51冊目
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フィンレー様と私は、この姿で銀の女神の神殿に向かう事になるのですよね?
『ソウダヨ』
これからも私たちはフィンレー様の『本』を、猫の書と呼んでいても?
『‥‥‥イイヨ』
ありがとうございます!
『ウレシソウダネ‥‥‥』
聖獣様。銀の女神様‥‥‥お姫様が本当に待っているのは‥‥‥。
『ハイ オシマーイ』
えー‥‥‥。
「‥‥‥という夢でした。もう少し聞きたかったです」
「‥‥‥」
ハル、二つ目の質問は本当に必要だったか?
ジュードが昼食のサンドイッチを食べているこの時間に、ハルは今朝の夢の中の話をしている。朝食が終わるとカルロスが来て、猫になったハルの心配と昨夜の話で終わってしまったし、開店後にはフレイヤが来ていたからだ。
「聖獣様、また大きくなっていました」
「アイスクリームの栄養は凄いな」
アイスクリームの栄養というより、ヴァージルが作った永久凍土の素材入りのアイスクリームだからだろう。
「王道バニラを食べるか?」
「はい」
『タベルゾ』
「‥‥‥アイスクリームの話になると出て来る」
猫から二つの声がするのには、まだ慣れない。ジュードは青いガラスの器に入ったバニラアイスクリームを二つとスプーンを一つ、魔法鞄から取り出した。
聖獣の指輪は、魔法鞄に入れてある。もう指に嵌めなくても大丈夫だよ、と金色猫が言っていた。【銀の女神の神殿】へ行って、女神に返せば良いそうだ。最後に『たぶん』と言っていたので、少し不安になる。
美味しそうにアイスクリームを食べる猫に「美味いか?」と聞くと、『ウマイゾ』と「美味しいです」が返ってきた。
ロッティの日記は、意外にもこの世界の言葉で書かれていた。始めの『見たわね?』だけだと思っていたのだが、ハルもジュードもあっさり読むことが出来た。
問題は、内容だった。
続きを読むか読まないかは、ハルとジュードの意思に託された。何度もロッティは『覚悟はあるかしら?』と日記の途中で脅してきた。たぶん、ハルが日記を見つけて読むかもしれないと思ったのだろう。後で書き足したような感じだ。
テーブルに肘をついた方の手で額を押さえたジュードが、考えた末に『俺は、少し考えたい‥‥‥』と言った。
『‥‥‥では、私だけで読んでみますね』
ハルは自室でのみ読むことに決めた。
客が来たら呼び鈴を鳴らす。その条件でジュードに店を任せた。猫は気配と姿を消してジュードの肩に乗れば、本の金額も修理の受け方も教えることが出来る。
ハルは自室のベッドの上で日記を開いた。両前足でエイッと勢いよく表紙を開くスキルを手に入れた。これである程度の本も読めるわと、青茶の細いしっぽをユラユラとさせる。
昨日までに読んだのは、ロッティがこの世界を前世で知っていたこと。
ハル・ベネットもジュード・グレンも、異世界の物語の登場人物だったことだ。
衝撃だった。ジュードはここで、『少し考えたい』と言って、日記から離れたのだ。
冒険者ジュード・グレンが、ハル・ベネットの古書店を訪れ、『本』の修理を依頼するのは決まっていた。だが、それは人間の姿のジュードだった。
現実では、商業ギルドを通して依頼を受け、ギルドの外階段で猫になったジュードがハルに抱っこされて古書店に来た。
「結局は‥‥‥物語通りに話は進んでしまうのかしら」
母は、自分自身が死んでしまうことも知っていた。日記には、子供の頃にこの物語の世界に転生したのだと思い出したと書いてある。自分がハル・ベネットの母親になって、やがて死ぬことを知り、怖くなかったはずはない。
ロッティが運命に抗った記録がここにあった。
* * * * * * * * * * *
今日、異世界転移者の優吾に会った。
彼の鼻歌が、前世のアニメのオープニング曲だったのでつい反応してしまった。
ユーゴは戸惑っていた。
彼は登場人物にない人で、イレギュラーかもしれない。
彼といれば、運命が変わるだろうか。
ユーゴは古書を探していた。
日本に帰れる方法や魔法がないかを見つけたかったらしい。
だけど、この世界で生きる覚悟ができたと言った。
また旅に出ると言ったユーゴに、今は何を探しているのかと聞いたら、なんと彼も物語を知っていて、キーアイテムでもある魔法の書【銀色猫と氷姫】を早く見つけたいと言った。
古書探しという名目で、時々店を休んで旅に出ようと思う、と。
ユーゴは『キミのためにも‥‥‥』と言った。
彼は、私が死ぬ運命だと知っていたのだ。
彼は、ベネット古書店の養子になる選択をしたことで、謝罪してきた。
きっと私の運命を変えてしまった、と。
私は笑った。
それで良いのよ、と。
だって、私も変えたいから、と。
生まれ育った家を出た。
父には申し訳ないと思ったが、私は必ず戻って来るつもりだ。
カルロス兄様は、物語では私と結婚する人だったのだが、護衛として旅に付いて来て貰えないかと頼んでみた。
深い溜息の後、引き受けてくれた。
私は前世を思い出してから、彼には恋をしないように生きてきた。
素敵な人だが、兄のように思うことにした。
探しに来てくれたユーゴが、カルロス兄様がいる前で私にプロポーズをした。
どうして?
私は、死ぬ運命なのに。
私は、共に生きる覚悟をしてくれたユーゴの手を取った。
カルロス兄様は、父レジナルドの元へ報告に行くから、いつか彼と一緒に帰ってきなさいと言ってくれた。
カルロス兄様の運命を変えてしまったと、彼が去った後、私は泣いた。
カルロス兄様は傭兵として同盟国へ行き、私は旅先の地でユーゴの子を身籠った。
抗いたい気持ちのまま、産まれた赤ちゃんはやはり女の子で、髪色も瞳の色も私と同じだった。
ユーゴには全く似ていなかったが、とてもとても喜んでくれた。
ハル・ベネットは、必ず生まれる運命なのだ。
ユーゴは、決まっていた名前だからではなく、好きな季節が日本の春だから『ハル』にしたいと言った。
私も前世の季節の中で春が好きだった。
ハル、良い名前だわ。
可愛い私たちの娘には、必ず幸せになって欲しい。
初めての子育てで毎日が忙しい。
前に作った楽な部屋着の上下があって良かった。
この世界の女性は、部屋着も夜着もどうしてワンピースばかりなのかしら。
ハルが二歳になった。
行き来していたユーゴが迎えに来た。
ベネット古書店のロッティ・ベネットとして、妻として母として、生きることになった。
隣の雑貨店のロンドとロゼッタの夫婦と友人になった。
彼らは凄い魔法道具を作ったり、私たちを色々と助けてくれた。
なんと、商業ギルドのハワード夫妻に会った。
いずれ、ハルとジュード・グレンが関わる物語の登場人物だ。
初めは少し緊張したが、年上の素敵な夫婦ですぐに好きになり、友人になった。
物語の冒険者ジュード・グレンが娘のハルと少し良い関係になるのを知っている。
そして、私の推しがジュードだったのは、ユーゴには話していない。
ハルとジュードが結婚するかどうかは物語の続きには書かれていない。
もしも将来この古書店で二人が暮らすことになったら‥‥‥、ああ、ステキだわ。
希望を込めて、ロンドとロゼッタには娘の為に結婚指輪を頼んでいる。
ハルは驚くかしら?
推しに着せたい作務衣も縫って作った。
出来れば長生きして、ジュード・グレンが着たところが見たいが、ユーゴに着せてみた。
大きい。
それでも気に入って、出掛ける時以外は着るようになった。
ユーゴが室内履き用のスリッパが欲しいと言った。
義父の古い大きなブーツが物置にあったので、これで作ったら?と渡したら、大きめのスリッパが出来上がった。
大き過ぎて、夫はよく転んでいた。
ジュードならピッタリかもしれない。
そう思ったのは、内緒だ。
父に会いたい。
こんなに近くにいるのに。
孫のハルに会わせて、抱かせたい。
物語のロッティは、カルロスと結婚してからも、よく父親のレジナルドが働く王立図書館へ行っていた。
ロッティは図書館の帰りに死んでしまう。
さすがにそれが、物語の中のいつなのかは覚えていなかったし、ずっと死ぬのを恐れて引きこもって、父に会わないでいるのは、無理だ。
ユーゴとハルが、明日、陰の曜日の魔法道具の市場へ出掛けることになった。
ならば、明日にしようか。
ユーゴに言えば、市場へ行くのをやめてしまいそうなので、手紙を置いて出掛けよう。
怒るかもしれないけど、無事に帰って来れたらたくさん謝るわ。
日記の最後には、
『今日が運命の日かもしれない。行ってきます!』
と、書かれていた。
* * * * * * * * * * *
読まなければ良かっただろうか。
後悔したが、猫は首を横に振る。
違う。
母は最期まで諦めず生きようとしていた。
あの日も頑張って家に帰ろうとしたのだ。
母としてだけではなく、一人の女性としてのロッティを知ることができて良かった。
階段から落ちた子供を咄嗟に助けて、彼がハワード夫妻の養子になる子供だと、気が付いたのかもしれない。本当は痛かったのに大丈夫な振りをして、少年を笑って見送ったのだろう。
「ジュードさん。私の母は、やっぱり素敵な人でした」
呼び鈴が鳴り、気配と姿を消してジュードの肩に乗った猫は、そっと囁いた。
ハルに、日記を魔法鞄に入れて欲しいと頼まれた。ジュードが読まなかったのは正解だったとも言った。この世界に生きる人には知らなくて良い事も書かれているから、と。
ただ、今後に必要だと感じた場合は、一部だけでも話すつもりでいるので、その時は遠慮なく聞いて欲しいし、隠し事もしないから、と言ってくれた。
ジュードは今でも、ハルを愛したのは間違いなく自分自身の気持ちだと信じている。物語など、出来ればこの先も知らなくていい。
ただ、ハルの両親が生きてきた全てを否定するのは違う。彼らが本気で運命に抗おうと思えば、ジュードは彼女に、ハルに出会えなかったかもしれないのに、そうしなかった。
頼もしい猫は今、窓テーブルで本を読んでいる。料理の本だ。人間に戻ったら、また市場へ行って珍しい食材を見つけたいらしい。知らない料理も覚えておけば、色々とイメージしやすいそうだ。
棘付きのアレは、濃い青紫色のニンジンはもう‥‥‥ちょっと‥‥‥アレだ。
ジュードが嫌いな蛙の色に似たニンジンは、棘付きの皮を剥くと手が青紫色になる。手が蛙色になった気がして、いくら甘くて美味しいニンジンでも、もう遠慮したい。
一番食べたいのは、ハルのチーズオムレツだ。
ハルにそう言ったら、もちろん人間に戻ったら最初に作りますからと、モゾッとする擽ったいキスを頬にしてくれた。猫になっても、ハルは可愛い。
カーテンを開けた窓から覗いていた子供連れの女性が、遠慮がちに扉を開けた。古書店の猫が本を読むと友人から教えてもらい、見に来たそうだ。
猫は縞々で店主は女性だった。そう聞いていたようで、この店で間違いないかと確認してきた。彼女は不在で代わりに店番をしているとジュードが言うと、ホッとしていた。小さな女の子は母親の後ろに隠れてモジモジしている。
猫が可愛らしく「にゃあ」と鳴いた。
母子は窓テーブルの細身の猫に吸い寄せられて行った。ジュードはなるべく穏やかな声で「ごゆっくり」と言って、あまり二人を見ないように手元の本を開くと、母子は猫を撫でたり、本を読んでいる姿に、とても喜んでいる。
猫が肉球を自慢気に見せていた。
チラと見たジュードは、ハルの徹底したサービス精神に感服した。また自分が猫になったとしても、ハルのようには出来ない。無理だと思う。したくない。
母親に、前の縞々猫もこの猫も知り合いから預かっている猫なので、いずれ飼い主のもとに戻ると言った。申し訳ないとは思うが、期待させてまた店に来てしまうよりはいい。とても残念そうだったが、来て良かったねと母親は小さな娘に言っていた。女の子は、最後までジュードの前ではモジモジしていた。
母子が帰った後で、ジュードがハルに聞いた。
「本物の猫は飼わないのか?」
猫がいる窓テーブルに移動したジュードが丸椅子に座った。
「近隣の家の飼い猫に子猫が生まれたら、譲ってもらえるかもしれない」
「いいですね、猫がいる古書店。考えるだけで幸せです。その時を、楽しみに待ちます。出会うタイミングは、きっとあります」
物語のその先は、探して回るのではなく、いつかきっと運命的に。
「猫の前に、コーヒーが飲める古書店を考えなくて良いのですか?」
「そうだった!」
どちらかと言えば、ジュードが乗り気なのはそちらだ。
「大きなテーブルを真ん中に置きたいです。本棚を動かすのを手伝ってくださいね」
「勿論だ。任せてくれ」
閉店時間まで、マグカップはどうするか、店内をどのようにして、棚をどこに置くかを話し合った。
それから、ハルがどうしても伝えたかったこと。人間に戻るまで店を休むことを考えていると、ジュードに言った。
「私は、ジュードさんに冒険者として戻って欲しいです」
「‥‥‥ハル」
ジュードが駆け出しの頃、掲示板にずっと貼ったままの依頼書を確認に来た依頼人がガッカリした姿を見たことがあった。『今日も、ここもダメか‥‥‥』と呟いたのが聞こえた。
自分に出来ることでブレイク家の役に立ちたかったジュードは、その依頼人のためと言うより、ギルドと代表の評判を落としたくない思いで、その日から、割に合わないような依頼を進んで受けるようにした。
今は大きな魔物の被害が多くない時期で、広場にはS級のヴァージル・ブレイクが日中はアイスクリームの屋台を出し、連絡が取りやすい状態になっている。そうしてくれているのかもしれない。
ルークやアーロのデスクの書類の山は、ハルと一緒に行った時には消えていた。先輩冒険者たちが依頼を消化してくれていると言っていたが、半分ほどは隠しただけだろう。
「だが、ルークからも今はハルの側にいるように言われているし、俺も自分の意志でここにいる」
「では、私が側にいれば解決しますか?」
「‥‥‥ん?‥‥‥それは」
そうだが‥‥‥?
「‥‥‥ですから、ルークさんが古書店と私のために、A級冒険者に店番をさせるのはどうかと思うんです」
面会に訪れて報告に来た冒険者ジュード・グレンの肩の上の猫の発言に、【月長石】の麗しいギルドマスターは唖然とした。
ルーク・ブレイクは、今日も月白の髪をポニーテールにしてしている。代表室に引きこもって仕事をする時のスタイルだ。
「‥‥‥」
「‥‥‥」
「‥‥‥アーロ、俺は、叱られているのか?」
「‥‥‥そのようですよ」
副代表アーロ・アーレントは、ハルに妻の姿を重ねていた。結局は敵わないのだ。素直に受け入れたほうがいいです。と、こそっとルークにそうアドバイスすると、ローテーブルに三人分の紅茶を置いた。猫は飲めないが、何も出さないのもどうか思い、一応用意した。
「‥‥‥確かに、もう俺もジュードも依頼人ではないのだから、こちらの勝手でデカい図体の無愛想を店番に置いたら迷惑になるよな。ではフレイヤを‥‥‥」
「「違います」」
ハルとアーロの声が重なった。
「貴方が負い目を感じることはないと、ハルさんは言っているんですよ」
「先程も言いました。私は猫になるべくしてなった、と。私は巻き込まれたのではなく‥‥‥」
ハルはそこで『物語の登場人物の一人です』と言いそうになり、思い留まった。
「きっと必要とされたのだと、そう思っていますから」
「ハルちゃん‥‥‥」
警備隊長のフィンレーまでもが猫になった理由はわからないが、【銀の女神の神殿】へ行くまではハルもフィンレーも猫の姿だと、夢の中で聖獣が言った。ジュードが猫になったのは聖獣の悪戯で、元々ハルが猫になることになっていた。
多少の物語のズレは問題なく、とにかく必要な者たちが揃えば良いように、ハルは思えた。
「後は新月に【銀の女神の神殿】へ向かうだけです。ジュードさんが猫になることはもうありませんから、冒険者として以前のように過ごして頂きたいです。私は、人間に戻るまで店は休みたいと思っています。木の曜日にレジナルド様‥‥‥、祖父と約束がありますので、そう伝えます」
「‥‥‥うん。ジュードも、それでいいんだな?」
「危険がない場所であればハルも連れて行くことにする。無理な時は、雑貨店に居てもらいたい考えている。猫のハルだけを古書店に置いては行けない。それはだけは譲れないぞ、ハル」
「はい。ありがとうございます」
猫を撫でると、ジュードがチラとルークを見た。
「古書店に居るのも本当は好きなんだが‥‥‥俺は、デカい図体の無愛想だからな。店番は似合わないから冒険者に戻る」
「さっきの根に持ってた!」
「ぷっ」
アーロが吹き出し、ルークがお手上げのポーズをした。二人の選択を尊重することにする。
「アーロさん、ハルの分の紅茶は俺が飲む。ハルはヴァージルのアイスクリームだけ食べられるんだ。もしかしたら聖獣の声が聞こえるかもしれないぞ」
「おや、そうですか!それなら‥‥‥」
アーロは今朝入手したばかりのアイスクリームを、猫とジュードの前に置いた。半透明で角度によっては青白く光る器は、まるで月長石のようで、ハルの山吹色の瞳が輝いてしっぽが揺れる。アーロはその愛らしい猫に「この器は弟の移転記念にと代表が職人に注文したのですよ」と微笑む。
「ヴァージルが広場に行く前にここに寄った。キャラメル味だったか?」
「塩キャラメルですよ。お好きですか?」
「はい、好きです」
『スキダゾ』
「「‥‥‥」」
「こんな感じだ」
食べ始めたジュードが「美味いな」と言うと、「美味しいです」『ウマイゾ』と再び猫から二つの声が聞こえて、ルークとアーロは微妙な気持ちになった。
読んでいただきありがとうございます。




