他にも何か考えがあるのだろう?」
「‥‥‥はい。実は、この隣の空き家を買い取りたいと」
「隣の?」
雑貨店とは反対側で、もう何年もそのままになっている。何故か買い手がつかないで不思議に思っていたが、深くは考えていなかった。もしかしたら物語の中で、古書店の隣は『空き家』であると設定されていたのかもしれない。
古くて小さな家だ。キッチンやトイレはあってもシャワー室などないだろう。
「改装は必要だが、シンプルな店にして、信頼できる人たちに貸そうと思っている」
週に一回や月に数回しか出店しない市場や屋台の菓子屋に声をかけ、数日契約で店を貸す。ここで作るのではなく、市場のように並べて売るだけだ。その分、安く貸せる。
「菓子屋!」
バートが身を乗り出した。
「なるほど。特に菓子は流行りがあるし、店を構えるのは大変だからね」
「幸い、菓子屋の店主たちとは顔見知りになっているので」
「はは、バートにいつも菓子を買っているからね」
カルロスとバートが来てから、図書館の帰りには、ほぼ毎日のようにいろんな店で買っていた。
「隣にお菓子のお店があるなんて、最高です!」
「うん、最高だよ!」
猫とバートが喜ぶ姿に、思わず笑みが溢れる。
普段、菓子屋でバートのみやげを買うと『また甘やかして』『バートを何歳だと思っているんです?』と小言を言うカルロスだったが‥‥‥。
「カルロスも、甘いよね?」
「‥‥‥!」
優しい山吹色の瞳の主に言われて、カルロスは全くだと苦笑いした。
* * * * * * * * * * *
A級冒険者ジュード・グレンが、掲示板の前で考え込んでいる。ただそれだけで絵になる男だが、背の高い彼が、高い位置にある高ランクの依頼書だけではなく、低い位置に貼られているものまで見ていた。
ジュードは、報酬が少なく割に合わない依頼をよく引き受けていたので、今回もそれを探しているのだろうと思われていた。
猫のハルと共に、猫探しの依頼を受けるのは、やめたほうがいいだろうか。ハルは喜んで受けたいだろうが‥‥‥。
今日貼り出されたばかりだ。少し内容がおかしいのと条件に満たないので、誰も手を出せないでいるのかもしれない。
猫探しに、A級以上の冒険者を指定している。それでいて報酬は‥‥‥。
「銀貨五枚と、石?‥‥‥書き間違いではないのか?」
依頼人の名前を見る。
「無職のオーランド?」
堂々と無職をアピールするとは、変わった依頼人だ。
待てよ。オーランド?
つい最近聞いたような‥‥‥。
ジュードは高い位置に貼られた依頼書を取って、受付へ行った。ハルと一緒に来た時に初めて名前を知った受付の女性がいた。
「エマ、これを受けたいんだが、今日ではなく明日に」
名前を呼ばれたエマが、微笑んだ。
「はい、ジュード・グレン様」
「依頼人は無職と書かれているが、本当の無職か?確認したいから、出来れば依頼人と連絡を取りたい」
「少しお待ち下さい」
依頼手続きの際に書いてもらう連絡先がファイルにある。エマがそれを手際よくメモに書き写した。
「引き受けた冒険者の方には滞在先を教えるように、となっています。こちらの宿の部屋を訪ねてみてください」
エマから受け取ったメモを見て、ジュードは目を見開いた。
「‥‥‥」
「どうかされましたか?」
心配そうな顔になったエマに、ジュードは首を横に振る。
「いや‥‥‥問題ない。明日の朝に使い魔と行ってみる。ありがとう」
受付には話を通してあるはずだ。エマはどこまで知っているか。ハルが代表室で猫になった日、帰りにハルの姿はなかった。
「どういたしまして。‥‥‥その、使い魔さんに、よろしくお伝えください」
仮登録した使い魔の特徴から、ハルだと気付いたのだろう。
「ああ、伝える。明日はいるか?連れて来る」
「はい、おります。お待ちしています」
その後に代表に面会できるか、聞いておいて欲しいとエマに頼んで、ジュードはギルドを出た。
さて、まだ時間もあるし、広場の屋台とテントに行ってみるか。先輩たちが協力してくれて、今もまだ心配してくれているようだしな。
塩鶏屋のデンの店で、レジナルドたちに手みやげを買うのもいい。
* * * * * * * * * * *
「なんだ、帰ったのか。寄ればいいのに‥‥‥」
「貴方はただ休憩がしたいだけでしょう?」
ジュードが来れば、アーロが紅茶を用意する。流れで休憩だ。ルークは「それは違うぞ」と反論する。月白のポニーテールが揺れた。
「あいつは俺にとっては兄弟みたいなものだ。もう一人の弟だ。顔を見るのが何より嬉しいんだ」
「一昨日会ったばかりで何言ってるんです。ほら、サインする手が止まってますよ」
「腹減った、腹減った、腹減った!」
「‥‥‥仕方ない。昼休憩にしますか。エマさん、報告ありがとうございます」
「あ、はい、では、失礼します」
彼らの遣り取りを、開いた扉の前の廊下で聞いていたエマは、一階へ戻る階段の途中までは吹き出すのを何とか我慢した。
【月長石】の代表、美しい夜の化身が、まさか「腹減った」を連呼するとは思わなかった。
読んでいただきありがとうございます。




