52冊目
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甥のレックスを養子にと考えたのは、思えばあの日だった気がする。王立図書館に寄ってから来たという義兄と小さなレックスが、ギルドに立ち寄り一緒に食事をした。彼らが帰ったその後に、ロッティ・ベネットの死を、真っ青な顔のロンドから聞いたのだ。
「ソフィア‥‥‥」
「大丈夫よ、オリー」
誰も悪くない。
「もう大丈夫。だから前を向くわ」
ソフィア、誰も悪くないのよ。
レックスくんを守るために、
あなたたちに辛い思いをさせることを、
どうか許してね。
ロゼッタの手紙には、そう書かれてあった。感謝しなくてはならない。何も知らなければ、近いうちにきっと、友人だったロッティ・ベネットの話をレックスにするところだったのだから。
「あの日、ロッティは、私たちの未来の息子を守ってくれたのね」
「そうだね。だからこの先も僕たちはそれを忘れず、レックスを一人前の鑑定士として男として、道を踏み外さないように導こう」
「ええ」
そして、彼女の娘、ハルの幸せを見守るのだ。
「ジュード・グレン様がいらっしゃいました」
代表室で待っていたソフィアとオリーは、シアに案内されて一人で来たジュードを迎えた。猫の姿になったハルは一緒には来なかった。
レックスを守ることを考えてくれたのだから、出来ることなら謝罪ではなく『ありがとう』と伝えたい。それ以外の言葉を、何も用意していない。
ガッカリしたハワード夫妻に、銀髪の美丈夫が「すまない」と言った。
「お願いだから謝らないで、ジュードくん」
「さあ、座ってくれないか」
「‥‥‥すまない」
ジュードの向かいにソフィアとオリーも座ると、突然目の前にポンッと青茶の猫が現れた。
「「‥‥‥っ!」」
声にならない驚きで二人が仰け反ると、ソフィアに猫が抱きついた。
「ふふっ、驚きましたか?」
「「‥‥‥」」
「ご、ごめんなさい。あの、やり過ぎました?」
「ハルちゃん‥‥‥ええ‥‥‥ビックリしたわ」
「本当に、すまない。ハルがどうしても驚かせたいと‥‥‥」
「‥‥‥あのね、ジュードくん」
その『すまない』は、タイミング的にちょっと、ややこしい‥‥‥。
シアが紅茶を運んできた。もちろんシアは、猫が姿を消して驚かすのを知っていた。ソフィアとオリーの視線が痛いので、早々に代表室を出た。
「あの子、逃げたわね」
「まあ、とにかくブレスレットを上手く使いこなしてくれて、何よりだよ」
それを見せたかっただけなのだが、商業ギルドのギルマスと鑑定士の夫婦を驚かせるのは、猫とはいえ大人のすることではないなと反省する。
猫が、ごめんなさいの肉球を見せる姿に、ジュードは言いたい。
誰もが肉球で許してくれると思わない方がいい。
「ハル‥‥‥」
ソフィアの膝から、猫が素早くジュードの肩に来た。外では、呼んだらすぐに肩に乗るよう決めていた。約束をしっかり守ったハルに何も言えず、褒めるように撫でてしまった。ソフィアがクスッと笑う。
「ずっと私の膝にいたから嫉妬したの?」
「ち、違う」
和やかな雰囲気になったところで、オリーは次の鑑定があるため、仕事に戻った。
「先日は、店は開ける方向でとお話しましたが、考えが変わりまして‥‥‥」
ハルは、【ベネット古書店】をしばらく休む方向で考えていると話す。一度店を閉め、店内の棚の移動やテーブルを置いて、ロンドのコーヒーが飲める古書店を開きたい、と。
「それは、とても素敵だわ」
「店の古書や本は、一部を売るのではなく読んでもらうために置くようにしたいです。今後の収入は、店では主に修理魔法になります。それから‥‥‥」
「俺が、冒険者として稼ぐ」
「では、【銀の女神の神殿】から戻ったら、二人は結婚するのね?」
「はい」
ハルが返事をして、ジュードも頷いた。
「では、全てが落ち着いたら、今後も変わらず本の修理の依頼を【ベネット古書店】にお願いするわ」
「はい、よろしくお願いします」
商業ギルドには、しばらく訪れることはなくなる。
先日のアイザックのことで、話がまだ途中だったのではないかと、ソフィアに聞いた。アイザックは今日は休みで来ていない。
「彼の父親は、理髪店の店主よ」
ジュードは、思い起こすと目を大きく見開いた。
「‥‥‥あの、理髪店か?」
「そう。あなたが商業ギルドに来ることはないだろうと思っていたから、店主の息子を雇ったの」
ジュード・グレンは被害者だ。
理髪店で切ったジュードの髪を、若い女性にどうしてもと頼まれて、うっかり渡してしまったのは、間違いなく店主の失態だ。その髪が魔術に使われたのだから。
髪は、どうにかジュードを自分の恋人に、あわよくば既成事実を作ろうと、数人の女性たちが入手した女から高額で手に入れた。
だが、ルークが手配した黒魔術師によって魔術は跳ね返され、女性たちが昏睡状態になった。何もしなければ、ジュードが受けることになっていた。
「今まで利用していた客は、ゾッとしたでしょうね」
更に、自分の娘たちがしたことを棚に上げて、お前が髪を渡さなければと、店主は貴族や商家からも責められたそうだ。昏睡状態になって目覚めても噂は既に広がり、娘たちはもう、嫁げても後妻にしかなれない、と。
「随分と勝手ですね」
不機嫌に目を細めて人形のようになった猫に、ソフィアは苦笑いだ。
「店主はもう無理だと、疲れ果てて店を閉めたわ」
息子のアイザックは理髪店を継ぐつもりだった。彼はここの警備を週に一回か二回、それ以外は父親と一緒に孤児院を回って子供たちの髪を切り、理髪師としての腕が落ちないようにしていた。
それは、ハルもジュードも知らない事実だった。
「もちろん、口が軽いのは良くないし、あなたたちに迷惑をかけた。商業ギルドの警備がした事で、私も恥をかいたわ。だから私が許すまで、余計な会話はしない・笑わない・代表室のお茶出し担当になること、その条件で再雇用したのよ」
「そうだったのか‥‥‥」
あの一件から、アイザックと父親は、ジュード・グレンに女性の気配がないのを知っていて、ひょっとして女性恐怖症になったのかもしれないと、申し訳なく思っていたそうだ。
最近になって、父親はまた理髪店を再開した。客は以前のようには戻らず少ないが、二人で孤児院にも行っている。今の暮らしを続けるつもりだった。
ある日、ジュード・グレンが商業ギルドに現れた。アイザックは緊張した。いつもの作り笑顔も出来ないほどに。
しばらくすると、後から来たハル・ベネットと、ジュードが一緒にギルドから出て来た。アイザックには、二人は良い雰囲気に見えたそうだ。
ジュード・グレンは、女性恐怖症ではない。
自分たちが心配する必要はなかったのだ、と。
「‥‥‥」
「その時もまだ、ジュードさんが女性が苦手だったのは間違いないのですが‥‥‥」
「ええ、そうね」
人とは不思議なもので、不幸だと思っていた相手の方が幸せそうに見えた途端、嫌な感情が芽生えてしまうことがある。
あの男が、
ジュード・グレンがうちの店に来なければ、
あんな事にはならなかった。
「間違いなく逆恨みの感情だったと、今はもう、アイザックも自覚しているわ」
* * * * * * * * * * *
商業ギルドを出て外階段に座り、黙考するジュードの肩で、猫は姿を消して彼の言葉を待っていた。
ジュードはきっと、理髪店の店主のことはもう忘れようとしていたはずだ。
最近になって、気を許すロゼッタに髪を切ってもらった。落ちた髪は自分の風魔法で集めて、用意してもらった麻袋に詰めて魔法鞄に入れた。今後もきっと、ロゼッタが失敗したり無理だと言わない限りは、頼むつもりだろう。
「俺は薄情か?‥‥‥あれから、店の近くにすら行こうとしなかった。俺が一言、これからは気をつけてくれと、店主に言えば良かったのではないか?」
そうして和解すれば済むことではなかったか?
ルークに助けを求めて、守られて、目を逸らして、逃げていただけだ。
「まだ間に合うのではないですか?」
ジュードが顔を上げた。
「まだ‥‥‥間に合う?」
「はい」
「三年以上も前だ」
「はい」
店主に会い、「これからは気をつけてくれ」と。
会って和解できたら、店の前で店主とジュードが笑い合えば、近隣の人や通りがかりの人たちに伝わる。もしかしたら、もっと広がるかもしれない。
全てそう上手くいかないかもしれないが、一つでも前に進めるなら。
「ハル、今から理髪店に行っても?」
「行きましょう」
「帰ったら遅い昼食は軽く済ませるから、アイスクリーム二種盛りを一緒に食べよう」
「良いですね!」
『イイネ』
「ははっ」
調子の良い聖獣に、思わずジュードは笑ってしまった。
* * * * * * * * * * *
ジュード・グレンが、一人で笑っている。
買い出しに出て、店舗兼自宅に帰るところだったアイザックは、若干引いていた。
もうすぐ着くのに、周りの視線を集めている美丈夫が店の前にいる。アイザックは様子を見るために隠れた。
店から父親が出て来た。背丈は違うが、アイザックの白くて丈夫な歯は父親に似た。子供の頃から、身だしなみにだけは厳しかった。
背の高いジュード・グレンと、彼の胸くらいまでしかない父親が、向かい合っている。
何を話しているのだろう。
きっと謝罪をしているに違いない。もっと早く本人に謝りたかったのに、出来なかった。冒険者ギルド【月長石】の副代表、アーロ・アーレントがそれを許してくれなかった。
『謝罪は伝えましょう。ただ、今は会うことはご遠慮ください。彼が受け入れられる日が来るまで‥‥‥どうかご理解を』
抱えたパンの袋から良い匂いがする。昼食のバゲットサンドだ。今日は父の誕生日だから、奮発して一番高いローストビーフサンドにした。ジュード・グレンが帰ったら、これを二人で食べて‥‥‥。
「‥‥‥?」
父の白い歯が見える。笑っている?
ジュード・グレンと、握手をしている。
『彼が受け入れられる日が来るまで‥‥‥』
ああ、そうか。
今日がその日だったのだ。
アイザックは、香ばしいパンの袋に顔を埋めた。
* * * * * * * * * * *
バニラとヘーゼルナッツチョコレートの二種盛り。ジュードはそれに加えてコーヒーを飲んでいる。
ジュードがこのアイスクリームを盛り付けながら、まさか鼻歌を歌うとは。
理髪店の店主にあんなに喜んでもらえたのだ。そうなる気持ちもわかる。
「美味いか?」
「とても美味しいです」
『ウマイゾ』
「何だかこの流れにも慣れたな」
少し離れた場所からアイザックが隠れて見ていたのは、ハルもジュードも知っていた。
耳元で「アイザックさんにも会いますか?」と聞いたら、ジュードは小さな声で「いや、いい」と言った。
それよりも上唇毛がモゾッと擽ったいようだったので、緊張が解れるようにと、猫が顔を寄せてもっとモゾモゾさせたら、笑い出した。周りからはジュードが一人で笑っているように見えるので、結構な視線を集めていたが、その後に出てきた店主と話して笑って握手も出来たので、結果的に人を集められて良かった。
ジュードは明日、レジナルドたちが来たら挨拶をして、ハルを任せた後にギルドへ行く。今は長期ではない依頼しか受けられないが、昨日の行き帰りに見た限り、掲示板には次々と新しい依頼書が貼られていた。危険度が高いものほど高い位置にあるので、ひと目でわかる。
最初は短時間でも可能な依頼があればいい。更に人目がない場所であれば、不慣れなハルと話しながら動くことができる。
「本当に、大丈夫でしょうか」
「怖いか?」
『コワクナイゾ』
アイスクリームの器をキレイに舐めて、ハルではなく聖獣が答えた。
「ハルに聞いたんだが」
「ふふ、怖くはないですよ」
ジュードが一緒ならば怖くはないのだ。ただ、足手纏にならないかが心配だった。
「猫の使い魔に成り切るとしたら、今しか出来ないぞ」
「猫の‥‥‥使い魔」
山吹色の瞳が輝く。ルークとアーロが、人間に戻るまでは念のため『使い魔』として仮登録をしてくれると言ったのを思い出した。猫の使い魔。何だか格好良い気がする。
「そうです、そうでした!」
「ハル、どうせなら今を楽しもう」
三年以上前の蟠りが解け、気持ちが軽くなったジュードの笑顔は晴れやかだ。
読んでいただきありがとうございます。




